静かな戦場
「戦場って……ここは」
そこは駅前にある大型書店の入るビルだった。一階から五階まで売り場があり、この辺りでは最も大きい本屋である。
「ここで高矢の小説が売られるんだよ? まさに戦場じゃない」
「そりゃそうかもしれないけど……」
瑠奈さんは不敵な笑みを浮かべて店へと踏み込んでいく。
「えーっと鳳凰出版は……っと」
店に入った彼女は当たり前のように文庫のコーナーへと向かっていく。
「そっちじゃないよ」
「え? でも……」
鳳凰出版のフェニックス文庫のコーナーを見つけて指差す彼女に手招きして僕は歩き出す。辿り着いたのは三階の漫画売り場の奥にあるコーナーだった。
「僕が出るのは文庫じゃなくて四六判。この書店で言えばWeb出版の棚だよ」
「へぇ……文庫じゃないんだ……」
こんなコーナーがあること自体知らなかったのだろう。瑠奈さんは物珍しそうに並べられた書籍を見回していた。
奥まった位置でさほど大きくない棚。改めて見ると確かに確固たる意志を持った人じゃなきゃ立ち寄らない売り場なのだろうと感じた。
専門分野の資料、学術書籍コーナーというほど閉鎖空間ではないが、ふらっと立ち寄った人が手に取るような売り場でもない。
書棚に向けられた瑠奈さんの視線はどこにも焦点が合わず、滑っていた。
「『聞いたことない本ばっか』って思ったでしょ?」
「え……うん。まあ……でもシリーズ累計売り上げ五百万部とか物凄い売れてるんだね。こっちなんて一千万部だって。凄すぎる。……聞いたこともないタイトルだけど」
「シリーズ累積だからね。コミックも含まれてるから。瑠奈さんが今手に取ったそのシリーズなんて単行本が十二冊に外伝が五冊。更にはコミカライズが八巻まで出てるからねぇ。やっぱりアニメ化作品はやっぱり凄いよ」
「一千万部も売れたら大金持ちじゃんっ」
「さあ。きっとそうなんだろうね」
先ほどまでクリエーターの本懐みたいなものを語っていたくせに、いきなり生臭いことに関心を示しだした彼女がおかしかった。
「女の子はみんな目がデカっ! うわぁ……これとかほとんどおっぱい見えちゃってる。こっちも。なんで女の子はみんな鎧の下に下着みたいなの着てるわけ?」
しかめ顔で見ている小説は親友である与市のイチオシ作品だったが、それを教えたところで彼の名誉を傷つけるだけだろうから内緒にしておく。
「ここに高矢の作品も並ぶんだね……」
「うん、まあ……書店員さんが並べてくれたら」
「あー、なんか売れなさそうな本は『本棚に並べもしないで箱からも出さず、時が来たら出版元に送り返す』とかいう噂あるもんね」
僕は黙って頷く。本当か嘘かは知らないが、よく聞く噂話だからありうる話ではあるんだろう。
「ここに並んで……果たして僕の作品は何冊売れるのか……」
「うん……」
改めて本棚を見ると僕が掲載しているサイト発の有名作も多数並んでいた。
Web上で全く敵わない大人気作が犇めいている。売れる売れない以前に、僕の作品は何ヶ月この棚に留まれるのだろうか。スペースは十全ではなく、その上毎月何作品、何十作品も新作が届けられる。
書籍化したからといってこの棚に入ることも、はっきり言って容易ではないのだ。
数多の投稿小説の中から出版社に見出され、本という形になれるのはほんの一握り。しかし製本されてもシリーズ続刊出来る程度に売れるのはその中でもごく一部しかないのが現実だ。
更にそこから大重版され、ヒット作と呼ばれるのは果たして何パーセント位なのだろうか?
それほど厳しい戦いがここでは繰り広げられている。
だけどこの棚にいる数々の作品たちは、敵ではない。むしろ同胞と言っていいだろう。
この棚に別の人気作を買いに来てくれた人のうち、ごく僅かな人が僕の作品にも目を留めてくれるかもしれない。そのうちの何人かは手にとってペラペラと捲ってくれるかもしれない。
そして更にその中の百人に一人くらいはレジまで持って行ってくれるかもしれない。
そんな軌跡を経て、ようやく僕の作品は一冊売れるのだ。
その奇跡の第一歩もこの棚の前まで人が来てくれなければ始まらない。呼んでくれるのはこの棚にある人気作品だ。
だから敵ではない。同胞なのだ。
「厳しい戦いになるんだろうね」
「……うん」
圧倒的な本の量を見て、瑠奈さんの声は低いトーンの重々しいものに変わっていた。
「三階のこのエリアだけじゃない。一階にも二階にも小説は沢山置いてある。誰でも知っている有名作品から、僕たちが見たことも聞いたこともない作品まで。そしてもちろんその本一つひとつに作者がいて、僕と同じように必死で書いて、改稿して、ヒットすることを夢見ている」
そう、ここは確かに戦場だった。
毎日新しい本が何冊も生まれ、この戦場に送り込まれてくる。
店を入ったときに見たレジ前の特等席の陳列棚に入れるような幸運な作品はごく一握りだ。
壁際に設けられた売り上げランキングに並べて貰えるのは実に狭き門だ。
四六判から文庫落ち出来るのもごく僅かだし、幸運にも文庫になっても鳳凰出版のライトノベルの文庫棚は一階の隅の方にある。残念ながら誰の目にでも留まる好立地ではない。
レジ前はおろか、このWeb出版のコーナーですら平積みしてもらえる可能性はかなり薄いだろう。
僕の小説はこの店に一冊だけ入荷され、棚に挿されて終わりかもしれない。
せっかく彩って貰った美麗なイラストを一度も人に見せることなく、水中に潜むワニのようにひっそりと背表紙だけを水面に出し、出版元に送り返される日を待つ。
そんな悲しい結末だってありうる。
いや、そういう運命の作品の方がこの世の中では圧倒的に多い。
そんな思いを胸に、書棚に挿されていた聞いたことのない作品を一冊抜いて表紙を見た。
キリッとした剣士が剣を構え、その傍らに立つ魔導師風の美少女が僕の方を向いて笑っていた。
それはとても美しく、鮮やかで、素晴らしい表紙だった。
怖い。
僕は生まれて初めて、書店を怖いと感じた。
圧倒的な本の量に息が詰まりそうだった。
僕の創り出した小説は全国各地の戦場に送り込まれ、死線をかいくぐらねばならない。
売れなかったらどうする? 手にすら取ってもらえず、一ヶ月後にはそのほとんどが出版社へと返品されたら?
その時はさっき瑠奈さんに言われたみたいに『一生に一度の想い出が出来た』と発売前から売れないことを分かっていたような悟り顔で力なく笑うのだろうか?
駄目だっ……
そんなのは、嫌だっ!
いつの間にか固く握っていた拳を突然掴まれる。
隣に立つ瑠奈さんが僕の手を握って、真っ直ぐに見詰めていた。
「大丈夫。高矢の小説は面白いもん。絶対に大丈夫……」
「ありがとう……」
なんの根拠もない言葉だったけど、その一言に勇気を貰えた。
本屋を出た僕たちはどちらから切り出すともなく公園に向かっていた。
缶ジュースを買い、ベンチに座り、呼吸を整える。
「さっき川沿いでなんか偉そうなこと言ってごめん。本を出してもヒットするとなると大変なんだよね」
「そうだろうね、きっと」
「なんにも知らないくせに『一生の想い出なんて駄目だ』とかどうしたとか……私って超馬鹿だし、超かっこ悪い」
「いや。瑠奈さんに厳しく言って貰えてよかったよ。頑張らなくっちゃって気合い入ったから」
「ほんと?」
「うん。戦う前から負けた時の言い訳考えるなんて、一番かっこ悪いもんね。だから、ありがとう」
炭酸飲料をグイッと煽るとビリリとした痛みが喉を抜けていく。
そんな僕の横顔を瑠奈さんがジッと見詰めていることに気付いた。
「え? どうしたの?」
「いや。なんか今の高矢カッコいいかもって思った」
ブホッと飲みかけのジュースをぶちまける。
「ちょっ!? 汚いっ! サイテー!」
「ごめんっ」
僕の粗相は瑠奈さんの服にまで被害が及んでしまっていた。




