創作の熱量
視られているということに慣れてくると、ようやく小説の世界に入り込めた。
前回の瑠奈さんとのデートや偶然香寺さんと出会したことなどが功を奏したのか、恋愛部分の書き直しも順調である。
この分なら今月末のハロウィンまでには無事原稿を上げられそうだ。
僕のキーを打つ音と、瑠奈さんの鉛筆を走らせる音。
静かだけど創作の熱が籠もった音が部屋を満たしていく。
僕もそうだが、瑠奈さんも創作中は時間の感覚が麻痺するらしい。
「はーい、休憩ですよー」と母さんが焼いたクッキーを持ってくるまで、僕たちは二時間も経過していることを知らなかった。
「うわぁ美味しいです」
「ほんと? おばさん嬉しいわ。高矢が子供の頃から作ってるから」
「お兄ちゃんはいっつもチョコチップ入りを独り占めしようとするんですよ。ひどくないですか?」
なぜ母さんや妹まで俺の部屋で寛いでお茶をしているのだろう。
実に解せないが、文句を言ったら三対一で負けてしまったので現状を甘んじていた。
そもそも息子の彼女が来たからクッキーを焼くとか、再放送のアメリカのホームドラマでも今どき珍しい展開だ。
「瑠奈さんはお兄ちゃんなんかのどこが気に入って付き合ってるんですか?」
萌絵は「なんか」に力が入った訊き方をする。
「そうだねー……」
にやついた顔をして横目で見られたが知らんぷりをする。
「小説を一生懸命書いてるところかな?」
その言葉に母と娘は「おおーっ」と唸る。
僕は気まずくて誰の顔も見ずにクッキーをしゃくしゃくしゃくしゃくっと咀嚼する速度を上げていた。
「まあこの子、それ以外取り柄がないですもんね」
母さんは納得したように頷いていた。萌絵も「だよねー」と相槌を打つ。ちなみに妹は僕が書籍化デビューすることは知らないが、小説を書いていることは知っている。
そもそも僕たちは小説のために嘘で付き合ってるんだから理由なんてない。瑠奈さんが咄嗟に考えて思い付くのはそれしかなかったのだろう。
そんなことは分かってるのに、彼女の言葉に僕の胸の鼓動は早鐘を打っていた。
ようやく二人が出て行くと、警察の尋問が終わった容疑者のようにどっと疲れが押し寄せてきた。
「なんかごめん。おかしな母と妹で」
「え? おかしくないよ。私は好きだな」
彼女は裏腹のない顔でにっこりと笑った。自分で肉親を貶めておいてなんだけど、好きと言ってもらえて少し嬉しかった。
「絵は描けた?」
「まあ、ぼちぼち……かな」
「見せて」
「えー? なんで見せなきゃいけないわけ?」
瑠奈さんはもっと卑猥なものを見せろといわれたかのように眉をひそめる。
モデルになったら当然見せて貰えると思い込んでいたが、彼女のルールではそうではなかったらしい。いや、むしろモデルだから見せてくれないのかもしれない。さっきは当たり前のようにスケッチを見せてくれたのだから
「まあ描き終わったら見せて上げるよ」
「そっか。ありがとう」
「そっちはどうなの? 改稿進んでる?」
「まあ、おかげさまで」
「読ませて」
「えっ……?」
僕は耳を疑った。自分は描いた絵を見せないのに、こんなにも堂々と読ませろと言われるなんて思ってもみなかった。
「駄目だよ。完成してから」
「いいじゃない。だいたい読まないと次にどんな疑似恋愛体験しないといけないか分からないし」
勝手な理由をつけて結局無理矢理読まれてしまう。
「ふぅん……いいんじゃない? 少しはマシになったかも」
「そりゃどうも」
「でもまだまだかなぁ。この程度の展開じゃ読者はきゅんきゅんしないと思う」
「別にいいんだよ。異世界冒険ファンタジーなんだから恋愛部分できゅんきゅんしなくても」
「駄目。ちゃんとそういうところも最高のクオリティにしてこそ名作になるんだから」
偉そうな口調は気に触るが、確かに瑠奈さんの言うことはもっともだった。それに僕もまだ詰めが甘いと思っていたので反論も出来ない。。
「次はヒロインと手を繋いでデートか。仕方ない実践するか」
「それはちょっと……レベル高すぎないっ?」
「ちょっと何照れてるの? キモい。これは小説のためにするんだよ?」
「それは、分かってるけど……」
「いい小説にしたいんでしょ?」
「う、うん。それはもちろん」
「じゃあ仕方ないでしょ」
瑠奈さんはスケッチブックを入れた鞄を持ち立ち上がる。
「ほら、行くよ」
「い、今すぐ?」
「もちろん」
あまり照れたり拒むと余計にやり辛くなる。それに前回瑠奈さんとデートして更には告白までして恋愛部分の改善が出来たのは事実だ。
彼女の言う通り、実際にしてみればよりいいものが書ける気がする。
「それじゃお邪魔しました」と瑠奈さんが挨拶すると母さんと妹は玄関まで見送ってくれる。
萌絵は親友の与市が遊びに来たときは見送りはおろか、すぐに外出するか部屋から一歩も出ないで顔も合わさないようにするくせにずいぶんな違いだ。
「また来て下さいね」
「はい。ありがとうございます!」
母さんはよっぽど瑠奈さんを気に入ったのか、クッキーのお土産まで袋に入れて用意していた。
家を出ると瑠奈さんは僕の隣に来ず、さっさと歩き始めてしまう。
手を繋いでデートというが、あくまで手を繋ぐのは僕からということだろう。そこに至るまでの緊張や高揚が作品に活かされるわけだから当然と言えば当然だが、正直気恥ずかしくて仕方ない。
「高矢、ハロウィンの時のコスプレ、なににするか決まったの?」
「やっぱり参加しないと駄目?」
「当たり前でしょ。なんでも経験しておいた方が小説を書くのに有利だよ。いつなにに役立つか分からないんだから」
自分から手を握るデートと言ったくせに瑠奈さんはパーカーのポケットに手を突っ込んで歩く。不自然に勢いだけでは手を握らせてやらない、ということなのだろう。やりづらいことこの上ないイジワルな性格だ。
「僕が書いているのはファンタジーだよ? さすがにハロウィンは関係ないでしょ」
「いつまでもファンタジーだけとも限らないよ? もしかしたら出版社が高矢に現代もののラブストーリーを書いて欲しいって依頼をしてくるかもしれない。その時焦ってももう遅いから」
僕に出版社の方からそんなオファーを出すなんて、それこそファンタジーの世界だ。
しかしそんなことで言い争ってもハロウィン不参加の理由にならなそうなので黙っておく。無駄な口論はしたくない。
僕はいつだって事なかれ主義の人間だ。
瑠奈さんは意見をぶつけ合ってわかり合うタイプなんだろう。そういうところからして、僕たちはちぐはぐで噛み合わない組み合わせだ。




