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書籍化打診が来ております

 「書籍化打診のご連絡」というメールがWeb小説投稿サイト運営会社から来たとき、僕はイタズラか詐欺だと決め付けていた。

 しかもオファーしてきたのは僕でも聞いたことのある出版社の『鳳凰出版ほうおうしゅっぱん』だという。


 それでも連絡をしたのは、書籍化という言葉の甘美な響きに負けてしまったからだ。猜疑心に満ち溢れた態度で鳳凰出版に、嘘や間違いの類や自費出版などの話ではないということを確認してしまったのは、今に思えばずいぶん失礼な態度だったと思う。


 話の流でそのまま打合せ日程を決めていくと徐々に現実なんだと認識せざるを得なくなってきた。

 その時の胸の高鳴りは今でも忘れられない。


そして今──


「ここが……鳳凰出版、なんだ」


 僕は地図アプリを頼りに鳳凰出版にやって来ていた。

 その社屋は想像していたよりもちょっと古びていて小さかった。

 鳳凰出版は小説など文芸の他に、コンビニでも取り扱ってるくらいにメジャーなファッション雑誌や趣味関連の雑誌なども刊行している全国規模の会社である。


(その割には……)


 目の前のビルはいささか前時代的で、流行の最先端を発信している会社とはとても思えなかった。


(本当にここなのかな……?)


 地図を二度見してしまう。

 でもやっぱり間違いなさそうだ。


 どんな服装で来訪すればいいのか分からなかったから取り敢えず高校の制服を着てきたが、行き交う人達のスーツ姿を見ていると自分が一人場違いな気持ちになり萎縮してしまう。

 しかし約束の時間も近いので気後れしている暇もない。ビルに入り受付で名前と用件を告げると打合せブースへと案内された。


 たくさんのテーブルや椅子が並べられ、あちらこちらで打合せが行われている。もしかすると知っている作家もいるかもしれない、などとミーハーな気分で視線をあちこちへと泳がせてしまう。


 そんな僕を見てミディアムボブの明るい髪色をした女性とやや鋭い目をした中年の男性が僕の前へとやって来きた。


御影白夜みかげびゃくや先生ですか?」

「は、はいっ! 弓岡ゆみおか、た、高矢たかやです」


 ペンネームな上に先生までつけて呼ばれたことが恥ずかしく、慌てて訂正するように本名を名乗ってお辞儀をする。

 

 そんな僕の態度が初々しくておかしかったのか、二人は微笑みながら席へと案内してくれた。

 生まれて初めて名刺をもらい、どうやって受け取るのか作法も知らない僕はしどろもどろでそれを受け取った。


 ライトグレーのジャケットに白いスラックスを併せた四十代くらいのお洒落な男性の方は編集長で、今回のオファー内容や作家の心得など概要だけを説明して「私はこれで失礼します」と席を立つ。

 編集長がいなくなると担当編集の宇佐美うさみ三香みかさんは少し柔らかな表情へと変わった。『偉いさん』がいなくなったことで宇佐美さんも緊張が解けたようだった。


「今回はうちのオファーを受けて下さり、ありがとうございました」

「いえ……こちらこそもったいないお話で……正直まだ信じられません」


 率直な感想を述べると宇佐美さんは上品に笑って首を振る。僕の想像する『デキる大人の女性』そのもののイメージだった。


「そんなことありません。先生の『僕に異世界を救うのは荷が重すぎました』は素晴らしい作品です」

「先生って……僕はまだ生徒なんで……弓岡でいいですよっ」


 元々社交的とはほど遠い僕は既に緊張で汗だくになっていた。

 しかしそういった緊張しがちなWeb出身作家との接し方に慣れているのか彼女の話術は巧みで、小説の話などをしているといつの間にか僕の緊張は解きほぐされていた。


 今日のために僕は自作をプリントアウトして読み直していた。あまりに稚拙な文章やつじつまの合わない内容は、紙にするとディスプレイ上では気付かなかったところまで浮き彫りとなって恥ずかしさのあまり煩悶した。


 大幅な改稿がいると言われる前から分かっていた僕は、今日のために改稿案を纏めてきており、打ち合わせはそれを元に行われた。

 鳳凰出版にしてみれば毎月沢山出版する小説の一つでしかないが、僕にとってみれば一生に一度の可能性も高い書籍出版だ。こんなものを用意して気合い入りすぎと笑われるかもしれないが、妥協は出来ない。。


 僕がエピソードの追加や不要なシーンの削除、途中で殺してしまったキャラクターを生存させておき後々のストーリーに絡ませる案などを提案すると、宇佐美さんは的確な指摘や相槌などで対応してくれた。


 驚いたことに彼女は僕がどういう思いでそのシーンを書いたのかなどを、易々と言い当てた。さすがはプロの編集者だと感動さえ覚えてしまう。


 僕の作品をしっかり読み込み、真剣に向き合ってくれている。それを感じて嬉しくなり、更に説明に熱が入った。


「私の方も提案がありまして」


 僕の説明が一通り終わったところで宇佐美さんは控え目な口調で意見を述べてくる。


「ヒロインと主人公の恋愛シーンについてなんですが……」

「あっ……」


 やっぱりなと思い、苦笑いがこみ上げてしまう。そこは僕も感じていたところであったが、敢えて今回の改稿案には入れていなかった。


「もう少しヒロインが主人公に惹かれていった経緯を追加したり、二人の恋愛部分も増やした方がいいと思うんですよね。読者の方はそういうところも期待してますから」

「そう、ですよね……」


 中途半端な恋愛シーンならいっそ全て削除した方がいいかなとも思っていたが、正反対のことを提案されて僕の反応もあやふやなものになってしまう。

 デートシーンを入れるとか、思いが通じ合っている描写を加えるとか、宇佐美さんの指摘は的確でもっともな部分も多かった。しかしお恥ずかしながら書きたくても書けない理由が僕にはあった。


 それは──


「うーん……そうですねぇ……いいと思うんですけど……僕に書けるかなぁ、ははは……」


 僕が恋愛経験レベル2ということだ。

 まさか女性と付き合ったことがなく、ましてや二人きりでデートしたことすらないとも言えず、僕は引き攣った顔で乾いた笑い声を上げる。

 しかし宇佐美さんは僕のその笑いを余裕の表れや謙遜とでも勘違いしたのか、気さくな微笑みを返してくる。


「弓岡さんなら大丈夫ですよ。文章からは女心が分かってるなぁと伝わってきますし、繊細で美しい描写も多いですから。それに知的でかっこいいからモテそうですし」

「そ、そんなことはっ……ないですけど……」


 気弱な上に人の期待を裏切れない性格の僕は、ますます断ることが出来なくなり、恋愛シーンの大幅改稿も引き受けてしまった。


(恋愛パートの大幅改稿かぁ……)


 楽しみに感じていた改稿が急に重苦しいものへと変化していく。

 僕の恋愛レベルは片想いを経験しただけのレベル2だ。

 そんな僕が沢山の人を共感させられる恋のエピソードを書く自信なんてあるはずもなかった。

 それは海を見たことがない人の書く海洋ロマンや、料理をしたことがない人の書くグルメ小説くらい無謀なことだろう。


「それとすいません。これだけは事前にお話しておかなくてはならないのですが……」


 宇佐美さんは先ほどまでの歯切れの良さがなくなって、躊躇うような口振りに変わった。


「言い難いのですが、情けないことに昨今の出版業界の事情はとても厳しいことになってまして……」

「はあ」

「現段階では二巻目の確約は出来ない状況なんです」

「ああ……それは、そうなんでしょうね」


 長編作品が書籍化されたが全く売れないという、いわゆる『爆死』して続刊なしで打ち切られるというのはよく聞く話だった。


「本当にすいません。二巻以降は売れ行き次第ということになってしまいます」

「いえ。それは分かってますから」


 出版社も学術的な研究でやっているわけではない。売れなければ続刊をすることが出来ないということは充分承知だった。

 しかし実際それを聞かされると身が引き締まる思いになる。


 生まれて初めて経験する仕事の打合せは思いのほか話が弾み、あっと言う間に二時間が経過していた。


「初回の打合せからこんなに具体的に決められるのは珍しいです。ありがとうございました」


 宇佐美さんは驚いたようにそう言って感謝を示した。よく言う方便なのだろうと思いながらも、悪い気がしなかった僕は「こちらこそありがとうございます」と頭を下げる。


 鳳凰出版を出た頃には辺りが暗くなっていた。朝夕は少し冷たくなり始めた秋風が、高揚で熱くなっていた頭や身体を冷やしてくれる。


 売れなければ打ち切りという厳しい現実は受け容れられたが、やはり問題は恋愛部分の大幅な筆入れだ。


 「出来るかなぁ……」と溜め息交じりに呟く。

 とはいえ書籍化という夢が叶った喜びはやはり大きく、振り返って感慨深くもう一度鳳凰出版のビルを見上げた。

 打ち合わせ前は古びた建屋だとか失礼なことを感じていたが、何人もの作家が不安と期待を抱えながら見上げた景色なのだと思うと、身の引き締まる厳粛なものを感じた。



────

──


 書籍化されるという事実はもちろん誰にも漏らしてはいけない秘密事項だ。とはいえ家族には話しても構わない。

 特に高校二年生の僕は当然十八歳未満だから、親の承諾がいるので、むしろ話したくなくても話さなくてはならなかった。しかし口が軽そうな妹には話さないということを親とも決めていた。


 一夜明けても夢現な僕はプリントアウトした原稿と改稿案を纏めた紙束を通学用鞄に入れて登校した。もちろん誰かに見せるためではなく、下校時に図書館にでも寄って改稿の案を検討するためである。

 家で作業をしようものなら妹に見つかりかねないからだ。

 いや、正直に言えば『図書館で改稿作業してみたい』という中二的理由も若干あった。


 書籍化については親友である二村ふたむら与市よいちにさえ口外できない。

 「昨日鳳凰出版に行って編集者さんと会ってさぁ!」などと話したいのを必死に堪え、なんとか放課後を迎える。誰もいなくなった教室で原稿と宇佐美さんから貰った改稿案を鞄から出して眺めた。


(恋愛の描写かぁ……)


 呟きながら視線は自然と廊下側から二列目、前から三番目の席へと向けられる。

 既に下校していない香寺こうでら菜々海(ななみ)さんの、黒くて長い髪が艶やかに揺れる後ろ姿を夢想してしまう。


 僕の小説のヒロイン、『ウデラ』は彼女がモデルだった。『こうでら』から『こ』の字を取っただけという安直さだ。書籍化すると分かっていたらもう少し気の利いた名前にしたものの、今となってはどうしようもない。

 きっとこういうのが『書籍化あるある』なんだろう。


 恋愛シーンを濃厚なものにするとなれば彼女のことをもっとよく知るのが効果的なのは間違いない。

 しかし簡単にそんなことが出来るくらいなら、ヒロインに好きな女の子の名前を付けて小説を書くよりも爽やかな青春を謳歌している。


 「はあ」と溜め息をついた瞬間、スマホが着信音を鳴らした。ディスプレイには『鳳凰出版 宇佐美さん』と表示されている。


(宇佐美さんから? なんだろう?)


 教室内で電話をするのもよくないと思い廊下に出たが、よく考えれば廊下は廊下で芳しくない。

 しかしこうしてもたついているうちに切れてしまうのも失礼かと思い通話を押す。


 「もしもし?」と応答すると、受話器の向こうから「あっ、すいません」と慌てたような声がした。


 用件はなかった。電話番号を登録しようとした宇佐美さんが誤動作で発信してしまっただけのものだった。

 宇佐美さんの『デキる大人の女』像が少し揺らぐ、微笑ましい出来事だった。

 ついでなので気になっていた改稿面での質問を二、三していたら、意外と話は長くなってしまった。電話を切り、改稿のことを考えながら教室へと戻った。

 引き戸のドアを開けると、ふわっと風が吹き込んでくる。


 教室には秋の夕陽が射し込み、机の天板をオレンジ色に反射させていた。逆に陽の当たらない影は対照的に闇が深く、印象派の画家の描いた絵画のように鮮烈なコントラストの色彩だった。

 半分ほど開いた窓からは清涼を孕んだ秋風が吹き込み、無地のカーテンを柔らかく大きく膨らませている。


 僕の机の上に女の子が腰掛けていた。


「えっ……?」


 その女の子は制服の上から絵の具まみれになった白衣を羽織っており、逆光を浴びたショートヘアは金色に輝いて見えた。

 眩しくて顔はよく見えないが、その特徴的な格好やシルエットから見てそれはクラスメイトの三郷みさと瑠奈るなさんに間違いない。クラスの中心的女子メンバーの一人で、僕との関わりはもちろんほとんどない。

 

 スカートは短く、健康的な太ももを恥じらいもなく組んでいる。

 そして三郷さんは当たり前のように僕の原稿を読んでしまっていた。


「えっ……ちょっ……!? ちょっとっ!? 痛っ!!」


 慌てて駆け寄ろうとすると誰かの机にぶつかってしまい、豪快に転んだ。


「ちょっと大丈夫?」


 三郷さんは原稿を片手にこちらへと近付いてくる。目の前にやってきた彼女は心配そうに僕の顔を覗き込む。

 制服の上に羽織っている白衣は絵の具が散らかって付着しており、前衛的な芸術作品のようだ。

 僕は立ち上がり、引ったくるように原稿を奪い返した。


「三郷さん、読んでないよねっ!?」

「うん。大丈夫。読んでないよ。()()()()()()


 無邪気に笑う三郷さんのひと言に、僕は血の気が引いていくのを感じていた。



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