第七話 高圧水流があるじゃない
体の内側から、力が溢れるのが分かった。
あまりにもその力が強いから、自分の体が自分じゃないみたいに感じる。
それでも右手を何回かにぎにぎすると、あ、やっぱ自分の体なんだなって実感した。
「おい……大丈夫か?」
視線を右手から胸元に移すと、アクアンが心配そうに俺の顔を見ている。
「ん?おう……多分?」
「なんだその曖昧な答えは」
自信がなく首を傾げながら答えると、アクアンは呆れた顔をした。
多分アクアンは俺が狂ってないかを聞きたいのだろうけれど、正直自分じゃよく分からない。
話ができるから狂ってはねーと……思う。多分。
それになんだろ……自分でもよく分からないのに、妙にしっくりくる、みたいな。
「くっ、とりあえずボクが分かるな!?自分が誰だかも分かってるな!?」
「お、おう!分かる分かる!」
「ならいい、問題ない!」
いつまでも俺がぽわぽわしてんのが気に障ったのか、アクアンはすごい勢いで俺に詰め寄ってきた。その圧力に負けて反射的にいえすと答えてしまう。
でもOKらしい。ならいいか!いいのか?
「ははー……成功しちゃったかー」
視界の端でゆらりと、悪魔が揺れた。
首を動かすと、男は少し離れた所でぐっと腰を低くし構えている。両手には先程と変わらずナイフが握られていた。どうやら警戒しているようだ。笑っているが、引きつっていて余裕がない。
アクアンを見ようともう一度胸元に視線を戻す。だが、そこにアクアンの姿はなかった。
あ、あれ……?どこ行った?
首をかしげると後から、おいと声をかけられた。黙って振り返る。少し距離を空けた所で、アクアンが鍵を片手にふよふよと浮いていた。
「上手くいったんだから、もうどうにかして戦え!流れでどうにかしろ!」
「ここで投げやり!?うっそだろ!なんかアドバイスとかねーのかよ!?力を使うコツとか!悪魔の弱点とかさぁ!」
「力を使うならコントロールする事を考えろ!自分で力を操るんだ!」
「コントロール!?」
ちきしょう!分かんねーよ!バカに優しくしろ!
「目、離していーのー?」
「うぉっ!?」
アクアンに気を取られていると、男が間延びした声を発しつつ斬り込んできた。
俺は慌てながら、後に飛んで避ける。
「成功しちゃうとちょっと困るけどーうん、君を連れてく理由なら増えたってことよな」
「はいそうですか、って連れてかれるわけねーだろ」
男はなおもにぃっと笑う。対して俺も、挑戦的に笑ってみせた。
なんのために危険を承知でアンロックしたんだっつーの。なんか上手くいったっぽいし?これなら戦える!きっと!
「うーん、そうだねー。じゃあ力尽くで連れてくよー!」
悪魔はそう言うとぐっと足を踏み込み、勢いを付けて俺の方に飛び出してきた。両手のナイフが夕日に反射してキラリと光る。
くそ!コントロールとか正直よく分かんねーけどこうなったらヤケだ!習うよりなんとやら!
俺も腰を低く落とす。体重を乗せ、足を一歩踏み出すと、体の中で何かがドクリと音をたてた。
あ、できる。
よく分からないが、何故かそう思えた。体の奥底が、本能が、できると告げる。
もう一歩踏み出す。すると、踏み出した足から衝撃が生まれ、それが水となり波ができた。波は大きく盛り上がり、迫り来る悪魔を飲み込んだ。
「ぐっ……!!」
バシャ、という派手な水音。男は顔面からモロに喰らったのか、苦しそうな声を上げる。
「調子のん、なー!魔を斬る刃!」
「うぇっ!?」
だがすぐにナイフで波を切り飛ばし、ぐわりと俺の前に顔を見せた。
ナイフって水切れるの!?何それ!?
悪魔はそのままナイフを振りかざす。俺は体を後に反らし、ギリギリで避けた。目の前でナイフが交差し、ガキンと音が鳴る。
「ぐっ……!」
くそ……!カンが鈍ってるな!
体が思っていたよりも上手く動かない。このままじゃマズイと思い、もう一度足を踏み込んだ。
なんかこう……相手を止めるために壁みたいなの欲しい……!さっきアクアンが出したああいうの!だから……下から上に、水が上るような!
コントロールという言葉を頭に置きながら踏むと、今度は地面から垂直に水が湧上がり、水の壁ができあがる。
「うぉ!?できた!?」
イメージ通りにできて驚く。コントロールってなんとなく分かった気がした…ような、しないような……。
いや、上手くできたから深くは考えない。考えないぞ。それに、これができるなら……!
「壁出しても、同じだよー!」
男は先程と同じくナイフで水の壁を切り裂いた。パシャリと音をたて、水の壁が飛び散る。
男はそのまま飛び込んでくるかと思ったが、怪訝そうな顔をして動きを止めた。視線は俺の右手に向いている。
「拳に……水ぅ?」
俺の握られた右手を見ながら、男は首を傾げた。
男の言うとおり、俺は自身の拳に水を纏わせていた。
「前ちょっといろいろあってな、拳慣れてんだよ」
男の様子を見ながら、俺はにぃっと笑う。
正直、黒歴史案件で俺的にあまり触れたくないが……今はそんなこと言ってらんねーしな。ここは慣れてる方がいいに決まってる。
水の殺傷能力は……何かしらあるんじゃねーかな?多分?
「いくぜ」
ひとつ言葉を発してから、俺は男に向かって飛びかかった。勢いを付け拳を振るう。
「おーっと」
男は余裕そうな声を上げて、体を横に反らし避けた。
俺は続けて左の拳にも水を纏わせ、相手の腹に向かいもう一発入れる。
「ふん!」
男が後退したところで、今度は顎に向かって右の拳を突き入れた。
男はこれを腕でガードするが、ズルっと水が滑り、衝撃でガードした腕をさらう。
「ぐっ!」
「もう一発!」
そのまま空いた胴体めがけて、もう一発左手でぶち込む。
すれすれで避けられたが、拳が男の横腹を通り過ぎた時、何かキタ感覚があった。よく分からないんだけど、何かがハマる感じ。
カチッとハマって、いけると思った。
瞬間、バシュンという音。切り裂くような水音。同時に、拳からクロス状に水が吹き出た。
勢いよく吹き出した水流は、男の腹部をかすめたかと思うと、触れた軍服をパックリと断ち切る。
「……なっ!?」
男は困惑した声を上げた。裂かれた服の間から少し血が垂れている。腹に直撃した訳ではないのに、衝撃で表面がちょっと切れたらしい。
「断ち切る急流の拳……!?」
アクアンが震えた声で呟いた。
え?何?えの……?
「マジで使える奴いたのー……?」
目の前の悪魔も同じくらい震えた声で顔を引きつらせた。
な、なんでそんな動揺してんの!?俺何したの!?
「え、ちょ、何!?何!?」
男とアクアンの動揺ぶりに俺が困惑していると、さっきまで距離を空けていたアクアンが勢いよく詰め寄ってきた。
「おいお前!どうしてそれが使える!?どこで知った!?」
「え?え?いや分かんねーし!なんか勝手に出ただけだよ!」
ほんとにまったく1ミリも意識してないし、なんかキた!って思ったら勝手に出ただけだし!分かんねーから!
俺が本気で狼狽えても、アクアンは納得できないという顔をする。
「はぁ!?そんなので使えるわけないだろう!?あれは――」
「おれちょっとこれで失礼するからー」
アクアンが言い終わる前に、男の間延びした声が上からした。慌てて声の方に向くと、いつの間に登ったのか、男が近くの屋根の上からこっちを見ている。ついでに親しいやつに挨拶するみたいに、気安く片手を上げていた。
「あ!いつの間に!」
つい声を上げてしまう。さっきまで目の前にいたのに急すぎねー!?
けれど男は俺のテンションには合わせず、だってさーと口を突き出してから、変わらず間延びした声で続けた。
「まさかアンロックがいい感じに成功して、古文書とかに載ってるような技使われたら逃げるしかないでしょー?ってことで、ばいばーい」
男は緊張感の欠片もないような顔で手を振ると、そのままシュパッと消えてしまった。
「ちょ、待て……!?」
追いかけようとするが、相手は屋根の上なのでどうにもできず、俺は立ち止まってしまう。あとはただ、男がいなくなった屋根を見つめることしかできなかった。
というか消えたぞ今!?やっぱ悪魔は瞬間移動できるのか!?
「っち……あ、いや、逃げたってことは危険は去ったってことか?ならいいか?」
逃げられたのがつい癪に障って舌打ちをしてしまう。でもよく考えたら悪魔を追い返したってことで、結果オーライなのでは?
「バカかキミ」
だが俺が明るく発した言葉に、アクアンはピシャリと言い放った。
「あれは一度撤退しただけだ。鍵のありかが分かっているなら、狙わないわけないだろう。日を置いてまたやってくるぞ」
「あ、あぁ……確かに……」
アクアンの言うことに納得する。
そうだよな、世界征服ねらってんだもんな。そのために必要な物の場所が分かってるなら、狙うよな。うん。
「じゃあ早いこと移動しなきゃじゃんお前。このままじゃ捕まるべ?」
とりあえず俺の働きで一難去ったみたいだし?ならさっさと逃げるべきなんだろうこいつは。
はじめからそういう話だったよな?悪魔から逃げながら悪魔と戦える奴を探すっていう――
「いや、その必要はなくなった」
「は?」
俺の言葉を、アクアンはしれっと否定した。
ていうか、え……なんで?逃げなくていいのかよ?必要は……なくなった?
「キミ、名前はなんていうんだ?」
「名前……?い、一ノ瀬治彦、です」
なんでか名前を聞かれた。俺はいまいち理解できず、首をかしげ答える。
……はっ!!今更名前を聞くってそんな……まさか……?
嫌な予感がしてきた。
この先の流れを予測して、俺の頬にタラリと冷や汗が流れる。
このタイミングで名前を聞く……それは、つまり……つまりつまりつまり!
そして俺の予想に反さず、いい笑顔で、ほんっとうにいい笑顔で、アクアンは告げた。
「そうか、じゃあハルヒコ。キミを悪魔討伐のための人材として認定する」
「え」
「天界の鍵を使って、悪魔からこの世界を護れ!ハルヒコ!」
「うっそだろ!?」
まだ暑い陽の光が傾いて、空に藍の色が差し出した頃。俺の悲鳴にも近い声は、住宅街一面に響き渡った。
どこかにぶん投げた買い物袋の中で、氷が溶けてしまっていた。