3.冒険者カナト
ーーーーーーーーーー
カナトとサロメはマハニの街から最も近い、南にある森に向かって歩き始めていた。そこにはインプが潜んでいて、時折街に近づいて来ようとするから、よくハンターたちの狩場になっているらしい。街には戦闘が得意じゃない人もたくさんいるから、そういうところを重点的に狩って、街への侵入を未然に防ぐ。これはハンターにとって最も大切な仕事の一つだ。
仕事、と言えば・・・
「サロメさん、今日はお店大丈夫なの?」
「うん、今日はお休みなの」
「そうなんだ。なんていうか看板娘って感じだったから毎日いるのかなって」
「んー最近は少し減らしてる。私、いつかはハンターだけでやっていきたいんだ」
あんなにいい接客してたのに、ちょっともったいないなとカナトは感じた。しかしサロメが一人前のハンターを目指していることには、それなりの理由があるように思えて口にはできなかった。夢や目的、目標なんてのは多かれ少なかれ、或いは大なり小なり、誰にでもあるものだ。カナトにだって目的があってワンダラーになったわけであり、よほど無謀、あるいは極悪非道でもない限り、他人が口を挟むべきじゃない。
南の森は、すぐに見えてきた。ここのハンターたちが狩場にするのも納得だ。街からの大きな道は、この森を迂回するように伸びていて、ここから先、深い森の中へは獣道のようなところを通っていかなくてはならない。カナトは息を呑んで、サロメと共に森へ踏み出した。森の中は高い木が聳え立ち木の葉が空を覆っていて入ってくる光が少なく、さらには目の前を密集した茂みが塞いでいる。獣道になっているとはいえ、そんなところを歩いているからそこら中に生えている木の枝がバシバシと体に当たる。そしてカナトが左肩に当たった枝を手で払い、バキッという音を鳴らしたその時、「シッ!」と言うサロメの声が聞こえ、その方向へ振り向くと、サロメが右隣の茂みに身を隠しつつ右手人差し指を口に当てながら左手で手招きしていた。カナトはそれに従い、とりあえず同じ茂みに身を隠す。
「どうしたの?」
「あそこ。少し開けた所にに大きめの木があるでしょ?その根元、見てみて」
カナトはサロメの言った木を見つけ、目を凝らした。すると魔物が幹にもたれ掛かって休んでいるようだった。手に武器は持っていないが、隣にカットラスのような刃が湾曲した剣を立て掛けている。ピンと尖った耳や角、そして鉤爪や尻尾といった特徴からインプだと予想できたが、カナトが戦ったインプと比べると半分くらいの身長しかなさそうであった。あの時のインプは間違いなく大きかったんだとカナトは改めて認識し、なるべく声を潜めてサロメに確認を取ってみた。
「インプかな?休んでいるようだけど」
「うん、そうだと思う」
「俺が戦った奴は、あの倍くらいあった」
「たぶんカナト君が戦ったのは、もっと上級な奴だったんだよ。ここらへんはあまりいないけど、森深くへ行けばいるみたい。でも油断できないよ、奴らすばしっこいからね」
「わかった」
あの小ささで、すばしっこいとなると厄介そうであった。特に、まだ入り口とはいえ自由に移動できる範囲が狭い森の中だ。あの小ささが武器になるだろうことは簡単に予想がつく。それに他の魔物が潜んでいないとも限らない。
「俺、回り込んでみる。あいつだけとは限らない。もしかしたら裏側にまだいるかも」
「待って」
サロメはそう言うと敵に見つからないようにウォンドを低く構え、集中する。
「―顕現せよ―!レオくん!」
「キュウー!」
そうか、レオナルドくらいの小ささなら偵察に行っても見つかりづらい。本当に召喚獣ってのは優秀だ。とかカナトは考えていたが大事な事を忘れていた。
「キュウウーー!」
「いってっ!っておおっとっと」
そう、レオナルドはまだカナトに全く懐いていなかったのだ。カナトはレオナルドにいきなり体当たりをされよろめくが、インプがいることもあって必死に耐えた。
「こら!レオくんやめなさい!」
「キュウー・・・」
サロメが叱るとレオナルドはすぐに大人しくなった。そしてサロメもそんな素直なレオナルドの頭を優しく撫でてあげている。
「ごめんね。カナト君」
「いや、大丈夫だよ。気づかれてもいないようだし、それにレオナルドが他人に懐かないのはサロメさんのこと守ろうとしてるからだと思うんだ。だからむしろ頼もしいよ」
「うん、ありがと」
カナトはそんなサロメ達のやり取りを見て、強張りすぎていた体が少し緩んだ感じがした。とにかく今は冷静に相手の戦力を見極めなければ。
「レオくん、あの木の裏に魔物がいないか見てきてくれる?」
「キュ!」
サロメがそう命令すると、レオナルドは一瞬にして森へ消えていった。
「レオくんは、すごく速いし視覚、嗅覚、それに聴覚もいいんだ!」
「すごいね、レオナルド」
「うん!でも戦闘はあんまりなんだけどね」
念のためカナトとサロメもそれ以外の場所に魔物が潜んでいないか、あたりを見渡すが特にあやしいところはない。しばらくそうやっているとレオナルドが帰ってきた。
「どうだった?レオくん」
サロメが問いかけるとレオナルドは「キュキュ」っといいながら首を縦に振った。
「大丈夫みたいだよ!寝てるわけじゃないかもしれないし、まずは木の裏、インプの後ろに回り込んでから攻撃の機会を窺おう」
「うん、わかった。それじゃ行こっか」
サロメは目立ちやすいブロンドの髪の毛を隠すためか、後ろに垂らしていた紅いケープのフードを被ってから歩き始めた。それを見ていたカナトは何やら違和感、いや既視感を感じていた。(この感じ・・・どこかで?)だが今はそれどころではなかったため、あまり気にしないことにしてカナトも後に付いて歩き出した。
茂みに隠れて前屈みになり、踏むと音の出そうな小枝を丁寧に避けながら慎重に近づく。途中、サロメが蜘蛛の巣に引っ掛かり、びっくりして背筋がピンッと伸びたりしたが特に気づかれてはいないようだ。一歩一歩確認しながら進み、やっとのことでインプの側面に回り込むことができた。
「今なら、気づかれてないね。もしかしたら本当に寝てるのかもしれない」
「うん、はやく方を付けた方がいいかも。接近戦で確実に仕留めるなら、まずは俺が刀で」
そしてカナトは腰の刀を静かに抜く。仲間がいる分、恐怖というものは先のインプほど感じていないが、むしろ責任感からくるプレッシャーはかなりのものだった。とにかく、相手は気づいてない、もしくは寝ているわけだから落ち着いて一撃加えればいいんだ、とカナトが決意し、インプの休む木の裏まで来たその時。
ザザッ・・・ガサガサ・・・・ガサガサバサバサ
木の葉が揺れる音が聞こえてきた。カナトは木に背中を預け、刀を構えて警戒するが音の正体がつかめない。しかも近くにインプがいるため不用意に声も出せないからサロメと確認も取りにくい。
バサァバザッ・・・ザザッザザッ・・・バサッバサッ
(風のせいじゃないよな、それに・・・羽音?)
絶対に何かおかしいと思ったカナトはサロメの方へ目を向けると、サロメは上を見ていた。するとカナトの視線に気づいたサロメが必死に上を指差した。カナトは急いでその方向を見ると鳥のような影が動いているではないか。とにかく、この音で気づかれる前にインプを倒しておかないとまずい。嫌な予感がしたカナトは再び木の向こう側へ刀を構え、一気に飛び出した!
「なっどこいった!?」
遅かった。すでにそこにインプの姿は無かったのだ。しかしどこに移動した。逃げたのか?もう今更だ、カナトは声を出してサロメに教えようとした。
「サロメさん!インプがいなくなってる!」
「うそっ、じゃあここは一旦退いて立て直そう!」
そう言ってサロメは森の出口に向かって走り出した。それに倣いカナトも刀を鞘に納め走り出し、サロメの真後ろまで追いついてから後方を確認すると、上空の影が追ってきていた。カナトは息を切らしながら、それをサロメに伝える。
「飛んでるやつ、俺たちを追ってきてる!あいつ、なんなんだ?」
「たぶん、羽付きだと思う!」
「羽付き?」
「そう羽付き。ガル・インプだよ」
「インプだったのか!ってことはもしかして休んでたインプの仲間・・・?」
「わからない!」
周囲の索敵は行ったが、まさか空からとは。ガル・インプは付かず離れず一定の距離を保って追っかけてきている。カナト達は走ったが、整備されていない獣道ではまっすぐ走れない。サロメが獣道を外れ、近道をするために目の前の邪魔な茂みを掻き分けようとした時、カナトはサロメの隣の茂みでキラッと何か光ったのが見えた。
「サロメさん!!」
「えっ!?」
(だめだ!サロメさん・・・!)カナトの体は勝手にサロメの前へ飛び出していた。
「サロメさん!にげっ」
「カナトくんっ!」
しかし刀を抜いていなかったカナトは、飛び出したところでまともにガードをすることすらできない。その時のカナトは自分を守る余裕などなかったのだ。カナトは、もうだめだ!そう思い目を閉じた。そして潜んでいた敵のカットラスが、まさにカナトの腹部を突き刺さんとするその時。
バヂヂヂヂヂッ!バンッ!
突然、カットラスが自分に刺さったとは思えない音がして、閉じていた目を片目ずつ開くと、蒼い光の壁がカナトの目の前に現れており、その先でいなくなっていたはずのインプが吹き飛んでいる最中だった。カナトは何が起こったのか全く理解できなかった。
「なんだ・・・これ?」
「カナトくん、その袋・・・」
「え?」
サロメに言われて後ろを向くと、ベルトに引っ掛けてあった巾着袋が光の壁と同じ色で発光しているようだった。
「これ、リンナさんの・・・?」
ぎぃびやぁぁぁぁぁぁぁ!
光の壁に弾かれた衝撃、その後地面に叩きつけられた衝撃、それらによる痛みがインプを襲い、悶える声が聞こえると、カナトは刀を抜いた。とにかく今は、目の前の敵に集中しないと。今のうちに奴を倒しておけば、例えガル・インプと戦うことになってもニ対一に持ち込める。やらないと・・・俺だけじゃない、サロメさんまで・・・!
カナトは柄を握る手に力を込め、ジャンプすると、先端を下にした刀を両手で握り直し、突き刺す体制をとって悶え苦しむインプに飛びかかった。そして着地と同時にインプの胸部めがけて刀を突き刺す。
「はああぁぁぁ!!」
「あぎゅぅぅ!・・・ぐ・・・・・・」
カナトの攻撃は確実に急所を得ており、必殺の一撃だった。インプのもがき足掻く様子を目を逸らさず見続け、インプの動きが完全に止まると、刀を引き抜き血を払った。しかしカナトはまた、刀を突き刺した時の感触で手が少し震え始め、刀を落としその場に膝をついてしまう。
「ガル・・・インプは?」
震える手を互いの手で押さえ、ガル・インプの羽音のする方を向いたその時、ガル・インプがまさにサロメを襲わんとするように迫っていた。
俺がすぐ動かなかったから・・・!
「サロメさんっ!!」
「大丈夫っ!―ファイアボール!―」
突然ぶわっとサロメの目の前に小さな火の玉が現れ、ガル・インプめがけて飛んでいく。
召喚士もあくまで魔法使いである。魔法の類によって得手、不得手があるにしろ最低でも自衛手段としての攻撃、あるいは防御魔法の習得は必須であり、サロメとて例外ではない。サロメの使えるファイアボールは下級の火属性魔法であり、それほど威力はなく一撃必殺の技ではないがガル・インプを地面に落とすことさえできれば。サロメはそう考えた。
サロメの思惑通り、ファイアボールはうまい具合にガル・インプの羽に当たり、「ぎゃぅぅ」という高い声と共に落下し始めた。そして何度か木の枝にぶつかりながら、ガル・インプはカナトの頭上をかすめ、近くに落下した。
ちくしょう、震えてる場合じゃない・・・。やらなければ、誰かがやられるんだ!
カナトは震える体を必死で抑え、地面に落ちていた刀を再び握る。そして刀を上段で構え、背を向けてもう一度飛び立とうとするガル・インプに向かって一気に刀を振り下ろした。そこには、かつて逃げ出そうとしていたカナトの姿はなく、自分の行いに向き合い、立ち向かっていく冒険者がいた。
ビュンッ!!
ビシャァァァとガルインプの背中から紅い血が噴き出すと、ガル・インプは断末魔の叫びをあげる間もなく絶命。カナトは返り血を浴びながらもしっかりとガル・インプのそんな最後を見届けていた。その様子を見ていたサロメがタッタッタッとカナトのもとへ走ってきた。
「カナトくんっ!」
「はぁ・・・はぁ・・・サロメさん、怪我はない?」
「うん、カナトくんが助けてくれたから・・・ありがとね」
「ううん、むしろ俺も助けられたほうなんだ。実はこれもらいもので、まさかあんな能力があったなんて」
カナトはそう言いながら腰の巾着袋に入っている石を取り出してサロメに見せた。実はサロメにはこの石に心当たりがあった。サロメも同じ能力に助けられたことがあったのだ。
「それ、リンナさんのだよね?」
「知ってたんだ」
「うん、実は私もリンナさんにはお世話になってるんだ。まぁとにかく、カナトくんが庇ってくれなかったら私、やられちゃってたかもしれないから。だからありがとう」
「いや・・・」
カナトは一匹目のインプを倒した後に、すぐ動けなかったことを悔いていた。迷いは他の誰かを殺す。カナトは頭ではわかっていたつもりだった。でもやっとその実感が湧いてきて、カナトは覚悟を固めつつあった。そしてカナトの殺す側としてのスタンス、信念のようなものも芽生えつつあった。そしてサロメも、そんな風に葛藤するカナトに触発されていた。
「とにかく、まだ終わりじゃない」
カナトは先に倒したインプのところへ行くと、屠殺用のナイフを取り出し、インプの傍でしゃがみこみ、インプの心臓めがけて丁寧にナイフを入れ始めた。
俺が・・・殺したんだ。このインプにとってはこれから俺が何しようが、ただ憎むべき相手なんだと思う。でも殺した側は、それで終わっちゃだめな気がする。とりあえずの平和は殺しで得られるのだとしても・・・。どうすればいいのか、ちゃんとした答えはわからないけど、一歩踏み出さなければ、たぶんずっとわからない。それは何だか、殺した相手に失礼な気がする。だから俺は前に進む。
取り出した魔物石がカナトの手のひらできらっと光った。カナトはその石をギュッっと握りしめた。
「私も・・・」
その様子を見ていたサロメは小さくそう呟くと、接近戦及び護身用に持っていた短剣を取り出し、ガル・インプの魔物石を取り出し始めた。サロメの肩に乗っていたレオナルドが飛び降りて手伝おうとしたが、サロメはそれを手で制止した。
「サロメさんまでそんな」
「私もこのままじゃだめだと思ってた。レオくんは何も言わなくても石とってきてくれたけど何かそれって無責任な感じがしてたんだ。ただ殺しただけのような感じがしてさ。だからそのことで本気で悩んでたカナト君に背中押されたんだ。お前もこのままじゃだめだろーって」
ほらっと取り出した魔物石を見せてくれたサロメのその手は震えていた。
「おかしいよね・・・普段は平然とお肉もお魚さんも食べてるっていうのに、こんなに怖いなんて。」
「うん、でもそれがわかってよかったって思うんだ」
「そうだね」
サロメはそう言うと少し俯いて、短剣を持っていた方の手をもう片方の手で抑えた。カナトはそんなサロメに何か言わなければと思ったが、サロメはすぐに顔をあげ、そしてすぅーっと深呼吸をすると少し困った顔をしながらも微笑んでくれた。
森を抜けると、心地よい程度の風が頬を撫でて清々しい気分だった。また、逆に疲れがどっと押し寄せてくるようにも感じた。この感じは、メーヒ村でやってた農作業後の感覚に似ている。生きているって感じがする。そういう感覚を、目の前にいるサロメと共有できてカナトは嬉しかった。
「ありがとうサロメさん、誘ってくれて、一緒に戦ってくれて」
「ううん、お礼を言いたいのは私もそう。それに・・・サロメ!」
「え?」
「ほ、ほらもう私たち戦友でしょ!だから、さ」
カナトはサロメの言いたいことがなんとなくわかった。自分もそうだったからだ。正直相手は女の子だし恥ずかしかったが、初めての戦友なんだからとカナトも勇気を出した。
「それじゃあ・・・俺もカナトで、サロメ」
「うん!カナト!」
サロメの笑顔が、暗い森の中で明るく咲き誇った。
ーーーーーーーーーー