勇者の幸せ
初投稿
死ぬのは怖い。
誰だってそうだ。
そう、たとえ俺が、百戦錬磨で一騎当千な、伝説の勇者であったとしても。
「いややっぱ無理だよもうやめようよ俺には無理だったんだよ……」
「伝説の勇者様が何をお言いですか! 情けない!」
「情けなくて結構だから、もうやめてくれよマジでほんとに!」
「大丈夫って言ってるでしょう! 痛いのは一瞬だけですから、ねっ? だからほら、大人しく殺されて下さいってば!」
小さな子供を宥めるようにそう言って、女騎士は、レイピアの切っ先を俺に向けた。言葉と態度と行動が見事に噛み合って無い気がするのは俺だけか?
ここは、とあるダンジョンの奥深く。一つの山の中を貫通するように掘られた穴、いわばトンネルの中である。ただし、ダンジョンというだけあって、トンネルというにはあまりにも巨大で入り組んだ造りになっているが。
魔王の城まで、あと残り僅か。この山を越えたら、あとは暗黒の森を経由するだけでもうそこは魔王城となる。それほどまでに魔王城に近付いているとなると、当然、出没する魔物の強さも、一筋縄では行かなくなって来るのだが……。
山を登って越えたり、ぐるっと回り道をするよりも、直線距離でこの山を通過した方がより早く魔王城に辿り着ける、と。地上よりも力の強い魔物が生息しているとわかっていながらも、俺達は、山に掘られたトンネルのダンジョンの中を進もうという決断をした。
やはりどこか、過信していたのだ。
いくら高レベルな魔物だろうと、俺は勇者なのだから。そう簡単に負ける筈もない、と……。
過去の俺は、過信してしまっていた。
その結果が、今のこの状況である。
仲間のほとんどは魔物にやられ、光の束へと昇華して、どこかへ昇って行ってしまった。残っているのは、勇者である俺と、パーティー最古参の女騎士だけだ。まあ、仲間の心配はしていない。どうせすぐに、教会で蘇ることが出来るのだから。いや、今にでも目を覚ましているかも。
だから問題は、もっぱら俺達の方にある。
いや、より正確にいうと……認めたくはないのだが、俺だけにあるようなものだった。
仲間を葬った魔物は、俺と女騎士とで、なんとか撃退することが出来た。
しかし、二人の体力も魔力も、限界寸前である。回復魔法を使えるだけの力は残っておらず、アイテムもあらかた使い果たしてしまっている状況だ。
これ以上、このダンジョンに留まることは、自殺行為を意味している。
しかし、脱出手段は、無い。
どう足掻いても、待ち受けるのは、死だけだ。
そんな状況下での、最善策。
被害を最低限に食い止める方法。
それがーー
「っ、やっぱ無理だー! 自殺とか、怖すぎるって!」
そう、自らの手で、ゲームオーバーになること。即ち、自殺である。
魔物に倒された場合、荷物の大半と、有り金の半分が失われてしまう。確証は無いが、おそらくそれらは、手を下した魔物が手に入れているのでは、ということで、勇者一行の意見は一致している。
それならば。
どうせ死んでしまうのならば、自殺という道を選んだ方が、ペナルティは少なくて済むのではなかろうか……?
俺達二人は、前にも後にも進めないダンジョンのど真ん中で、そんなことを話し合った。
そして実際に自殺を試みたのだが……。
これが結構——いやかなり、とてつもなく、怖かったのである。
嚙み切ろうとした舌の食感、首筋に当てた刃物の冷たさ、酸欠によってじわじわと暗くなって行く視界……。
無理!
死ぬのとか!
怖すぎ!
自殺というのがこんなに覚悟のいるものだとは思ってもいなかった。どうせすぐ生き返るのだから、女騎士の言うとおり、ひょいっと死んでしまえば良い……頭では、そうわかっているのだが。
しかし、実際問題、死を目前にすると体は必死に生きようとしてしまうものなのである。舌を引っ込め、刃物を取り落とし、首を絞めることをやめてしまう。
だってしょうがないじゃないか。
怖いものは怖い。
死にたくないものは、死にたくないんだ。
勇者を超人か何かと勘違いしないで欲しいものだ。ただ選ばれた人間というだけで、勇者だって元は一般人なのである。人間が当たり前に持っている生存本能を、捨てることなんて出来ない。
そんな風に、死のうとしても死に切れず、もたもたしている俺を、さっきから女騎士は焦れったそうに見ていた。
「あぁ、もう……! ほら何やってるんですか! 今、あと少しで死ねたでしょう!」
「う、うるさいっ、痛いのも苦しいのも、俺は嫌なんだよ!」
「勇者様、いつももっと痛くて苦しい死に方してるじゃないですか! 今更このくらい、何だって言うんです!」
「いつもは魔物相手で、不可抗力じゃん! 戦闘中は、怖いとか言ってられないし! とにかく、自分で自分の首絞めるのは、却下な! 苦し過ぎだから!」
自分が勇者であるということも、この状況においては災いしていた。
一応、これでも勇者の端くれだ、体は普通のそれよりも遥かに丈夫に出来ている。
さっき自分の首を絞めてみたのだが、普通の人であればとうに絶命していた筈の力と時間とかけたのだ。しかし、強靭過ぎるこの勇者仕様の体は、幾ら苦しいのを我慢しても窒息なんてしてくれなかったし、首の骨は軋むこともしなかった。どんだけ酸素ため込んでるんだろう、俺の肺は。
「あーもうっ、見てられません! こうなったら、この私が……!」
「うわーっ!? ちょ、ちょっと待て、落ち着けって女騎士!怖い、怖いから、顔が! そんなマジな顔で俺を刺し殺そうとしないで!」
「大丈夫です、痛みの少ないようにトドメをさしてあげますから」
それ完全に悪役のセリフじゃねぇか!
彼女の愛剣であるレイピアの切っ先をこちらへ向ける女騎士に、俺の本能が、危険を知らせている。ヤバイ、ヤバイよ、女騎士さん、目がマジだもの!
あのレイピアに殺されるって……どうなんだろう? 心臓を一突きされて……でも、それくらいじゃこの体は、すぐには死んでくれなさそうだ。死ぬまでに、とてつもない痛みを味わうのだろうな……。どんどん血が抜けて行って、体が冷えて……。
「っいやいやいや! そういうのは勘弁! もっと平和的な死を望みます! 安らかな眠りにつきたい!」
シミュレートしてみたところ、刺殺は駄目だという結論に辿り着いた。刺殺は非常によろしくない。じわじわ苦しむ系は、俺が最も嫌っている死に方だ。
俺は、女騎士が突き出してきたレイピアを、反射的に勇者の剣で弾いていた。幾ら女騎士が剣技に優れていても、やはり、《勇者》と《付き人》の差は覆せない。俺が本気を出す限り、女騎士は俺を殺すことなど出来ないだろう。
それは女騎士の方でも弁えているようで、すぐにレイピアの切っ先を下げた。
「この状況で、安らかな眠りも何もないでしょう……」
「なんか無いわけ? 苦しまずに死ねる毒とかさぁ」
「そんな都合の良いもの、持ってる筈がありません!」
「デスヨネー」
この女騎士とは、俺が王都を旅立った時からの付き合いで、いわゆる初期メンバーという奴だ。付き合いが長い分、言いたい放題言ってくる。無闇やたらに敬われたりするよりはよっぽどマシだが、初期の頃の生真面目で堅苦しかった健気な少女は何処ヘ、とたまに問いかけたくなる。今でも生真面目だし言葉遣いは堅苦しいが、何かこう、ベクトルが違うといいますか。具体的な話をすると、昔はもっと優しかったのに……みたいな。
「……いやー、何か、熟年離婚間際の夫婦みたいだよな」
「は?いきなり何を言っているのですか?馬鹿なのですか? 無駄口叩いてないでさっさと死んで下さい」
「ひどっ!? 熟年離婚間際でももうちょっと愛があるだろうよ!」
「え、ち、違っ……い、今の死んで下さいは、愛のある死んで下さいですからね! あなたのことを思っての言葉ですよ!」
「ヤンデレ思考丸出しじゃねーか!」
「違います! わたしは勇者に仕える聖騎士ですよ? 身も心もいつだって健全なのです!」
まあ俺も、死んで下さい、とか、殺してあげます、とかいう女騎士の言葉に、全く愛を感じないと言えば嘘になる。俺のことを思っての言葉だということは、重々承知しているのだ。嬉しさすら感じる。俺はMでもヤンデレでもないが。
しかし……。
「うー……。でもなぁ。殺されるのは流石に、ちょっと、なあ……」
「気持ちはわからないでもないですが、他にどうすることも出来ないのですよ? どうせ死んでしまうことに変わりはないのです。もっと痛くて、更にはペナルティもある死を望むと言うのなら、このまま先へ進みますが」
「いや、それは……どうせ死ぬなら、痛くない方が良いけど……」
「でしょう? だから大人しく、私に殺されて下さいってば」
「いや、それはそれで嫌なんだっ……! よりにもよって女騎士に殺されたりしたら、すげー複雑だ……」
「そりゃ私も良い気はしませんが、でもだからといって、勇者様、ご自分の力だけで死ねるのですか?」
「うぐっ……それは……」
どうせ俺は、自決も出来ないようなヘタレ勇者ですよーだ。それに比べて、女騎士様は勇ましいことで。……なんてことを心の中では思っていても堂々と言えないのは、やっぱり、女騎士の言うことは正しいと、心のどこかで認めているからだろう。
「でも、んなこと言ったってなぁ……俺にどうしろって言うんだよ……。つか、俺を殺したあと、女騎士はどうするんだ? 自殺って怖いぞ。思ってたより、嫌なもんだぞ」
だから、俺が先に殺してやろうか……俺はその後そう続けようとしていたのだが、それよりも早く、女騎士が首を横に振った。
「私のことは、ご心配なく。最終奥義として、自らの痛覚を麻痺させる術を修得していますから。自殺することは、勇者様よりも苦ではないかと」
「……ああ、そう」
くっそ、俺、完全に詰んじゃってるじゃねーか!
まさか、どんな魔物より、どんな苦行より恐ろしくて難解な試練が、こんな形で立ちはだかろうとは……!
「じゃあ、逆に聞きますけれど、どうしたらあなたは死んでくれるのですか?」
どうやって死ねばいいものかと考え込んでいると、そろそろ疲れて飽きて来た様子の女騎士が、投げやりな口調で聞いてきた。もっと真面目に考えてくれよ!
「どうしたらって言われても……」
「いつまでもここで立ち往生している訳にはいかないですよ」
「それはそうだが……むう……」
最大の敵は、恐怖心だった。
死ぬこと事態に恐怖を抱いているわけではない。死、それ事態ならば、それこそ飽きるほどに経験していて、最早慣れ切ってしまっている。最近ではそれによって命の価値感が麻痺して来たのではないかと、時折不安になるほどだ。
それよりも。
俺は、痛みや苦しみが怖いのだ。
だから、痛みも苦しみも感じずに死ねる方法があれば良い。そう、例えば毒や薬なんか。
……と、ここで思考は堂々巡りをする。
女騎士の言った通り、そんな便利なものを持ち合わせている筈がない。
ならば、どうやったら俺は恐怖せずに死ねるのか……。
「……やっぱ無理じゃね? あきらめようぜ。もうここに永住しちゃおうぜ」
「勇者様、子供みたいに駄々をこねないで下さい!」
「だってよー……」
「……そうだ、勇者様、何かこう、ご褒美の様なものがあれば、頑張れるんじゃないんですか?」
「とうとう俺を本格的に子供扱いして来やがったな」
子供舌だったり、夜は一人で寝るのが怖かったりするけど、そんな俺だって一応立派な大人の男だ!
そう主張すると女騎士から「そうですね……生物学上はそうですね……でも本当の大人の男になれる日がいつかくるといいですね……」とでも言いたげな哀れみの視線を投げかけられた。くそう! ちょっと美人で男にモテるからって! きいいいっ! 何よ何よっ! 皆そんなに美人が良いのかしら!?
「でもよ、ご褒美って言っても、具体的にはどんなだよ? 死んでも良いほど欲しいものなんて無いぜ?」
「そうですねぇ……」
金は旅路でがっぽり稼いだし、武器も一通り最強のものを揃えている。あとは、んー……土地とか? いやでも、魔王を倒したら、城でも領地でも好きなだけぶん取れば良いしなぁ……。
「……強いて言うなら、イケメンフェイス、かな?」
「考え抜いた結果がそれですか……。儚い夢ですね……」
「うるさい! 男のロマンだ!」
「はいはい……」
ふん! どうせこの高尚さは女にはわからないだろう! それも生まれながらの美人になんて!
「でも勇者様、イケメン——失礼、美男子になどなられて、一体どうしたいのですか? やはり、女性から好かれたいので?」
「おう、そうだなぁ。やっぱり美人の姉ちゃん達を侍らすのは男の永遠の夢だぜ」
迷い無く答えた俺を、女騎士は、これだから男は……みたいな冷めた視線で見て来る。
ちなみに俺のタイプは年上のグラマラス美女である。協会のシスターあたりがドストライクだったが、女騎士の目が怖くておちおちナンパも出来ていない。
ああ、そうだ。
美女を侍らせる以上の目的があった。
「後は……」
「後は?」
「やっぱ普通に結婚して幸せな家庭を築きたいなぁ」
「……失礼ながら、それは容姿の優劣は関係無く叶えられるのでは……?」
俺にもそう思っていた時期はありました。
けど現実は違う。
いや、普通は大して男前でなくたって、人生のパートナーを見つけることは出来るのだろう。
けれど——
「だって俺って、勇者じゃん? 皆ちやほやしてくれるんだよな。それはありがたいんだけど……皆、勇者としてしか俺を見ないから、本当の俺自身を好いてくれる奴なんて滅多にいないんだよ。でもさ、顔が良ければ、勇者なんて関係無しに、好きになってくれる奴が出来ると思わないか?」
「顔……だけでよろしいのですか? 顔だけ好いて貰えれば……?」
「んー、まあ、勇者フィルター越しに見られるよりはなー」
要は、「勇者様って、優しくて素敵! でも私と勇者様とじゃ、身分に差がありすぎるわ……あきらめよう……」と思われるよりも、「勇者様、なんてイケメンなの! 身分なんて関係無いわ、あれくらいのイケメンと結婚出来たらなんて素敵なんでしょう!」と思われたいのだ。
身近に感じて欲しい。
貪欲に求めて欲しい。
勇者以前に人間だ。男だ。
夢くらい見る。
「……勇者様。私はその愛の形を幸せだとは思いません。酷く歪んでいます」
「良いんだよ、幸せでなくても、歪んでても。愛さえあれば」
「勇者様は愛に飢えていたのですね」
「おう……いやその言い方やめろよ、ダサいよ恥ずかしい」
「ダサくないですし、恥ずかしくもないです! 失敬な!」
むぅ、と頬を膨らませる女騎士だったが、その仕草があまりに子供っぽかったもので、思わず笑ってしまった。たまにこうして、かわいいところもある。そう思っているのは秘密だ。
「……それでは、美男子になるというのはあくまでも手段なのですね?」
「んー、まあそういうことになるのかな? なりたいとは思うけど」
「……最終的な、結婚という形で愛をーー幸せを掴むという目的を果たせれば、手段は厭いませんか?」
「ん? まあそうだな……」
「そうですか……ふむ……」
何だ? 女騎士はさっきから一体何を言いたいんだ? 普段から言いたいことは言う奴なのに、珍しい。
「おい、女騎士? 言いたいことがあるならいつもみたいにハッキリと——」
と、言いかけた俺は。
「勇者様、————、」
「……は、」
女騎士の唇が動き、
ーーとん、と、思いの外軽い衝撃。
胸に突き刺さる冷たいレイピアの感触を、ボンヤリと感じながら、——俺は死んだ。
協会で目を覚ました俺は、未亡人シスターをナンパするでもなく、起き上がることすらせずに、体を丸めて身悶えしていた。
仲間の心配する声が聞こえるが、今は顔を上げられない。
たぶん、顔がリンゴのようになっていることだろうから。
こんな顔、見せられない。
特に、俺より少し遅れてやって来た女騎士になんて。
「あーくそ……油断した……」
まさかあそこで刺されるなんて。
まさかあそこで——
——それじゃあ殺されるご褒美に、私が結婚して幸せにしてあげます。
——私は勇者様じゃない勇者様も、好きですよ。
あんなことを言われるだなんて……。
決して、ご褒美に食いついたわけではない。ちょっと驚いて隙が出来ただけだ。痛みを麻痺させる薬になったのは、その驚きだった。喜んだわけじゃない。ああそうだ、大の男がみっともないからと、喜んだことを認めてないわけじゃないぞ。
だから——
「……おい、女騎士よ」
「はい? 何ですか?」
俺はうずくまって顔を隠したまま、女騎士に語りかけた。
「あんなご褒美なんぞ、俺はいらんからな」
「……そう、ですか。すみませんでした」
「お前はやっぱり男のロマンをわかっていない……」
「え?」
「男はああいうのは自分から言いたいものなんだよ。男の永遠の夢その二なんだよ」
「……それって……」
「……魔王倒したら、俺は夢を叶えようと思う。金はあるし、城も近々手に入る予定だ。だから——
——幸せにしてやる」
あれはこっちのセリフだっての。
「……! は、はいっ!」
その時チラリと見た女騎士は、いつにないほど嬉しそうに笑っていて——
あいつがあんなに幸せそうならば。
——殺されるのも、案外悪くない。
愛を伝えた状況は、幸せとは程遠かったけれど。伝え方は、酷く歪んでいたけれど。
その想いは確かに真っ直ぐで、
ーー俺は確かに幸せだった。
山もオチもよくわからん話で申し訳ありませんでした……。
二人は両片思いでしたという……。
勇者、何気に「永住しようぜ」とか「熟年夫婦〜」とか大胆発言してます。
女騎士に殺されるのを嫌がったのも、ひとえに好きな子だったからです。
厳しいご意見募集します!