人生の上り坂と下り坂。
辞書によると、物事が良い方向に向かいつつある状態を上り坂、盛りを過ぎて衰えていく傾向にある状態を下り坂と表現するらしい。確かに、上り調子とか下り調子などと言うように、ある状態から上に向かって進むことは肯定的な印象があり、逆に下に向かうことは否定的なニュアンスがある。
確かに言葉の印象としてはその通りだが、現実に坂を上り下りするとまた違った実感がある。下り坂の方が楽だし、速度も出せる、自転車に乗れば気持ちの良い風を受けることができる。対して、上り坂は体への負担が大きく、ちょっと無理をして進むことになる。
正直に言って、上り坂と下り坂で受ける印象は言葉の意味とは正反対ではないだろうか。ただ、下り坂で気をつけるべきは思った以上に速度が出てしまうので、事故らないように注意が必要だということだ。
ところで、人生とは一つの坂を往復することであると表現することはできないだろうか。
生き物は生まれた瞬間から死に向かって進んでいるわけだが、生命を単純に表現すると、何もない状態から何もない状態に戻ることだと言っても間違いではないだろう。時間をかけて自分が最初にいたところに戻るわけだ(最初はどこにもいないわけだから、いないところに戻るというちょっと奇妙な印象があるが)。
何が言いたいかというと、スタート地点がどこかと定めることがそのままゴールを決定することになるということである。
高いところ、坂を上がった場所をスタートと捉えるなら、行きは下り坂、帰りは上り坂になる。逆に、低いところ、坂を下った場所をスタートとするなら、行きは上り坂、帰りは下り坂というわけだ。
どちらにせよ、上り坂と下り坂をそれぞれ1回ずつ歩むわけだから、トータルの労力は変わらないということになりそうだ。大切なのは、人生のどのタイミングで上り坂と下り坂を経験したいかという個人の考え方だ。かかる労力は同じでも、見える景色は違ってくる。
どんな風景を見ながら歩みたいかと言うのは、人間それぞれの価値観であり、他人と比べるものではない。そこを無理に他人との比較で決めてしまうと、本当の意味で充足した人生とはならないと思う。
人生というサイクルの中で、自分が今どの道を歩んでいるのか、たまには落ち着いて問いかけてみることが有益だと考える。
悲しいのは、アクシデントで道から脱線して、そのまま思わぬゴールをしてしまうことだ。もっと見えるはずだった景色をすっ飛ばして、終わりを迎えてしまうのはあまりにももったいないことだ。
また、決められた道、他人に敷かれたレールは走りたくないというのは自由を表現する際の常套句だが、そこを走り切ることができるかどうかは自分自身にかかっている。進んでいるのはあくまでも自分である。自分で道を作ることはもちろん尊いことだが、他人に舗装された道であるという理由だけで道を外れるのは性急に過ぎるだろう。その道をどう進むかも大切な視点であると思う。
こんなことを最寄り駅から自宅に帰る間の坂を下りながら考えていたのである。終わり




