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愛縛のペンダントは首輪に変わる〜過保護な公爵に罠を仕掛けられていたので、今度は僕が支配します〜

作者: kukka
掲載日:2026/07/04

2作目も執着溺愛系ですが、立場逆転劇にしました。性的描写はないのですが、ダークな内容なので苦手な方はお気をつけください。

 


 その日の午後、アルドは庭園の東屋で、友人のセシリアと久しぶりにお茶をしていた。


 風に揺れる淡い金髪を耳にかけながら、アルドはカップを両手で包み込む。四年前と比べて少し痩せた頬、けれど困ったように下がる眉の柔らかさは変わらない。中肉中背の、どちらかといえば線の細い体つき。仕立ての良い上着を着ていても、どこか着られている印象を拭えないのは、生来の飾らなさゆえだろう。子爵家の生まれらしい、飾らない品の良さが所作の端々に残っていた。


「アルド様、最近お元気がないように見えますわ。何かあったのですか?」


「いや……ただ、少し疲れているだけだよ」


 言いかけて、アルドは言葉を濁した。夫であるジークハルトへの本音——最近、息が詰まるように感じることが増えたという話は、誰にも打ち明けたことがなかった。胸元に下げた、結婚祝いにジークハルトから贈られたペンダントに、無意識に指先が触れる。魔石が淡く発光する意匠の美しいそれを、アルドはお守りのように肌身離さず身につけていた。


「実は、少し……夫との距離感に、悩んでいて」


 セシリアにだけ、そっと打ち明ける。誰にも言えなかった小さな弱音だった。


 ◇◆


 セシリア嬢と話したことで少しだけ気持ちが晴れたその夜、夕食の席でジークハルトが唐突に言った。


 長身を椅子に預け、燭台の灯りに漆黒の髪を光らせながら、彼は静かにワイングラスを傾けている。すっと通った鼻筋と、彫刻めいた輪郭。均整の取れた体つきは、剣を扱う鍛錬の跡を隠しきれず、優雅な礼服の下にも隙のない筋肉の張りが窺えた。整った顔立ちに浮かぶ微笑は、社交界でも「氷の公爵」と呼ばれる冷徹さを微塵も感じさせない、アルドにだけ向けられる特別な柔らかさをまとっていた。四年経った今も、その笑みを向けられるたびに、アルドの胸はまだ小さく跳ねてしまう。


「セシリア嬢とのお茶会は、楽しかったか? ——最近、少し悩んでいるようだが」


 アルドの手が止まった。


「……どうして、それを」


 セシリアには本当に、誰にも言わないでほしいと念を押していた。あの場には二人きりだったはずだ。


「心配しているだけだよ。君のことは、何でも知っておきたいから」


 ジークハルトは変わらぬ笑みで答える。長い指がグラスの脚をなぞる仕草には、いつもと変わらない優雅さがあった。だがその言葉が、いつものように甘い響きには聞こえなかった。


 食事を終え、自室に戻ったアルドは、無意識に、まだペンダントに触れていた。ふと、その滑らかな魔石の表面に、指先で触れたことのない小さな刻印があることに気づく。目を凝らすと、それは見覚えのある紋様だった——結界術と、遠隔視の魔法陣を組み合わせた、複合術式の刻印。


 血の気が引いた。


 震える手でペンダントを外し、魔法の心得のある侍女に密かに調べさせると、答えはすぐに返ってきた。


「これは……〈視の魔石〉です。持ち主の周囲の映像と音声を、遠隔で観測できる術式が組み込まれています」


 お互いに心から信頼し、愛を深めていると、思っていた。


 常日頃、過保護なのは大切にされている証だと、信じていた。


 けれど今、肌身離さず身につけていたそれが、監視の道具だったと知って、アルドの中で何かが静かに崩れていく音がした。


 ◇◆


 寝室の扉を閉め、二人きりになった夜。アルドはずっと胸にしまっていた言葉を、ようやく口にした。


「ジーク、話がある」


「なんだ、改まって」


 ジークハルトは寛いだ様子でグラスを傾けていたが、アルドの表情を見て、その手を止めた。


「あのペンダントのことは、もう知っている。侍女に調べさせた」


 沈黙が落ちた。ジークハルトの顔から、笑みが静かに消えていく。


「……守るためだった。それだけだ」


「守るためなら、なぜ黙っていた? なぜ、僕に選ばせなかった?」


 アルドの声は震えていたが、それでもまっすぐにジークハルトを見た。


「僕は、心から信頼し合って、愛を深めていると思っていた。この四年間、ずっと。でも違ったんだね。君にとって僕は、対等な相手じゃなくて、見張っておくものだったんだ」


「そんなつもりは——」


「離婚してほしい」


 その一言で、部屋の空気が凍りついた。


 ジークハルトは長い沈黙のあと、静かにグラスをテーブルに置いた。


「……本気で、言っているのか」


「本気だ。もう、こんな形で見張られるのは、耐えられない」


 ジークハルトの瞳に、これまで見たことのない揺らぎが浮かんだ。けれどそれも一瞬で、彼はいつもの完璧な仮面を被り直す。


「わかった。君の意志は、尊重しよう」


 あまりにあっさりとした返事に、アルドは逆に不安を覚えた。だが、それ以上何かを言う前に、ジークハルトは背を向け、部屋を出て行ってしまった。


 一人残されたアルドは、外したままのペンダントを握りしめる。


 ——これで、終われる。


 そう思おうとしたけれど、なぜか胸の奥は、少しも軽くならなかった。


 ◇◆


 実家に戻ってから、半月が過ぎていた。


 子爵家の屋敷は、四年前より幾分か落ち着きを取り戻していた。ジークハルトからの援助のおかげで領地の立て直しは進み、かつての困窮が嘘のように、使用人たちの顔にも余裕が戻っている。それを見るたびに、アルドは複雑な気持ちになった。この安寧も、結局はジークハルトが与えたものだ。


「アルド様、少しよろしいですか」


 声をかけてきたのは、先代からこの家に仕えている老家令、ゴードンだった。白髪の交じった眉を寄せ、どこか言いにくそうにしている。


「どうしたんだ、そんな顔をして」


「実は……離縁の話が出ていると耳にしまして。もし本当に籍を抜かれるおつもりでしたら、旦那様……いえ、公爵様との結婚前の書類を、お渡ししておいた方がよいかと」


 ゴードンが差し出したのは、古びた書類の束だった。四年前、子爵家が財政破綻した当時の取引記録だという。


「これが、どうかしたのか?」


「当時は気に留めませんでしたが……先日、経理を見直していて気づいたのです。あの年、うちが立て続けに取引を切られた先は、すべて同じ商会の傘下でした」


 ゴードンが指し示したのは、複数の商会名。アルドには馴染みのない名前ばかりだったが、その全てに小さく書き添えられた紋章の写しを見て、アルドの手が止まった。


 見覚えのある紋章だった。ジークハルトの執務室で偶然目にしたことのある——公爵家の裏事業を束ねる、非公開の商会の印章。


「まさか……」


「私も、確証はございません。ですが、もし……もしあの没落が、最初から仕組まれたものだったのだとしたら」


 ゴードンの声は震えていた。長年この家に仕えてきた老人にとっても、それは口にするのが辛い可能性なのだろう。


 その夜、アルドは眠れないまま、蝋燭の灯りの下で書類を何度も読み返した。日付、金額、商会の名前——一つ一つを辿るごとに、偶然では片付けられない一致が浮かび上がってくる。


 四年前、社交界で見かけるたびに、遠くから憧れていた人。いつか言葉を交わせたらと、密かに願っていた人。


 その人が、自分の家を追い詰めて——狩っていた。


 出会いも、結婚の申し出も、何もかもが、最初から仕組まれた罠だったのだと知って、アルドの中で、これまで積み上げてきた「大切にされていた」という記憶の全てが、音を立てて崩れていった。


 震える指先で、書類を握りしめる。


 ——僕は、選ばれたんじゃない。


 ——狩られただけだったんだ。


 涙は、なぜか出てこなかった。代わりに、腹の底から、これまで感じたことのない冷たい怒りが、静かに込み上げてくるのを、アルドは感じていた。


 ◇◆


 婚姻解除の儀は、王都でも由緒ある神殿の奥、契約の間で執り行われた。


 高い天井から差し込む光が、中央に据えられた石の祭壇を照らしている。祭壇の上には小さな炉があり、そこに絶えず燃え続ける、青白い魔法の炎が揺れていた。この炎こそが、二人の契約の証——そして、心の真偽を映す鏡だった。


 アルドは白い儀装をまとい、祭壇の前に立っていた。

 向かいには、同じく儀装に身を包んだジークハルトがいる。


 半月ぶりに顔を合わせた彼は、記憶にあるよりも幾分やつれて見えた。けれど、その漆黒の瞳の奥には、変わらず静かな熱が宿っている。その眼差しに見据えられるだけで、身が竦むような圧を感じた。


 ——もう、迷わない。


 アルドは握りしめていた拳を開き、祭壇の炎に向き直った。脳裏には、あの日ゴードンから渡された書類の一枚一枚が、まだ焼きついている。


 神官の厳かな声が、儀式の間に響いた。


「双方、婚姻契約の相手への想いに偽りなきことを、この炎に誓え。もし心に一片でも未練が残るならば、炎は消えず、婚姻契約は続く」


 まずはジークハルトが、静かに口を開いた。


「私は——」


 そこで、初めて言葉に詰まる。数秒の沈黙のあと、彼は続けた。


「私は、アルドを、想い続けている。この気持ちに、偽りはない」


 炎は、揺らぎもしなかった。当然だ、と誰もが思っただろう。ジークハルトの執着は、この場の誰の目にも明らかだったのだから。


 次は、アルドの番だった。


 深く息を吸い、これまでの四年間——憧れ、幸福だと信じていた日々、そしてすべてが仕組まれていたと知った、あの夜の絶望を、一息に振り払うように、アルドは言葉を紡いだ。


「僕は、ジークハルトを、もう想っていません。この結婚に、これ以上の未練はありません」


 声は、震えなかった。自分でも驚くほど、はっきりとした声だった。


 けれど。


 ——炎は、消えなかった。


 それどころか、アルドの言葉に呼応するように、青白い炎はほんの一瞬、色を濃くして激しく揺らめいた。


 神殿の間に、重い沈黙が落ちる。


「……そんな」


 アルドは、自分の目を疑った。怒りも、絶望も、これ以上ないほど本物だったはずだ。裏切られ、嵌められていたと知ってもなお、この四年間で積み上げた記憶のどこかに、まだ拭いきれない未練が残っているというのか。


 顔を上げると、ジークハルトと目が合った。


 その表情には、安堵と歓喜が、隠しきれずに滲み出ていた。長い睫毛の下の瞳が、微かに潤んでいる。


「——ほら。やっぱりだ」


 囁くような声だった。勝ち誇るというより、縋りつくような響き。


「君の心は、まだここにある。私から、離れられない」


 その声を聞いた瞬間、アルドの中で、何かが冷たく凝縮していくのを感じた。


 屈辱だった。あれほどの覚悟をもって臨んだ誓いが、この場で、この男の前で、自分すら蓋をしていた未練ごとあっさりと暴かれてしまった屈辱。かつて自分がこの男に感じていた憧れも、幸福も、絶望も——すべてを見透かされ、踏みにじられたような、抜けない棘のような感覚。


「……ジーク」


 低く、静かな声だった。自分でも聞いたことのない、冷たい響き。


「今、なんて言った?」


 ジークハルトが、微かに眉を寄せる。アルドの様子が、何かこれまでと違うことに、ようやく気づいたようだった。


「……アルド?」


 アルドは、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、もはや戸惑いも絶望もなかった。ただ、静かで昏い炎だけが、そこに宿っていた。


「そうか。離れられないのか、僕は」


 唇の端が、微かに弧を描く。


「——なら、好都合だ」


「好都合、とは……」


 ジークハルトの声に、初めて明確な戸惑いが滲んだ。


 アルドは祭壇の炎から視線を外し、ゆっくりとジークハルトに歩み寄った。儀装の裾が石床を擦る音だけが、静まり返った神殿の間に響く。


「僕たちは、離れられないらしい。神殿の炎が、そう証明してくれた」


「アルド、私は——」


「黙って」


 短く遮る声には、これまでのアルドにはなかった強さがあった。ジークハルトが、言葉を呑み込む。


 沈黙が落ちた。神殿の高い天井に、祭壇の炎が爆ぜる小さな音だけが響く。アルドは何も言わず、ただジークハルトの目をまっすぐに見据え続けた。数秒の沈黙が、これまでの四年間よりも長く感じられた。


 先に視線を逸らしたのは、ジークハルトの方だった。


「四年間、君は僕の家を追い詰めて、僕を狩った。その上で、大切にしていると嘘をついて、僕の心も、行動も、何もかも見張り続けた。——違うか?」


 否定の言葉は、返ってこなかった。ジークハルトの表情に浮かんでいたのは、隠しようのない狼狽だった。


「知っている。もう、全部知っているんだ」


 アルドは一歩、また一歩とジークハルトに詰め寄る。石床に響く足音の一つ一つが、まるで刻限を告げる鐘のようだった。ジークハルトは後ずさろうとして、けれど背後の祭壇に阻まれ、動けなくなる。四年間、誰よりも力を持っていたはずの男が、逃げ場を失って立ち尽くしていた。


「離婚は、取りやめる」


 その一言に、ジークハルトの顔に安堵の色が広がりかけた。だが、続くアルドの言葉が、それを凍りつかせた。


「けれど、これからは、僕が決める。何もかも、僕がね」


 アルドはジークハルトの胸元に、かつて自分が身につけていたペンダントをかけた。冷たい魔石の感触が、掌に馴染む。そのままジークハルトの上着の襟を、指の関節が白くなるほどの力で握りしめる。


「君が使っていた術式は、そのまま僕が使わせてもらう。君の一日、君の交友関係、君の考えていること——全部、僕が把握する」


「アルド、それは——」


「嫌か?」


 低い声だった。反論を許さない、初めて聞く声色だった。ジークハルトの喉が、小さく上下する。


 アルドは、初めてジークハルトに向かって、笑ってみせた。柔らかく困ったような、これまでの笑みとはまるで違う、静かで昏い笑みだった。


「君が僕にしてきたことだ。今度は、君の番だというだけだよ」


 ジークハルトの瞳が激しく揺れた。

 征服された恐怖か、それとも——。


 アルドには、その奥にわずかな、歪んだ愉悦の色が滲んでいるのが見えた。この男は、こうしてアルドに支配されることすら、どこかで望んでいたのかもしれない。


 だとしたら、なおのこと。


 ——誰も、対等になどなれはしない。


 アルドは、ジークハルトの胸元のペンダントに、静かに魔力を通した。祭壇の炎が、ひときわ大きく揺らめく。


「僕は、君のものにはならない。その代わり——君を、僕のものにする」


 かつて、この男が自分に向けて囁いた言葉と、同じ形をした台詞だった。


 窓の外では、日が傾き始めていた。神殿の長い影が、二人の足元に伸びていく。


 その影の中で、アルドは静かに、ジークハルトの手を取った。

 振り解かせることのない、強い力で。


 ——愛なのか、支配なのか。

 その境界は、もう、どこにもなかった。


(了)


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