第7話 異性の友達は少ない方が良い
「宇佐木ちゃん1年の時のGPAほぼ4ってマジ?」
金曜4限、私はかつて美結くんに連絡先を届けてくれたナントカくん改め、山県くんとあれから一緒に受けるようになっていた。とっておいてくれた席に座るなりそう言われ、「や、3.5くらいだよ」と訂正する。誰から聞いたんだ。
私の成績はほとんど郡上が握っている。重要な科目の過去問は郡上がどこからか仕入れてくるからだ。怖くて出元がどこなのかは聞いたことがない。そして、そのお礼に試験中は度々お昼をご馳走するというのが恒例になっている。
「そんな超能力者はうちの美結ちゃんだけだと思ってた」
「はは……」
なお、美結くんのGPAは私より上。15番目の彼女が自慢していたらしいのでそれも知っている。
「ねえ宇佐木ちゃん、今回の試験も余裕?」
「まさか、全然そんなことない」
「だよね」
山県くんが頬杖をついたまま、にやっと笑った。
「勉強会しない?」
「え」
思わぬ提案に、一瞬頭が理解できなかった。勉強会。中高で何度かあったけれど、勉強会という名の女子会が始まって、結果ろくに勉強にならなったのを思い出す。当時は誰かの家に集まっていたけれど、大学生の勉強会とは。
「何人くらい集まるのかによって場所が限られてきそうだけど。うちの学部でってことだよね」
「そんな集めないし大丈夫。4,5人とか?」
「ならここの図書館のミーティングルーム借りれるけど」
「あそこ目立つじゃん」
「? 目立つ?」
大学の図書館3階にある密閉空間のことだ。かなり静かな空間で、目立つも何もないと思うけれど。
「だってメンバー、僕でしょ、宇佐木ちゃん、んで郡上様、美結ちゃんだよ? 目立つでしょ。あと増やすか悩むくらい」
「は!?」
ちょうどそのタイミングで教授が入ってきて一旦話は中断となる。必死に首を横に振る私と、にやにやと笑う山県くんが滑稽なほどに対照的だった。
「……というわけでして……」
「いやこっちは別にいいけど」
そう言うと思った。郡上はすんなりと山県くんの話を受け入れてしまった。分かっていたことだけれど。郡上窓香のそういうところが好きなのだけれど。
あのあとも何度も山県くんと議論を重ねたものの、彼のあまりの執念に、もしや郡上のことが気になっている美結くんの友人というのはこの山県くんではないかと思い至り──結果、ほぼ開催が確定されたのだった。
「でもあんたバイト詰め込みまくってんのによく予定合ったね」
「本当はどの日も埋まってたんだけど一応代わってもらえるか本巣に聞いたら前のめり気味にOKが出て」
「へえ。熱い友情」
結局、月曜の4限後という最短の日程調整が叶ってしまった。なんだかんだでこの日程調整でぐだついて話が流れるかと思っていたのが、怖いくらいすんなりと決まったのだ。間違いなく神の見えざる手が働いている。
(そうだ。私はもう美結斎を避けないと決めた。友達大事。世界平和)
夏休みに入る前に、瑞穂との再会につなげなくてはならない。それが美結くんに対するせめてもの報いだ。
勉強会を控えた日曜の夜、私は久しぶりに自分から瑞穂に連絡を取っていた。あまり下手な動きをすると先々勘づかれてしまうかもしれないので、シンプルに≪そういえば瑞穂、今彼氏いる?≫とメッセージを1通。
その返事は、
≪あれ? 言ってなかったっけ? 高2からずっと付き合ってる彼氏と卒業したら結婚しま~す≫
だった。幸せそうなツーショット写真まで添えて。
ショックでしばらく立ち上がれなかった。貴重な化石だと思っていた石がただの石だと分かった小学校3年生の夏よりも落ち込んだ。
美結くんはこのことを知らないのだろうか。いや、知っていて、それでも諦めきれない可能性だってある。私というあまりに頼りない糸を辿ってくるくらいだ。高2ということは美結くんと別れたあとに付き合った彼氏ということだろうか、それも更に美結くんのダメージを増幅させるに違いない。
どうしよう。……どうしたらいい。
「勉強って言うかもはや写経だよね」
「ねえマクロの過去問持ってる?」
「あ、一昨年のやつなら」
なんだかんだで迎えた勉強会当日、私たち4人はふざける余裕もなく真剣に机に向かっていた。場所は経済学部棟のゼミ室を山県くんが借りてくれたらしく、それぞれがバラバラに集合したことで誰の注目も浴びずに集まることができた。
メンバーは結局山県くんの提案通りで、顔を見る以外ほとんど関わりがない郡上に対しても美結くんと山県くんは自然に接している。さすがキラキラ軍団、人としての格が違う。
全員が揃って同じ授業を取っているのは1科目くらいで、他は被っている同士で情報を持ち寄った。持ち込み可の教科については資料作りという名の教科書の要点の写経、持ち込み不可についてはひたすら目に焼き付けるしかない。
「宇佐木ちゃん、ノートかなりちゃんと取ってるよね」
山県くんが私の手元をのぞき込んでそう言った。
「手元動かしてないと危ないときあるから」
「そういやこの前完全に落ちかけてたでしょ」
「映像授業ほんとやめてほしい。山県くんが叩いてくれなかったら危なかった」
授業は長い、どれだけ気を張っていてもうとうとしてしまうことがある。山県くんの言う通り先日の4限は落ちかけていたというより5分くらい記憶がないので多分、そういうことなのだろう。
それにしても山県くんは付き合いやすい人柄だと思う。もし本当に郡上と近づきたいと思っているなら応援したい。
例の件の正解は山県くんなのだろうかと答え合わせをしたくてちらりと美結くんを見ると、我関せずと黙々と経済数学概論の勉強をしていた。
夕飯は各々が学内の生協で買い込んだサンドイッチやおにぎりを持ち寄った。片手に食べ物、片手に暗記用のシートを持って、ぽつぽつと雑談をしているとふと山県くんが「そーいえばさ」声を上げる。
「宇佐木ちゃんと郡上様って、1年の初期からの付き合いなんだよねぇ?」
「そう」
先に返事をしたのは郡上だった。私も遅れて頷く。
「どういう馴れ初め?」
「全然普通だよ」
今度は私が先に返すと「普通じゃないでしょ」と郡上が笑った。
「新歓の帰りに先輩に絡まれてたところを助けてもらったの」
「ちょ、郡上」
「すごかったんだから」
慌てる私の口に郡上の食べかけのサンドイッチが突っ込まれて危うく窒息しかける。
「え、助けたって、宇佐木ちゃんが、郡上様を?」
「そ」
「意外」
「この子がサークル入りそこねたのはそのせいだから」
……助けたなんて、大げさだ。
それは入学してすぐ、4月の夜。私はその頃バイト探しに夢中で、時給の高い飲食店やホテル、キャバクラの黒服まで視野に入れて走り回っていた。時刻は23時前。その日は深夜から雨だと分かっていたのに、外に洗濯ものを干しっぱなしだと気づいて、全速力で自転車をぶっ飛ばしていたのだ。
「私が、4年の……インカレサークルだったから他大学のね。酔っぱらった先輩2人に無理やり家に連れていかれそうになって」
そこは繁華街ではなく、裏に潰れたカラオケ屋がある人通りの少ない通りだった。そんな場所には不似合いすぎる、綺麗な女の子──郡上がいた。足を痛めていたのか変な歩き方だった。明らかに嫌がる彼女を引きずるように2人の男がいて、事情の知らない私はしばらく自転車を止めて動向を見守っていた。
「今思ったら、その新歓にいた他の人たちにもはめられたんだなって分かるんだけど」
郡上が何か怒鳴った瞬間、男の片方が腕を振り上げたかと思うと、傍目には手加減なく郡上の横面を殴りつけたのだった。
「そしたら今度はそいつがぶん殴られて。赤いコーンで」
「え。赤いコーンって工事現場にあるやつ? ていうか殴ったのって」
ぴっと郡上の指がこちらに向けられる。「でもコーンなら大丈夫だと思ったから。自転車で轢くよりはいいと思って」と弁解するも山県くんが完全に引いてしまっている。それもそうだ。生身の人間に武器を振りかざした女がここにいるのだから。
「そ、そのあとは……?」
何ならそのあとの方が大変だった。
「殴って殴られた奴も、もう1人の奴も内定取り消し。元々常習犯だったらしくて」
「こっわ」
「警察にも死ぬほど怒られたし」
ぶん殴る前に呼んでいた警察には駆けつけたあと『ひとりで向かっていくなんて』『目には目をなんて我が国では通じない』など至極真っ当なことを夜明けまで懇々と説かれて何も言い返せなかった。
「だって警察間に合わなかったら郡上が殺されると思って」
「ま、向こうの親がまともだったから、こっちの話は最終的に示談で済んだんだけど」
尤も、郡上が庇ってくれなかったら、そして防犯カメラがなかったら私も諸々の罪に問われていただろう。赤いコーンの持ち主である工事会社も許してくれた。それに、相手が泥酔していたからパニック状態になってやり返してこなかったけれど、シラフだったら私も殴り返されていたかもしれない。
「ね。出会い方普通じゃないでしょ」
「宇佐木ちゃんよくさっき『全然普通』って言ったね。WEB漫画になるよ。大バズりするよ」
郡上は私と一緒にパトカーに乗り込んだ時しばらく黙り込んでいたのに、突然わっと崩して大声を上げて泣きだしたのだ。それを見て私もつられてびーびー泣いて、婦警さんに赤ん坊のようにあやされながら警察署に向かった波乱の1日だった。
「そしたらこの子が男の先輩2人を単独でボコボコにしたとんでもない奴みたいに5月くらいまで噂されちゃって」
経緯を説明しようとする郡上を羽交い絞めして止める日々だった。
「で、サークルにも部活にも入れなかったってわけ。ちなみに私も」
「……別にそんなことがなくても私はバイト探しで必死だったから関係ないんだって」
「でも気づいたらその噂も消えてたからよかったね」
何も言わずに聞いていた美結くんは笑うことも引くこともなく、黙々とご飯を食べていた。絶対興味なかっただろう。山県くんに『今度から宇佐美様って呼ぶわ』といじられながらも、その後は切り替えて再び写経を再開した。
「──今日はありがとうね~」
「こちらこそありがとう、助かりました」
そして他の棟の明かりが消えていくのを合図に、解散したのは夜8時。電車通学だという山県くんは照れもせず郡上を家まで送っていくと宣言し、郡上もまた何の抵抗もなく並んで去っていった。なんだろう、お似合いだと思う。
私は2人の背中をまるで親のような気持ちで見送って、
思い出した。隣にまだ人がいることを。
「じゃ、我々もここで……」
私も美結くんも自転車通学だ。そしてお互い、向かう先は逆方向。きゅっと私が自転車の前タイヤを反対側に向けると、美結くんも同じ方向を向いた。違う、そうじゃない。
「なんで。送ってく」
「いやいや、見て。これ、自転車」
生身の人間相手なら圧勝の軽車両だ。もしかしたらさっきの郡上の話に引っ張られているのではないかと気づき「いざとなったら自分で戦うから」と走り出そうとしたら、素知らぬ顔で追いかけてくる。
「今の状態だと美結くんが変質者になるけど!?」
必死の形相で突っ込むと美結くんが一拍おいたあと風船が割れたように声を上げて笑いだした。怖い。美青年が壊れてしまった。
「ちょ、何笑って」
「っく、待って、お、お腹痛い」
「ついてこないでって、大丈夫だから!」
美結くんはまだ笑いながら自転車をふらふらさせている。そっちの方が危ない。なんて文句を言いながらも、人通りの減ったこの時間、別に自転車で一緒に走る分にはもういいかと観念する。まだ8時なんだけど、というと「もう8時だよ」と遠慮なく言い返された。
「美結くん、なんか今日、ごめんね」
なんとなく山県くんに乗っかってしまったものの、勉強会での美結くんを見ていた限り巻き込んでしまった感が強い。解散した今言うなんて遅いと思うけれど。
「何が?」
「勉強会とかしなくても美結くんなら余裕だっただろうなと……」
「全然。楽しかったし」
とてもそうは思えなかったけれど、本人が言うならそれでいいかと私もそこで引き下がることにする。
「山県と、仲いいね」
「へ」
ちょうど踏切で遮断器が下りてくるところだった。並んで止めると、美結くんが前を向いたままそんなことを言う。
「私?」
「うん」
どういう流れなんだろうか。さては『山県は郡上が好きなんだから勘違いするなよ』という、遠回しな牽制だろうか。余計な心配すぎる。
「山県くんがいい人なだけだよ」
今頃あの2人は打ち解けているだろうか。郡上は確か今日時点でまだ彼氏がいないはずだし、もしかするともしかするかもしれない。夏休みまで1週間近くある。
「あ」
思い出した。
「うん?」
「山県くんに連絡先聞こうと思ってずっと忘れてる……」
「……連絡先?」
「そう。実はまだLIMEとか何もSNS交換してなくて」
今日の勉強会でちゃんと集まれたのも、その前の授業で遭遇できたからだ。しまった。せめて郡上との仲を取り持つなら連絡先くらい聞いておけばよかった。
電車が通り過ぎて、遮断器が上がる。よいしょ、とペダルに足をかけた時、美結くんがぽそりと言った。
「それでいくと俺も宇佐木に聞いてない」
「? 電話番号知ってるよね?」
この踏切を超えてしばらく走ったら、もう私のアパートが見える。大した距離じゃないのに美結くんに送らせてしまった。
「まあ、」
「あ。でも私のアカウント、番号から検索できないか」
コンビニが見えた。アパートの目の前だと誰かに会うかもしれない、と「もうここで」とスピードを緩める。
「送ってくれてありがとう。お手数かけました」
一旦下りて頭を下げると、美結くんはまだそこにいた。もしかして私はまた何かを忘れているんだろうか。
「山県の連絡先。俺からでよかったら、教えようか」
なんと気にしてくれていたらしい。
「ううん、ちゃんと本人に聞くからいい。ありがとう」
「……じゃあ」
そう言って美結くんがポケットから出したのは、当然彼のものだろう黒い薄型の端末。
「普通に、宇佐木の連絡先知りたいんだけど」
「え」
絶対必要ないのに?
そんな顔をしそうになって──稲妻のように頭をよぎったのは、瑞穂と彼氏のラブラブツーショットだった。
そうだった。美結くんが知りたいのは私の連絡先ではない。その先にある、瑞穂の現在と未来だ。しかしそのためには私という無人駅を一旦通らなければならない。
「た、確かに交換してないのも変だね」
危なかった、自分の責務を忘れて個人的な感情でお断りしてしまうところだった。
(携帯落としても大丈夫なように家帰ったら非表示にさせてもらおう……)




