第6話 邪推はしない方が良い
そしてその夜は全然眠れなかった。
念願のお風呂に入ったあと朝4時までもう一度アルバムや文集を読み漁って記憶を整理して自分の罪を振り返り、のたうち回ってセルフ反省会をして、無理やり布団に入って薄い睡眠のあと朝7時に目が覚めた。
「はああ……」
楽しそうな天気予報を眺めて、完全に無になる。
私が主人公だったら、多分こんなことになっていなかった。
中高全く関わりなかった超絶美形男子と大学で偶然再会、しかも相手から積極的に絡んできて翻弄されるというてんこもりすぎるシチュエーション。中学の時にいたやたら絵のうまかった文芸部部長なら多分喜んで漫画にしてくれるだろうけれど『さすがにご都合主義すぎ』と笑うだろう。
主人公の皆さんはすごい。こんな状況もきっと楽しむんだろう。私には食欲もない。
待ち合わせ場所は大学の最寄り駅から3つ目、うちの大学の人が利用しそうにない小さな駅の改札口になった。
うちまで迎えに来ると言った美結くんに死ぬ気でお断りを入れ、なんとかそこで妥協してもらったのだ。
(よく考えたら美結くんも一人暮らしだし、電車で遭遇しそう)
当然私は彼が大学を挟んで確か真反対のマンションに住んでいることも把握している。しかし私が把握しているなんて知られたらおしまいなので、この待ち合わせになったのだ。
それにしても、電車で鉢合わせしたら気まずすぎる。
そう思って正午の待ち合わせ時刻に対して40分前に到着するように電車に乗ったのに、
いた。
美結斎、もう改札にいる。
そして僅かな利用客ほぼ全員がちらちら美結くんを見ていくのが分かる。彼はそれを意にも介さない。携帯でも触っていればいいのに、ゆるく腕を組んで壁にもたれかかってどこかを見ている。盗撮されるからやめな、と言ってあげたい。
一通り観察した私がしおしおになりながらICカードをタッチして改札を抜けた瞬間、タイミングよく美結くんが顔を上げて体を起こした。危ない。目が合って死ぬかと思った。
「宇佐木」
「まさか私より早いと思わなかった。待たせてごめんなさい」
「全然」
今きたとこ、と綺麗な定型文を綺麗に言った美結くんは私を見て「明るい色の服着てるの珍しい」慈悲深い感想までくださった。
「そう。私気づいたら黒とかばっかりなんだよね。楽でつい」
彼のご指摘の通りで、私の今日の服は珍しく有彩色だ。何故黒を避けたか、それは美結くんの私服もまたその色味が多いから。意図せずお揃いになったら大変なことになる。
美結くんの服装は私の予想通りかついつも通り、シンプルなモノトーン調。己の判断は正しかった、と心の中でガッツポーズした。
駅の外に出るとそこはビジネス街のはずれで、土曜ということもあってか学生はもちろん通行人もあまり見当たらない。確かにここなら知り合いに遭遇することはほとんどないだろう。
そしてあれだけ『道中何をしゃべったらいいんだ』と悩んでいたのに、思っていたよりも普通に会話が成立した。授業や単位の話、後期の授業をどうするか、あの教授の試験はどうだというごくごく当たり障りのないラリーが続く。
郡上のようにウィットに富んだことも言わなければ、本巣のように突っ込んだことも言わない。かと言って小難しいことや誰かを貶めるようなことも言わない。
ちゃんと対等に向き合ってみれば、話をするのが随分上手な人だと分かった。
(ああ、なるほど)
確かにこの内面に惹かれる人がいてもおかしくないと改めて実感した。
人生でここまで百聞は一見に如かずの綺麗な例を見たことがないかもしれない。百聞は一見に如かず日本代表になれる。
そんな人との会話を、ただただ関わったら周りが怖いという理由だけで私はずっと避けて、突っぱねて、逃げ回ってきた。
「お店、ここ?」
私の声で足を止めた美結くんが躊躇なく入ろうとしたのは、そこまで仲良くない男女が初めて入るにはあまりに敷居の高そうなお洒落建造物。しかし店までお任せしてしまった責は私にある。ここまできて『いやいや牛丼でいいよ』とはまさか言えない。
「見た目は高そうだけどそんなことないから」
そして私のビビった顔の理由を即座に察知されたのも恥ずかしい。
カランコロンと入店の音までお上品なその店内はテーブル同士の間隔が広く、街中にある飲食店よりは少しこじんまりとしている。センスあるあごひげ丸眼鏡おじさんに通されながら、私は小学校の卒業式で壇上に上がった時の2倍緊張していた。
メニュー表も行間がめちゃくちゃ広い。大学に受かった時に家族で行ったお高めのお店よりも雰囲気がある。
(よかった、血反吐吐かなくていい金額……)
速攻で視線をやった先にはランチ一律1800円と書かれている。安くはないけれどびっくりするほど高いわけではない。心底ほっとした。
「わ、どうしよう。全部美味しそう」
散々怯え散らかしておきながら、メニューの写真を見ているとどうでもよくなってきた。お腹も急に空いてくる。
「ものすごくラザニアが食べたい気持ちと定番のカルボナーラにいきたい気持ちがせめぎってる」
「ここ、ラザニア美味しいよ」
「あれ、でも美結くんトマト、」
トマトも駄目じゃなかったっけと言いかけて、ヒュッと途中で空気に置き換わった。止めたけど駄目だ、間に合ってない。冷や汗が伝う。
「トマトも検査上は引っかかってるけど、果物ほどじゃないから。加工品は全然食べれる」
恐る恐る表情を確認すると、見たところ気持ち悪がってはいなさそうだった。それどころか少し笑っている。
(アレルギー知ってる事件はこの前自己申告済みだし、ギリギリセーフ……?)
「た、大変だよね、アレルギー」
ハハ、と流しながら結局私は強く勧められたラザニアを、美結くんはホワイトソースのグラタンのランチセットを選択した。危ない、ちょっと気を抜いたら私の人権が消えてしまう。
「そういえば、あの時はびっくりして聞けなかったんだけど。なんでうちでバイトしたいって言ったの」
オーダーの後、料理が来るまでの時間は有効に使わなくてはならない。もやもやした疑問を晴らすべく先に声を上げたのは私だった。
「あー……」
何故か美結くんが目がふよふよと泳がせた。
「日本酒に興味があって……」
「え」
私は知っている。すでに成人している美結くんが全くお酒を飲まないことを。
しかし言えない。
「そうなんだ。渋いね」
嘘を吐かれたと、私には分かる。飲めない人間がどうやって日本酒に興味を持つというのか。美結くんはアルコール3%のチューハイでも飲まないと知っている。
道中にあった気楽さが急に家出して、緊張感が居座り始めた私たちのテーブル。
悪手を打ってしまったのは私だ。でも今日は本題から顔を背けて和気あいあいとプチ同窓会をするためだけに来たわけじゃない。
「あの」
「あの」
「あ、どうぞ先に」
「いやこっちの方が後だったから」
もたもたと互いにボールを譲り合い、溜息のあと改めて口を開いたのは美結くんの方だった。私もごくりと息を呑む。
「こんなことを急に言われたら、宇佐木も困ると思うんだけど」
実は男が好きなんだ?
実は背中の広範囲に菩薩の入れ墨がある?
実は異世界から転生してきた?
実は私とは生き別れの兄弟?
「俺と」
ここで助詞の"と"が来るパターンは考えていなかった。
「友達に、なってもらえないかと……」
「………………え?」
人生で初めてかもしれない。改まって他人にそんなことを言われたのは。
しばらく言葉が何も出てこなくて、おそらく誰がどこからどう見ても私はポカンとしていたと思う。
友達って、こんな状況で、こんな緊張感の中で契約するようなものだっただろうか。確実に大学入試会場に入った瞬間よりも緊張している。
「と、ともだち……?」
そんな話をするために、彼はもにょもにょ動き回っていたというのか。
美結くんが分かりやすく表情を硬くしたので「あああ違う違う違う嫌というわけではなく」首と手を必死で横に振った。
「そんな畏まって言われなくても……」
何ならあと2週間くらい前でも言えたんじゃなかろうか。
「すごい勢いで避けられてるの分かってたから、本当は今日も来ないかと思って」
しょんぼりそう言われると罪悪感で殴られたような気分になる。それはそうだ、確かに私は避けて逃げ回っていたのだから。
「あの、ここは正直に教えてほしいんだけど、全然友達になるのは駄目でもなんでもないんだけど……もしかして郡上を紹介してほしいとか? だったりする?」
周りに知り合いはいないのに、思わず声をひそめてしまう。
すると美結くんは目を見開いて、
「まさか」
何か嫌なものを思い出したような顔をした。苦虫を嚙み潰すどころではない、生きたまま飲み込んだような顔だ。
さすがに作られた表情じゃなさそうだ。どうやら本当に違うらしい。
「そうやって、郡上さん紹介してほしいってよく男に言われる?」
「え、うん。大体そう。あ、別に気にしてないよ」
早々にあてが外れてしまった。
美結くんは少しだけ暗い顔をする。まずい、今のはせっかくの申し出に対して『郡上目当てだろ』なんて決めつけた私がどう考えたって悪い。
「ご、ごめん、もしそうだったら早めにこう、そういう席を設けたほうがいいと思って」
あくまで悪気はないのだとわたわたしていると、タイミングが良く私のラザニアが先に運ばれてきた。
「冷めるから先に食べて」
「大丈夫。私猫舌だから」
それにしても写真の数倍美味しそうだ。サイドのサラダまで芸術を感じさせる。
友達。友達になる。友達になるとは、一体何だ?
「そんな私、美結くんほどの人に改まって友達になってくれって言われるほどの有望な人材じゃないんだけど」
思わず本音を零すと、
「全然、何か特別なことをしてもらおうとかじゃないから」
美結くんは苦い顔に薄く笑みを浮かべた。やはりどこか気まずそうにしている。
(駄目だ、全然言葉の裏側を……読み取れない)
ちょうど互いが黙り込んだタイミングで美結くんのグラタンも運ばれてきて、そこでようやくお互いカトラリーを手にした。
「うわ」
口に運んで、思わず感嘆の声が漏れる。気まずさも忘れて噛み締める。
「美味しい?」
「美味しい通り越した」
「なんだそれ」
美結くんがくすくすと声に出し表情を崩して、笑った。
私は何か見てはいけないようなものを見た気がして、慌ててラザニアに視線を落とす。
森の奥の池のほとりで神様が佇んでいるのを見たら、こんな気持ちになるに違いない。
やはり食べ物はすごい。世界を平和にする。
「グラタンも美味しいけど、一口食べる?」
「い、いいいい」
いいです、と上品に遠慮しなくちゃいけないシーンなのに、美結くんのグラタンが明らかに美味しそうでバグが起きた。
テーブル横の取り皿に綺麗に取り分けられたグラタンが乗せられて、嫌味なく差し出される。
「じゃあ私のも、」
なるべくチーズが多めになるように取り分けて交換して、なるほどこれが友達かと理解した。この向かいにいるのが郡上や本巣でもきっと同じようにしただろう。尤も、郡上だったら聞く前に私のラザニアにフォークを突き立てていたと思うけれど。
(……あれ、もしかして)
友達になろう事件を一旦休止して、ここの他のメニューのあれも美味しいのだとか、実はこの近くにもう一軒美味しいところがあってそこも迷ったのだとか、美結くんのそんな話を聞きながら私は郡上との会話を思い出した。
『い、従姉妹って』
『でも美結くん知らないと思う』
瑞穂と私が従姉妹同士だと美結くんが知っていたら、どうだろう。
謎多き、けれど私の中で最良の歴代彼女。人知れず別れてしまった2人。
(そうだ、ドラマでよくあるやつでは?)
例えば、こう仮定しよう。
美結くんは、どれだけ他の彼女と付き合っても瑞穂のことを忘れられなかった。けれど簡単に元サヤに戻れない事情がある。そして私と瑞穂が親族であることを突き止め──私と関わることで、偶然を装って瑞穂に再会する。
これだ。間違いない。
そう考えれば、美結くんのこれまでの違和感があるほどの強引さや、突拍子のない行動にも辻褄が合う。バイトの件も、こんな機会まで設けてお友達宣言したのも、瑞穂のため。
いや、しかしそうだとすると私はどういう風に瑞穂と再会させてあげればいいんだろう。さすがに美結くんも、瑞穂と自分が高校時代付き合っていたことを私が知らないとは思っていないだろう。私のことを熱狂的なファンだと勘違いしていたくらいだ。
料理に舌鼓を打って、穏やかな世間話を終え、セットのデザートとコーヒーが運ばれてきたタイミングで私は意を決した。
「そういえば、今年の夏休みって実家帰る?」
唐突でなく、ごく自然な流れだ。完全に決まった。
「多分。宇佐木は?」
「お盆くらい帰ろうかなと」
ちらりと顔を見る。美結くんは少し考えて、薄い唇を開いた。
「電車で?」
「うん? うん」
まずい。話が終わりそうだ。このままでは私がお盆に電車で実家に帰るといういらない情報だけが残る。
「み、美結くんは夏休みどういう風にお過ごしに……?」
ここで美結くんが同じタイミングで実家に帰るなら、偶然を装って瑞穂を召喚できるかもしれない。なんとしてでも日程を聞き出す必要がある。
「あんまり決めてない」
「だ、だよね~、まだちょっと先だしね~」
それはそうか。私くらいだ、バイトを詰め込むために今から扶養ギリギリなら何日入れるか計算している学生なんて。
「……宇佐木は人多いところ苦手?」
「私? いや別に。あ、でも年末年始の福袋バーゲンみたいな血で血を洗う人混みは苦手」
「ぶっ」
下を向いて美結くんが肩を揺らして笑っている。そんなに面白いことを言ったつもりはなかったのに。まだ本気出してないのに。
(それに、人が多いのが苦手なのは美結くんの方だし)
彼こそ人混み嫌い、もといアンチ・夏のイベントのはずだ。
そして気を取り直したように、美結くんがおずおずと口を開いた。
「お盆後に、こっちで有名な花火大会あるの知ってる?」
「ああ、このあたりで1番のやつ? 何万人くるんだっけ、すごいらしいね」
それにしても食後のケーキまで美味しいとは。今度は郡上を連れてこよう。
「宇佐木は行く予定ない?」
「え、逆に美結くん行くの」
「あ、うん、今年は行こうかと……友達と」
美結くんにそう言われて、ぱっと頭に浮かんだのはこの前伝書鳩役をお願いしたヒョロ長のナントカくんだった。いつものキラキラチームで行くのだろうか、目立ってしようがなさそうなのに。
「それで、……そう、俺の友達に……郡上さんと仲良くなりたいって言ってる人がいて」
「えっ、そうなの?」
どれだ。思い返す限り郡上が横に並んで違和感がないのは美結くんなのだけれど、本人に気がなさそうなので仕方ない。
「もし宇佐木が迷惑じゃなかったら、」
「! わかった。その花火大会に郡上を召喚したらいいんだね?」
いかにも友達っぽい、青春っぽい交渉事だ。
「それならせっかくだし、私よりも郡上の高校の時の友達呼んでもらったほうがいいかも。美人ぞろいだし、合コンみたいに人数合わせた方が良いよね? そっち何人来る?」
「いやそこまでは」
「でも待って。郡上、夏休みまでに彼氏作る可能性がある……」
痛恨のミス。さすがに彼氏持ちを召喚するわけにはいかない。
「あ。むしろ夏休み前に、そのお友達と郡上が付き合う展開もあるかもしれないよね」
「それはどうかな……」
「1回、郡上に聞いてみようか。よかったらその人の連絡先とか」
テンションが上がって食い気味になってしまった。はた、と気づくと美結くんがどこかまずそうにしている。しまった。
「こっちも改めて確認する、うん、ごめん、なんか変なこと聞いて」
「全然。そういうのに加担するのは好きだから」
とりあえずこの件は、美結くんの返事待ちで問題ないだろう。ひとりで高揚してしまって、少し恥ずかしい。
──結局、ご馳走したいと譲らない美結くんと借りをもう作りたくない私でデスバトルを繰り広げた結果、自分の分は自分で出すことになった。もちろん無料でご飯が食べられるならそれに越したことはないけれど、億が一にでも私が美結くんに奢られたなんて他人様に知られたらもう大学に通えなくなる。
これまで15人も彼女がいた美結くんくらいになると、女性にご馳走しないと蕁麻疹でも出るのかもしれない。
「で、ごめん。ものすごい今更なんだけど、友達になるということで何がどう今後変わると捉えたほうがいいのかな……」
普通の友達はこんなことを確認しないだろう。しかし私と美結くんである。うっかり本巣相手の距離感で接したら、市中引き回しの刑が待ち受けている。
店を出てしばらくしてから意を決してそう尋ねると、美結くんが少し歩くペースを落とした。
「多分、学内で声かけたら宇佐木が困るよな」
「うーん……」
少し前なら美結くんの意図が分からずに遠慮なく首を縦に振っていたかもしれないけれど、今の私にはいつか瑞穂と再会させてあげなければという使命がある。
「いや。大丈夫。用事があるなら声かけてもらって問題ないです。できればあんまり人がいないところで……」
そう。全ては瑞穂と美結くんを悲恋にしないために。
「あ。でもまた美結くんに万一彼女ができるようなことがあったら、その期間中は絶対声かけてこないでほしい」
「……当分できないよ」
美結くんが小さく笑った。
(見切った)
『当分できない』。
やはり、そういうことだ。今の台詞で完全に腑に落ちた。一体瑞穂と美結くんの間にどんな複雑な事情があるのかわからないけれど、託されたからにはやりきらなければならない。
「ノートも普通に貸すし」
「ありがとう」
「花火大会の件、もしお友達さんからゴーサインが出たら教えて」
世間話をしながら結局電車は同じものに乗った。運よくその車両にはほとんど人はいなくて、隣に座っても縮こまらずに済んだ。
しかし『友達になろう』なんて、どうしてこんな急に持ち掛けてきたのかについてはさすがに聞けずじまいだったのだけれど。
「──よかったじゃん。無視すんのも無視されんのも気ぃ疲れるもんね」
翌週会った郡上にも、さすがに土曜日の件は言えなかった。ただ、美結くんとは和解し普通に話すようになったということだけ伝えたところ、郡上は口角を上げてにったりと笑った。何をしても絵になる。
瑞穂のことについても以前話したついでに相談してしまおうかと思ったけれど、さすがにそれは美結くんに対して悪いだろうと口を噤んだ。今更も今更かもしれないが。
あれから美結くんとはうまくいっている。先方も気を遣ってくれているようで、同じ授業で顔を合わせても目立って声をかけてくることなく、こちらを見て会釈をしたり、あるいはぱっと手を小さく上げて反応する程度だ。3限後に人の少ない食堂で遅めの昼食をとっていた時にばったり会って少し話したりはしたけれど。
(大学っていいところだ)
自分がいかに心配しすぎていたかを実感する。社会は広い、大学も広い。少し私と美結くんが話していたくらいで咎めてくる人はもういない。他人の不幸を喜んではいけないけれど、別れた15番目さんとは何度か遭遇するも目も合わなかった。そんなものだ。
そう。つまり今度こそ私の日常が取り戻され、真の平和が訪れた。
結局、花火大会の件は美結くん曰く『自分で頑張るって』とのことで進展はなく。私は何度かキラキラ軍団とすれ違う度にどの人のことだったんだろうと観察するも、どの人のことなのかわからなかった。しかしそれもしばらくするとどうでもよくなっていた。
これこそ穏やかな毎日。何にも恐れなくていい大学生活。
──しかしその分岐点が現れたのは、前期末の試験を約1週間後に控えた7月半ばのことだった。




