第4話 他人のものに触れない方が良い
「もしかして私に七福神とか憑いてたりする?」
「だったらもっと良い人生送ってるだろ」
「確かに。は?」
私と美結くんと同じ中学高校大学を選んだもう1人のどうでもいい人間こと、本巣有里は怪訝な顔をした。彼は私と同じモブ仲間であり、同じバイト先の同僚でもある。
「あの店に美結みたいなのが来たらとんでもないことになるわ」
そのバイトの帰り道、私の今日の出来事を聞いた本巣はケッと吐き捨てる。
「だよね」
「しかし俺とお前以外おっさんとおばちゃんしかいないしなあ、目当ての女がいるとは……」
そこまで言って、
「お前…………?」
わなわなと本巣が大げさに震え出す。
「冷静に考えて。ここは現実」
「そうだな。ないな」
宇佐木、美結、本巣。私たち3人はお互い一切関わりがないまま、偶然同じ進路を歩んできた。美結くんについては入学式で知っていたけれど、一方の本巣の存在を知ったのは入学してから随分経ってからで、しかも彼もまた中高で会話したことがなかった。どうでもいい会話の中でたまたま母校が同じであることが判明した、いわば郡上同様、大学からの友人というのが正しい。
そして私たちのバイト先は居酒屋というには少し時給も単価も高い、どちらかというと割烹料理屋に近い店だ。大学は近いけれど大将が曲者で、故に学生バイトを滅多に雇わない、というのはパート歴の長いおばちゃん情報である。
「実はものすごいグルメとか」
「んな理由で同級生に頭下げるかよ。ああいうタイプはエプロンつけてカフェ店員でもやってりゃいいんだって」
学生バイトが雇われないその店で私たちがセットで入ることができたのは、本巣の実家が酒屋でこの店の看板である日本酒に精通していたからだ。まず本巣が合格した後、人手不足と聞いた彼が『今時珍しいまともな学生』として私を引っ張ってくれた。
よく考えたらどうでもいいとかモブとか、散々な評価をしてしまった。彼は貴重な学友だ。
「私じゃなくて本巣の方を気にしてるとか……?」
「逆に?」
「逆に」
ないだろ、と真顔で返された。
本巣が実は他の人から見たら超美形だとか、そんな美味しいステータスを持っているわけではない。多分10年後同窓会で再会してもぱっと思い出せない自信がある。実際、高校の同級生に本巣の話をしたら『あーうん。いい奴だった』で会話が終わってしまった。
いい奴なので、夜遅く同時にバイトを上がった日には片道2キロくらいの我が家までの道中を自転車を引きながら歩いてくれる。しかしいい奴止まりなのでこれまで彼女がいないらしい。
「お前が覚えてないだけで、ほら。実は美結を助けたことがあるとか」
「そんな少女漫画みたいな感動エピソード持ってない」
「聞く限り、急になんだろ? だとしたら何かきっかけがあったと思うけど」
きっかけ、と言われて頭を捻った。
(出席カードの件より、更に前に遡る?)
言われてみればそうだ。羽島さんの出席カード事件から怒涛の勢いだった、とするとあの日あの瞬間の前に美結くんの中できっかけがあったに違いない。これまでは私に声をかけまいと遠慮してきたらしい彼が、何かに追われるように声をかけてきたのは。
「てかいうかまあバイトのことは置いといて、何か問題あんの? いいじゃん美結。顔いいし」
不思議そうに本巣が言う。「他の女子なら大喜びしてると思うけど」と付け足して。
「顔がよければ何してもいいわけではないでしょ」
「でも悪い気はしなくない?」
「どうだろう。ひとによるんじゃない。私は普通にいやだ」
確かに私も悪いかもしれないけれど、現時点の度が過ぎた行動バトルにおいては美結くんが圧勝していると思う。もし彼が本当に本巣が言うように自分が何をしてもいいと思っているなら、私は全力で逃げるか、やはりはっきりと言わなければいけない。
「意外と、お前と友達になりたいとか。おもしれー女、みたいな」
「やだよ。お互いメリットない」
「怖」
ノートの貸し借りがギリギリだ。
私にとって美結くんは、"向こう側"の人間であってはじめて関心を寄せることができるわけで。3次元と2次元の関係のような、絶対に飛び出てこないという確信があったからこそコンテンツ扱いできていたのだ、飛び出てこられたら扱いに困る。
「郡上と美結、何が違うんだよ。人形みたいな顔してるもん同士だろ」
「郡上は面白いし気が楽なの。いやまず同性だし」
今日はちょっと耳からピアスを引きちぎりたくなったけれど。
「美結くんは遠くにいてくれないと困る。私の平和が壊れるから」
本人からすれば知ったこっちゃないだろうけれど、とにかく私は彼にどんな理由があろうとも遠ざけたかった。
翌日、2限の中国語を終えたあとの昼休みのこと。
「ねえ、宇佐木さんって彼氏いたことないの?」
「えっ……何? なんで急に?」
食堂で黙々とハヤシライスを食べていたら急に視界に影が落ちて、かと思ったら何の脈絡もなくそう話しかけてきたのはアプリッコット羽島さんだった。
慌てて呑み込んで改めて顔を上げると、羽島さんは勝手に私の前に席を取った。トレーにはしっかり日替わり定食。
おのれ郡上。今日はコンビニパスタの気分なんて言いながら消えたせいで厄介な人に絡まれることになった。
「ないです。いたこと」
「そうなんだ、なんで~?」
さては煽られている?
「全然男の子としゃべんないからかな……」
それっぽい、そして1番つまらなさそうな回答をすると羽島さんは目を瞬く。
「でもこの前一緒にいたじゃん?」
「いた?」
「男の子と歩いてるの見たよ?」
そう言われて首を傾げて、2秒考えてすぐ答えが出た。
「あ。本巣のこと?」
「わかんない。あんまり背高くなかったかも」
「じゃあ本巣だ。工学部だよ。いつのことかわかんないけど、バイト同じなの。唯一しゃべる男友達」
そしてお互い同時に、ご飯を口に運んだ。合法的な沈黙の間に、碁か将棋のごとく次の一手を考える。相手が果たしてどう出るか。
「どういう人がタイプ?」
「えええ……」
読みは外れた。この話題がまだ続くらしい。
今日も今日とて羽島さんのバサバサまつ毛に囲まれた大きな目が、今私を真っ直ぐ見ている。目力で焼き殺すつもりなんだろうか。多分そう。
いや、もしかしてこれは誘導尋問なのではないだろうか。
『あんた美結くん狙ってないよね?』という牽制ではなかろうか。
私も伊達に中高共学で揉まれてきていない。美結くんのことだけでなく、誰かの好きな男子とちょっとでも仲良くすると放課後に圧迫面接が始まるのだ。今はおそらく、あの進化タイプを経験させられている。
理解して少し考えて、真剣味が増すように声のトーンを落とした。
「よく笑う人。あ、あと面白い人。あんまり背が高くなくて、そう、顔もそんなに恰好よくない方がいい。心配になるから」
なるべく美結くんから遠ざかるように意識して、慎重に羅列した。すると対面の羽島さんはしばらく箸を唇で挟んだまま少し考えて、私を見つめたままこう言った。
「それって、その本巣くんのことじゃなくて?」
「違う。全然。本巣以外の、地球上で存命の、そういう人」
そうだった、確かに美結くんの逆の属性を挙げていくと本巣に寄ってしまう。本巣は笑いのツボが浅いのでしようもないギャグで笑うけれど、断じて本巣ではない。末代に誓ってもいい。
「じゃ、宇佐木さんの好みは美結くんと対極って感じなんだね~」
「そう! そうそうそう!」
思わず語気が今年1番強くなってしまう。明言を避けていたことを羽島さんの方からすぱりと出してくれたのだから。
つまり私は羽島さんと敵対しない、人畜無害な一学生なのだと。
「その反応。もしかして、……まさかとは思うけど美結くんのこと、嫌いなの?」
そう聞かれると答えに迷う。仮に羽島さんが美結くん推しなら、他人の相手を悪く言うのはマナー違反だ。それはそれで嫌な反感を買うおそれがある。
「嫌いとかじゃなくて、興味がないっていうか、ほら。タイプじゃないし。まあそれは向こうも同じだと思うけど」
「えー、そうなんだ、そんな女の子初めて見た~」
興味がない、は嘘になるかしれない。散々一方的に知り尽くしておいて興味がないなんて矛盾しすぎている、ちょっと失礼だったかもしれない。
「じゃあ、最初の彼氏は好きなタイプの人だといいね」
しかしこれにてミッションコンプリート。その証拠に羽島さんはにっこりと穏やかに箸を進め始めた。つまり今の私の問答は正解だったのだ。ありがとう、中高6年間のあらゆる修羅場たち。そして理不尽に詰め寄ってきた過去の女子同級生たち。
普段そこまで絡みのない人との食事はまるで命のやりとりのようで緊張感があったけれど、羽島さんはおそらく同じ高校にいたらスーパー一軍女子だったに違いない人材だ。あんな人を敵にするわけにはいかない。楽器を弾かないのに軽音楽部にいる時点で格が違うのだ。
「そーいえば宇佐木さんってサークルも部活も入ってないんだっけ」
「うん。新歓の時期バイト探しに必死すぎてシンプルに入り損ねた」
「うちの軽音部入る?」
「あ、いいです。オンチで楽譜読めなくてリズム感ないから」
大学2年、初夏。
ラッキーハプニングは何もなく、他人に翻弄されて終わりそうだ。
「──今年の夏休みどうすんの」
4限まで終えて郡上に合流すると、携帯で水着の検索をしている彼女が少し浮ついたようにそう言った。
「バイト、バイトバイト……そしてバイト」
「笑う。帰省は?」
「うーん、多分1週間くらい」
去年の夏は普通どうするものなのか分からずに長期間実家に戻っていたけれど、あまりにすることがなくて暇だった。『あんた彼氏だか彼女だかなんでもいいけどいないの』と母に掃除機で吸われる居心地の悪い夏だったのを思い出す。高校の頃の友達とも遊んだけれど、やはり別の大学に入ると互いの共通の話題が過去のことばかりで盛り上がらなかった。
「郡上はどうすんの」
「どうしようね。彼氏作ろうか迷ってる」
「図画工作の感覚なんだ。クールだね」
選ぶ側の人間こと郡上に初夏の風が乗ると、同性の私でもくらっとしそうな爽やかで甘いシャンプーの香りが漂ってくる。曰く香水はつけないそうだ。細胞レベルで神に味方されている郡上窓香は溜息を吐く。
「あんたにも彼氏できたらダブルデートとか面白イベント発生するのに」
「なんかごめん」
大学生の夏休みは尋常じゃなく長い。7月下旬の前期試験期間が終わった後は、8月上旬から9月終わりまでごっそり約2か月の休みが待ち受けている。暇すぎて自動車の普通免許は去年のうちにもう取ってしまった。そのため今年はいつものバイト先に加えて短期バイトをいくつか突っ込むつもりだった。
「郡上は目星ついてんの。その彼氏候補」
「まだ」
「そ、」
そうなんだ、と言いかけて、そしてハッと閃く。
美結くんと郡上なら、絵になるを通り越して伝説になりうるのではないだろうか。そこまで頭に描いて、しかしそうなると私は大事な郡上にまで近づけなくなることに気が付いた。2秒で却下。
「そういえば郡上の好みってどういう人」
「何。あんたがそういうの聞いてくるなんて珍しい」
「いや、今日のお昼、急に羽島さんにその話振ってこられて」
こう答えたのだ、とありのまま解説すると、郡上もまた目を丸くして瞬いた。
「それ本巣じゃん」
「悲しいかな本巣は日本人男性の標準ど真ん中だからこの特徴にどうしても該当しちゃうけど、本当にない。偏差値50、平均点」
工学部の本巣と経済学部の郡上という、サークルでも被らない限り出会わなさそうな2人は私を通じて度々顔を合わせるようになってそれなりに仲良くなった。最初は本巣の方が郡上に惚れてしまうんじゃないかと気が気でなかったけれど『綺麗すぎて怖い』とのことで、それなりに失礼を働きつつも健全な友人関係が築かれている。
「逆に本巣と付き合ってみたら」
「試食じゃあるまいし。やだよ」
「確かに本巣とチュウはできない」
かわいそうに。何もしていないのに無茶苦茶言われる本巣。いい奴なのに。
「そういえば、前に例の彼の6番目の彼女が良かったって言ってたよね」
「すごい話変わるじゃん」
「だって。そこまであんたの印象に残る女って、どんなだったの」
ここはキャンパス外のパン屋のイートインスペース。ぐるりと周りを確認して、美結くんの関係者がいないことを確認した。主婦と思しきマダムが数名、遠い席に私たちと同じような組み合わせの学生らしきペアが1組。問題ないだろう。
逡巡したのち、そうっと声のトーンを落とした。
「……私の従姉妹」
「なんて?」
「私の従姉妹が美結くんの6番目の彼女」
え、と、郡上は何とも言えない顔をした。
美結くんの6番目の彼女は、私の母の兄つまり伯父の娘である。彼女──瑞穂は私と同い年で、近くの私立女子高に通っていた。
ちなみに私の周りも、瑞穂の周りも私たちが従姉妹であることは誰も知らない。苗字が違うことはもちろん、雰囲気も顔だちも何もかも違うのだからそれはそうだろう。言う必要がなかった、言わない方が良いというのをお互い理解していたのもある。
「い、従姉妹って」
「でも、そのこと美結くん知らないと思う」
実際、瑞穂は隣の県に住んでいて、たまたま私の生活圏の女子高に進学しただけのこと。何かあった時に私たち一家を頼れるというのも進学の理由のひとつだったらしいけれど。
「身内贔屓するわけじゃないけど、歴代の彼女の中で1番可愛いと思うし。性格もいいし」
「で、どれくらい付き合ってたの」
「どうだろう、でも1番長かったと思う。実はこの瑞穂の時だけ正確な交際期間がわかんないんだよね」
美結くんは中学で5人、高校で7人、大学に入って現在進行形の15番目さんを含めて3人と付き合っている。瑞穂はその高校時代の最初の彼女、よって6番目だ。
「なんで。逆に1番聞きやすくない?」
「わざわざ聞きにいかないよ。本人が言ってくるならまだしも」
こう見えて、私は関係者にわざわざ事情を聞きに行くような真似はしない。これまでの美結くん情報は望んでもいなくても勝手に流れてきて勝手に積み上げられてきただけだ。
そして瑞穂は歴代彼女の中で唯一他校生だったということもあり、2人にまつわる話がほとんど校内で流れなかった。帰り道に一緒なのを見たとか、その程度だ。そのため付き合った経緯も別れた理由も知らない。
「……まさかその瑞穂さん、今はもういないとか言わないよね」
「生きてるよ。そのまま内部進学した女子大で弾けまくってる」
「よかった。あんたが亡き者を語る感じ出すから」
従姉妹というだけで別に特別仲が良かったわけじゃない。高校の頃、悪天候の日にうちに泊まりにきたことは何度かあったけれど、瑞穂は私が共感できない話題は出してこない。
「でもさすがに他校同士で付き合うってさ、あんたがアテンドしたんじゃないの」
「アテンドて。してないよ」
そう、2人が付き合っているというのも随分後から美結くん推しで有名なおしゃべり同級生から聞いた話なのだ。美結くんはともかく、瑞穂本人からも聞かされていない。おそらく私には関係のない話だと思っていたからだろうけれど。
「瑞穂の時は、ぱったり校内で美結くんの話聞かなくなったんだよね」
それ以外の彼女の時は"付き合っている時の美結くん"情報がもはや全国入賞する自由研究レベルで詳細に出回るのが常だった。こんなことをしてくれるらしい、こういう感じらしい、という、一切本人の姿を見ていなくても想像が容易いほど事細かな噂。
それが瑞穂時代にはなかった、他校生なので自然なことかもしれないけれど。
「SNSとかにも全然上げてなかったみたいだし」
「ああ、確かに、そう言われると良い彼女だった感じするわ」
恋人をステータスやコンテンツ扱いしない、ただそれだけのことが難しい。
だけどダメだとは思わない。私ももし同じ立場になった時、誰にも自慢しないかと言われると分からないから。
「とりあえず郡上、彼氏できたら教えて。空気読むから」
「いらん。私ちゃんと友達優先だから」
この普段ならしないような話を郡上としたことがまるできっかけになったかのように──事件は起きる。




