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第3話 何事も知りすぎない方が良い



 痛恨のミスを犯した。分かっている。


 結局ノートは貸してしまったし、正直あのノートがないと経済数学概論の試験を乗り越えられる自信は1ミリもない。持ち込みOKだけれどOKなのはノート1冊だけなのだ。さすがに美結くんともう関わりたくないからとノートを丸々捨てる覚悟は私にもない。


 だとしたらこの先は美結くんの善意に頼るしかない。私には本人に返してと言いに行くHPが残されていないのだから。

 できれば郡上あたりに渡しておいてもらうか、私と同格のモブ的ご友人から私に届くように手配してほしい。どうかどうか、と祈り倒すも、


 「え?」


 神はやはり私に微笑まない。


 踏み出しかけた片足を浮かせたままくるりと180度体を反転させ、今来た道を競歩で駆け抜けコンビニに逃げ込んだ。


 (なんで美結くんが私のアパートの入り口に立っている?)


 まずは逃げ込んだコンビニで微糖の缶コーヒーを買って心を落ち着かせることにした。おそらく私が現れたことにはまだ気づかれていない、目視で確認したのはアパートから200mは離れていたし、彼はそっぽを向いていた。それで気づく私もどうかと思うけれど。


 コンビニを出て、隣の整骨院の看板に身を隠した。他の誰に怪しまれても構うものか。


 ノートを貸してからまだ8時間しか経っていない。

確かに彼がコピーを取ってしまえばノートへの用なんてものの3分で終わる。だとしてその日のうちに返してやろうなんて律儀が過ぎるのではないか。


 いやそうじゃない。

 なんで私の家を、知ってる?


 (もうこれはさすがに怒っていいのでは)


 いくら私が失言したからと言って家まで突き止めてシバいてやろうなんてさすがにやりすぎじゃないか。顔さえ良ければ何をしてもいいわけじゃないのだと今まで誰も彼に言わなかったのだとしたら、ここで場外の私が言うしかない。

 

 しかし待て。もしかしたら別に私を訪ねてきたわけじゃなくて、ここに住む他の誰か目当ての可能性だってある。私のアパートは大学から程近く、オートロック付きということもあってうちの女子学生が多く住んでいる。


 危ない。おぞましい勘違いをするところだった。


 スウッと息を吸って吐いて、右足から踏み出した。あたかもたった今帰宅するところで偶然本日二度目の再会を果たすことになりましたという顔で、美結くんの前を通り過ぎる時にぺこりと会釈をかませばいい。


 私はパリコレクションのモデルがごとく、まっすぐ前を見て歩き出した。

 そして心配せずとも、オチはすぐに訪れる。


 「あ」


 彼の発した母音だけで全部理解した。私がオートロックを開錠しようと、彼の前方10m地点で鍵を取り出した瞬間にわかりやすく美結くんが声を上げたから。 


 「え、ええ~偶然~! なんでこんなとこに?」


 「……いや、」


 いや、気まずそうにしないでほしい。どう考えたって気まずいポイントが高いのは私のほう。


 「あッ! もしかしてノート急いで返そうとしてくれたとか!? そんなのよかったのに~あ、違う? 違うか~」


 対・郡上の7倍明るい声を出して首を傾げると、

   

 「ごめん。家まで来たら気持ち悪いよな」


 美結くんがびっくりするほど暗い声でそう言って、


 「いや……」


 私も本当は『うん』と言いたくて、しかし残念言えなかった。


 「じゃなくて、え、本当に私宛て? 本気で言ってる?」

 「ごめん」

 「い、いやいや、ああ、まあ、……じゃあ返してもらっていいですか」


 しかしその会話の中でだんだんと私は理解していく。


 私が今まで美結くんにやってきたことが、返ってきているだけじゃないかと。


 「……あの、違くて」


 答えにたどり着いて、そのまま声をかけたのは私の方だった。怒りの火種はすっかり消えていて、代わりに頬から首筋からすうっと血の気が引いていくのを感じた。


 「こっちこそ、ごめんなさい」


 私からもびっくりするほど暗い声が出た。綺麗なままのノートを受け取って、そのノートに視線を落としたまま顔が上げられない。


 私は美結くんの実家を知っている。みんな知っていたから私も知っている。さすがに行きはしなかったけれど。

 恋愛遍歴も知っているし、進学の動機も知っているし、中高で彼が仲良かった人ランキングを今でも開示できる。好きな食べ物も嫌いな食べ物も、嫌いとまではいかないけれど出来れば食べたくない物のこともまで知っている。


 悪いことは分かっているのに、今の今までやめていなかった。


 因果応報。私がやってきたことの気味悪さは、今日美結くんがうちにやってきたことで証明された。

 ここで連載打ち切りということで、もう全部あなたのことは記憶から消し去ります。


 「私、」


 「……今朝の宇佐木の態度で確信した」


 「え」


 「高校生の頃、俺のせいで大変な目に遭った時、俺が止めなかったから。それでまだ怒ってるんだろ」


 言いかけた言葉は、美結くんに被せられて消えていった。


 「え?」


 全部すぐには理解できなくて、間抜けな声が出る。


 「本当は卒業するまでに謝りたかったけど、あの頃が1番、こう、周りも強烈だったし。声かけたらまた迷惑かけると思って」


 「あの」


 「大学まで同じだとは思ってなくて、見かけた時から何回か機会は伺ってて──」


 「待って。何の件について言ってる?」


 頭がパンクしそうだった。

 美結くんが私と高校が同じだったのを把握していたことが今ここで分かった。そこまではいい。


 「大変な目って何のこと?」

 「え、ほら。女子にめっちゃ詰められたって」


 正解。それは正しい。



 「な、なんで私が詰められたかまでは知ってる……?」



 多分今私の顔はかなり滑稽なことになっている。


 そう、あの時何故私が美結くんについて詳しすぎて怪しまれ詰められる事件が起きたかと言えば、別に私が美結くん情報を誰彼構わず吹聴(ふいちょう)していたからではない。

 隣のクラスと合同で行われた家庭科実習でうっかりやらかした、ただそれだけ。


 その日実習の課題料理は各自持ち寄った果物をカットして作るフルーツゼリーだった。完成形はいかにも可愛らしく、誰かにプレゼントするには持ってこいの映え具合。その時誰かが『美結くんにあげようかな』と言ったのだ。


 そして私が、


 『美結くん、果物ほとんどアレルギーで食べれないからやめたほうがいいよ』


 と言っただけのこと。純粋に渡しても食べてもらえないだろうその子と、受け取っても食べることができない美結くんを案じてうっかり言ってしまっただけのこと。そしてその情報が正しいことを後に本人が明かしたらしく、私はなんでそんなマニアックなこと知ってんだと詰められることになった。


 「いや」


 しかしそう言って、美結くんは分かりやすくさっと目を反らした。


 「え、今知ってる顔したよね?」

 「知って……、知ってるというか」

 「もう今更いいから、言っていいから」


 本人の口から『お前は俺を知りすぎてる』とでも言ってくれたら、私はここでアスファルトに膝と額を打ち付けて土下座する。正式に謝って区切りをつけることができる。

 美結くんは詰め寄る私をちらりと見やり、今度顔ごと反らして瞳をくるくるとさせたあと気まずそうにこう言った。



 「当時、……俺の、熱烈なファンだったって」




 嗚呼。


 「ごめん。違う。全然熱烈なファンとかじゃなくて。全然もう、何の下心もなくて」


 「え」


 「当時家庭科の実習であなたのアレルギーのこと知ってるようなこと言ったから周りの女の子がそういう風に勘違いしちゃって、でも違うの私たち実は中学から一緒で、中学の給食で出てきたキウイを美結くんがアレルギー食べれなかったってちょっと珍しい話をちょーど保健委員だった時に先生から聞いてたから覚えてただけで」


 そう。この話に嘘はない。

 ほとんど息継ぎなくそう伝えると、美結くんは目をしぱしぱと瞬かせて硬直していた。


 「本当に。そう、今日もごめんなさい、あんな態度とって。怒ってるとかじゃなくて、別に当時については美結くんは何も悪くないし、あの時からもう極力美結くんとは関わらないようにしようと思ってたから、逆に私なんかしたっけみたいな、もうお互い行き違いになってたみたいで。だから謝ろうとか全然いいから。同じ高校だったことも知られてると思わなかったからちょっと警戒しちゃって、ていうかよく考えてみて、私ジャンル的には一応女だし、彼女がいるのにアパートまで来られるとほら~よくないというか。ノートありがとう。でも今後は私より彼女さんに借りた方が絶対いいから。うん。なんか長いこと気負わせちゃってごめんねごめんねじゃあまた、いやまたじゃないや、さようなら~」


 最後の方は扉の半分に体を挟みこんだ状態だった。そして言い捨てたあと速やかにオートロックの向こう側に逃げ込んだ私は、扉を背にしてぐったりとその場にへたりこんでしまった。


 『……ごめん。知ってると思って』


 今朝の美結くんの台詞を反芻(はんすう)する。これは翻訳すれば『いやいや俺のこと知ってるくせに何言ってんだ』だろう。それはそうなるはず、美結くんは私のことを随分前から把握してくれていたというのだから。


 私のことを高校時代からの自分の熱烈なファンだと認識していたのに、その本人が『知り合いじゃないよね』なんてすごい剣幕で言ってきたら『うわ、こいつ相当昔のこと根に持って闇落ちしてるんだな早いとこ謝ろ~っと』になるだろう。


 怖かっただろう。何なら大学が同じだったことも裏があると思われていたかもしれない。逆恨みされる前に手を打たねばとヒヤヒヤしながら私と同じ授業を受けていたのかもしれない。


 「美結くんほんとごめん…………」


 誰もいない廊下で小さくぼやいた。

 彼がこの後素晴らしい人生を送ったのち、100年後くらいに大往生できることを祈って。

 



 「──ねえ」


 因果応報第二弾。

 あの後の土日のバイトは家にいるのが怖くて、5時間シフトのところを『無限に働けます』と2日とも10時間に変えてもらってフルで働いた。もしかしたら刺客が家で待ち受けているのではないかと気が気でなかった。結果いなかったけれど、月曜になると現れた。


 美結くんの、そう。例の15番目の彼女さんである。


 「なんでしょう」


 昼休みの終盤、ジュースを買おうと生協に立ち寄ったらこれだ。


 「宇佐木さんだよね?」

 「宇佐木です」

 「ぽくない」

 「よく言われます」

 「ふうん」


 そして彼女は私を上から下まで見て、舌打ちをした。私の方が背が高いのが気に入らないらしい。


 「なんであたしが声かけたかわかる?」

 「いえ」

 「だる」


 だるいのはこっちだ。何が悲しくて平穏無事な学生生活に求めてもいないパンチを効かせなくてはならないのか。


 「心当たりあるでしょ」


 「いえ、全然」

 「美結。美結斎」

 「ああ。同じ高校出身です」


 先方から刃を振られる前に、防具を出す。叩いて被ってジャンケンポンと同じだ。


 すでに美結くんが私を高校の同窓生だと認識しているなら隠すことではない。こっちから先に言えば、繋がりはそれだけなのだという証明にもなる。現に15番目さんはグギギと悔しそうに顔を歪めて、レジの列で私の後ろに並んだ。そこは順番抜かさないんだ、と感心する。


 「仲良いの?」

 「ああもう全然。この前初めて会話しました」

 「へえ」

 「もういいですか?」


 彼女が会計を終わるのを待ち、声をかけるとぐいと私の手首を掴んで歩き出した。


 「ちょちょちょ」

 「すぐ終わるから」


 この世、自分勝手な人が多すぎやしないか。私含めて。


 「あの、私次また3限……」


 「美結のこと狙ってんの」


 すごい剣幕だった。首が飛んでいきそうになるくらい勢いよく横に振った。


 「まさか、生まれてこのかた考えたこともないです」

 「本当に?」

 「全然。できればもう関わりたくないくらいです」

 「なんで?」

 「いやこんな風に全然知らない人に怒られたりするからですよ」


 自分自身がその立証しているじゃないか。思わず鼻で笑ってしまい、15番目さんはキッと目つきを鋭くした。


 「何をどう勘違いされて声をかけられたのか分からないんですけど、」


 名前を下調べしているくらいだ、私が応対を間違えると髪を焼かれるかもしれない。


 「この前私がお腹を壊して長いことトイレに籠ってたので心配して声かけられて、ちょっと会話したくらいです。2分くらいですよ」


 これは7割が嘘だけれど、ノートやアパートへの来訪のことを言えば藪蛇では済まないかもしれない。


 「美結くんには何の感情もないです。同じ大学で同じ学部なのもまぐれの極みで」

 「……そう?」

 「信じられないなら金輪際、のっぴきならない理由があっても美結くんに5文字以上の言葉を発しないことを誓います」

 「そこまでは言ってないけど」


 スンを鼻を鳴らして、ようやく15番目さんは許してくれたようだった。


 「授業前にごめんね。それじゃ」


 ヒールで石畳を鳴らして去っていくのを見送って、じっとりと私は斜め後ろを振り返った。



 「郡上……」

 「いやごめん。漫画みたいだったから続きが見たくて」


 隠れるには目立ちすぎていた友人は軽薄に笑う。


 「あんた、例の彼になんかしたの」

 「したようなしてないような感じだけど、こう……7年続いたビンゴカードの穴が一列空いた感じ」

 「ビンゴじゃん」


 とりあえずこれで、私と美結くんおよびその周囲の長きにわたる行き違い合戦に終止符が打たれたわけだ。さすがの私もこれを機に美結くん非公式キャラブックを脳内展開するのをやめることにする。

 美結くんが思っていたより繊細なことがよく分かった。そんな相手に私はよくも卑劣な真似をしていたものだ。


 「いやー、もっと早く会話しとけばよかった」


 そして青空と同じくらい晴れ晴れとした気持ちで郡上と共に3限の授業に向かったら、──美結くんが後ろの席に座った。


 (え? 何?)


 急所……狙ってる?


 私と郡上の後にやってきた美結くんがわざわざ真後ろに席を取っている、何故?

 いや待とう。私は確かに美結くんを後ろ姿で識別できるし自分の背中のセンサーで感じとることもできるけれど、美結くんの方は素人。むしろ私がうっかり振り向いた時に気づいて『うわ気まず~でも今更移動したら余計に気まず~』ということになりうる。


 幸運にも郡上はまだ、


 「あ」


 駄目だ気づいた。うっかり後ろを振り返った郡上が気付いて完全に美結くんを見て声を出した。いつかの二の舞三の舞だ。



 「どうも~」


 そして私の視界の端で郡上がぺこりと美結くんに頭を下げて姿勢を戻すと、机の下で携帯に早打ちをし始めた。


 ≪あんたやっぱ何した? いるじゃん彼≫


 通知が鳴り、私もまた素早く携帯を机の下に忍ばせて返事をする。


 ≪何もしてない本当に≫

 ≪惚れさせたのでは?≫

 ≪ない≫


 さすがにもう心当たりもない。


 うなじの毛穴を全て目にするつもりで集中し、どうやら後ろにいるのが美結くん1人であることは察知した。15番目さんはいない。ご友人もいない。いやまだ授業は始まっていない、誰かと合流する可能性は否めない。

 そうこうしている間に教授が到着し、授業が始まってしまう。室内が暗くなり、大型スクリーンに本日のレジュメが映し出される。いつ急所を狙われてもおかしくないデッドオアアライブの中、私は必死でノートを取った。


 もしや、またしてもノート狙いだろうか。違うか。違うな。


 「──はい、では次回の授業は必ず試験に出る内容を含むのと、出席を取るので休まないように」


 あらかじめ予告してくれる優しい教授だ。内容もわかりやすく、必修の基礎科目ではないが評判がよく、受講している生徒は学年問わず多い。

 ……などとほっこりレビューしている場合ではない。私は今、過去最も美結くんと関わってはいけないシチュエーションの中にいる。

 しかし今日は幸運にも出席カードの提出がいらない。

 

 通路側に座っている郡上に言葉にならない圧を放つも、


 「ちょっと待って。最後のとこまだ書き終わってない」

 「いくらでも私が見せてあげるから」


 まだもたもたとノートを取っている。真面目か。


 「ぐ、」


 郡上。そう声をかけようとして。



 「宇佐木」



 でっかい溜息が出そうになった。くっと喉の奥で息を締める。



 「…………はい」



 無視はできない。何度だって言う、怖いから。

 顔を半分だけ後方に向けて返事をする。遠目から見ても会話していないように見せるためだ。私はあくまで隣の郡上さんとしゃべっていますよというすまし顔で、視線は郡上の美しい横顔に向けたまま。


 「このあと授業ない?」

 「……ないです」


 郡上が堪えきれないとばかりに小さくブッと噴き出した。絶対あとで耳元で華やかにチカチカ光るピアスを引っ張ってやろうと決意する。よく見ればもうノートは書き終わっているくせにペンを握って話を聞いていないふりをしている。今すぐピアス引きちぎりたい。


 「ないですけどバイトがあるので」

 「何時から?」

 「…………17時。から」


 今はまさに3限終わり、残りきっかり2時間ある。

 2時間でその拷問を終わらせてくれるならいくらでも体を貸そう。


 「理学部棟の2階の真ん中、自販機とベンチあるとこ、わかる?」

 「わかるけど、」

 「そこで話したくて。すぐ用事終わるから、ごめん。……先に行ってる」


 ぼそぼそとそう言って、美結くんは立ち上がったかと思えば颯爽と教室を出て行った。私は詰めていた息を吐き出して改めて周りを確認する。大丈夫そう、私と彼が会話していたとは誰も思っていないはず。


 「ねえ。マジであんた、犯罪とか」


 「ない。本当に」


 郡上は胸元で十字を切った。無宗教のくせに。


いよいよ頭がおかしくなりそうだった。

 回避に回避を重ねて飛び越えてきた障害物が全力疾走で私を追いかけ始めている。


 理学部棟は人通りが少ないことで有名だ。厳しい教授が数名いるため、他の学部棟のように踊り場でしゃべったりダンスサークルの人が練習をしたりすることがなく静まり返っている。一般教養の授業でも使われないことから、特に文系学生には用がない。


 ついていこうかと面白がっていた郡上を『巻き添えにしたくないから』と断って、爆弾処理に向かうような心地で私はここまでやってきた。


 「……どうも……」


 ベンチに座っていた美結くんは私が挨拶すると立ち上がり、「ごめん、こんなところで」また申し訳なさそうにしている。やむを得ず私も軽く頭を下げた。お互い一体何に詫びているのかさっぱりわからないまま。

 

 美結くんはアクセサリーをつけない。服装も奇抜なものはなく、柄物もほとんど着ない。今日だって無地のグレーのシャツに黒のパンツだ。何の変哲もない恰好なのに、この人が着るとまるでブランドの新作発表会のように見える。この世は全く等しくない。

 そして、ぱっと見る限り周りには彼の取り巻きはもちろんのこと15番目さんもいないようだ。ひとまずそこで胸を撫でおろす。

 

 「あの、用事ってなんだった?」


 用意されているベンチに並んで座るなんてことはしない。美結くんも私もベンチをないがしろにして、突っ立ったままだ。

 先週ちゃんとさようならを言ったはずだし、いかに関わりたくないかどうかについても全面的に伝えたはずだったのだけれど。

 

 なんだろう、この戦い。算数の文章問題みたいだ。時速5kmで先に出てきた太郎くんを15分後に時速5kmの次郎くんが追いかけました、2人は何分後に出会うでしょうかみたいな。ちなみにこの場合2人は出会わない。ぐるぐる回り続けてやがて死ぬ。


 「宇佐木」


 もう呼ばなくていい。ここには私とあなたしかいないので。


 「散々迷惑かけて……改めて、本当に申し訳なかったと思ってる」

 「い、いや、だからもういいってば」


 謝られれば謝られるほど私も変な罪悪感を抱くことになるからやめてほしい。


 そこまで言って、美結くんは押し黙った。こんなキャラだったっけと過去7年の記憶を辿る。どちらかというと美結くんはクールで口数が少ないはずだ。大笑いすることはほとんど観測されず、言いたいことは比較的きっぱりと言うタイプ。


 (もしかして私が彼を恐れているように、彼もまた私を恐れている……?)


 いや、ない。


 「今後絶対に迷惑をかけないようにするから」


 ごくり、息を呑んだ。



 「宇佐木のバイト先に、俺を紹介してほしい」



 そして私は、丁重にお断りした。





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