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解答と解説③










  【解答と解説③】





 『1組の宇佐木、なんか知らんけど美結のことめっちゃ嫌いらしいよ』




 クラスメートに悪気なさそうにそう言われ、美結は思わず顔をしかめる。


 『うさぎさん? 誰それ』

 『知らんけど、女子が言ってた』


 無責任な情報源はそれだけ告げて、美結の元を離れて行った。


 入学早々、特定の誰かに嫌われるようなことをした覚えが美結には一切なかった。加えて1組なんて、4組の自分からすればあまりに遠すぎて関わりようがなかったはずだと首を捻る。それに、そんな印象に残る名前で話したことがあるなら、さすがに顔が浮かぶはずだと。


 気になって顔を見に行こうと思いつつも、そんなことをすれば目立つことくらいは美結も承知している。

 もやもやとしながら、それでもぼんやりと忘れかけていた矢先、事件は起きた。


 静まり返っていた体育館、端の方に列を成していた1年1組の方から悲鳴が上がる。何事だ、周りがざわつき始めて、どうやら誰かが体調を崩して嘔吐してしまったらしいと周囲が一斉に口にして、それは瞬時に広まった。分かりやすく列が崩れて、教師がその中心に走っていくのが美結の視界にも映った。


 『前に座ってた子、吐いたやつかけられたって』

 『可哀そう』

 『誰?』



 『"うさぎ"って子』



 一度聞けば忘れない。美結は思わず、本来見るべきではないその方向に向かって身を乗り出していた。関わったことがない己のことを嫌いだと言ったらしい、失礼な同級生のご尊顔を見てやりたかったのだ。


 『有名だよ。あの子、すぐ先生と喧嘩するから』


 そんな声も同時に耳に届く。

 その中で美結が見たものは、確かに汚物をかけられているのに顔色ひとつ変えずに、それどころか倒れかけている同級生を支えてハンカチを貸している姿だった。


 『天使じゃん』

 『いい子ぶってるだけだよ』

 『違うよ、宇佐木は()()だから』


 駆け寄ってきた教師と一緒に、宇佐木はその同級生に付き添って体育館を出て行ってしまう。周囲は口々にその光景に対するコメントを残しざわついて、けれど教頭の一喝で空気はまた元通りに戻ったのだった。


 (……なんで、)


 あんな子に嫌われるようなことをしただろうかと、ただただ美結は困惑する。


 どれだけ直近の記憶を辿っても思い出せない。比較的他人の顔はよく覚えられる方だという自負が美結にはあった、それでもやはりきっかけが分からない。

 別にこのまま放っておいたってよかったのだ、誰かに嫌われることは初めてではない。


 それでも教室の離れた彼女に近づく大義名分が欲しくてどうにか委員会決めの時にスパイを投入して彼女と同じ緑化委員になったはずなのに、最終決定の直前で比較的激務な保健委員に変わってしまったらしいと聞いた時はひたすらに落胆した。どうやら休んでいる間に保健委員を押し付けられてしまったクラスメートと交代してやったそうだ。


  

 5月末に控えた交流合宿で何かきっかけを掴めないものか。

 しかしその試行錯誤も空しく、一言も会話することなく終わってしまう。その間にも宇佐木の逸話は着々と増えていくばかりだった。


 『そういえば合宿で言ってたよ。宇佐木さん、全然自分に気がなさそうな人に好かれてるシチュエーションが良いんだって』


 だからあんまり美結くん、宇佐木さんのこと分かりやすく追いかけまわさない方がいいと思うよとアドバイスを受けた。

 もしや自分の行為がバレているのだろうかと美結はひやりとした。遠回しに釘を刺すためにそう言った可能性がある。


 確かに嫌いな相手に、何故自分を嫌っているのかと探り回られることを察してしまったらますます自分のことを嫌悪するだろう。美結はその時、これを以て身を引こうと決意したのだ。


 稀代の善人に嫌われるという貴重な経験をした、それを思い出にしようと。


 そう、この時の美結は本気でそう思っていた。


  

 『──今回、頭髪検査で指導された人は来週の金曜までに髪を黒く染めてくること』



 (本当に今時こんなこと言われるんだ)



 この髪色は生まれ持ったものである、という親が用意した書類はその瞬間紙くずと化した。美結と同じように生来黒髪でない同級生たちが不服そうな顔で、しかし何も言えずに下を向いていた。そのほとんどが人工的なものではないのにも関わらずだ。


 例外を作らない厳格なルールが風紀を守るなら仕方ない。というのは建前で、美結はここで異論を唱えるのがただ面倒だった。この方針を受け入れて退席しようとしたその時だった。



 『その古臭……レトロなルールは近年正しく協議されたものなんでしょうか?』



 その時美結は初めて、この席に宇佐木がいたことに気が付いた。視聴覚室の末席にいた宇佐木はこの場に呼ばれるはずがない黒髪の持ち主だったが、そういえば保健委員と生徒会が同席していると冒頭で言っていた。保健委員の彼女がいてもおかしくはない。


 『校則で決まっているだろう。生徒手帳を見ろ』

 『いや、冗談だと思ってましたすみません。だって生まれ持った健康な髪を染めろって、その費用は学校側が負担するんですよね? 肌がかぶれたりアレルギ―を起こした場合はどうされますか? 保健委員としては知らん顔できないというか』


 『あのなぁ、』


 『だって、じゃあ先生はもし明日からウエストが100センチ以上の人は不健康なので出勤停止ですって校長に言われたら、期日までに自費でダイエットされるんですよね?』


 『宇佐木!!』


 しかし宇佐木の言葉に、どっと周囲は湧いた。美結も思わず噴き出してしまう。不健康なほどにふくよかな生徒指導の担当が顔を真っ赤にして宇佐木を怒鳴りつけるが、発言した本人は鬱陶しそうに顔をしかめて『この件については生徒会でも議題に挙げていただきます』と淡々と返す。


 『1年が偉そうにするな!』

 『え、3年生になったら偉くなれるんですか? 中学生ごときが?』


 当の本人たち以外はその異様な口論に聞き入ってしまい、我に返った学年主任が生徒指導を抑えるまで誰にも止められなかった。




 その時美結は、宇佐木結々が"先生とよく喧嘩する"という噂が真実であることを知った。

 そしていかにも生意気で小賢しく、大人にとっては鬱陶しい限りであろうその同級生が、まるで自分たちとは全く違う生命体のように見えたのだ。


 結局、その年からあの指導と強制的な黒染めのルールがなくなったと決定した時は、彼女に畏怖の念すら抱いた。


 (あんなことしてたら、生きづらそうなのに)


 あのつっけんどんで愛想のない態度は敵を作りそうだけれど、しかし話を聞く限り宇佐木は同級生はもちろんのこと、周囲の多くの賛同と好意を集めていることが分かっていく。


 何か必ず裏があるだろう、むしろあってほしいと美結は思っていた。実は腹黒い、性格が悪く計算高いというくらいでないとあまりに彼女は異端児すぎる。


 しかし陰で追ううちに分かったことは、彼女には自分をよく見せようというアイデアすらないこと、そして見返りを求めるという発想すらどうやらないということだった。この頭髪事件で宇佐木にお礼を言いに行ったという淡い髪色の持ち主は『え、なんのお礼?』と気味悪がられたそうだ。


 彼女が何を考えて生きているのかを知りたくなった。


 怒ることはあるのだろうか。何かに揺さぶられて悲しむことはあるのだろうか。


 声を上げて笑う姿を見てみたい。



 『宇佐木さん、スポーツができる人の方がいいらしいよ』


 球技大会で視界に入れるだろうかと、バスケ部に入った。


 『知的な策士がいいんだって』


 ならば学年1位になれば感心してくれるだろうかと勉強に打ち込んだ。


 『ロボットエンジニア萌えらしいよ』


 高校での部活は物理部に入ろうと決めた。


 しかしどれだけ追いかけて情報をかき集めても、彼女が自分を嫌っている理由のヒントすら見つけられない。近づきたくても、近づいて更に嫌われることが美結には恐ろしかった。


 (別に、どうこうしようってわけじゃないんだから)



 ただの興味だ。そしてできれば一刻も早く、あんなに誰に対しても平等な彼女に嫌われている理由を知りたかった。



 『あ。宇佐木だ』


 誰かのその声に思わず振り返って探してしまう。

 しゃんと背を伸ばしまっすぐに前を向いて歩いている彼女の視界にどうしたら割り込めるのだろう。


 ぼうっと遠目に眺めていると、クラスメートだろうか、女子生徒が宇佐木に声をかけて駆け寄っていく。


 宇佐木はその声に振り返ると、一言二言話したあとにまるで雪が溶けたように柔らかく笑みを浮かべた。


 その瞬間を、美結は見てしまった。



 (いつか、)


 彼女が誰かひとりのものになり、そして彼女は誰かひとりだけを見つめる日が来るのだろうか。

 その誰かのために、彼女は身を挺することがあるのだろうか。



 何が何でも手に入れたいという感情と、それができないならいっそ死ぬまで傍で見ていたいという感情が幼く小さな体の中で混ざり合い、美結は混乱したまま勢いよく目を反らした。

  

 少なくとも自分は嫌われている。


 無関心のサークルの中ではない、経緯は分からないながら自分はすでに彼女の特別なのだと思い込むしかない。


 隣で『宇佐木って何食ってんのかな。やっぱニンジンかな』などと言っている同級生に横取りされてたまるものかと美結は決意する。



  

 『ねぇ聞いて。私の彼氏高校生なんだけど、携帯見られて親バレしかけてさ。ダンス辞めさせるとかって喧嘩になって』


 宇佐木と同じ保健委員の女子の会話に、美結はするりと割り込んだ。当初はただ、宇佐木に近づくそのためだけに。



 『──その話、詳しく教えて』



 それはここから始まる16人の共犯者の、1人目が選ばれた瞬間だった。


   




 【解答と解説③】 以上














──もちろん、これらの話を宇佐木結々が知ることはこの先もないのだけれど。



 「宇佐木と美結、やっと結婚するって」


 「やっとかよ」

 「そういえばなんだっけ。宇佐木、美結のこと中学の初っ端嫌ってたんじゃなかったっけ?」

 「嫌ってた? いや嫌ってはないだろ」

 「え? でもなんか女子が言ってたじゃんね」

 「それはあれじゃん。宇佐木の下の名前、"結々(ゆゆ)"だろ。んで、美結と結婚したら"みゆゆゆ"になるから嫌だって」

 「やば。クソほどもしょーもな」



 「……てかそれ聞いて思ったんだけど、宇佐木ってそんな前から美結のこと認知してたんだ。なんでだろ? この世の全員モブに見えてて、名前すら覚えらんないあの宇佐木結々が。俺6年一緒だったけど毎回初対面みたいな顔されてたぞ」



 「……確かに」

 「なんで?」

 「知らん」










眼中にない君のこと


【完】


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