解答と解説①
【解答と解説①】
──大学入学当初の郡上窓香は、なんとか周囲に合わせて人並みの青春を送りたいと思っていた。
だからこそ無理をして入学前からSNSで募られたグループに入り、新歓飲み会にも積極的に参加した。つまらない話にも肩をゆらして笑い、同性異性問わずかけられる声にも愛想よく応じる。
郡上はどう努力したところで、必ず敵を作ってしまう生き物だった。
ボーイッシュになれど不思議ちゃんを目指せど、あるいは八方美人を演じたところで陰口を叩かれずに済んだことがない。この容姿にさえ生まれなければどれほど楽だったろうか。好きで美人に生まれたわけではないのに、と、そんな台詞も決して許されない。
きっと多様な人間が集まる大学さえ行けば開放される。
そう信じて入った先で、その期待がいかに幼いものだったかを郡上は知った。
その夜の新歓では囃し立てる周囲に手癖と酒癖が悪いという大柄な先輩2人を押し付けられ、それでもその場で受け入れざるを得ない自分が誰よりも不格好だと郡上は理解していた。笑いながら送り出され、舌打ちすることも許されない。そうすればまた一人になる。
なるべくひと気が少ないところまで逃げ切ったら蹴り飛ばして逃げてやるつもりだった。酔っ払いなのだ、記憶も残らないだろう。残ったならば泣いて許しを乞えばいい。異性に涙を出して負けたことが郡上にはなかった。
道中でくじいた足を、男たちは大げさに労わって何度も手を伸ばしてくる。鬱陶しい。他に誰もいないことを良いことに、思わず声を荒げてしまえば酔っ払いの力で容赦なく殴りつけられた。
絶対に警察に突き出してやる、そう腹を括った時のこと。
『え?』
誰かが走ってきたときは、何なら面倒なことになったとすら思った。更にそれが男性ではなく女性だと分かったときは尚更だ。不要な加勢は邪魔になるだけ。
そう思ったはずなのに、容赦なく工事現場の赤いコーンを背後から振りかざしてきたその奇特な少女の周りだけ、どこか輝いて見えた。
『え、ちょ、何してんの!?』
『大丈夫? 殴られてたよね』
『私は、全然……』
殴られた先輩が激昂して雄たけびをあげながら掴みかかってきたのを、名もなき少女はまた容赦なくコーンで殴りつけた。叩く、でも小突くでもなく、本気で振りかざして大きな音を鳴らしている。
『待って、いいから、もうやめてって』
『これくらいじゃ人間死なないから』
そういう問題じゃない。そしてその話の通じなさに恐れをなしたか、男2人は千鳥足で慌ててその場を去って行く。そしてそのタイミングで、パトカーのサイレンの音が近づいてきた。
ほっと胸を撫でおろした時、その名もなき少女はまだ赤いコーンを片手にしたまま不思議そうに郡上の顔を見入っていた。
『何……?』
『私、あなたのこと大学で見たことある。誰も見てないときだけすっごい怖い顔してるよね』
『え』
まさか同じ大学の学生か、と驚愕のあまり目を見開くと、少女は笑いもせずにこう言った。
『こんな状況で無理に笑わないほうがいい。あと、綺麗な顔なんだから大事にしなよ』
殴られた方の頬に、氷のように冷たい手の甲が触れる。
自分よりも背の低い彼女が、まるで正義のヒーローのような言葉を平気で吐く。淡々と人を殴った後に。
『警察呼んじゃった。あいつらもういないしどうしよう』
『わ、私たちも逃げようか?』
この画だけ見られると面倒なことになりそうだ。郡上が慌てて周囲を見回すと、少女は首を傾げる。
『なんで? 悪いことしてなくない? あ、したか』
彼女は『捕まるかも』などと言いながら、向かってくるパトカーに向かって手を振った。
どういう精神構造なのだと、郡上はその時恐れるばかりだった。
名前を尋ねれば渋々といったように少女は『ウサギ』と名乗り、一瞬呆けた郡上の顔を見て続けざまに『ぽくないでしょ。よく言われる。漢字にしたら普通なんだよ』と、先回りしたようにそう言った。
『じゃあ、呼ばないほうがいい?』
『そこまでじゃないけど』
『下の名前は何なの』
『言わない。そっちも似合わないから』
名乗るほどではありません、と去っていく武士のような、けれどどこか幼く拗ねたような口ぶりは、先ほど大の男相手に立ち向かっていた姿とあまりに異なっていた。
必ずお礼をするからと別れて、そして警察署を去ったあともしばらくは宇佐木のことが頭から離れなかった。
『──知ってる? 経済の1年の宇佐木って子、飲み会の帰りに酔っぱらって4年の先輩ボコボコにしたって』
事件がまだ解決しきれず関係者間で揉めていた頃、そんな噂がちらほらと学内に駆け巡りはじめていた。どこからどう漏れたのかは分からない、しかし宇佐木本人が触れ回っているようにはとても思えなかった。
結局中学や高校と変わらないではないか、と苛立ちながら、あらゆる授業を探し回ってようやく再会した宇佐木に『変な噂が流れているから訂正して回ろう』と提案すると、彼女はげんなりしたような、興味なさそうな顔で『いや、いいよ別に』と。
『は!? だって、私のこととか抜きで、あんたが一方的にやったみたいな、』
『別に生活に支障ないし。逆に変な人寄ってこなくて感謝』
『いやいやいや……』
『それだけ? ……あ』
そして宇佐木は気が付いたように目を見開き、郡上の顔を指さした。
『髪、巻くのやめたの? 似合うね』
『そ……そういう話じゃ、』
『郡上さん、赤いリップとかも似合いそう』
当初の話題は、おそらく本当に宇佐木にとってはどうでもいいことなのだろう。それよりも郡上の変化が気になるようで、そして彼女は郡上が知る限り初めてそこで笑みを浮かべた。
本人が良いからといって放っておくわけにいかなかった。郡上は宇佐木と別れたあと、特に例の飲み会参加者に正しい情報を触れ回った。例えそれによって周囲の自分を見る目が変わってしまおうとも、構わなかった。
あんな人間が損をしてたまるものか、と。
『──君、郡上さん?』
必死になっていたその時、名前だけは聞いたことのある綺麗な男にそう声をかけられた。またあの噂を聞いて揶揄してくる一派だろうかと郡上は思わず振り返りながら睨みつけてしまった。
『あんた、うちの学部の……美結だっけ』
『宇佐木に助けられたの君だよね?』
『そうだけど』
『なんて呼ばれてる? 宇佐木に』
その脈絡もない唐突な質問の意図は、その時よく分からなかった。
『……? 郡上さん、って、呼ばれてるけど。だったら何』
美結の口ぶりはまるで宇佐木をよく知っているかのようなものだった。たどたどしく郡上が答えると、美結はほっとしたように薄い笑みを浮かべた。まるで納得、満足したかのように。
『例の噂。あれ、もう気にしなくていいから』
『は?』
『あと例の男2人の報復とかも恐れなくていいし』
『え、何、……関係者?』
『全然』
なるほど入学時に注目を集めただけある、と郡上は納得する。端正な顔立ちに日本人男性の平均を上回る高身長。おまけに声まで良い。こんな不気味な出会い方でなければ郡上もいつか気にしていただろう。
『宇佐木のこと、頼みます』
『……あんた何様?』
『さあ』
その後郡上を襲った男2人の内定取り消しが決まり、あれだけ交渉が難航していた先方の家族から詫びと示談が提案され取りまとまったのは、偶然にも──美結斎と別れてそう経っていない頃のことだった。
【解答と解説①】 以上




