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第24話 イベント事に期待しすぎない方が良い




 

 

 

 「──死ぬほど帰したくない気持ちと絶対に帰ってほしい気持ちがせめぎ合ってる。宇佐木かわいい」

 「そうなんだ。帰るね」


 コートを羽織りさっさと玄関へ向かっていると、後ろから長い腕で拘束されて思わずつんのめった。


 「……本当に俺のこと好きで合ってる?」

 「いや、解釈違い。好きとは言ってない」

 「好き以上に強烈なことを言われた気がしたのに」


 いつかの美結くんを真似して舌打ちしたくなった。

 あれだけ触れることに躊躇していたはずの彼が完全に遠慮をなくしている。


 「……もしかしてさっき、完全にキスするタイミングだった? 今していい?」

 「嫌。離せ」

 「やっぱり帰したくない」


 もがいて足掻いてもびくともしない。


 「帰らなかったら私泊まることになるでしょ、用意持ってきてない」

 「用意があるかないかが争点なんだ。それはちょっとズレてるよ宇佐木」


 これ以上ここに居座ったら私の頭が変になりそうだった。

 完全に丸め込まれて球体になってしまう。


 「……美結くんは色々経験があるからいいかもしれないけど、私は違うから」


 「俺もないよ」


 「は?」


 思わず振り返ると、綺麗な顔がしてやったりという表情を浮かべて笑っていた。


 「だってさっき」

 「宇佐木が決めつけるから」

 「は? 何それ。童貞ってこと?」


 あの美結斎が?


 「……年齢的には別に普通だし」


 拗ねたようにそう言うのを見て、おそらくそれが事実らしいと受け止めるしかない。にわかに信じがたいけれど。


 「あれだけ偽彼女がいて1人ともしなかったの? なんで」

 「なんでって、……他の人をそういう目で見たことないから。だから手も繋いでないし」


 そう言われると、なるほど出家僧のごとく私に手を出してこない理由も納得がいく。


 「逆に性欲がないとか……?」

 「宇佐木。子供みたいに思ったことをなんでもかんでも聞かない。あるから。普通に」

 「……私に、そういうことをしたいと?」

 「今の話聞いてた?」


 しばらく美結くんの言葉を頭の中で咀嚼して、そして呆然とする。


 「え、じゃあ、帰したくないっていうのは」

 「いやいやいや、今日はさすがに。しない。そんなつもりじゃ、……というか宇佐木、全くそれを想定せずに本気で泊まる用意の話してたんだ」


 はは、と乾いた笑いを零して、ようやく私を開放した美結くんが先に玄関へと足を向けた。その足取りはどこか軽い。


 「宇佐木が今日うちに来たいって言ってくれてよかった」

 「……急にごめん」

 「あ、」


 思い出したように玄関の戸棚を開いたかと思うと、軽い金属のぶつかる音と共に目の前に何かが突き出される。


 「鍵?」

 「ここの部屋の合鍵。持ってていいよ」

 「え、美結くんいないときに勝手に来たりしないけど」

 「もう疑われたくないから。別に使えって言ってるわけじゃない」


 無理やり手のひらに握らされ、大家さんに言わずに他人に受け渡していいのだろうかと不安になりつつも鞄にしまった。多分そこを突き詰める場面ではないだろうから。


 「私の家の合鍵、お母さんに預けちゃってる……」

 「そういうところがかわいいよ」

 「……」


 思わず横目で睨みながら、美結くんを追い越してブーツに足を差し込んだ。扉の下の隙間から吹き込んでくる風は冬本番のそれだ。クリスマスの頃には更に寒さも厳しくなるだろう。


 「そういえばクリスマス、どこ行くの」


 チャックを上げながら振り返ると美結くんは大げさに首を捻っていた。


 「……宇佐木とこうなるとは思ってなかったからちょっとプラン考えなおそうかと」

 「先に言っておくけど私は夜景とか好きだから」


 興味なさそうとか言われるけど、と付け足すと彼はくすくす笑う。


 「知ってる」

 「え。なんで」

 「宇佐木オタクだから」

 「……」


 調子に乗るなと釘を刺したいような、どこかむず痒いような、その何とも言えない感覚を誤魔化すために普段留めもしないコートのボタンを上まで詰めながら美結くんを急かした。


 こうなるとは思ってなかったのは、私だってそうだ。





 大学生の冬休みは、およそクリスマスと同時に始まる。

 バイト先は年末の最終日と三が日だけを休業し、それ以外は通常通りの営業となる。更に店は高級和食が主力である特性上、年始の4日から6日は特に混みあうそうだ。昨年は実家に帰れるようにと大将が気を遣って休みを与えてくれたため、その内情をあまりよく知らない。ただ丸々とふくよかなパートさんがその3日だけで2キロは落ちるというのだから相当だろう。


 美結くんとの協議の上で、すでにその魔の3日間はなるべくシフトを詰めている。もちろん戦力の美結くんも同じくで、クリスマスに私たちの犠牲になる本巣には代わりに休みを取ってもらうことになった。


 そして本日、約束の日の前日。

 私は彼氏がいる状態で長期連休を迎えるという、20年の人生において初めての状況に頭を抱えていた。


 いくら疎い私でも分かる。

 あれだけ言ったのだから、クリスマスにフラグ回収される可能性が高いことは。


 自分でも散々煽っておきながら、あの後家に帰ってなんてことを口にしたんだと絶望して夜は眠れなかった。まさしくあれは彼の言う通り、売り言葉に買い言葉だったのだから。


 (いや、さすがにない、ないと思いたい)

 

 大将の意味不明な気遣いのせいで24日と25日の両方が空いてしまっているけれど、美結くんとの予定は明日の24日だけだ。25日についてはお互い言及していない。

 しつこいくらいに『プレゼントはなしにしよう』と言っておいたかいがあって、そこについては悩んでいない。美結くんが曖昧な表情を浮かべていたのが気懸かりだけだけれど。


 考えに考えた結果、まともな下着を何も用意していない。


 郡上には『絶対クリスマスまでにまともな下着買っときな』と丁寧にURLを7つも送ってこられていたのにも関わらずだ。なお、彼女の隠密行動についてはまだ本人に言及していない。

 用意していないのは別に『しない』という強い決意の表れではなく、むしろ億が一にでもそうなった場合に備えている。そうなった時、いかにも準備してきた下着をつけていたらどうなるだろう。私が死んでしまう。


 (億が一にでもって何? 想定している時点でおかしくない?)



 「……お疲れ」

 「クリスマス目前浮かれ宇佐木、どうした」

 「この顔が浮かれているように見える?」


 そう、今は例のごとくバイトの休憩時間中だ。そして私が頭を抱えていた休憩室に入ってきた本巣はうんざりしたように「楽しめ若人よ」と疲れたように言い捨てる。


 「なあ、美結に純金の箸置きとかおねだりしてリボ払いさせてやれよ」

 「悪意が陰湿すぎ」


 結局、今日まで本巣には彼女ができなかったらしい。


 「美結に誰か女紹介してって言……いいや。当てになんねぇもんあいつの女の趣味」

 「喧嘩売ってる?」

 「あーあーやだやだ。早く帰ってパックとヘアケアでもしてろ」


 椅子にどっかりと座った本巣はだるそうに携帯をいじり始める。

 聞くべきか、聞かざるべきか。


 「……そういうことする時にそういう下着つけてるのとつけてないの、どっちが正常?」

 「えっ怖、どういう神経で俺に聞いてんだお前」

 「煽りぬきでお願い。ネットは当てにならない」


 本巣はげんなりしながら「美結はどっちでもいいと思うけど」と、そして「赤飯炊いてくれって大将に言っといてやる」と。


 「そういうことではなくて」

 「お前いいか、俺にそんなことを聞いてるって美結にバレたら死ぬのは俺なんだよ。んだよ、孔明の罠か?」

 「おかしくない方で教えてお願い」

 「知らん。マジでどっちでもいいだろ」


 駄目だ。やはり本巣は使えないのか。


 「女が気にするほど男は見てねーんだよ、下着も爪も前髪の長さも」

 「本当?」


 ちらりと一瞬だけ携帯から目を離して、本巣はわざとらしいくらい大きな溜息を吐いた。


 「つけといてやれば? 美結の寿命10年くらい伸びるだろ」

 「いや、まあ、……用意してないんだけど」

 「おい、明日ヤる予定なのを俺に分からすな」

 「予定ではない」


 困った。どちらでも対応できるように用意しておくべきだった。

 断固としてしないという強い意志を持つしかない。


 「あともう本当に他人にそんな相談をするな。郡上だけにしろ」

 「郡上は大体面白そうだと思った方に投票する女だから……」


 目先ばかりが気になって、美結くんとの今後をどうしようという長期的な見通しが今はとても立てられそうにない。





 24日、クリスマスイブ当日。

 かつてあれだけ待ち合わせ場所にこだわっていた私ももう慣れたもので、美結くんとの待ち合わせは大学の最寄り駅になっていた。


 予定していた15時よりも少しだけ早く到着すると、例のごとく周囲の視線を集める美結くんはそれらを意にも介さず隅に佇んでいる。


 「いつもどれくらい早く来てるの」

 「そんなに待ってないから」


 いっそ2時間前にでも見に来てみればよかった、と妙な好奇心が沸いた。


 電車を乗り継いで街に出てくると、まだ明るい時間帯だというのにすでにあちこちでクリスマスカラーの電飾を灯していた。あまりの鮮やかさに瞼の裏に焼き付いてしまいそうになる。加えて、普段どこに隠れていたんだと聞きたくなるくらいあちこちがカップルで溢れかえっていてその空気にやや()てられそうにもなっていた。

 これまでの人生で何度も見たはずのクリスマスの風景なのに、今まで気にも留めなかったことばかり気が付いてしまうのは隣で楽しそうにしている彼のせいだろうか。


 「手繋ぐ?」

 「いいえ」

 「え? 見て、みんな繋いでるのに」

 「……」


 さすがというべきか、性格をよく知られている。私はマジョリティに埋もれたがる。


 「しばらくこのあたり見て歩くけど、何か気になるお店あったら言って」

 「そういえば近くにすごい美味しいっていうみたらし団子のお店が……」

 「クリスマスに団子は粋だね」


 とりとめのない話題をぽつぽつとしながら会話は途切れない。


 「先に言っとくけど、クリスマスにデートしたことないよ」


 なんて、先回りまでされている。どこかのタイミングできっと私が言うはずだっただろう台詞を打ち消された。

 

 「別にいちいち過去を咎める趣味はないから」

 「弁解はしておきたいけど、疑われてやきもち妬かれるのも嫌いじゃなくて困ってる」


 外の空気はどこか温かく、ゆるく繋がった手は冷えるどころか少し汗ばみそうですらある。やり返そうと彼の手のひらごと引っ張ると、美結くんは楽しそうに笑いながらよろめいていた。


 (なんか、完結後のエンドロールみたいな)


 行きかう人たちはどこか幸せそうに楽しそうに、そして街並みには色鮮やかであちこちから明るい音楽が漏れ鳴り響く。ここまでのしみったれた事情のあれこれを吹き飛ばすような総決算の雰囲気。


 しかしどうだろう。私はこのままふらふらとしていて本当にいいんだろうか。


 もう難しく考えることはやめようと思考を改めたのだ。人生のモラトリアムをそれなりに楽しく過ごさせてもらっている。多少美結くんとの関係構築の経緯は特殊だとは言え、ここまで来てなんとしてでも拒絶したいかと言われれば正直もう折れてしまったところもある。

 多分このまま流されてあれやこれやと関係を深めることにも抵抗はないし、例えば次の長期連休に一緒に実家に帰ったならば我が家には大歓迎されることだろう。父に至ってはあの時からすでに関係を勘違いしていたくらいなのだから。


 「美結くんって、就職どこでするの」

 

 歩き疲れて入ったカフェで対面に座った美結くんは目を丸くした。クリスマスには不似合いすぎる現実的な話題に驚いたのだろう。


 「どこでというと? 都道府県?」

 「うん。地元帰るの」

 「いや、できれば都市部がいいけど、どうかな。文系就職だし転勤ありきの会社になりそう」


 てっきり適当な回答が返ってくるかと思いきや、同じくらいの温度感に少し安堵する。


 「宇佐木は?」

 「まあ学部同じだから同じような感じになると思う。公務員は向いてないと思うし

 「就職かあ」


 2年生ももう終わりに近づいている。3年生ともなれば、人によっては早めの就職活動に入るだろう。


 「宇佐木はどこでも働けるよ」

 「そうかな」


 自分で話題を出しておいたくせに、なんとなくそれ以上この会話を続けたくなくなって、勝手ながら腑抜けた返事をしてしまった。

 就職したら彼氏を見つけたいと思っていた。結婚もその延長にあると思っていたし、最悪しなくてもおそらく満足して生きていけるだろう自負がある。


 私たちのこの曖昧な関係は、どこまで続くだろうか。


 (……就職したらみんな疎遠になるって言うし)


 私たちの執着は、そこで終わるのだろうか。



 彼は私が誰かと結婚したらどうのと言及していたけれど、果たして社会人になって忙殺されていく中で、そんな気持ちは続くとは思えない。

 そして残念ながら、そんな未来を悲観するほど私は溺れてはいない。

 どれだけ面白い長編漫画も、作者さえ存命であればいつかは完結するのだから。


 「絶対宇佐木はそのザッハトルテ食べると思ってた」


 しかしこの人以上に私を知る変態は、きっとこの先現れないだろうとは思う。




 「……毎回、お店選びが上手ですね」

 「宇佐木基準だと逆に絞りやすくてありがたい」


 夕食のために入った美結くん指定のレストランは私好みのメニューと雰囲気で、そろそろ私からも提案すべきではないのかとさすがに恐縮してしまう。絶妙に大学生が肩肘を張らなくてもいい価格帯と客層で、本当に今までの偽彼女に教えてもらっていないのだろうかと疑いたくなる。


 ここまでの時間で何もトラブルは起きていない。美結斎は終始そつなく、無駄がない。もしや事前に同じルートを全て予習してきたのではないかと思うほどだった。


 刻一刻と、問題の時間が近づいている。


 運ばれてくる料理を食べ進めながら、いつも通り他愛のない会話を重ねること数ラリー。


 「そういえば羽島さん、年明けに入籍するって。聞いた?」

 「知らなかった。よかった、丸く収まって」


 ふと思い出したのはいろんな起爆剤となった彼女のことだった。美結くんのその反応は何もおかしくはなかったのだけれど、対面だからだろうか、一瞬表情が硬くなったのが分かる。


 そして。


 「……これは全然、世間話なんだけど」


 美結くんから、本来世間話をするときには絶対にしない前置きがされた。


 「え、うん」

 「宇佐木って、その、なんていうか、どういうキャリアプランを描かれているのかなと……」

 「2次面接の練習?」


 とんでもない変化球が飛んできた。しかし先ほどカフェで近い話はしていたから、その延長だろうと思わず姿勢を正す。


 「全然具体的に考えたことないけど、20代のうちに1千万は貯金したいから、それを目指せるように努めたい」

 「それすごい具体的だと思うけど」


 美結くんは苦笑いをして「できそうだし」と付け加えた。


 「何歳で結婚とか」

 「え。どうだろう、逆算したら27とか、28とかでできたらいいけど。でも」


 その時相手がいたらの話、と、言いかけてすんでのところで口を噤んだ。止められた自分に成長を感じずにはいられない。


 「まあ、ちゃんと仕事ができて一人前になれたらかな」


 と、慌てて台詞を差し替えた。危ない、その時には美結くんはいないだろうという想定はさすがにデリカシーがなさすぎる。


 「……結構、置きに行く感じなんだ?」

 「置きに行ってないよ。何ならちょっと理想論すぎるかも」


 そして何となく察する。

 まさかとは思うけれど、彼は私との結婚の話を持ち出そうとはしていないだろうか。

 あったとしてもあと数年後の今頃する話を、何なら正式に付き合い出して間もない相手にするだろうか、と考えに考えて、さすがにこんな日に喧嘩する必要はないと溜息を吐いた。


 「じゃあ、そっちのプランは?」


 私がハンドルを切るしかない。


 「今すぐにでも宇佐木を法律で縛りたいけど、思ったより手ごわい回答が来て悩んでる」


 しかし失敗した。綺麗にアクセルを踏み込まれた。


 「いや、キャリアプランの話を聞きたかったんだけど……」

 「宇佐木がちょっとよく分からなくなってる間に書類だけ完成させて出してしまいたい」

 「無茶苦茶だよ」


 美結くんはしれっとそう言って、私が確かによく分からなくなっていることまで見抜いていた。


 「宇佐木はこの先俺以上に宇佐木のことが好きな人間に出会えないよ」

 「…………それは、わかんないでしょ」 


 どこから湧いてくる自信だ、と言ってやりたい。


 「俺はここまで来たら、大学生のふわふわしたお遊戯みたいな関係で終わりたくないから」

 「……」

 「宇佐木が万一でも他の誰かを好きになっても、ここから先は身引いたりしない」

 「……すごい言うね」

 「絶対取れないUFOキャッチャーに何年もかけてやっと取り出し口の隣くらいまで持ってきたのに止めるわけない」 


 私はどうやらその景品らしい。


 「あたかも私が難攻不落みたいな言い方」

 「サグラダファミリアが完成するか宇佐木が陥落するかみたいなところはあるから」


 とんでもない比較対象にもされている。


 「……あと言っとくけど、今日何もしないから」

 「え」


 小声で美結くんはそう言ったのに、私の間抜けな声は静かな店内でそれなりに響いてしまった。慌てて口元を抑えるも時すでに遅し。美結くんは困ったように笑っていた。


 「このあと普通に帰るから安心して」

 「そういうのって先に言うものなの?」

 「宇佐木が分かりやすくそわそわしてるから変な察し方してるんだろうなと思って」


 おそらく私は救われたはずなのだけれど、飛ぶはずだったバンジージャンプが目の前で中止になってしまったような、安堵と落胆が混ざり合った感情にうまくリアクションができなかった。




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