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第22話 適当なことも言わない方が良い




 






 「──"生娘"、世間一般には処女って意味でしょ」

 

 あの後、魂が抜けたように離れてさらさらと帰って行った美結くんの言動に違和感を感じて、私の態度か発言に問題があったのではないかと翌日会った郡上にありのまま記憶を話すと、やはり私が1番想定していた点を指摘された。


 「いやいや広辞苑でも調べたけど世間知らずとかそっちの意味の方が前に書かれてたし」

 「激重感情抱えてる相手を抱きしめてみたら『処女じゃないから気にすんな』なんて言われたら死ぬんじゃない? 訂正してあげれば」

 「仮に私が処女じゃなくても何ら問題はないと思うんだけど」

 「はは。爆笑したいのをこらえてる私の優しさを褒めな」


 大学横のコンビニのホットコーヒーを2人で啜りながら、私は虚無のまま遠くを眺める。 


 「あんたらずっとコントみたいでいいね。すれ違いってすごい」

 「当人は1ミリも楽しくないよ」


 しかし訂正のしようがない。突然『生娘というのはそういうつもりで言ったわけではなく……』と解答と解説を始める方が違和感がある。


 「いいじゃん。どうせいつかはご本人と致すんだからそこで打ち明ければ」

 「……致さないし」

 「え、なんで」


 キッチンでゴキブリでも発見したような顔で郡上がこちらを見た。


 「そういう気起きないから、お互い」

 「いやあんたはまだしも向こうさんがどうかは分からないっていうか、考えるまでもないんだけど」

 「多分なんか……そういうのじゃないんだよね」


 美結くんのあの反応はなんとなくクラスにいた熱狂的なアイドルオタクの子に似ている。

 自分で自分をアイドルだとは例えたくないけれど、美結くんは私を神格化していると思う。私が彼をそうしていたように、私のことをとんでもない人間だと思い込んでいる。


 恋愛感情云々はもう否定しない。なんとなく理解はできた。


 しかしクラスにいたそのアイドルオタクの子も傍から見れば本気で恋をしているように見えたし、そして実際に恋をしていたのだろう。だからそのアイドルに熱愛報道が出た時は学校を休んで更に翌日も号泣していたし、結婚するかもと週刊誌に載った時は発狂していた。


 「じゃあシンプルにあんたは彼とどうなりたいの? コンビ?」

 「……それが最近わからなくて……」


 そう、このままだと私は自分に好意を持ってくれている人を自由気ままに持て余している最悪人間でしかない。


 「そんだけ好きなら別にいいじゃん。深いこと考えずにだらだら楽しくやれば」


 「好きって何が」

 「? あんたが。美結斎を」

 「何言ってんの?」

 「そっちこそ何言ってんの?」


 郡上の真っ赤な唇が少し馬鹿にしたように歪む。


 「はァ、そうだった、私の横にいる人ってとんでもない恋愛アンチだった。そしてオンチ」

 「別に、分かってないわけじゃないけど」

 「じゃあ想像してみなよ。本巣氏に抱きしめられて好きだなんだ言われてみ」

 「…………」

 「本巣かわいそ」


 想像した瞬間、おそらく私は人でなしの顔をしていた。


 「分厚い好意向けられてそれでもなんとか受け止めようっていう時点でそれはもう割と好きでしょうが」


 郡上の目尻には今日も歪みもブレもない綺麗なアイラインが引かれている。


 「ちなみに私はあの天下の美結斎に万が一迫られても顔面蹴り飛ばすから」

 「……それはどうかと思うけど」


 「せいぜい楽しみな。生娘」


 この世の多くの人は、こんなジェットコースターのような感情を普段の日常の奥に潜めて過ごしているのだろうか。

 

 生娘事件から数日後の金曜日。昨日のうちに美結くんの当面のシフトを把握した私は決死の覚悟で土日の予定を尋ねた。

 通知音が鳴らないのだから気にしても意味がないのに、その時は普段一瞬ですぎる10分があまりに長く感じた。


 結果。


 ≪ごめん。今週は予定ある≫



 (ま、直前の金曜日に聞くなという話ですよね……)


 ギリギリまで聞くかどうか悩んで、結果こうだ。

 色々と、美結くんの歴代偽彼女代表の瑞穂に聞きたいことはある。しかし今も彼女は美結くんと連絡を取っていて、どちらかというと彼の肩を持っている。何か聞いてリアクションを取ってしまえば、それが美結くんに筒抜けになる可能性が高い。


 私たちの話はきっと、どこかで私が手のひらを返して美結くんに好きだと言って、正しく付き合い始めたら無事に完結する。


 でも完結した後は?


 大学生で付き合った人がみんなそのまま結婚するわけじゃない。それこそ山県くんの言うように小さな理由や、あるいは人生の節目で持続と別れの分岐点がある。


 お互い長い青春時代を費やしたのに、それがあっけなく終わる時がくる。


 私と本巣は多分ずっと友達だろう。社会に出ればもうほとんど会うことはないだろうけれど、道端で会えばきっと昨日の続きのように会話するし、何かお祝い事があったらメッセージくらい送り合う、それくらいの関係性だと思う。


 でも美結くんともしも始めてしまったら、そして終わってしまったら、それはもう一切の断絶になる。そんな気がする。予感じゃない、確信だ。


 (そうか、)


 私は美結くんと終わりたくないから、だから始まりたくなかった。

 

 (……私の方が、遥かに激重感情抱えてたんだな)


 何度振り返ったって、始めてしまったのは私の方なのだけれど。




 そして悶々とし続けた結果、私は日曜のバイト後、夜10時前に血迷って美結くんの住むマンション前で待ち伏せをするというストーカー行為を見事に実行していた。

 美結くんに同じことをされたのだからやり返すだけ。明日も授業があるのだから用事があってもさすがに帰宅しているだろう時間帯を狙った。


 幸か不幸かオートロックのないマンションで、私はそそくさと自転車を置いて彼の部屋がある4階の廊下手前の階段の踊り場まで来たものの、かれこれ10分ほど躊躇している。完全にストーカーだ。

 部屋番号まで知っているくせに、結局インターホンを押すことができずにいる。


 (そもそも予定あるって言われて断れられておきながら、夜に家まで来るって非常識極まりないような)


 いやもう知るか、と美結くんの住まう403号室に向かって足を踏み出した時、──私はこれまで自分が立てたフラグを綺麗に回収することになる。



 「お邪魔しました」



 誰かと鉢合わせしそうになって、慌てて階段の壁に隠れて3秒。ちらりと様子を見たその瞬間、その小さな影と高い声が、今向かわんとしていた403号室から聞こえてきたことに嫌でも気づく。閉まりかけている扉から漏れている明るい光も、間違いなく403号室から。


 (え、)


 2トントラックに危うく轢かれかけた時よりも、心臓がばくばくと脈打っていた。


 廊下の薄ぼんやりとした照明でははっきりと見えないはずなのに、その時の野生の嗅覚あるいは視覚は桁違いで、私は今部屋から出てきたのがあの1年生の女の子だと気づいてしまった。

 

 (すごい、こんな漫画みたいなことあるんだ)


 衝撃よりも、一周回って感動さえ覚えた。

 テンプレ通りの展開。


 彼氏がこっそり後輩の女の子を連れ込んで夜まで楽しく過ごしているのを発見してしまいましたというタイトルで実録漫画を描きたい。

 本当にあったフラグ回収という視聴者参加型の番組があったら絶対に応募したい。おそらく賞金がもらえる。


 (そんなことよりあんな可愛い子をこの時間に1人で帰すって、いくらなんでもさすがに有り得ないような)


 すでにエレベーターで降りてしまった彼女を追いかけようとして、けれど、足が動かなかった。


 悲しいとか悔しいとか、そんな感情はひとつも出てこない。

 あまりにありふれた話だ。そして私には美結くんを責められるだけの大義名分がない。



 (『好き』って、私が思ってたよりずっと軽いんだな)



 ひとつ、いい人生勉強になった。








 そのまま私は彼女と鉢合わせしないように時間を置いて下に降り、特に動揺することもなく自転車に跨って、冬の風を顔面にまっすぐ浴びながら短い帰路を辿った。 


 ありがたいことにあれだけ悩んでいたものが急に軽くなったような気がして、今までの自分が馬鹿馬鹿しくなる。


 『大学生なんてアホみたいに付き合って適当に別れんだからみんな』


 本巣の言葉にここで深く頷くことになるとは思っていなかった。


 美結くんからは土日の誘いを断ってしまった詫びと、来週改めてどうかという誘いのメッセージが届いていた。時間も置かずに快諾すると、お互いシフトが入っていない木曜の4限後に出かけないかと提案をされた。もちろんそれにも承諾する。


 私が彼に抱いていた、彼女がいる間は他の女の子に手を出さないというのもまた作られた噂だったのかもしれない。


 けれど少しも憎む気持ちにはなれなかった。

 さすがに疎い私も、美結くんがあの1年生の女の子に熱を上げているとは思わない。


 ある種、美結くんは理性的なのだと思う。私にそういうことを求めない代わりに割り切っているのだ、優しさと言ってもいい。

 もしかしたら元々、彼の土日はそのために設けられているのかもしれない。


 (朝から晩まで?)


 だとしたらとんでもない胆力だ。多分私だったら付き合いきれない。






 「──宇佐木」


 約束の日、呼ぶ声にも落ち着いてにこやかに手を振ることさえできるようになった。


 「今日、夜はご飯どうする」

 「え。一緒に食べるものだと思ってた」

 「……じゃあ、そうしよう」


 嬉しそうに薄く笑う顔と目が合っても動揺しない。


 「クリスマス、大将が変に気利かせて、2人ともバイト入らなくていいって」

 「ね。本巣代わりに入れられてたの見て可哀そうになった」


 だから意を決したような、



 「せっかくだし、どこか行きませんか」



 そんな誘いにも悩むことなく頷くことができる。

 私は美結くんの推しアイドルになったのだと思えばいい。


 (……クリスマスはさすがに"こっち"と過ごすのか)


 まあそれはそうか、と妙に納得しながら、一緒に乗り込んだ電車に隣同士で座席に座った。

 ちなみに、あの1年生の可愛い女の子の名前が関さんだということまでは知っている。美結くん本人に聞いて、淀むことなく教えてもらった。

 もしかしたら美結くんにとってのそういう人は、彼女だけではないのかもしれない。彼は否定するだろうけれど。


 「……どうかした?」

 「なんでもない」


 降り立ったターミナル駅はどこもかしこも数日後に控えたクリスマス仕様になっていて、原色のはっきりとしたイルミネーションたちには無理やりにでも気分を上げさせられる。 

 しばらく歩いていると、トンと手の甲に何かが当たった。考えなくても分かる、美結くんの指の関節だった。


 どうぞと言うのも気が悪いか、となんとなくそれに応えると今度は赤ん坊の指でも握るような頼りなさで、けれど以前よりもしっかりと手を握られた。


 なんとなく、この先よほど私が拒絶しなければ、あるいははっきりと許可すればキスもするんだろうなと冷静に思う。

 うっかり長く続けば、もしかしたらその先もあるのかもしれない。


 だらだらと店を見て回って、私は念願の卓上加湿器を買った。服とか見ないのと言われたときには『美結くん連れていったらとんでもなく目立つでしょ』とあしらいながら、思っていたよりその目的のない買い物は時間を潰すのに役立った。


 一緒に食べるかと聞いてきたくせにちゃっかり予約されていた店に入ると、まるで研究されつくたかのような私好みのハンバーグプレートが出てくる。どこまでも美結くんはそつがない。


 (……過去の恋人たちが"偽"だったとして)


 16番目が羽島さん、そしてその次の17番目が私であることに変わりはない。美結くんの経験値は確かに過去積み上げられている。

 大学に入学したあとに『実はここは第一志望じゃなかったんです』と言う人と同じだ。

 結果は同じなのに、その経過や内訳にこだわってどうする。


 「……ちょっと先になるけど、年末年始の予定はもう組んでる?」


 ぼうっとしていた頭は、その質問で現実に引き戻された。


 「年末年始?」


 そういえばもうそんな時期だった。クリスマスが終わったあとから年末は毎年一瞬で過ぎ去ってしまう。


 「実家帰ってもいいし、でもバイト稼ぎ時だしどうしよう。考えてなかった」

 「……もし宇佐木さえよければ、初詣とか」


 ハンバーグはもう残り2欠片になっている。


 「いいよ。じゃあ今年はこっち残る」

 「え」

 「何?」

 「いや、」


 その綻んだ顔を見て、何故かちくりと胸が痛んだ。

 どこに由来する罪悪感なのか、自分でも分からない。









 妊娠による体調不良で今は一時的に休学扱いになっているらしい羽島さんから連絡が来たのは、タイミングよくその翌日のことだった。


 今通話をしてもいいかという彼女にこちらからかけると、体調が比較的落ち着いてきたこと、そしてひと悶着あった彼とも今は円満で入籍が近いこと、そして私を巻きこんでしまったことへのお詫びが何度も間に挟まっていた。更に、結果的に私が美結くんと付き合ったということに対する改めての祝福の言葉も。


 ≪また安定期に入ったらうちに遊びにきてね≫

 「そういえばいつ頃生まれるんだっけ?」

 ≪4月か5月くらいかなあ≫


 まさかあの羽島さんとこんな風に友達になるとは思わなかった。

 なんとも言えないむずがゆさを感じていると、ふっと彼女が≪あと言ってなかったんだけど≫電話越しにもかかわらず急に声を潜めた。


 「なに?」

 ≪私もね、ずっと謝らなくちゃと思っていたことがありまして≫

 「……え。なんだろう。心当たりが」


 ≪前期の時の近代日本の歴史、あれ私取ってなかったから、ほんと気にしないでほしくって……≫


 「え?」



 え?



 「あ、いや、それは全然謝ることでは」

 ≪だって宇佐木さんものすごい申し訳なさそうにしてからさぁ……≫


 それは別にいい。

 そうじゃなくて。


 「え? じゃあ、え? なんで出席カード……?」


 取ってもいない授業のために、何故。


 ≪……あいつ。美結の差し金なの。ほんとごめん。今だから言えるけど~≫

 「差し金?」

 ≪卒業論文かってくらい、いかに自然に宇佐木さんに話しかけるか研究しててさぁ≫


 曰く。


 最初に羽島さんに近づいてきたのは美結くんの方だったということ。


 その理由は彼女が、私の認知している数少ない大学の知人らしいことを、彼がどこかで知ったから。


 ≪だからもしその時、私が今の彼氏と付き合ってなかったら本当は15番目になるのは私だったんだと思うわけ≫


 羽島さんは周囲に恋人がいることを隠していたために、当然美結くんはそれを知らなかった。

 そして興味を持った羽島さんが美結くんの話を聞き、見かねて協力を申し出たのだと言う。


 ≪なんかあんな世紀のモテ男みたいな奴がさ、たった1人の女の子に声もかけられなくてうだうだしてるのかと思ったら可哀そうになっちゃってさぁ≫


 本当のシナリオは、羽島さんに預けられた出席カードをきっかけにもっとスムーズに声をかけるつもりだったのだという。


 ≪宇佐木さんに声かけたあと『ほぼ暴力振るったようなもんだった』ってダッシュで逃げてきて地面に膝ついてたもん。だから早く軌道修正した方が良いよって言ったの≫ 


 「……確かに、まあ、意味不明な声のかけられ方はしたけど」


 バッグごと引っ張られて無理やり着席させられて出席カードを強奪された記憶が蘇る。


 「あのさ、そもそも、なんで美結くんが急に私に声をかけようとしたかとかって、知ってる?」


 今更こんなことを聞いたって意味がないと思いながらも、それは興味本位の質問だった。もしかしたら大学からの付き合いである羽島さんは知らないかもしれない。


 ≪聞いてないの?≫

 「え? うん」


 ≪だってその直前、宇佐木さん誕生日で、20歳になったでしょ?≫


 「…………うん? うん」


 確かにそうだ。

 しかし、だからなんだというのだろう。私が誕生日を迎えたことと、何の関係があるというのか。


 ≪あれ? 宇佐木さんが言ったんじゃないの?≫


 「何を?」


 ≪『20歳になったら絶対に彼氏作る』って≫


 「…………え?」


 言われて、そして頭の中をごっそりとひっくり返した。


 覚えている。

 間違いない。


 私はあの郡上窓香と2人きりの時に言ったのだ。

 それは昨年のこと。


 まだお互いお酒が飲めない食事の席で高らかに、今羽島さんが言った言葉そのままの台詞を宣った。


 ≪お酒飲めるようになるし泥酔チャンスがうんぬんとか≫


 「……うん……」


 それも私が言った。


 ≪だから多分焦ってたんだと思うけどなぁ?≫


 「……うん……」


 理解した。


 ≪今時あんな馬鹿みたいに真っ直ぐ、いや、ごめんちょっと歪んでるかもしれないけど、ほら、想ってくれる人なんていないから!≫


 「……うん……」


 そしていかに自分の発言が考えなしで適当かを、思い知っている。


 ≪だから付き合ったって聞いたときは正直ね、あんなに美結くんあり得ないって言ってた人がどうした!? ってびっくりしちゃったんだけど、宇佐木さんって直球に見えて素直じゃないもんね≫


 語尾にハートマークが飛び散っている羽島さんの声に心がしくしく痛む。


 ≪宇佐木さん、少女漫画の主人公みたいで傍で見てて楽しかったから、今大学行けてないのほんと悲しみ~≫

 「はは、」


 (……郡上……)


 なんとなく、そんな気はしていたけれど。

 さすがにそこまで初期からの内通者(スパイ)だとは思っていなかった。 


 ≪あと、そうだ。前に宇佐木さんに渡したクッキー缶もね、美結が宇佐木さんの好きなやつだって教えてくれたんだよ≫


 羽島さんは最後にそう付け加えて、楽しそうなまま終話した。



 事の発端は大体私だということがはっきりした。


  

 しかも発した本人はほとんど深く考えていないか、何なら記憶にないような言動ばかりが引き金になっている。



 頭がクラクラする。

 誰とも知らない何かに嗤われているような気すらした。 


 (でも、そんなことが今分かったところで)


 今更だ。



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