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第21話 言葉は選んだ方が良い





 それから身構えること2週間以上。

 全てにおいて何事もなく、季節は冬に突入していた。


 

 「郡上」

 「何」

 「どう? 彼氏と」

 「普通」

 「そう」

 「そっちも仲良さそうじゃん。よかったね円満で」


 そう。

 ()()には違いない。


 当初と変わらず、美結くん絡みのことで誰かから悪意を向けられることはなく日々は平和そのもの。統計学の単位もこのまま行けば問題ないだろう。美結くんが相変わらず懇切丁寧に教えてくれるからだ。


 美結くんからのメッセージはぽつぽつとある。以前のように私も返信を溜め込むことなく、気づいた時には返すようになった。

 バイト仲間としての関係性も順調そのもの。時々お昼を一緒に食堂で食べたり、被っている空きコマで学校近くの喫茶店でお茶を飲んだりと、まさに良好。


 (……いいんですよね?)

 

 誰に聞けばいいのかわからない。

 てっきり私は何か劇的に状況が変わるものだとばかり思っていた。別にこれはこれでいいのだ、いいのだけれど。


 おかしい。どうして私の方がそんなことを気にしなくてはならないんだろうか。


 あれからしばらくして、一度だけ美結くんが私の部屋に上がったことがあった。しかしそれは特段楽しい目的ではなく、トイレの電球の変え方が分からずずっと暗闇のまま利用しているという私の話に彼が対応してくれたまでだ。滞在時間は約20分。

 そしてとっとと直してくれたかと思えば『カーテンの色は変えた方がいいと思う』と爽やかに言ってさっさと帰って行った。


 別にいい。別に美結くんと出かけたいわけでもないし、家でゆっくりしてほしいわけでもない。



 だから、美結くんがグループワークでご一緒している例のあの女の子が同性から見てもとてつもなく可愛くて胸も大きいことも、1年生でまだ18歳で髪に天使の輪ができていて足も細くて全部満点でも別に本当にどうだっていいし、もしかしたらこれも私の気を引くために美結くんが仕掛けた罠かもしれないと思って『もう変な小細工しないでね』とカマをかけたのに本気で意味が分からない顔をされたことも気にしていない。


 (距離(ちっか)……)


 グループワークの発表をクリスマス前に控えているからか、彼らがミーティングルームに頻繁に集まっているせいで狙ってもいないのに通りかかってしまうことが多い。別に私の図書館訪問回数が増えていることは、彼らの動向を見るためでは決してない。

 向こうからは見えない位置から、例の彼女が身を乗り出して美結くんのノートパソコンの画面に顔を覗き込んでいるころを2秒だけ見届けて、私はとっとと目的の自習スペースに向かった。


 私も結局、性根はストーカー気質なのだ。もうそこは認めて諦めている。


 形だけだと言って付き合っていた歴代の偽彼女たちと何もしていないと言ったって、思春期真っただ中だった彼らが果たして実際どうだったかなんて知る由もない。

 別にいい。私に手を出せないことで行き詰まった美結くんが、あの子を家に招いてどうこうしていたってどうでもいい。


 人間は本能的に子孫を残そうとする。それに従うのも自然のなりゆき。


 (そう、美結くんが幸せならそれでいい)


 シャープペンの芯の減りが異様に速い。

 

 「宇~佐木ちゃん」


 「………………はい?」

 「人殺してきたみたいな顔やめてよ」


 声を潜めてそう声をかけてきたのは、本来図書館に縁のなさそうな山県くんだった。

 そして彼は勝手に私の隣に席を取り、借りてきたのだろう本を3冊積み上げた。タイトルからしておそらく金融入門のレポートのためだろう。


 「金融系は私全く取ってないからわかりません」

 「僕ひとりだと集中できないんです~」

 「……」

 「珍しい、血圧ゼロの宇佐木ちゃんがすっげイライラしてんじゃん。……生理?」


 危ない、シャープペンを垂直に手の甲に突き刺してしまうところだった。


 「ここ自習室」

 「そいや向こうのミーティングルームに美結ちゃん達いたの見た? めっちゃ可愛い子いたの隣に」

 「知らない。見てない。全く興味ない」

 「その反応はもう絶対見た人の反応なんだよね」

 「関係ない」

 「絶対あの子、美結ちゃんに気ありそーだよ。いいの?」


 「……うるさい。本当にどうでもいいから」


 予定していた数倍、腹の奥から低い声が出た。楽しそうに話していた山県くんがぎょっとしたように口を噤み「……ごめん」しおしおと小さくなって、せっかく開いたパソコンそっちのけで本をめくり始める。


 「レポート書かないの」

 「見て。タイミングよくフリーズしてる」

 「……。だったらCtrlとAltキー押しながら、」


 わざとらしく溜息を吐きながら山県くんのノートパソコンのキーボードを押しかけていたその時、私と山県くんの間に勢いよく誰かの腕が突き出された。


 一瞬私は自習室で勉強している他の誰かに怒られたのだと思って慌てて振り返ったけれど、



 「山県、何してんの」



 そこにいたのは、いかにも怒った顔の美結くんだった。


 「……美結ちゃん。ここ、自習室」


 なんて山県くんが小声で言いながら大げさに肩を竦めると、美結くんはちらりと私を見てからまた山県くんに視線を戻し分かりやすく舌打ちをした。

 美結くんが舌打ちをするところを私は初めて見たかもしれない。


 「……宇佐木はまだ帰らない?」

 「え、うん」

 「分かった」


 私にそう声をかけた美結くん本人もまだ帰るわけではないようで、その手にいつものトートバッグはなかった。よく見るとどうやらグループワークの途中で本を取りにきていたらしく、空いている方の腕に数冊抱えている。

 そしてそれ以上何も言わずに去って行った美結くんの後ろ姿を見て、山県くんが一言。


 「見た? 美結ちゃんの本性」

 「怒ってたね」

 「えーん怖いよう」


 いくら私が疎くても分かる。おそらく美結くんは私と山県くんが並んでいるのを見て嫌な気分になったんだろう。確か以前本巣についてもどうこう言っていた。


 (……自分は今も瑞穂とか羽島さんとかあの1年生の子とかいろんな女友達と親しくて近いのに)


 危うくペンの本体ごと折るところだった。


 携帯のメッセージには、夜7時頃には解散して帰るので少し話せないかと美結くんから連絡が来ていたものの、私はそれを既読にして無視してしまった。

 私は子供じゃないので、ならばと美結くんに同じことをやり返すことはない。ただ無視をして家に帰って、そのあとの2通くらいは見ることもなく気づいていないふりをしただけ。


 と、家のチャイムが鳴ったのは夜7時半頃のこと。

 なんとなく勘づいてインターホンのカメラを見ると、オートロックの表玄関前にいる美結くんの姿がそこにあった。


 「はい」


 何か物申しに来たのだろうかと腹を括って通話許可すると、美結くんがカメラ越しにほっとしたような顔をする。


 ≪……よかった。無事家に帰ってるんだったら≫

 「……ごめん。携帯見てなかった」

 ≪全然。じゃあ、また≫

 「え」


 そのまま美結くんはくるりと背中を向けて、カメラの画角からフェードアウトしていく。


 「え?」


 それだけ?


 玄関に出しっぱなしにしていた夏のミュールに慌てて足を差し込んで、こういう時に限ってうまく鍵穴に刺さらない鍵にイライラしながら共用の廊下に出る。

 下にいる美結くんはまさに自転車に乗ってそのまま走り出しそうなところで、私は思わず「ちょっと待って!」とその背中に声を上げてしまった。


 振り向いた彼はほとんど探すそぶりなく声の発信元の私の姿を捉えたようで、夜道ながらぽかんとした顔をしているのがよく見える。


 「今、下りるから」


 靴下にミュールは足裏が滑って走りづらい。不格好に足を引きずりながら1階に降りて表に出ると、一応指示に従ってはくれたようで美結くんがさっき見た時のまま自転車に跨ってそこにいた。


 「え、宇佐木、その恰好は寒いから中に戻って」

 「自転車置き場あっちだから」

 「それは知ってるけど、」

 「出せるお茶くらいはあるから。暖房も入れてるし」


 可愛い女の子だったらきっと彼のコートでも掴むんだろう。私は自転車の前カゴを鷲掴みしているけれど。


 「それは、どういう……」

 「寒いから早く」


 美結くんが自転車を停めるのを見守って、訳も分からない様子の美結くんと一緒にエレベーターに乗りこんだ。会話は一往復だけ「いつも家の中その恰好?」「そうだけど」のみ。


 扉の鍵は今度こそスムーズに開錠された。


 「どうぞ」


 と開けて構えると、美結くんが面食らった顔をする。


 「入って」


 何の抵抗だ、と背中を押すと長身が揺らめいてそのまま小さな声で「お邪魔します……」と、どうやら観念したようだった。別に初めてでもないのに何に困っているのか分からない。


 「美結くんもう夕飯食べたの」

 「まだ食べてないけど」

 「素人の作ったもの食べれる?」

 「え」

 「そんな可愛いものないけど」


 呆然としたまま短く返事をした美結くんに、残りは明日の朝ご飯にしようと思ってとっておいた豚汁を温め直していると、彼が部屋の隅で正座をしているのが見えた。


 「……普通に足崩してていいよ?」

 「いえ、」


 遠慮されてしまった。


 「渋くてごめんね」


 あと美結くんの腕前には劣ると思う、と散々予防線を張りながら私が今日夕食で食べたのと同じものをテーブルに並べると、彼は今度ぽかんとした顔をした。


 「……え、無料……?」

 「無料だよ」

 「お金払うよ……」

 「あなたは一体どういう価値観で生きてるの」


 なんとなく無言になるのが嫌で、切っていたテレビを点けて普段はあまり見ない騒がしいバラエティ番組に切り替える。あまり内容は入ってこないけれど、この時ほどテレビに助けられたことはないと思う。 

 反応が気になって一口目を食べた瞬間彼をちらりと見やると、美結くんは泣きそうな顔をしていた。


 「え!? 釘とか入れてないよ!?」

 「……いや、……美味しくて」

 「そこまでのものではないと思うけど……」


 昆布から出汁を取ったわけでもない、市販の粉末出汁や液体味噌で作ったような豚汁を彼は感極まったように食べている。企業努力の結晶なので確かに美味しいだろうけれど。


 食べ終わった後も神仏に祈るように手を合わせた美結くんから食器を下げ、なんとなく熱い緑茶を出してしまった。しまった、せめて紅茶くらいにすればよかった。 


 「……」

 「……」


 私たちが得意とする沈黙の中、真横のテレビからは楽しい歓声が上がっている。

 

 「……あの」

 「……うん?」


 私はもう自分勝手に想像したり創造したりしないと決めたのだ。


 「先日お話にありましたような、今後の方針というのはいつから適用されるのかについてお伺いしたいんですが」

 「え、待って、急に何キャラ?」

 「人間の命は有限だから……」

 「何の話……?」


 ぽくぽく、と美結くんはしばらく間を空けて「出かけるとかの話?」行きついたようだった。


 「……、そう」

 「いや、宇佐木も頻繁にはちょっととおっしゃっていたので」

 「それは、そうなんだけど」

 「シフト見てると結構土日入ってるみたいだったし、普段一緒にご飯食べたりさせてもらってるから……」


 確かに。


 「家にも来ないし」

 「この前10分以上居座ってしまってちょっと罪悪感すら沸いたし」

 「電球交換しただけで?」

 「それ以外はもう、極力タイミングを見てというか」


 これは正しい会話なのだろうか。


 「ごめん。間合いが割とよく分からなくて」


 美結くんがしどろもどろになりはじめたあたりで私からは深い溜息が出る。


 「間合い分からないわりにあの1年の子とはがっつりくっついてたけどね」


 しまった、と息が止まったのは発言してすぐだった。


 「……1年の子?」

 「違う。別に気に入らないとかじゃなくて」

 「グループワークの?」

 「そう、でもたまたま何回か見かけただけで」


 視線を落としてカーペットの縫い目を数えていると、美結くんが「ああ」思い出したように声を上げた。


 「どうせ宇佐木は気にしないだろうとは思いつつ、見られてやましいことはないから、あそこで集まるようにしてたんだけど」

 「何も疑ってない」


 嘘だ。疑っているというよりは、想像しただけだけれど。


 「…………え、宇佐木、気にしてる?」

 「そっちだって勝手に山県くんのこと疑って、」


 そこでようやく私が顔を上げると、彼は間抜けな表情を浮かべて私を見ていた。

 そしてハッとしたように目を反らしたかと思えば、ほとんど溜息に近い深呼吸をして、膝に顔を埋めて小さくなってしまう。


 「危な。本気にするところだった」


 (うずくま)ったままそう言った。


 「私は別に、美結くんがあの子を家に連れて帰ってあれこれしてても何か言ったりしないから」


 そしてそれは淡々と冷たく言い返すつもりだったのに、先ほど一度図書館でも同じことを思ったはずなのに、口に出してみると何故だかいかにも怒ったような、絞り出したような声になってしまった。そんなつもりは少しもないのに。


 「……そんなことするわけないだろ」


 「っだから」


 「宇佐木」


 「なに」


 柔く掴まれた手首が、一気に熱を持つ。跳ねのければきっと突飛ばせたのに、引き寄せられた身体はそのまま吸い込まれていった。


 「……頼むから、嫉妬してるような態度見せないで」

 

 馬鹿だから期待しそうになる、と。

 抱きしめられているというよりは、支えを失った私がただ彼の身体にもたれかかっているような姿勢だった。服はひんやりと冷たくて、額が当たる首筋は熱でもあるんじゃないかと思うくらいに熱い。


 まるで餌を前にした金魚のように、言葉も発せずに自分の口がぱくぱくと動くのが分かる。強い反論の言葉も、拒絶も、どんな語彙も出てこない。


 「……自分から仕掛けておいてなんだけど、宇佐木、もう、ごめん、離れて」


 「脈早い」


 「実況しなくていいから」


 仮に"フリ"だったとしても、周りにそう見せるために美結くんは過去の偽彼女を抱きしめたことはあるのだろうか。そういえばそれは見たことも聞いたこともない。

 なんとなく瑞穂にも聞けなかった。噂のどの話までが本当で、何が嘘だったのか。


 ("どうでもいい")


 そう自己暗示をかけないと、眩暈がしそうになる。



 「……宇佐木」



 全部、矛盾している。


 「山県はいい奴なんだけど、あんまり仲良くしすぎないで」

 「別にそんなに仲良くないよ」

 「あいつ年上好きだし合わないよ」

 「なんとも思ってないってば」

 「……背中に、手回していい?」


 何も言わずに黙っていると、薄い陶器にでも触れるかのように恐る恐る美結くんの手が腰に当たった。


 「宇佐木が怒ってるところもいい」

 「怒ってない」

 「そうだった」

 「……美結くんが体温高いのは知らなかった」

 「…………別に、普通だよ」


 これを受け入れてしまうのは良くないことだと分かっていたのに、なんとなく離れがたかった。


 「俺と1年のあの子は、本当になんともないから」

 「だからいいってば」

 「……あと何秒くらいこのままでいいの」

 「そっちの気が済むまでいくらでも」

 「さすが、全然動じないね」



 「だって別に、……生娘でもあるまいし」


 


 「………………え?」













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