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第16話 人の話はよく聞いた方が良い






 「郡上」

 「何」

 「彼氏とどう」

 「どうって? 普通」

 「そう……」


 円満らしい。何よりだ。郡上は宣言通り、彼氏ができたからといって私との付き合いを疎遠にしない。先日写真を見せてもらったけれど、郡上が選ぶだけあってイケメンかつ落ち着いた大人の男性だった。もちろん郡上が選ぶならどんな人でもきっといい人なのだろうと思うけれど。


 「彼氏とデートってどこ行くの」

 「え、普通に。買い物とか、家とか」

 「へえ」

 「何。あんたも彼氏作れば」

 「いや。もう全然」


 どの口がそんなことを言えるだろうか。言えるはずがない。


 (でも、美結くんにも羽島さんがいるし、私が一体何を遠慮するんだろう)


 逆に遠慮する方が気味が悪いような気もしてくる。いつまでそんなことを気にしているんだと。


 「郡上」

 「何」

 「私はどういう人なら付き合えると思う」

 「さあ。あんたぐらい主人公感ある人じゃない?」

 「なんて?」


 何言った、と隣の郡上を見ると「いかにもあんた主人公って感じじゃん」と。笑わせる。


 「私はコマを埋めるモブギャラリーのうちの1人だよ」

 「よく言うわ」

 「郡上は表紙になれるけど」

 「別に少女漫画の話してるわけじゃなくて。あんたは──少年漫画の主人公って感じ」

 「はは、秘めたる超常能力ある?」


 「あるんじゃない。少なくとも普通の人よりは」


 郡上はそう言って立ち上がると、それこそまるで見開きの1コマのような美しい姿で私を見下ろした。


 「あんまり謙遜が過ぎても、嫌味に思われるよ」


 「え」


 「今後のためにも言っとくけど、あんたの普通は割と全然普通じゃないから」


 にやりとそう笑って「はい、次の授業行くよ」すたすたと歩き始めてしまう。怒っているような言い方をしたくせに、けろりと表情を変えるからわからない。




 ("少年漫画の主人公"って)


 遠すぎる。だとしたら私はあんなに必死に美結くんから逃げ回ったりしない。





 『──宇佐木さんみたいなタイプがほんとに最悪』

 『──私興味ありませんみたいな顔してるくせに』 

 『──あんなこと言われたらどう思うかわかんないの』


 郡上の隣で教授の話を聞きながら、私はぼんやりと高校生の時の例の事件を思い返していた。

 美結くんのアレルギ―情報暴露事件だ。今思えばあれだけ落ち込む必要があったんだろうかとすら思うほどにしようもない。


 振り返れば確かに失言だった。しかし一致団結した女子軍団というのは、おそらくいざというとき本当の戦地に立てるのではないかとすら思うほどの圧力がある。



 (どう考えたってあの場だと私が悪役で、真ん中で泣いてたあの子が主人公だったと思うけど)



 頭の中に集まり始めた暗い雲を追い払って、私は板書に再度意識を向けた。








 10月も半ばを過ぎようとしていた頃、4限を終えた私に声をかけてきた人がいた。


 「あの、なんでしょう?」


 髪色のトーンが若干落ちた、笠松くんだった。



 少し顔を貸してほしいと言われ、素直について行った先は経済学部棟の外にある非常階段だった。一瞬だけ身構えたけれど、先を歩いていた笠松くんの振り返ったその顔があまりに暗いものだったので、どうやら勝負事ではないらしい。

 

 「ごめんな、急に話しかけて」

 「とんでもない」

 「やっぱり俺のこと覚えてない?」

 「え? いやいや覚えてるよ、花火大会一緒に行ったし」


 「そうじゃなくて、中学同じ。俺たち」


 「……え?」


 衝撃の事実。しかし言われても全く分からない。

 少し前に散々アルバムを見たはずだけれど、記憶の端にも引っかかっていない。


 「まあでもクラス同じになったことないけど」


 「ご、ごめん。ちょっと記憶に自信ない」


 「親が再婚してるから苗字も違うし、あと身長も当時は宇佐木さんより低かったから」


 思わず彼のつま先から頭のてっぺんを()め回すように見て顔を上下させてしまった。私との身長差は30センチ近い。そんなことがあるのだろうか。


 「まあそんなことはどうでもよくて」

 「あっ、その話じゃないんだ」


 「美結のことなんだけど」


 笠松くんの表情は相変わらず暗い。そして私も出されたその名前に思わず反応してしまう。


 「今から言うことは、美結にはかなり強く口止めされてて」


 「え」


 「だから多分、言えば美結からも宇佐木さんからも信用されなくなるとは思うんだけど」


 その前置きと慎重な物言いから、どうやら楽しい話題ではないらしいことを察する。私が息を呑むと、笠松くんはこう続けた。



 「美結が宇佐木さんのこと好きなの、中学の時からなんだよ」



 周りの音が全部消えるというのは、こういう状況の時に起こるらしい。


 声という音を聞いて、言葉という情報を呑み込んで、頭で処理をして、そして時が止まる。


 「今なんて、」

 「とりあえず俺は、宇佐木さんが夏休み中に美結のこと歯牙にもかけないどころか返り討ちにしてボッコボコにしたっぽいことだけは聞いてるんだけど」

 「え? ボコボコ?」

 「俺、ごめん、もう美結のこと見てらんなくて」


 盛大すぎる笠松くんのボケに手を叩いて大笑いした方がいいところなのかわからなかった。あまりに彼が悲痛な顔をするから。


 「もうちょっと、美結のことちゃんと考えてもらえないかと思って……」


 「ま、待って。いや、なんとなく、笠松くんがその、美結くんが私のことどうこうみたいな話知ってたんだろうなとは思ってたんだけど」


 そう。あの花火大会、美結くんは笠松くんに協力してもらったと言っていた。その説明の経緯でもしかしたら笠松くんには話したかもしれないと、ふんわりと思っていたのは確かだ。


 脳は今、何度も与えられた情報を理解しようと必死にスキャンを繰り返している。

 『中学の時から』の意味が、さすがにわからない。


 「ごめん。笠松くんが悪いわけじゃないんだけど、仮にそれがそうだとしたら、意味が分からない。本当に」


 考えることをやめて、もしもそれが事実だとして受け止めた場合、それはあまりに矛盾する。


 「笠松くんがどこまで美結くんに聞いてるかは分からないけど、私、結構美結くんのこと把握してるつもりだし、過去から現在の16人もいた彼女のことも当然知ってるんだよ」


 「……うん」


 「なのにそれで『実は中学から好きでした』みたいなこと言われたら、普通に美結くんに引く。じゃあ今までの彼女は?」


 嫌味でもなんでもない。さすがに全く意味が分からない。


 「それは美結がちゃんと説明すれば、多分納得すると思う」

 「……だとしても、今その話を聞いたからって私から美結くんへの接し方が変わるわけじゃないから。疑うわけじゃないけど、信じるのもちょっと難しい。せっかく話してくれた笠松くんには悪いけど」


 笠松くんが嘘をついているようには思えない。でもそれは、この話が本当だという証明にはならない。

 それに美結くんは今羽島さんと付き合っているはずだ。私が仮に今更考えたところで、だから何だというのか。


 「宇佐木」


 「……うん?」


 「全部は信じなくてもいいから、美結が、宇佐木のこと好きな気持ちは疑わないでやって。それにあいつ、だからって宇佐木に危害を加えたりすることは絶対にないから」

 


 今でも美結はずっと宇佐木のこと好きだから、と、笠松くんは自分のことでもないのにとても申し訳なさそうに最後そう言った。



 だったら、そうだとして、だから何だというのだろう。


 本当にそうだったら、私は『そっか、じゃあ私も好き』にならなくちゃいけないんだろうか。


 長年好かれたら、同じように好きを返さなくちゃいけないんだろうか。


 その後、バイト先や統計学の授業で顔を合わせる美結くんには態度を変えないように接していた。笠松くんに聞いた、なんて言って2人の友情を叩き割るほど私は根性悪くない。そして私個人としても、中学の時からだと言われてやはり何か心境が変わるわけでもない。



 そして後期が始まって1か月と少し経った頃。


 いつの間にか、美結くんは羽島さんと別れていたようだった。



 『ふうん。短かったね』


 郡上はそれを聞いた時、興味なさそうにそう言った。私は特にコメントせずにただ頷くだけ。


 破局については本人たちから聞いたわけではなく、山県くんからだった。彼とも今期は授業が被っていない。そのため、たまたま食堂で会った時に聞いた話だ。『そういや、あの2人別れたから』と、天気の話でもするかのように。

 その話を聞いた時、一瞬笠松くんの申し訳なさそうな顔が浮かんだ。けれど、私にはもう関係がないと慌ててかき消した。






 しかしその後、その羽島さんが少し前から大学に来ていないということを知った時。


 ──私は経済学部棟の廊下、教室移動でにぎわう往来のその真ん中で、美結くんの腕を掴んでいた。 


 「え、」


 美結くんは心底驚いた顔をして、そしておそらく私の剣幕を見てだろう、すぐに戸惑ったような表情を浮かべる。


 「ちょっと来て」


 本気を出せば振り払えただろうに、美結くんは黙ってついてきていた。


 「羽島さん、なんで大学来てないの」


 誰もいない教室に滑りこんで開口一番そう言うと、美結くんが分かりやすく目を反らした。


 「……体調不良だって」

 「さっき連絡したけど確かに体調不良って返事きた。授業あんまり被ってないから知らなかったけど、もう2週間近く来てないって。どんな体調不良なの」


 風邪や病気の時に、友達に体調不良なんて曖昧なことを言う人を少なくとも私は見たことがない。



 「まさか、」



 何か言えない理由があるときくらいだ。

 しかしそこまで食って掛かってから、美結くんの気まずそうな顔を見ているとだんだんと思考が落ち着いてくる。

 美結くんとの破局とあまりにタイミングが良すぎて、思わず関係しているのではと根拠もないのにつっかかってしまっている今この現状。


 もういいや、と出ていこうとした時、少し迷ったように小さな声で美結くんが言った。



 「多分羽島は、このまま大学辞めると思う」と。



 「……なんで?」

 「その、体調不良で」

 「そんなに具合悪いの?」


 詰め寄りながら頭をよぎったのは──中学3年生の時の、あの同級生の女の子のことだった。付き合ってはいなかったけれど美結くんと近すぎて、学校を辞めることになってしまったあの子のこと。


 「大丈夫だから」

 「大丈夫って」


 何が大丈夫なんだ。


 (いや、だけど)


 確かに羽島さんが体調不良でうちに来た時、本当に苦しそうだった。生理だと言われてそれ以上聞かなかったけれど、あの時すでに何か重い病気だったのかもしれない。

 だとしたら私が今ここでいらない疑いを美結くんにかけるのは、彼にとってとばっちりが過ぎる。

 今はすでに別れているとは言え、少なくとも交際中に休み始めた羽島さんのことを少しも話題にしなかった美結くんに一方的に憤っていたのかもしれない。誰に頼まれたわけでもないのに。


 「……わかった。ごめん急に引っ張り出して」


 そうだ、もう羽島さんと別れている美結くんには彼女のことなんて関係ない。そして私に教える義理もない。道理は通っている。

 魂の抜け殻を吐き出すような溜息が出た。そもそも本人に教えてもらえない時点で、私が出しゃばる正当な理由なんてない。今このキャンパスにおいて最も意味不明なのは私だ。


 「宇佐木」

 「ちょっと頭冷やす。関係ないのに本当にごめんなさい」

 「羽島が宇佐木に言えなかったのは、俺が言わない方がいいって言ったから」


 動けないと思ったら、美結くんにまた手を掴まれていたからだった。動けないことに気づくのが先だった。


 「え、」


 「羽島、……妊娠してるから」





 「…………えっ?」


 「違う。俺じゃない。俺とじゃない。違うから」


 固まった私よりも美結くんの否定スピードが遥かに速かった。「俺のわけがないから」と強い語気でそう言って、美結くんは深呼吸し、言葉をゆっくりと選ぶようにして話を続けてくれた。



 曰く。



 羽島さんには美結くんの前に付き合っていた彼氏がいたそうだ。

 しかし妊娠が分かった羽島さんはそのことを告げずに彼に別れを告げた。そして、彼に説明する別れの理由を美結くんに乗り換えるからだという話の筋にしたいと美結くんに相談したのだという。


 「最初はさすがに、そのレベルの話に巻き込まれるのはって断ったけど」

 

 そこで美結くんは少し言葉を濁して「ちょっとこっちも色々あったから、なんか見てられなくて、最終的にその話を受けてしまい……」と私を見ずにぼそぼそと言った。


 しかし結局羽島さんの嘘は本来の彼氏にバレてしまったそうだ。


 そして美結くんを挟んでの長い協議の結果、彼女は無事にその彼氏との入籍と出産を受け入れ、体調を考慮してすでに退学を視野に入れているという。


 「えっ、なに、私の知らないところでそんなドラマみたいな……え?」

 「宇佐木には言っていいって言われたから話したけど、一応本人にもちゃんと聞いてもらった方がいいかもしれない」


 呆気に取られて、しばらく開いた口が閉まらなかった。

 だとしたらあの羽島さんの体調不良も生理ではなく、おそらくつわりか何かだったのだろう。だとしたら痛み止めを断られたのにも理由がつく。


 「いや、その、よかった、そういう前向きな結末で。……改めて、ごめんなさい」


 つまり羽島さんが美結くんと付き合っていたというのは、羽島さんのための嘘、契約のようなものだったということだ。そんなことを頼まれる次元があるなんて想像もしていなかった。

 私の視野はまだまだ相当狭い。


 話を終えて私が出ていこうとしたその時、美結くんはそれを遮って廊下に少し顔を出し「この後、宇佐木授業ある?」と急に顔を強張らせた。

 ない、と答えると少し逡巡してから「5分でいいから、話聞いてほしい」と。


 「え、ここで?」


 「いや、多分次ここ使われそうだから、……旧裏門の方とか」


 ちょうど今は2限の授業中だ。さすがに昼休みを挟んで次の3限のためにこの教室に入ってくる人はいないだろうけれど、私のようなもの好きがいてもおかしくない。美結くんの提案に従って、私たちは老朽化でもう使われず、閉ざされたままの旧裏門まで移動した。


 旧裏門は、シンと静まり返った文学部棟の裏側にある。春と夏には虫が多く、秋以降になると影が落ちて暗く寒いここは学生に人気がない。夕方になるとアカペラサークルが練習にくるけれど、この時間にわざわざやってくる人はいない。


 「あの、お話とは」


 「……本当はもっと、早く言っておけばよかったんだけど。丁度羽島とも別れたし今かなと思って」


 そう言われて、私は笠松くんの話を思い出した。

 もしかしてその話だろうかと身構えたのを美結くんがどう捉えたのかはわからない。


 ただ、諦めたような、観念したような溜息を吐いた。




 「まず、稲里瑞穂と付き合ったのは、稲里が宇佐木の従姉妹だったから」




 「ああ……え?」


 「そして稲里の今の彼氏は、稲里がずっと片思いしてた相手」


 「え?」


 「最終的にその人と付き合えるように協力する代わりに付き合ってもらった」


 「えっあの、待って待って待って」

 「何?」

 「いや、私の台詞……」

 「他も全部そんな理由」

 「いや、いやいやいや」


 「別に羽島も稲里も例外じゃない。中2の時の1番目の子は高校生の彼氏と付き合ってるのが親にバレそうになったからカモフラになっただけ。2番目の子はクラスで目立つ女子に虐められてたから止めるために形だけ。3番目の子は全然振り向いてくれない幼馴染の男に嫉妬させるため。4番目の子は、」



 「え? 私は今一体何を聞かされてる?」



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