第12話 格の違いは分かっておいた方が良い
花火大会に愛の告白?
普通の人ならまだしもあの美結くんが?
おかしい。そんなはずはない。
この真相は絶対に解明しなくてはならない。
「なんかでっかい花火って落ちてきそうなことない?」
「んなわけ、って言いたいけど実際たまにあるらしいよ」
「え」
本気で場所取りをしていた人たちのずっと後ろの方、団体がまばらに座っている草原に腰を下ろし、私たちはのんびりと花火を構えていた。大音量の音楽と共に、順序良く花火が打ちあがっていく。
今回ばかりは過去の自分のファインプレーに感謝したい。山県くんがいなかったら、今頃とんでもない空気になっていたと思う。
郡上と山県くんが冗談を言い合って、時々その会話に笠松くんが入って隣で楽しそうにしている。端に座った私は少しも減らないりんご飴をちびちびとかじっていた。りんご飴のせいで口がきけないようになっているふりをしている。
「打ち上げ花火もいいけど、手持ち花火もエモくて良いと思いません?」
黙っていたせいか山県くんに話を振られ、私は「間違いない」なんて思考力ゼロの返事をしてしまった。
「このメンバーで今度手持ち花火やろう」
「でも最近どこも規制されてない?」
「山行けばいいよ山」
「いや花火は海でやるもんでしょ」
「郡上様は海に花火突っ込んで火消してそう」
「あっぶなー、手ぇ出るとこだった」
打ちあがる大輪に見惚れたふりをして、私は首が痛くなるくらい夜空を見上げていた。夜空を見るというより、誰のことも視界に入らないようにしていたのかもしれない。
うっかり不用意な発言をしてしまうかもしれない。何か顔に出してしまうかもしれない。そう思うととても、軽口なんか叩けそうになかった。
「……宇佐木さん、もしかして体調悪い?」
「え」
花火終盤、心配そうに声をかけてきてくれたのは笠松くんだった。強面なのに妙に丁寧で穏やかな物腰だ。彼の低い声は思わずすり抜けて聞き漏れるところだった。
「あ、い、いや、あああ……実は調子にのってちょっと食べすぎてしまい……」
「だよね。すごい食べてたの見た」
なのにりんご飴全然減ってないし、と指摘されて項垂れる。しかし今の状況ならこう言ってしまうのが1番いいだろう。
「実はものすごくお手洗いを我慢してまして」
「えっうそ大丈夫」
ふざけていた郡上まで心配そうな顔で私を振り返った。
まずい、せっかくこの空気を殺したいわけじゃなかったのに。
「心配しないで。これは経験上……出したら治るやつ」
「出るんだ」
「波動を感じる。うん。こういうときのために私サンダルで来てるから」
よろよろと立ちあがり、お腹を押さえて慌てるふりをしながら「もし私の戦いが長引いたらあとで違うところで合流しよう、連絡します」と足を公衆トイレの方向に向けた。
「待って、私ついてく」
「女の子2人じゃ危ないよ。郡上様と笠松と美結ちゃんここで待ってて、トイレの番人なら俺が」
色んな意味で、本当は山県くんに来てほしかった。能動的に名乗りを上げてくれた山県くんから後光が差して、輝いて見えたのに。
「いい。俺がついていくから。3人はここで待ってて」
行こう宇佐木、と、横に並んだのは美結くんだった。
違うそうじゃない。絶対に違う。かといってここで「あ、美結くんがついてくるんだったら今のナシで」なんて言えるほど私のメンタルは強くない。しかし何をどう考えたって、ここで美結くんがついてくるのは違うと思う。
「あ、ああ、ありがとう、ごめん美結くん」
しかしこう言わないと、おかしなことになるから。
「……」
「……」
何もかも終わりだ。本当にお腹が痛い人と、その付き添いのようになってしまった。
まだ打ちあがり続ける花火が、だんだんと遠ざかっていく。ずるずると歩く私に、美結くんは歩調を合わせてくれていた。
「ごめんなさい。お腹痛いの嘘なんです」
「分かってるよ」
そこでようやく美結くんが笑ってくれた。
「まさか、そんなに絶望されると思ってなくて」
「絶望とかじゃなくて」
「俺もごめん。どう考えてもタイミング間違えてた」
黙っている間に経済数学概論の試験の時の120倍頭を働かせてみたものの、どうしたって美結くんの真意は計れなかった。
「タイミングというか……」
シンプルに言う相手を間違っているとしか思えない。夏の暑さで美結くんの脳内CPUがバグってしまったのだろうか。
いいや、もしかすると選抜試験的なものに私が合格したとか、そういうことなのだろうか。
第16回美結斎認定選抜試験に。
私ははっきりと美結くんに、男女の友情は成立しないという世間様の一般論を蹴散らし、いかに自分が健全でまっさらな感情しか抱いていないかをアピールしたつもりだった。
しかしそんな私に、恋愛感情として好きなのだと美結くんは言った。
まさかこれこそ、一休さんのあの有名な『このはしわたるべからず』的なトンチなのではないだろうか。
「宇佐木のことだから何かの罠とか裏があるとか真実は違うところにあるとか、漫画脳になってると思うけど」
悶々としていた私に、美結くんは苦笑気味に、そしてずばりとそう言った。思考が読まれている。
「俺がそういうからかうようなことしないの、宇佐木が1番知ってるんじゃない」
「……知っ、」
知っている。知っているけれど、それとこれとは話が違う。
「あの、僭越ながらさっきまで冷静に美結くんに好かれる要素について考えたけど、私の場合五体満足で病気しなくて視力が両目2.0で採血のときにすぐ血管が見つかることくらいしかなくて、だとしたらもう……臓器提供くらいでしか報えないというか」
こちらは真面目に言っているのに、美結くんはぶふ、と噴き出したかと思うとその場でうずくまってしまった。馬鹿みたいに笑っている。私はこんなに真剣なのに。
「はぁ、こっちがお腹痛くなりそう」
「笑わせたくて笑わせてるわけじゃないんだけど」
もう郡上たちは見えなくなった。公衆トイレに行って戻ってくるくらいの時間は設けないと違和感を抱かれるだろう、と、足を止めてラストスパートの花火をちらりと見上げた。
「でも今までの俺の挙動の理由が分かって、すっきりしたんじゃない」
「……告白とか、他人に好かれたことないからあんまり納得感ないんです」
「少なくとも同じバイト先にねじこんだのは夏休み中に宇佐木に会いたかったからだし」
何の躊躇いも照れも見せず美結くんはそう言ってのける。あまりの衝撃にしばらく絶句した。私は道端で野生のハクビシンに遭遇したときよりもおそらくすごい顔をしていたと思う。
「じゃあ日本酒がとか、あれは」
「まずそもそも本巣に頼まれたんじゃなくて、俺が本巣強請って受けさせてもらった」
「強請って!?」
しかしそう言われると、あの時の本巣の腑抜けたような表情についても納得がいった。強請られたあとだったのだろう。何をネタにされたかは知らないけれど。
「でもあの店、本当に学生バイトあれ以上雇う気ないっていうのは知ってたから、大将にウケるように受験の時より色々勉強したし」
「えええ……」
超次元すぎて最早他人事のように思えてきてしまう。そういうものなのだろうか。そこまでするのが普通なのだろうか。
「結果的に大変助かってるからありがとうとしか言いようがないんだけどね……」
「ならよかった」
気づけば、ずっと強張っていた肩から力が抜けていた。美結くんが気を遣ってくれたからか、私ももう普通に話せているし、思考も冴えて正常動作している。
美結くんに"告白"された瞬間はどこかまるで銃口を突き付けられたような気分だったのだけれど、受け取り慣れていない私が過剰反応しすぎただけらしい。
「あの、こういう時どうするものかよくわかってなくて。ご本人に聞くのも申し訳ないんだけど、私はこの先どうしたらいいんでしょうか」
男女の友情、命短し。
「さっき言った通り、宇佐木がどう思ってるか承知で言ったから。もし可能なら、今まで通りでいてくれた方がありがたい」
「そ、そういうものなの」
「人によるかもしれないけど、俺はそれが1番いい」
こんなことならキッチンのシンクの汚れが簡単に落ちる方法じゃなくて、恋愛のハウトゥコラムでもちゃんと読んでおくんだった。しかし目の前にいる美結くんこそ、そのコラムの集大成のような人だ。彼が良いというなら、良いのだろう。
「そうだよね。美結くんだってまた彼女できるかも、」
まずい。さすがにデリカシーがなかった。美結くんがこの前『当分できない』って言っていたのは、おそらくそういうことだったのに。
「あの、できたらいいとかそういうことじゃなくてできるかもしれないから、なんだろう、多分私が宝くじ当てるより高い確率で美結くんには新しい彼女ができると思うし」
そもそも美結くんはこれまでコンスタントに彼女ができている。約7年半で15人だ、平均して1年で2人強。ペースを考えれば後期にでも美結くんには新たな出会いがあるはず。
「宇佐木は俺が他の誰かと付き合った方が安心する?」
「安心?」
「そうした方がいいならそうするけど」
「彼氏彼女ってそんな作るか作らないか簡単に決めれるんだ……」
じゃあ作っとくか、くらいのものなのだろうか。やはり主人公格は言うことが違う。郡上も粘土細工感覚でいつも言っているし、私とはやはり生物としてのグレードが違いすぎる。
ますますどうして、そんな美結くんが私に敢えて好意を伝えてきたのかわからなくなってきた。
「それは美結くんが決めることなので、私からなんとも」
確かに、美結くんが来月にでも新しい彼女を迎えていたら安心はするかもしれない。美結くんも気が迷っていたのだ、と納得できるだろうから。
「じゃあもし俺が宇佐木に付き合ってって言ったら、それはどうなる?」
花火は全部、打ち終わってしまった。わらわらと大勢が帰路に向かって歩き始めたのが視界の端に映る。
「え、でも」
私は美結くんのことをそんな風に思えないのに、とは、さすがに口にできなかった。しかし美結くんは分かっていたかのように「気持ちがなくても別にいいって言ったら」追い打ちをかけてくる。
私と美結くんが、付き合う?
『どう考えても6番目の彼女の方が良かったと思う』
『美結くんの今の彼女どう思う?』
『めっちゃブスじゃない?』
『前の子の方が可愛かったことない?』
無理だ。
「……それは、ごめん。私には、とても務まらないと思う」
自分がやってきたことが、きっとブーメランのように返ってくるだろう。羽島さんが言っていたようなことを、私もまた誰かに同じように言われることになるだろう。
それに耐えられるほど強くないし、美結くんには申し訳ないけれど、熱意だってない。
美結くんは責めたてることも、悲しい顔をすることもなく「分かってたから謝らなくていい」とだけ言って、私たちがいた方向を指さした。遠目に郡上たちが歩いてくるのが見える。なんて毎回タイミングがいいんだろう、と、救われたような気持ちで泣きそうになるのは私の方だった。
「さっき言った通り、これからもできれば今まで通りでいて」
「……はい」
「あと、」
山県くんと郡上が同じテンポで大きくこちらに手を振っている。元気であることを伝えねばと足が浮きそうになるくらい腕を振り返していると、美結くんがぼそりと言った。
「今日の花火大会は、俺が宇佐木と来たかっただけだから」
「え」
「ごめん。笠松、本当は全然郡上さんのことなんとも思ってない」
つまり笠松くんには協力してもらったのだと、美結くんは悪戯が成功したような顔をして私を見下ろして、笑った。
「宇佐木お腹治ったって」
「締め付けてるのに馬鹿みたいに食べるからだよ」
「全部出た?」
「じゃあ帰ろうか」
──かくして、私の頭をぐちゃぐちゃにかき回した花火大会は無事、幕を閉じたのだった。
「この世の全てに感謝」
「単位を落とした人の気持ちになってください。単位を落とした人の前で喜ばないでください」
「郡上。後期がんばろう」
8月最終日、大学の学生用サイト上で各自の前期成績発表が行われた。大学に入って3度目だけれど、この緊張感は毎度変わらない。1つずつ成績を確認し、ほうっと息を吐いた前で郡上が突っ伏していた。ひとりで見るのが怖いからとうちに押しかけてきていた彼女は、そのまま我が家の床に転がり倒れた。
どうやら2単位分の授業を2つ落としたらしい。試験直後に言っていた通りだ。
一方の私は美結くんの助けがあった経済数学概論はもちろんのこと、ありがたいことに無事単位をひとつも落とすことなく前期を終わることができた。このまま順調に行けば、怒涛の専門地獄になる3年生で多少失敗があってもなんとかなるだろう。
そして羽島さんは近代日本の歴史の単位がないことにきっと今頃気づいている。いつか機会があったら謝りたい。
「後期は意地を張らずに絶対同じの取る。取らせてください」
「うんうん、そうしよう」
花火大会の後、ありがたいことにこれといって私と美結くんの関係に変化はない。バイト先で顔を合わせても、最初こそ気まずかったけれど美結くんはいつも通りで。日々の帰り道でも花火大会での話に触れることはなく、本当に何事もなかったかのようだった。
むしろ、私が変な夢でも見ていたんじゃないかと思うほど。
本音を言えば、あの出来事を郡上には話してしまいたかった。そして意見を求めたかった。けれど仮に郡上にクリティカルなアドバイスをされたとして、私がそれに従って美結くんに接するのは何か違うような気がして結局言えずにいる。
山県くんからはメッセージで≪美結ちゃんと喧嘩でもした?≫と心配されたけれど、お腹が痛すぎて引かれただけだと返しておいた。
それよりもだ。
≪後期の授業、何取る?≫
私は今朝美結くんから来ていたそのメッセージを、まだ見なかったことにしている。
「ねえ郡上、初級経済政策論は?」
「教科書持ち込み可だったと思うけどその年の時事ネタがランダムに選ばれて記述問題出るらしいよ」
「その情報本当に一体どこから仕入れてるの」
後期は空きコマ全然ない、と嘆く郡上と結局その日は決めきれず。3年生で特化するコース授業も参考にしながら、後日また各自持ち寄って決定しようという話で解散した。




