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第11話 好意も基本疑った方が良い


 地元での滞在最終日、なんと私と美結くんは揃って私の父の車を降り、同じ駅のホームへと向かっていた。


 「じゃあ美結くん、よろしくね」


 「送っていただいてありがとうございました」


──結局あの日の翌日早朝、父は本当に美結くんとアジを釣りに行き、夕飯前に帰ってきたかと思うと大量のアジと美結くんを連れてきた。ものすごくナチュラルに。


 うちに上がった美結くんに私以外の家族の誰一人としてざわつくことなく、母はやはりウキウキでアジを捌きだし、弟に至っては彼を対戦ゲームに誘って夕飯までの時間普通に2人でゲームをしていた。

 トイレに席を立った弟に『あんた昨日美結くんのこと知らない感じ出してたじゃん!』とコソコソ怒ると『だっていっくんに誰が来たか言うなって言われたから』と不貞腐れていた。


 『いっくん』?


 そしてその弟が美結くん来訪時に『お父さん帰ってきたら面倒くせーから』と言っていた意味もすぐに知り得ることになる。それは決して父が、私が男の子と関わることへの指導をしてくるからではない。


 父の方が、美結くんにだる絡みするからだ。


 私は自分が寝ている間に美結くんが我が家とものすごく仲の良いパラレルワールドに単独で引っ越してしまったのではないかと恐ろしくなり、美結くんと弟が本気でカーレースゲームをしている背中を呆然と眺めていたのだけれど、やがて全て現実なのだと受け止めた。


 しかし意味が分からない。分からないのに、ものすごく美結くんは馴染んでいた。


 父が美結くんを自宅に送って行ったあと、私は寝室の母の元に押しかけて問い詰めた。

 私が知らない間に一体我が家に何が起きていたのか。いつから美結くんはあんなにしっかり馴染んでいたのか、そしてそのことを私が知らないのはなぜなのかと。


 『最初は瑞穂ちゃんに紹介された時だから、結構長いのよ』


 『だ、だとして姪の彼氏とうちの家族があんなに仲良くなることないでしょ普通』

 『あんたのお父さんが彼のこと気に入っちゃって、ちょこちょこおじさん連中と一緒に釣り行ってて、で、あんな感じに』

 『弟《数馬》まで仲良さそうだったじゃん!』

 『なんだ知らないの? 美結くんの高校の時のバイト先の学習塾に数馬通ってたの』


 家族総出で長期間にわたるドッキリでも仕掛けられているのかと思った。

 ちなみに私は美結くんが高校の時にバイトをしていたことを、その時まで全く知らなかった。ストーカーだったくせに、そんな大きな情報を私は逃していたのである。


 どうやら私が友達になったのは、家族公認、太鼓判の御人らしい。何なら私が宇佐木家で1番美結くんと仲良くないくらいだ。


 行きはレンタカーだったはずの美結くんが帰りは私と一緒に帰ろうかなと言ったら、うちの両親が完全にその話に乗ってしまい、当然私に拒否権は与えられなかった。私の家を出発した父運転の車は美結くんの家の近くのコンビニで無事に彼を拾い、また私よりも父の方が美結くんとの別れを惜しんでいた。なんとも奇妙な光景で、私は多分変な顔をしていたと思う。


 「よかった。知り合い周りにいなくて」


 ラッシュを避けたかいあって、駅には初日ほど人がいなかった。見る限り中高時代の知り合いも観測していない。駅のホームで列の先頭に立ち電車を待つ間、私はほっと胸を撫でおろした。


 「なんで?」

 「はは。私が美結くんと並んで歩いてるところなんてこの辺で知り合いが見たらパニックになるよ」


 どちらも旅行バッグを抱え、あり得ない組み合わせの2人が仲良く並んでいるのだ。私がここに来る前に散々危惧していた状況がうっかりしっかりここで実現してしまっている。


 「気にしないでいいのに」

 「します。私が辻斬りに遭う」

 「この辺の奴なら宇佐木だったら斬り返せるんじゃない」

 「……」


 そして美結くんも私に対してそれなりに遠慮がなくなった。けろりと楽しそうに笑っている。


 悔しいことに、前も実感した通りで美結くんはやはり話し上手で、しかも私も隠す必要がなくなったので更にそれは気楽なものになった。美結くんも私が知っていることに対して当然嫌な顔をしないばかりか、そんなことまで知っているのかと満足げにからかってくる。私が顔を覆ってやらかしたと崩れ落ちているのを見て、彼はケラケラ笑うのだ。


 「宇佐木は戻ったらバイト三昧?」

 「でも意外とね、扶養内って考えたら短期の方全然入れなくて。この社会構造にため息が止まらない」

 「そういえば店の方は本巣がいない間はずっと俺とシフト同じだっけ」

 「そうそう。多分混むし」


 本巣はきっと今日までひとりで大将にしごかれていたことだろう。彼はお酒には詳しいが、よくオーダーを間違える。最早持ち前の愛嬌と謝りっぷりの良さだけっで生きながらえている節がある。

 当駅始発を選んだかいあって、急ぐことなく2人席を取ることができた。「目立つから」と美結くんを窓際に押し込んで、隣に座る。と、ふっと鼻腔をくすぐったのは心地いいくらいの甘く爽やかな香りだった。


 「……美結くんち、柔軟剤なに使ってる?」

 「実家の? 全然知らない。臭い?」

 「いや、いい匂い。なんだろう、ソーダアイスみたいな……」


 そこまで言って我に返った。


 「え、危な。私すごい気持ち悪いことを言ったよね今。怖。忘れて」


 「気にしすぎ」


 今更だしと美結くんは声を抑えるようにくつくつ笑う。笑ってくれているからいいけれど、これこそ相手が違えばとんでもないことになっていた。粛々と反省して縮こまる。


 話を変えなければ、と頭の中を一周して浮かんだのは「そうだ」少し前に話していた、例の件だった。


 「すごい今更なんだけど、例の花火大会。うちの郡上、結局彼氏いないみたいだからいけると思うよ。あ、もちろん私はまだ何も郡上に言ってないから、どっちでもいいんだけど」

 「ああ、」


 どうやら美結くんの方は忘れていたらしい。はっと思い出したような顔をした。


 「それ、もし郡上さんが来てくれたとして、宇佐木は来ないってこと?」

 「私いる? 何用?」

 「俺たち、郡上さんとそんなに仲良くないし」


 確かに。まともに話したのはあの勉強会くらいだ。花火大会なんていう、ひたすら会話の必要なイベントで仲良くない人間が集まったら気まずいだろう。


 「もし美結くんたちが来るとしたら何人?」

 「……どうだろう。3か、合わせるなら2でも。全然こっちは、郡上さんと宇佐木が来てくれたらそれでいいし」


 私に果たしてそんな上級シチュエーションのMCが務まるだろうか。


 「前は教えてくれなかったけど、……郡上のこと好きなのって、やっぱり山県くん?」


 正式に友達の契りを交わしたのだから、共同戦線を行く上では聞いておきたい。


 「え、いや、違う」

 「えっ違うの」

 「あの、……暗めのオレンジ色の頭の。わかる?」

 「ヤンキーみたいな、背高い人? 名前は知らない」

 「ヤンキーって」


 美結くんは笑うけれど、私の語彙力ではヤンキーとしか言いようがない。キラキラ軍団で他のメンバーと違った意味で目立つ人だ。髪も派手な色で背の高い美結くんよりも更に大きくて、目つきも鋭い。


 「笠松かさまつっていうんだけど」

 「どうしよう。当然のことながら全く話したことない」

 「でもいい奴だよ」


 知る限りのその笠松くんの姿と、郡上を並べてみた。どうだろう。似合うは似合うけれど、お嬢と護衛みたいになりそうだ。


 「勝率が全然計算できない……」

 「俺もあんまり見込みはないと思う」

 「えええ」


 そんな悲しい話があるだろうか。しかし郡上の方がどういう反応をするか分からないのに、ここで決めつけては私のように勿体ないことになってしまうかもしれない。



 「でもせっかくだし、郡上誘ってみてもいい? 私も行くし。その日ちょうどバイト入ってないから」


 そう、花火大会の日は電車も何もかも混みあうからと短期バイトも入れなかった。いつもの店も運よく定休日。私は静かに家にいるつもりだった。


 「女の子増やした方がいいなら郡上に相談してみるけど」


 「全然。2人が来てくれたら」


 即答だった。美結くんがここまで言うのだ、郡上に宛がう笠松くんはよほどいい人なのだろう。




 なお、その後誘った郡上の返事は即答で快諾。もちろん美結くんたちが一緒であることも説明した上でだ。話が早くて大変ありがたい。迷わない女、郡上窓香。


 私からの要望としては、美結くんと笠松くんの他に、予定が空いていそうなら山県くんも呼んでもらえないかとお願いをした。男2、女2だと万一郡上と笠松くんが良い感じになった余りが私と美結くんになる。そんな面白い構図は耐えられない。とは、さすがに本人には言わなかったけれど。


 美結くんは一瞬微妙な顔をして『なんで山県?』と不思議そうにしていた。郡上も話しやすいだろうし、とせっせと理由を後付けして、なんとか納得してもらえたのだった。





 ≪え、浴衣着ないの≫


 そう郡上から返信が来たのは、花火大会の前日の夜。いつものバイト終わりに携帯を開いて、どう返事を打とうか頭を捻る。郡上の怪訝な顔が目に浮かぶようだ。


 ≪郡上は着てきてよ≫

 ≪いや一人だけ浮かれてるみたいになるでしょうが≫


 確かにそれもそうだ。しかし今更すぎる、私は浴衣を持っていない。


 ≪浴衣持ってないし≫

 ≪うち5着あるから≫

 ≪え、下宿先に? 衣装屋でもやるつもり?≫


 文字を打ち込んでいた手元にふっと影が落ちて振り返ると、支度を終えた美結くんがいた。


 「あ、ごめん。画面は見てないから」

 「全然見ていいよ」


 慌てて顔をそらした美結くんに自ら携帯を晒して見せる。「お祭り女と揉めてるところ」と伝えると、美結くんは首を傾げた。


 「……浴衣?」

 「そう。あ、大丈夫。機動力失うから着ない」

 「機動力いる? 花火大会に」


 なんならスニーカーで行くつもりだった。郡上と笠松くんを置いて猛ダッシュをする場面があるかもしれない。


 「せっかく郡上さんが着るなら、宇佐木も着たらいいのに」

 「いざというときに走れなくなるよ」

 「そんな場面はこないから」


 そうこう言っている間に郡上からポンポンと追い打ちをかけるような鬱陶しいスタンプが連打で送られてくる。


 「……確かにもう死ぬまで二度とこんなメンバーで花火大会に行くことはないかもしれないし」

 「宇佐木はどういう世界観で生きてるんだ……」



 そして結局、花火大会当日の午後4時に家に押しかけてきた郡上窓香によって、私はうっかり浴衣を着せられるはめになる。


 「多分汚すよ私」


 「んな高いものじゃないからいい。クリーニングだけよろしく」


 「ていうか郡上、思ってたよりノリノリでびっくりしたんだけど」


 「そりゃあもう。花火大会は何かが起きるようになってるから」


 郡上は私に帯を締めながらニタリと笑った。今日も美しい黒髪をかきあげながら。


 協議の結果、待ち合わせは現地の最寄り駅近くのコンビニ前となった。郡上との激しい攻防戦の末に、妥協案として履きなれたサンダルを勝ち取った私はそれなりの機動力を確保することに成功している。歩行はスムーズだ。漫画のように鼻緒を切ったり靴擦れをして戦線離脱するようなことは、今日のような裏方ポジションにあってはならない。


 「思った通り人めちゃくちゃ多いけど、非常に見つけやすいね、あの人たち」


 郡上がげんなりしながらそう言った。私も遠目に見て足を止める。確かに、彼らの周りだけ切り取られているんじゃないかというほどぽっかりと人がいない。一方で誰かと待ち合わせをしているのだろう女の子たちは、ちらちらとその3人の方を見やっている。

 3人というか、おそらく真ん中のその人を、なのだろうけど。


 「あんな中飛び込んだらいくら私でも背後が怖い」

 「でしょう。そうでしょう郡上」


 姿は見つけたのでそのままこちら方面に歩き出してほしい、その後に合流しようとメッセージで美結くんに提案すると、ぱっと携帯を見た彼の顔が上がった。随分離れているのに、向こうもどうやら私たちの姿を確認できたらしい。


 初対面となる笠松くんと簡単に挨拶をし、それぞれそれなりに言葉を交わしたあとなんとなく歩き出すと、山県くんがひょっこりと隣に並んだ。


 「宇佐木ちゃんのことだから普段着で来るかと思ってた」

 「私もつい数時間前までそのつもりだったからね」


 郡上の圧に勝てる哺乳類はいない、と説明すると山県くんはゲラゲラ笑った。私たちの前方にいる郡上の両隣を笠松くんと美結くんが挟むようにして歩いている。対面から走ってきた自転車のおじさんが惚けるように3人をじっと見たまま通り過ぎていった。その気持ちは大変分かる。


 夜店が出ているところまであと1キロほど歩かなくてはならない。私と山県くんは前の3人と少しだけ距離を空けていた。


 「何なら、花火大会とか行かなさそうなのに」

 「ここの花火大会は夜店があるでしょ」

 「? まあ、うん、すごい規模だけど」

 「そう。夜店にはお面がある」


 人前で散々美結くんとの交流を避けてきた私が何故これだけ人の多い花火大会の参加を決めたか。

 それは合法的に変装で顔を隠せるからだ。それに尽きる。


 「今日1日私は存在しない生き物として同行するつもりだから」

 「えッまさかお面ゲットしたらずっとお面つけるつもり? なんで? 宇佐木ちゃん実は要人?」


 そして山県くんと話していて分かったこととして、彼は笠松くんが郡上に思いを寄せていて、それによって美結くんが今回のことを企画したのをどうやら知らないということだ。危ない、うっかり共有されたミッションだと勘違いして作戦を相談してしまうところだった。


 それにしても。


 (……どう考えても、この中で1番郡上と似合うのは美結くんだけどな)


 瑞穂の1件があるのでもう美結くんの今後の恋愛事情に突っ込むつもりはないけれど、あらゆる経緯をとっぱらってみた時に2人はとてもバランスがいいと思ってしまう。

 しかし笠松くんがいる手前、そんなことは言えるはずがない。


 「そういえば山県くんも今彼女いないんだ」

 「そーなんだよ~、1年の夏にできて秋に分かれた」

 「セミだね」

 「おいおいおい」

 「まだいいよ。私1回もできたことないし」

 「できるできる、大丈夫」

 「根拠なにもないじゃん」

 「今日花火大会だよ? 何かあるかもしれんじゃん」

 「みんなして花火を何の儀式だと思ってんの」

 「だってほら考えてもみなよ、今日このメンバー」


 そう言われて、前を歩く3人と、そして念のため隣の山県くんも見た。


 「……郡上目的で寄ってきた人を狙うってことか」

 「ハエトリグサみたいなこと言わないでよ。じゃなくて、ほら、」


 山県くんは声のトーンを落として、美結くんの背中を小さく指さす。


 「……誰も彼もすぐ美結くんをネタにして」

 「彼氏としては絶対いい奴だよ。どう」

 「だとしても私と付き合うことはないから」

 「えっ美結ちゃんと連絡取り合ってんでしょ?」

 「必要最低限ね」


 そのタイミングで丁度くるりと美結くんがこちらを振り返った。そういえば知らない間に前の3人と結構な距離ができていたらしい。すぐ前方に夜店の並びの入り口が見えてきている。


 「……山県。なんか俺のことしゃべっただろ」

 「言ってな~い」


 美結くんは山県くんには私に対してより遠慮がなく少々ぶっきらぼうだ。気心が知れているんだろう。


 「宇佐木、何か食べたいのある?」


 「実を言うと、割とあります」


 だんだんと日が落ちていき視界が悪くなると、夜店に吊るされた色とりどりの提灯が人混みの頭上を照らしていく。さすが地域随一の花火大会だ、少し目を離したらはぐれてしまいそうになる。


 (……逆にここなら、知り合いに会う心配なんてしなくていいかも)


 これだけの人数が(うごめ)いている中では、仮に相手が美結くんを見つけても、その一行の中に私がいるとは分からないだろう。結局お面は買ったものの、せめてうさぎのお面にしろとうるさい郡上のせいで本当にうさぎのお面をつけさせられた。


 なお、当初の予定通り顔につけようとしたら『転ぶよ』と美結くんに思いっきりお面を横にずらされて、今や私の見た目は完全にお祭りに浮かれた人間になってしまっている。


 「なんで夜店の鉄板料理ってこんな意味が分からないくらい美味しいんだろう」


 この花火大会は大きな川沿いの河川敷で行われている。何万人とごった返していても、土手の坂に少し出れば人混みを避けて座り込むことができた。


 「宇佐木、気持ちいいくらい食べるね」

 「家で作っても再現できないから絶対後悔がないようにしたい」


 笠松くんと郡上は美結くんの采配により、2人でりんご飴の列に並んでいる。初対面同士ながら、すっかり打ち解けているようだ。もしかするともしかするかもしれない。


 「お面いらなかったんじゃない?」

 「いざというときにあると便利だから」

 「まあ、子供みたいで可愛いけど」

 「つけようとしてたのズラしたの美結くんだよね」


 そして私はどんな美青年の前だろうが遠慮なく焼きそばを(すす)らせていただく。


 「あ、どうしよう。山県くん消えた」

 「山県、あそこ。からあげのとこ並んでる」

 「えっ私も食べたい」

 「宇佐木のも頼んであるから大丈夫」

 「うそ、天才……?」


 子供の泣き声や呼び込み、女の子の楽しそうな笑い声がいくつも背後を通り過ぎていく。あまりに溢れかえった人の中では、私が今まで気にしていたような視線はあちこちに散らばっていてわざわざこちらには向けられない。


 「今更だけど、美結くんが花火大会行こうなんて言うとは思ってなかった」


 ぽつりとそう零すと、隣に腰をおろした美結くんが「なんで?」不思議そうに首を傾げた。


 「……いや、今こんなこと言うとちょっとデリカシーないかもしれないんだけど、……美結くんって彼女できてもこういう夏のイベント絶対に行かないって有名だったから。友達のためだったら行くんだなと思って」


 「あー……」


 これに関しては本当に有名だった。美結くんだって隠してもいないはずだ、と思う。歴代彼女がそれを証明しているのだから。


 「彼女が心配だから、敢えてそういう人が多いところ避けてるんだろうなとか、周りのみんなは考察してたけど」


 もうすぐ花火が打ちあがる旨を伝えるアナウンスが流れ始めた。音が割れすぎて大事なところは全く聞こえないけれど。


 「まあ、うん。確かに行ったことない」

 「今回は笠松くんのために一肌脱いだんだもんね」


 ふわふわとした非日常感と、何からもたらされるのかわからない言い知れぬ高揚感が織り交ざって、普段は何も意識して見つめない川面まで幻想的に見える。


 「……宇佐木は彼氏とこういうお祭りみたいなの行きたい?」


 「どうかな、できたことないからわかんないけど。でも思ってたより楽しいから、彼氏がどうこうというよりはまた来たいな」


 彼氏。果たして死ぬまでにできるんだろうか。社会人になってからのオフィスラブに期待するしかない。



 「なんか山県くんが言いたげにしてる。なんだろう」


 「個数の確認かな」


 列に並んでいる山県くんがこちらに向かって何やらサインを送ってきていた。分からないけれどとりあえず両腕を大きくぶんぶんと回して「いっぱい」と表現する。ほぼ間違いなく意思疎通はできていないはずだろうけれど、山県くんは親指を立てて、何やら分かったような顔をして列に戻って行った。


 「絶対わかってないよね」


 思わず笑ってしまう。美結くんとも笠松くんとも違う、ひょうきんな人だ。



 「…………宇佐木、やっぱり山県のこと結構気に入ってる?」



 絶妙な間のあと、まるで怖い話でもするようなトーンで美結くんがそう言った。


 「な、なに? みんなはちょっと異性同士が仲いいとそういう風に見えるの? 何かフィルターかかってない?」

 「いや、……なんとなく」

 「私が気に入ってるなんて言ったらどこから目線ってなるけど、でも、まあ確かに話しやすいかも。山県くん」


 それこそ上から目線が過ぎるので決して口には出せないが、山県くんは本巣同様こちら側に近いと思ってしまっている節はある。美結くんや郡上を後ろから見て、実況をする側の人間だ。


 「あと普通にいい人だし」

 「そっか」


 もしかして実は美結くん、山県くんとはそんなに仲良くないんだろうか。男同士の友情というのはよく分からない。あまり仲が悪くても悪口を言い合うようなイメージがないけれど。


 そして、この流れはもしやと閃いて私は焼きそばを啜る手を慌てて止めて美結くんの方を向いた。暗闇の中でも完成されている、素晴らしい横顔だ。



 「私は大丈夫だから。何度だって言うけど私は美結くんをそういう目で見たり絶対にしないから。本当に。安心して。誰かに勘違いされそうになったらそう説明して」



 山県くんを見習って私も親指を立てる。私と美結くんの間には様々なすれ違いを乗り超えた友情がある。邪なものがあると思われたくない。

 

 「はは、……ありがとう」


 「本当だから。絶対だから。心配しないで」


 「すごい、本当に、全く眼中にないんだ」


 安心してほしくてそう言ったのに、美結くんの声がどこか泣きそうで、私は「え、」食べるのを再開しようと思っていた焼きそばに向かう手を思わず止めた。


 「え、あの、待って、ええと、私にとっての美結くんはそうってだけで、多分みんなは美結くんに迫られでもしたらもう、それはもう、イチコロだと思う」


 焦ったあまり、イチコロなんて単語生まれて初めて使った。イチコロがどういう意味なのかよく分かってないのに。


 まずい。

 私は決して美結くんに異性としての魅力がないということを言いたかったわけじゃない。客観的に見れば絶対に美結くんは理想的な恋人になるだろうし、過去の実績がそれを証明しているのだから疑いようがない。



 「ちが、今のは美結くんを評価するとかそういうんじゃなくて」


 「俺は宇佐木のことが好きだよ」


 「いやもうそれは私ももちろん、」



 え?



 体内の血流が全部、止まったかと思った。そんなことがあるはずないのに。


 まさか。そうだ。他人に直接好きだなんて言われることがなさすぎてうっかり意味を取り違えそうになった。美結くんはなんでもかんでもストレートすぎるのだ。危ない、驚きすぎて郡上に借りた浴衣のままこの坂を転げ落ちてクリーニング代どころでは済まされないところだった。こんなところで高校球児の滑り込みボケをやっても誰も笑っちゃくれない。



 「え、あ、ありがとう、美結くんにそんな風に言ってもらえるなんて、」



 人間として自信持てるなあ、と、明るく出したはずの自分の声は何故か震えていた。



 「人としても好きだけど、俺のは、恋愛感情としての好きだから」


 「へ、」


 「……郡上さんと笠松戻ってきた。多分山県ももう終わりそうだし、行こう」



 (え?)



 そんなはずは、絶対にない。あり得ない。あってはならない。



 (なんで?)



 ツウ、と、頭のてっぺんから足の先まで冷えていく。


 追いかけないと。その意思はきちんとあって、私は妙な浮遊感の中で感覚のない足を前に進めていた。


 「宇佐木」


 「え」


 「気にしないで。……フラれるつもりで言ったから」


 先が見えないほどに立ち並ぶ鮮やかな夜店のビビッドな明かりを背に私を振り返った美結くんの姿は、きっとルーブル美術館の壁を大きく飾っても遜色ないほど綺麗だった。


 美結くんがフラれる? 誰にだ。そんな身の程知らずな不届き者が世の中にいていいはずがない。


 (待って)


 「遅くなってごめーん、なんか前の人がキャッシュレスでなんとかしろって揉めてて」


 郡上と笠松くんがだんだんと近づいてくると、狭まっていた視界が開けてくる。


 「ほい、宇佐木ちゃん。絶対さっきのジェスチャー伝わってなかったでしょ。何個いる、って聞いてたのに丸ってなんだよ~」


 差し出されたカップに入ったからあげからは、たまらないくらい食欲をそそる香りが立ち上っていた。


 「あ、ありがとう。ごめんお金」


 慌てて財布を取り出そうとすると「いーよ、もう美結ちゃんからもらったし」と山県くんは笑う。ちょっといつの間に、と本当なら美結くんを振り返って無理にでもお金を押し付けるのに、視界の端で笠松くんと話している美結くんに今はどうしても話しかけられそうになかった。



 花火はまだ、ひとつも上がっていないのに。




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