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第1話 代返はしない方が良い




 キャンパス中央にある総合教育棟3階の吹き抜けからは()()がよく見える。まるで神になったかのような心地で、私はほうっと息を吐いた。


 「6番目の彼女の方が良かったと思うんだけど」


 「他人の彼女の品定めすんのやめな?」


 私たちの話題となる"彼"は新しい彼女を連れてどこかへ去ってしまった後だった。



 美結(みゆ)(いつき)


 名前の字面からして主人公然とした彼とは同じ中学で出会ってから約7年の付き合いになる。出会ってから、とは言ってもそれは私の一方的な認識で、彼は私のフルネームを漢字で書けないどころか、うっかり対面してもきっと『どこ出身?』と聞いてくるだろう。それで結構。

 私と彼の立ち位置を説明するなら、眉毛すら描いてもらえないモブと少女漫画の主人公という表現が最も正しい。私は彼の物語のベンチにも入ったことがないし、今後も入るつもりはない。


 「6番目って、じゃあ今何番目なわけ」


 興味なさそうにしながらもそう投げかけてくる郡上(ぐじょう)窓香(まどか)は、中身のなくなった紙パックジュースを可愛げなく握り潰した。大学に入ってからできた友人で、彼女もまた主人公にふさわしい。

 いや、主人公ではないかもしれない。正直、彼女の第一印象は悪役だった。


 「どうだろ。正確には15番目かな」

 「へーえ。ご立派」


 私が美結くんに詳しい理由については、決して彼に叶わぬ恋を長年しているだとか、あるいは憎き親の仇だとかそんな複雑な背景があるわけではない。どの時代においても彼が目立ちすぎるからであり、そして偶然にも中学高校大学と同じ進学先を選んでいるから。まずこの2点に尽きる。

 後者だけで言えばもう1人該当する人間がいるけれど、そちらについては割愛する。


 高校の時には一度、あまりに彼に詳しすぎるのではと噂になってしまい『付き合っているのか』『こじらせた片思い女か』と一軍女子グループに追い詰められたことがあるけれど、誠心誠意まごころを込めて否定した。


 この年齢になって人間観察が趣味ですなんてしょっぱいことを胸を張って言うつもりはない。

 どちらかと言えば、生きている漫画を読んでいるような感覚に近いのだ。かと言って彼が"推し"なのかと言われればそうでもない。中学の時からダラダラ読み始めてみたらなんとなく新刊が出る度に買ってしまい、生きているうちに完結するならとりあえず追いたい。美結くんはそんな漫画そのもののような存在なのだ。


 「次の4限何とってんの」

 「近代日本の歴史」

 「一般教養(ぱんきょー)だっけ。出席あり?」

 「出席ありだしレポートあり」

 「ハズレじゃん」


 次は専門科目だと言う郡上と別れて、私はベンチから腰を上げた。

 私と郡上は経済学部で、美結くんもまた同じ。

 しかし美結くんの進路は少々(いわ)く付きであることも知っている。


 彼は元々、別の大学の工学部を狙っていたらしいのだ。それはその当時付き合っていた歴代の彼女が吹聴して回っていたから有名な話で、それ故に美結くんを狙う人たちがこぞって進路をそこに切り替えてしまったというもっぱらの噂だった。


 謎にその大学の倍率を上げてしまった美結くんは周りに嫌気が差したのだろう、その後『進路を変える』と宣言し、そして誰もその新しい進路というのを知ることは許されなかった。いくら詳しい私もそれは同じ。どうか彼が大学では穏やかに生きられますように、と祈った矢先の入学式に彼がいたのだ。


 工学部ではなく経済学部に。


 (……ロボット工学やりたいってずっと言ってたのに)


 言ってたのに、は語弊がある。私が彼に直接聞いたわけではないので、言っていたのを聞いたことがあるというのが正解。


 高校の頃の美結くんはあの見た目に似合わず、なんていうと今の時代怒られそうだけれど、体育会系ではなくて物理部に入っていた。しかも副部長だ。一時は美結くんの影響でこの物理部にも女子の入部希望者が殺到したけれど、入部試験を設けたおかげで彼らの平和は保たれたという。



 「──ねえ、次『近代日本の歴史』受ける?」


 そう次の授業の教室前で声をかけてきたのは、楽器を何も弾かないのに軽音楽部に在籍していることで有名な同級生だった。何故かいくつか一般教養科目がかぶっているせいで一方的に知り合い認定されている。アプリコットの髪に人工的な明るい瞳の色がよく似合う華やかな人だ。


 「うん。そうだけど」

 「今日さ、この後用事があって帰んなきゃいけなくて」


 ぴら、と差し出されたのは白紙の出席カード。この授業では最後に提出する必要があるため始まる前に出席カードを出しても意味がない。

 つまりいたことにして代わりに出しておいてくれということらしい。


 「いいけど、レポートあるよ。そっちは私さすがに書けないんだけど」

 「それはなんとかするから大丈夫~」


 語尾にハートをつけて、水着同然の恰好で颯爽と去っていった。すごい自信だ、出席カードに書かなくちゃいけない自分の名前を私がちゃんと知っていると思っているんだろうか。……知っているけど。


 (レポート書かせる人がいるなら出席もその人に任せたらよくない?)


 出席カードを2枚持っていることがバレると厄介なので、1枚はポケットに忍ばせて真ん中より少し前の席を取った。この授業は途中退出が許されないからか、他の授業なら後部に集中しがちな席もまばらに空いている。確かに単位を取るにはサボりが許されないけれど、そのおかげで変な人が受けておらず落ち着いた空気が好きだった。


 そんな授業を何故先ほどの彼女が取っているかについては、最前列の端の席に座っている彼が答えを持っている。


 (あ、また最前列)


 飾り気のない白いシャツに、焦げ茶色の髪。よくある後ろ姿で顔は見えないのに、それが間違いなく美結斎だと分かるのは長年(つちか)われた目のおかげだろうか。


 ちなみに先ほど私に代返を依頼してきた彼女は、美結くんの15番目の恋人の女性ではない。美結くんは自分の取る授業を絶対に人に教えないので、おそらく偶然か、何かのツテで狙って取ったのだと思う。そしてこの授業きっかけにお近づきになれると思ったらあしらわれたので、単位が取れさえすればどうでもよくなったのだろう。

 

 何故こんなにも彼は注目されるのか。


 答えは簡単。顔がいいからだ。

 そして性格についてもやっかみ以外悪い噂は聞かないし、歴代の彼女たちも別れたあと決して彼について恨み言を言うことはない。美結くんの口コミだけでちょっとした本を出せるくらい、私は中学の頃から聞き貯めて感心している。


 授業を終え、書いておいた例の彼女の出席カードを自分のカードの下に重ねて教壇の方へ進んでいたその時だった。


 

 「──ねえ」



 私の世界が、カチ割られたような気がした。


 「え」


 ガッと掴まれ引っ張られたのはおそらく私のトートバッグで、私にだけ特別なG《重力》がかかったのかと──天を仰ぐ前に気が付けば力づくで私は着席させられていた。痛むお尻が現実だと教えてくれる。カチ割られたのは私のお尻かもしれない。 はっと顔を上げて視界に映った教授は出口の方に寄り掛かって学生が出ていくのを待っている。私の奇行を見とがめてはいないらしい。


 「これ。出さなくていいから」


 そう言って"彼"は私の手から2枚目の出席カードを奪い取ったかと思えば、その手の平でぐしゃりと捻り潰して団子にしてしまった。

 

 「え?」


 普通に困る。それは彼女の出席カードで、講義後には新しいカードはもらえない。受けた依頼を私が蹴ったことになる。



 しかし私は急に話しかけられた衝撃と、私があの子の代返をしていたことを何故か知っていることへの疑問と、捻り潰されたショックで混乱していた。混乱、そして絶句。


 私が何か言い返す前に、彼──美結斎は、私の出席カードと自分のカードを持って教壇の上に置き、出て行ってしまった。


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