言えなかった言葉
いつも、世界に存在するふりをしています。
私のような人間は、常に人の顔色を伺い、人の機嫌に合わせて行動するような女です。そうでないと世界に存在できないのです。
では、本当の私はこの世界のどこにもいないのでしょうか。
誰にも気づかれず、この世界から消えてしまえたらどんなに幸せだろうと思います。
死にたいと人に言うと、即座に「やめろ!」と否定されます。
まるでその言葉は口にするのも大変憚られる、強烈に人を不快にさせる言葉のようです。
私は次第にその言葉を口にするのをやめてしまいました。
しかし私は自分の心に正直になりますと、
やはり、死にたいと思うのです。
***
赤い背景に黒い太文字のフォントで印象づけられた゛探しています。゛という文字。 駅の柱に張り出されていたそのポスターを見た私は思わず足を止めた。
ポスターに近づきその中央に載せられた女性の写真を改めて見る。 成人式の時の写真だろうか、振袖姿でカメラに向かって歯を見せて笑う女性。私はこの女性を知っている。
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探しています。
綾野 幸子 28歳
身長:167.5センチ
体格:細め
服装(当時の服装です)
上半身:青い半袖のワイシャツ
下半身:黒のズボン
靴:黒いヒール 髪型:茶色のセミロング
2026/2/16に自宅を外出後、行方がわからなくなっています。
どんな些細なことでも結構です。情報をお知らせください。
連絡先:××県△△警察署 生活安全課
電話:×××-××××-×××
2/16 PM14:00頃に△△駅でみかけたという情報がありますが、その後行方がわからなくなっています。
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振袖姿の写真の隣に防犯カメラの映像と見られる、青い半袖のワイシャツに黒のスラックスをはいた女性の写真が載っていた。
だが、写真の画質が悪い上にボケていてよくわからない。
「——ユキ———」
綾野 幸子は以前私と同じIT企業に勤めていた同僚だった。一ヶ月ほど前に仕事を辞めて、いまは別のIT系の会社に就職したと聞いていた。
彼女はいま行方不明になっているのか。どういうことだ。幸子に何があったのだろうか。
だが、今の自分にできることなどなにもない。幸子が会社を辞めてから関わる機会がどんと減り、連絡もそこまで頻繁にとっていなかったのだ。 幸子の行方など知るはずもない。
その瞬間、ある可能性が頭をよぎったが、すぐに取り払って仕事へ向かった。
***
綾野 幸子は大人しい女性だった。
あまり積極的に人と関わらないし、飲み会にもほとんど参加しない。
背が少し高く、細長いスラっとした体躯に、鼻筋の通った端正な顔立ち。艶やかな長い黒髪が綺麗な女の子だった。
美人な上に仕事もかなりできたため、完璧すぎて隙が無く、会社の同僚の中でもなんとなく近寄りがたい雰囲気があった。 一人でいても、それを自分で望んでいるような、孤独というより孤高という言葉が近い人だった。
そんな幸子と私がたまに食事を一緒にするような仲になったのは、私が「その靴オシャレだね」と声をかけたことがきっかけだった。
幸子との食事は最初は楽しかったが、徐々に幸子の愚痴を私が一方的に聞くような会話になり、正直あまり楽しくなかった。
「隣の席の先輩がさ、ずぅーっと自分の話ばっかしててまじでうざいんだよね。こないだ飲み会で終電逃して駅で寝てたわとか、こないだ豪雨の中ゴルフやってボールが全然コントロールできなくてやばかったとか。興味ねぇっつの。 そのくせさ、私がこないだ海外旅行行きましたとか言っても全然話広げないんだよ?!なんなのコイツって思ったわ」
「こないだ結婚した林田さんさ、結婚した後も風俗行ってるみたいな話しててさ、職場でしかも女がいる前でそんな話する?それも、『また行っちゃたわ〜』みたいなかんじで、浮気してるのを悪いこと自慢みたいに話すんだよ?おかしくない?あれで結婚してるんだよ?」
「うちの次長さ、この前レビューしたんだけど理解させるのにめっちゃ時間かかってさ。システムの前提知識足りてないんじゃないのかなって思った。あれでよく次長とか名乗れるよね。 それにさ、次長代理の坂本さんに聞いたんだけど、次長って家で洗濯物の畳み方が違うと奥さんに怒るんだって!洗濯物くらい自分で畳めよって感じじゃない? なんか役職持ちの人って偉そうにしてるだけで、人として尊敬できる人って少ないのかなって思う」
会社の次長を非難した時は流石に止めた。誰が聞いているかわからないし、なにより28歳の若手が次長に指摘するなんてとんでもないことだと思ったからだ。
***
幸子が結婚まで考えていた彼氏と別れた時は、本当に手がつけられなかった。
夜にいきなりLINEで幸子から「別れた」と伝えられ、翌日に職場近くのファミレスで会うことになった。
付き合って半年ほどだった。喧嘩したわけでもなく仲良く過ごしていたが、向こうから別れを切り出されたらしい。
彼氏からは、「付き合う分には楽しいけど、結婚ってなると少し違う気がする。ごめん」と言われたらしい。 「それを言われて、あんたはなんて言ったの?」
涙と鼻水をティッシュで拭いながら幸子は答えた。
「わかったって」
「それから?」
「それで終わり。バイバイって」
「別れたくなかったんでしょ?なんで言わなかったの?」
「言えないよ」
「なんでよ」
「別れるのを引き留めるって、あなたがこれから先出会う誰かより、私のほうがあなたを幸せにできるってことでしょ?そんな自信ないもん。私が男で、私みたいな女と付き合ってたら絶対別れるもん」
私は頭を抱えた。なんでこいつはこんなにも自己肯定感が低いのか。容姿に恵まれてて、仕事もできて、こいつのどこに自分を嫌悪する要素があるのかまったく理解できなかった。
「浮気してる林田は結婚してんのにね。私はあの男以下か」
「そんなこと誰も言ってないじゃん。結婚はタイミングだよ。ユキに合う人が現れてないだけだよ」
「私に合う人かぁ‥‥」
ファミレスのソファの背もたれにゆっくりと体を預けながら幸子はポツリと言った。
「私、結婚できない気がする」
***
綾野 幸子が遺体で発見されたと知ったのは、彼女の行方を探すポスターを見てから一週間ほど経ったころだった。
今朝、会社に来ると上司が血相を変えて私のところへやってきた。なにかミスをしたかなとその瞬間に昨日までの仕事を振り返っていたら、上司の口からこぼれたのは思わぬ言葉だった。
「警察の人が来てる。相田さんに話が聞きたいそうだ。一緒に来てくれ」
会社の機密情報があるため、警察はオフィスの中へは入れない。お客様との接待で使う会議室を借りて私と上司が並んで座り、二人の刑事が向かい合って座った。
「お忙しいところすみません。相田さんは綾野 幸子さんと仲がいいと聞きまして」
「ええ、まあ」
「綾野幸子さんが行方不明になっているのはご存知ですか?」
「はい、駅のポスターで見ました」
「綾野さんは一昨日遺体で発見されました」
刑事は短く告げた。私が驚く暇も与えず、刑事は続けた。
「2/16に綾野さんは会社を休んでおり、一人で沖野峠という場所に行っていたようです。遺体はその沖野峠の山道で見つかりました。
死因は頭蓋骨骨折による脳損傷。遺体の状態から、車に撥ねられ頭を強く打ったと考えられます。 ガードレールが少ない場所でしたので、撥ねられた後、そのまま山道の方に転げ落ちてしまった可能性が高いです」
刑事はもう一つ写真を取り出した。
「これは沖野峠付近にあるコンビニの防犯カメラの映像です。これが綾野さんかと見られ、後ろに男性がいるのわかりますか?」
写真に写った人物を指さししながら説明する。
「この男、女性を標的にした連続凶悪事件の容疑者なんです。我々はこの男が綾野さんを殺した犯人である可能性が高いと思っています。
先日逮捕し、いま取り調べ中なんですが、この男、綾野さんは殺してないと供述しているんです。
奴が嘘をついている可能性もありえますが、過去の犯罪や綾野さんを襲ったこと自体は認めているのに、綾野さん殺害だけは否定していましてね。
そこで相田さんにお聞きしたいのですが、最近綾野さんの身の回りでなにか変わったことはありませんでしたか?」
刑事は話し終えると私の方を見ながらペンを走らせた。
突然の出来事に頭が混乱していた。幸子が殺された?本当に?
「あの‥‥」
私は乾いた唇を開いた。
「そもそも本当に殺人なんですか?」
刑事二人が驚いたように顔を見合わせる。
「なぜそう思うのですか?」
「あっ、いや‥沖野峠って、その‥‥自殺スポットですよね?」
そう、沖野峠はこのあたりでは知る人ぞ知る自殺スポットだ。そこに幸子が行ったということは———
幸子を探すポスターを見た時から、この可能性を考えていた。でもそれはなんとなく口にしてはいけないような気がしていた。
「ユキは自殺じゃないんですか?」
***
会社から主任になって欲しいという話を幸子が断ったと聞いて、私は飛び上がりそうになった。28歳で主任に推薦なんてうちの会社では超出世コースだ。
「だって、別にいまの生活で満足してるし。お金もそんなに必要ないし」
「いや、いまはそうかもしれないけど将来結婚したりとか子供できたりとかさ、老後とか、お金なんてたくさんあって困るもんじゃないじゃん。こんなチャンス逃すなんて信じらんない」
「そんな先のこと考えらんないよ」
幸子はヘラヘラと笑いながら答える。こういう時の幸子は、自分の将来など、どうでもいいとでも言いたげな投げやりの態度になる。
私はそんな幸子の態度が大嫌いだった。
なんでもっと自分のことを考えないんだろう。
なんでもっと自分を大事にしないんだろう。
「私そんなに長生きしないと思うから。今日を楽しく生きられればそれでいいの」
「あんたまさか」
私はゆっくり息を吸う。自分が少し震えているのがわかった。
「まだ死にたいとか思ってんの?」
「———‥‥」
その言葉を吐いた瞬間、空気が一気に張り詰め、心が鉛のようにずんと重くなるのを感じた。
幸子が前から死にたいと言っていたことは私も知ってた。そのたびに強く引き止めてきた。
「いい加減にしてよ!」
周囲の視線も気にせず、私は大声で叫んでいた。
「死んだらまじで許さないから。あんたはそれで楽になるかもしんないけど、私はどうなんのよ。友達が自殺したらめっちゃ気分悪いよ!しばらくまともにご飯食べれないよ!多分一生引きずるよ!あの時友達自殺したんだよなぁって思い出すよ!」
私は水を勢いよく飲み干した。私は泣いていた。
「自分勝手すぎなんだよお前は」
捨て台詞のようにそう吐き捨て、涙を乱暴にハンカチで拭った。
「ごめんね」
幸子は眉尻を下げて、そう告げた。
***
幸子の葬儀は雨の日の中、ひっそりと行われた。
警察からの事情聴取はあれから小一時間ほど続き、幸子の普段の言動から自殺願望があったと考えられる旨を淡々と話した。
仮に幸子が自殺する目的は無く、別の目的で沖野峠に向かったとして、そこでたまたま凶悪犯罪者と遭遇したとする。
そこで幸子は必死になって逃げたのだろうか。生きようとあらがったのだろうか。
突っ込んでくる車をそのまま受け止めたのではないだろうか。
自殺願望はあるものの、自分から死を選ぶことができなかった幸子が、偶然にも凶悪犯罪者と遭遇し、その男は自分を殺そうとしている。
彼女は男の殺意をそのまま受け止めたのではないのだろうか?
「あなたが相田さん?」
突然そう声をかけられ、振り向くと幸子の母親だった。
会うのは今回の葬式が初めてだったが、お焼香の時に顔を見ていた。
「はい。このたびはご愁傷様です」
そう頭を下げる。
「幸子からよく話を聞いてました。仲良くしてくれると同期の子がいるって」
「そうでしたか」
そう答えると同時に、幸子が不憫だと思った。私からすれば幸子は仕事終わりにまたにご飯に行く程度の友人で、実はそこまで親密な関係だと思っていなかった。
しかし今日の葬儀で幸子と同い年くらいの参列者が私しかおらず、あとは職場の方と思わしき年配の男性と親族くらいだった。
ひょっとしたは幸子は、私くらいしか友達がいなかったのではないだろうか。
「これ、よかったら相田さんにもらって欲しいの」
幸子の母からそう告げられ、一冊のノートを手渡された。
「あの子、日記を書いていたみたいなの。部屋を整理したら出てきて。もしよければお友達の相田さんにも読んで欲しいの」
「はあ」
よくわからずノートを受け取ると、葬儀が終わって家に帰ってからその日記を開いてみた。
その日記は、妙にかしこまった文体で、とても丁寧な字で書かれていた。
一週間ほど間が空いている時もあれば、4、5日連続で書いてる日などまちまちだった。
書きたいことがあれば書く程度の考えだったのだろう。
私はその綺麗な文章をゆっくりと追っていった。
***
12/22
いつも、世界に存在する振りをしています。
私のような人間は、常に人の顔色を伺い、人の機嫌に合わせて行動するような女です。そうでないと世界に存在できないのです。
では、本当の私はこの世界のどこにもいないのでしょうか。
誰にも気づかれず、この世界から消えてしまえたらどんなに幸せだろうと思います。
死にたいと人に言うと、即座に「やめろ!」と否定されます。
まるでその言葉は口にするのも大変憚られる、強烈に人を不快にさせる言葉のようです。
私は次第にその言葉を口にするのをやめてしまいました。
しかし私は自分の心に正直になりますと、やはり死にたいと思うのです。
自殺を即否定する彼らの気持ちがわからないわけではありません。
仮に私の大切な友人が自殺したとしたら、私は悲しむでしょう。三日三晩泣き、何日も苦しみ、食事ものどを通らず、寝られない日が続くでしょう。
しかし死ぬのをやめろとはとても言えません。本人が死を望んでいるのに死ぬのを止めるということは、死なれると私が不快だから死ぬなということです。自分のために死なないでくれと言っているのです。
死という人生において最も神秘的な瞬間に、他人の私が干渉することなど、恐れ多くてとてもできません。 だから私は死ぬのをやめろと即否定することはできないのです。
自殺を即否定するように、他人は平気で私の領域に土足で踏み込んできます。この人たちは私の人生に干渉できるほど、偉い人たちなのでしょうか。
いいえ、きっと私が芯のない人間ですから、人の意見に振り回されてしまっているだけなのでしょう。
私は他人に影響されやすい部分がありますので、人から〇〇したほうがいいよと言われるとそうなのかなと納得してしまうのです。
1/8
子供の頃、大人はみんなすごいと思っていました。仕事をして、お金を稼いで、買い物へ出かけ、ご飯を作る。洗濯や掃除をして、寝て、決められた時間に起きてまた仕事へ向かう。
自分一人では生きていけない子供時代の私からすると彼らは自分の力で自分の人生を切り開く、自由でかっこいい人たちに思えました。
そんな私も大人になって、改めて大人を観察すると、まるで子供のような大人がたくさんいるように思いました。
彼らはなぜあんなにも大人であることを振り翳し、偉そうなのでしょうか。
社会的地位が高く、みんなが敬うせいで偉そうにふんぞりかえっていますが、よく観察すると大して尊敬できる部分もない人や、他人に依存している人、他人を支配する人、他人を攻撃して自分の不安を取り去ろうとする人、暴力を振るう人、話し合いができない人、浮気する人、浮気したことを自慢げに話す人‥
私の人生の倍以上生きている人でも、そんなことが間違っているとも知らないのかと呆れるような人に出会うことが多々あります。
また、他人と食事をしてますと、食べている途中に話して、口の中の咀嚼物が見えたりしますと心底不愉快な気持ちになります。
また、他人の話は聞かないくせに自分の話ばかりする人も多いです。こういう人たちは揃って人の反応に無関心ですから、私がいくら適当な相槌を打っていても構わず話を続けます。
私はそういった人に出会った時、左手の薬指を見て指輪があるか確認する癖があります。
こんな人でも誰かに選ばれることがあるのだろうかと気になるのです。
そういう人たちを見ると、私は大丈夫だろうかと不安になります。
私は人の話をちゃんと聞いているだろうか、咀嚼中に話す時は口に手を当てているだろうか。
私は人を不快にさせないように生きています。極論、人を不快にさせない生き方とは、人と関わらないことなのかも知れません。
ですから私は一人で過ごすことがとても多いです。
1/9
″才能は神様から与えられた使命である″と、よく耳にします。
私は才能なんてとてもありませんが、私よりも仕事が遅い同期からは「頭の中どうなってるの?」とよく言われます。
そんなことを言う人は大抵、友達がたくさんいて、恋人や奥さん、旦那さんがいて、飲み会で大声で笑い合うような人たちです。私とは正反対です。
私からすると、あなたたちのほうが頭どうなってるの?と思います。と同時にそんな人たちを羨ましいと思うのです。
この民主主義の社会では多数派は常に正義ですから、望むこともなく、自然に正解派に所属できる彼らを心底羨ましいと思います。
1/21
日本が自殺しにくい環境にあることは私にとって救いであると思います。お陰でとても楽しく、幸せな時間を過ごすこともあります。
と同時に、とてつもなく苦しい時間を過ごすこともあるのです。
死にたいと言っても、痛かったり、怖いのは嫌なので薬を飲んで眠るように息を引き取る手段があれば、多少高額でも利用するでしょう。
私は海外旅行へ行くのが好きです。
私が普段住んでいる場所から遥か遠くに離れた場所に行きますと、まるで私がこれまで過ごしてきた世界からぷっつりと断絶されたように感じます。
私がここで死んだら、発見されてそれが私の知人たちに知られるのにどのくらい時間がかかるのでしょう。 もしかしたら、数十年発見されず、骨になり、あたりが雑草で生い茂り、山菜採りにきたおじさんに見つかるみたいなパターンもあるでしょう。
その場合やはり、骨の人物確認に時間がかかるでしょうから、やはり私の死が知人に知られるのはもう少し先になりそうです。
骨の人物確認など、私の身勝手な死に、人様の時間を奪うのは大変申し訳なく思います。
私は人に迷惑をかけたくありませんから、”この骨を見つけても見て見ぬ振りをして構いません”と書いたプラカードを首から下げるものいいでしょう。
いろんな言語で書けば海外でも通じるでしょう。
2/8
昨日の夜、雪が降りました。おかげで今日は雪が積もっています。
雪を見るといつも思うことがあります。人はみんな暖かい。人に囲まれるのは暖かい。
逆に一人は寒くて、寂しい。寒さとは孤独です。
私は死ぬならこんな雪が降る日が良いと思います。
関東に住んでれば、雪が降って積もる日なんて一年のうちに一〜二回あるかないかです。
死とは孤独です。生まれた時は大勢の人に囲まれていたとしても、死ぬ時はみんな一人になります。
だから私は死ぬなら、こんな雪が降り積もる日がいいのです。寒さと孤独を身体中に感じながら、静かに逝きたいのです。
でももし、死ぬ時も一人じゃないのなら。
誰かが隣にいて、手を握って、ありがとう。おやすみって言ってくれたなら。
それはどんなに幸せなことだろうと思います。
誰かが隣にいる死なら、その誰かの幸せを願って死ねるなら。
その日が例えどんな大雪でも、
きっとその死は暖かい。
2/13
私に才能などありませんが、人より深い感受性を持っている繊細な部分があると最近気づきました。
お陰で映画や音楽、小説に深く心酔し、繊細な物語に心動かされる幸せを感じることができます。
ですが苦しい時も多いのです。高い感受性を持っていますと、人の怒り、憎しみといった負の感情まで受け取ってしまうからです。
この能力が神様から与えられたもので、この能力で何かを成し遂げなさいという使命なのだとしたら、こんな能力は結構ですから、私を普通の人間にしてほしいと思います。
友達がたくさんいて、恋人がいて、飲み会が楽しめるような、多数派の、普通の人間に。
私は今日も、心療内科の先生に処方いただいた睡眠薬を飲み、眠りにつきます。うっかりそれを飲み忘れたり、病院に行く頻度が減って薬が無くなってしまうと大変です。確実に寝られません。
かといって薬を飲んでも確実に寝られるわけではありません。
いつでも死ねるからと思うと、少し気持ちが楽になります。
今日を生きることも精一杯の私に、一年後のことなど考えられるはずがありません。
今日を生きるために、私はまたこの日記を書くのです。
2/16
今日、沖野峠に行ってきました。会社は体調を崩したと嘘をついて休みました。
私はこの場所が昔から大好きでした。景色も綺麗で、空気も澄み切っていて、なにより晴れていると突き抜けるような綺麗な青空がどこまも続いています。
やはり自然に触れるのは大切なことなのでしょう。
私はネットの情報に疎いのですが、ここが自殺スポットだということを最近知りました。
夜はあまり近づかないほうが良いのかもしれません。
でも、この場所は星がすごく綺麗なのです。今日はもう少しここにいようと思います。
私には一年後のことも、一週間後のことも、明日のことでさえもわかりません。
というか、考える必要性を感じません。
私は今日を生きていくのです。
今日死なないために。
明日の朝を迎えるために
***
2025年2月26日 毎日新聞朝刊より一部抜粋
2/16より行方不明になっていた東京都の会社員 綾野 幸子さん(28歳)が、2/22に沖野峠の森林の中で遺体で発見された。
死因は車に追突されたことによる脳損傷。警察は当初、女性を標的にした連続凶悪事件の容疑者、浦部誠が、沖野峠近くのコンビニの防犯カメラに綾野さんを尾行する様子が映っていたため、浦部が綾野さんを殺害した可能性が高いとしてした。
しかし浦部は「多少の暴行はあったが、殺していない」と供述した。
後日、「ニュースでやっている女性を引いてしまったかもしれない」と110番通報があり、警察は本橋健介容疑者(56歳)を綾野さん殺害の容疑で逮捕した。
本橋容疑者は、「運転中になにか当たった感じがしたが、この場所は犬や鹿が通るため、あまり気にしなかった。後日ニュースを見てもしかしたらと思った」と供述している。
警察は、当時の走行状況や車両の損傷箇所を詳しく調べるとともに、ひき逃げの疑いも視野に入れて捜査を進めている。
浦部の供述によると、浦部は、沖野峠の広場で星を見ていた綾野さんに声をかけ、車に連れ込もうとしたが激しく抵抗され、睾丸を蹴り上げられ、浦部はその場から動けなくなった。
警察は、綾野さんはその後、浦部から逃げる際に車道に飛び出してしまい、本橋の車に衝突してしまった可能性が高いと見ている。




