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その役割『ロール』という名の鎖を笑い飛ばせ

この世界には、神が綴った絶対の台本がある。

 人は生まれながらにして『役割(ロール)』を授かる。農民として土に生きるか、騎士として剣を振るうか、あるいは王として国を統べるか。魂に刻まれたその刻印(こくいん)に逆らう者はなく、世界はその『秩序(ちつじょ)』によって、(いびつ)で、それでいて美しく管理されていた。


 大陸の最北端、極寒の吹雪に閉ざされた山脈のさらに奥。そこには人間が決して足を踏み入れてはならない、神代(かみよ)静謐(せいひつ)を今に伝える絶対不可侵領域ぜったいふかしんりょういき――『蒼水龍(そうすいりゅう)の聖域』がある。


 視界を埋め尽くすのは、天を突き刺すようにそびえ立つ巨大な水晶の柱だ。地脈の底から溢れ出る濃密な魔力を吸い上げ、淡く青白い光を放ちながら、幾重にも重なり合っている。

 光源はそれだけだ。上空を覆う分厚い氷のドームが、生命の源たる太陽の光を完全に遮断し、この場所を永劫(えいごう)薄明(はくめい)の中に閉じ込めていた。


 そして、この地を任されたリル・アクエルに与えられた役割は――『水龍脈の守護者』。

 世界の魔力の源である龍脈を守り、不純物(侵入者)を排除する、生ける防衛システム。


 ――ピチャン。

 どこか遠くで雫が落ちる音が、数百年の静寂を波紋のように震わせる。


 その清冽(せいれつ)な響きに導かれるように、水鏡のように磨き上げられた床の上で、リルはゆっくりと(まぶた)を持ち上げた。


 透き通るような水色の瞳。触れれば水のようにすり抜けてしまいそうな同色の髪。

 一度も外気に触れたことのない肌は、周囲の水晶よりも白く、陶磁器(とうじき)のように滑らかだ。そしてその額からは、彼の種族を示す二本の角が生えている。指先ほどの小さな、けれど宝石のように硬質で神聖な輝きを放つ、龍族の証。


「……今日も、異常なし、か」


 唇から漏れた声は、声変わり前の幼い響きを宿しながらも、数百年を孤独に生きた者特有の重苦しい倦怠感に満ちていた。


 リルは立ち上がり、自身の細い指先をかざしてみる。白く、細く、人間と変わらない小さな手だ。

 彼は、歴代の水龍の中でも群を抜いて最強の魔力を持って生まれた。彼がその気になれば、この聖域の水分を操り、大陸全土を一夜にして海に沈めることさえ造作もないだろう。


 だが、彼には龍族として致命的な「欠陥」があった。

 ――龍化が、できないのだ。

 どれほどの時を修行に費やし、どれほどの魔力を練り上げようとも、彼の体は一向に「龍」へと変じる兆しを見せなかった。山を砕き、天を舞い、雲を呼ぶあの偉大なる姿。一族の誰もが成し遂げる当然の通過儀礼が、リルにだけは訪れなかった。


 一族の長老たちは、異形のリルを「なり損ない」と呼び、そして恐れた。


『お前の魔力はあまりに異常だ。その姿で外に出れば、世界の理を壊しかねん』

 そうして与えられたのが、『役割(ロール)』という名の幽閉だった。


「……役割。僕の、存在意義。……それだけが、僕のすべて」

 自分自身に言い聞かせるように、祈るように呟き、リルが再び冷たい床に座ろうとした、その時だった。


 ――ザッ、ザッ、ザッ。

 静寂が、無残に踏み荒らされた。

 水滴の音ではない。硬い靴底が水晶の地面を削り、跳ねる、無骨で騒がしい音。

 同時に、リルは鼻を突く「異物」の匂いを察知した。

 凍てついた大気の中には決して存在しない、土の匂い、汗の匂い、そして――この世界を謳歌(おうか)する生物特有の、生々しい「生命」の匂い。

 リルは目を見開き、音の方向を射抜くように睨みつけた。数百年の孤独を破る、許されざる侵入者。


「無礼な。誰だ」


 リルの体から、青白い魔力の奔流が陽炎のように立ち上る。

 周囲の空気が一瞬で凍りつき、水晶の柱がピキピキと悲鳴を上げた。

 彼が放つ魔圧(プレッシャー)は、並の生物ならそれだけで心臓を押し潰され、絶命するほどの密度を持っている。


 だが、水晶柱の影から現れたその人影は、リルの殺気の中を、まるでそよ風の中を散歩でもするように平然と歩いてきた。

 見たこともない奇妙な服を着ている。光沢のある黒い上着に、金属の装飾がついたズボン。背中には、異様な形をした巨大な剣を背負っている。


 黒髪の少年――カイトは、リルの威圧など露ほども感じていない様子で、最後にリルと目を合わせた。


「うわ、すっげ。マジで全部魔鉱水晶じゃん。これ、売ったらいくらになるんだろ。あ、やっと人見つけた。なぁ、出口どこ? 俺、完全に迷子になっちまってさ」


「…………は?」

 リルは数百年ぶりに、知的な生物相手に言葉を詰まらせた。

 恐怖でも、畏敬(いけい)でもなく、ただの「迷子」として話しかけられたことなど、生まれて初めてだった。

 だが、すぐに守護者としての思考が戻ってくる。相手が何者であれ、領域を侵犯した罪は万死に値する。


「……人間風情が、気安く話しかけるな。ここを誰の領域だと心得ているんだ?」


 リルは一歩前へ踏み出し、凛とした、けれどどこか寂しげな響きを持つ声を張り上げた。


「と言われましても……」


「僕を誰だと思っているんだい? この地を任された、誇り高き龍族の一人、蒼水龍(そうすいりゅう)リル・アクエ……」


 その瞬間だった。

 聖域の最深部で、カイトが「あはは!」と、あろうことか腹を抱えて笑い出した。


「な……ッ!?」

 リルは、困惑と怒りに満ちた目でカイトを見下ろした。自己紹介を遮られたことさえ初めてだが、それ以上にこの状況で笑い出す神経が理解できない。


「あはははは! リルって! その見た目でその名前、ゲームで言う所の……っ、ひー! 最高すぎるだろ!ギャップ萌えって知ってるか?」


「ぎゃっぷ萌え……? ともかく、その呼び方は不愉快だ」

 リルの瞳に冷たい光が宿る。彼は右手をスッと水平に上げた。

 空気が震える。周囲の湿気が一瞬で一点に凝縮され、ダイヤモンドより硬い『水の弾丸』が数千発、カイトの周囲を全方位から包囲した。


「笑いすぎだ。死にたいのか? 役割(ロール)に従い、侵入者(インベーダー)を排除する。君がどれだけ異質な存在だろうと、僕の魔法からは逃げられないよ」


 リルが指を振り下ろした瞬間、数千の水弾が音速を超え、カイトを蜂の巣にする――はずだった。


「おっと。悪いな、俺の役割(ロール)は一応『勇者』だけど、俺自身のスキルは『システムブレーカー(ルール無視)』なんだわ」


 カイトの体が、一瞬だけ陽炎のように揺れた。

 数千の水弾は、まるで最初からそこに誰もいなかったかのようにカイトの体をすり抜け、背後の水晶柱を粉々に打ち砕いた。


 ズズズズン(・・・・)! という轟音(ごうおん)と共に舞い散る、水晶の粉塵。その光の雨の中で、カイトは無傷で立っていた。


「……当たって、いない……?」


「正確には『当たった事実を消した』んだ。この世界のルールに縛られてる攻撃は、俺には効かない」


 カイトは足元に落ちた水晶の欠片を拾い上げ、ジャグリングのように弄びながら続けた。


「なあ、リル。お前龍族って言ったけどさ、なんでそんなガキの姿のままなんだ? 龍って言ったら、もっとこう、デカくて翼があって、ブレス吐くもんじゃないのか?」


 ――禁句だった。

 それは、リルが数百年かけて自分の中で封印してきた、最大のコンプレックス。

「なぜ」なれないのか。その答えを持たないリルにとって、それは自身の存在そのものを否定されるに等しい言葉だった。

 リルの魔力が、怒りと哀しみで赤黒く変色する。周囲の空間そのものが悲鳴を上げ、温度が急激に低下していく。


「黙れ。人間風情が、僕を愚弄するか!」


 感情のままに、全魔力を叩きつけようとした。

 だが、カイトは動じない。それどころか、彼は水晶の残骸からひらりと飛び降りると、魔力の奔流の中を平然と歩き、リルの目の前までやってきた。


 そして、あろうことか。

 ポン、と。

 カイトはリルの頭に、そっと掌を置いた。


「……っ!?」


 リルの思考が停止した。

 触れられた。この高密度の魔力防壁の中を、いともたやすく突破して。

 頭に乗せられた掌は、驚くほど温かかった。冷え切ったこの世界で、初めて触れた、生きた他者の「体温」。


 だが、その掌が、微かに震えていることにリルは気づかなかった。カイトの顔からは血の気が引き、額にはうっすらと脂汗が浮かんでいる。


「図星かよ。辛かったな、お前も」

 カイトの声色が、変わっていた。

 先ほどまでの軽薄さは消え、そこには、深い井戸の底のような、暗く、静かな共感があった。


「俺もさ。前の世界で、勝手に期待されて、勝手に失望されて。……こっちの世界に来ても、『勇者』なんて役割(ロール)を押し付けられて。ずっと一人で戦ってきたんだ。お前を見てると、なんだか自分を見てるみたいで放っておけねえんだよ」


 カイトの瞳が、至近距離でリルを射抜く。

 リルは激昂しようとしたが、その手の温もりが、喉の奥に溜まったはずの悪態を不思議なほど優しく溶かしていく。

 この男は、自分を「なり損ない」として見ているのではない。ただの、一人の「リル」として向き合っている。


「……君は、本当の馬鹿だね。……こんな、僕なんかに、構っても……何にも、ならないのに」


 リルの唇から、掠れた声が漏れた。

 役割(ロール)を脱いだ自分に何があるのか。龍になれない自分にどんな価値があるのか。


「何もならないかどうか決めるのは、神様でも魔王でもねえ。俺とお前だ。外に行こうぜ、リル。魔王とか神様とか、そんな役割(ロール)に縛られてる連中を、二人で笑い飛ばしてやろう。……友達として、な」


「友達? ……可笑しなことを言うね。……僕は、龍族で……君は、すぐに死んでしまう人間なのに」


 リルは俯き、自分の震える手を見つめた。カイトの熱が、指先を通して心臓まで伝わってくる。それは、氷のドームの中で死んでいたリルの心に、初めて火を灯すような熱だった。


 カイトの呼吸が、わずかに乱れている。先ほどリルの魔法をレジスト(抵抗)し、この『神の聖域』の法則を書き換え続けた代償は、彼の細い体の内側を確実に削り取っていた。


「……いいよ。そこまで言うなら、君がどれだけ『不条理』なのか、見届けてあげる。……僕を連れ出せるというのなら、やってみるがいいさ、無礼者」


 リルが小さく、けれど確かにそう告げた瞬間、カイトの口角が勝ち誇ったように吊り上がった。


「そうこなくっちゃな! ――っしゃ、行くぞリル!」

 カイトがリルの手を、力強く、引いた。

 その瞬間、パァァァン!! と聖域全体を包んでいた目に見えない巨大な結界が、ガラス細工のように砕け散る音がした。

 数千年の間、リルをここに繋ぎ止めていた『役割』という名の鎖が、異世界から来た勇者の「不条理」によって、いともたやすく破壊されたのだ。


 上空の氷のドームが、地響きと共に崩落していく。

 そこから降り注いできたのは、淡い魔力の光などではない。視界を真っ白に染め上げる、眩く、そして圧倒的な熱量を持った――本物の、太陽の光だった。


「おお、吹雪が止んでる!」


「……っ、あ……」


 リルの五感は、初めて触れる「外の世界」の情報量に悲鳴を上げた。

 肌を焼く陽光の熱。吹き込んできた風に含まれる、青々とした森の匂い。すべてが鮮烈で、凶暴なほどに「生」を感じさせた。


 眩しさに目を細めるリルの隣で、カイトが満足げに笑っている。

 だが、その肩は微かに揺れ、足取りは覚束ない。繋いだ手から伝わる鼓動は激しく、彼の魔力が底を突きかけていることを、リルは本能的に察した。


「へへっ。お前の角、太陽の下だとすっげー綺麗に光るじゃん。宝石みたいだぜ」


「……うるさい。馴れ馴れしく触るな、この馬鹿勇者。……目が眩んで、歩きにくいじゃないか」


 リルは不機嫌そうに悪態をついたが、繋がれたその手を振りほどくことはせず、むしろふらつくカイトの体を支えるように、自分から少しだけ強く握り返した。

 自分がなぜ龍になれないのか。その答えは、まだ誰も知らない。

 けれど、この脆くも温かい手と共に歩む先のどこかに、その答えがあるのだと、初めて信じてみたくなった。


 これは史上最強の「龍のなり損ない」と、ルール無用の転生勇者。

「役割」という台本を破り捨てた二人の、世界を攻略する旅が、ここから始まった。

お読みいただき感謝です!

別作のシリアスsf小説のプロットに行き詰まり過ぎて勢いとノリで!

宜しくお願いします!

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