休暇 ~その1~
名鉄ビル内のバスターミナルでバスに乗り込む。ほぼ満席だ。
隣には、大学生とみられる女性が座っている。窓際に身体を寄せてはいるが、半袖から剥き出しの腕がこちらの肘に当たりそうで、少しだけときめいている。
東海北陸自動車道に入る頃には陽が沈んでしまい、赤焼けた空が徐々に暮れていくのを眺めている。
バスに揺られながら、オフィスを出る際のことを今一度思い返す。
休暇を申し出る前に、「伯父が亡くなりまして」、と一応釈明した。葬儀に出なければならない、とは言えなかった。嘘をつければ良いのだが、ことは神社も関わっているので臆してしまった。
企画はどうなっているのだ、と詰問されることもなく、怒られることもなかった。
そういう点では、居ても居なくても一緒かと虚しくなってしまう。ただの下働きだったのだろうかと。
5年前、会社は事業拡大ということで第3制作室を作り、新規で2名採用した。俺と塚本だ。ちなみに、前年度は採用無しで、その前の年に番場が入った。
番場はプランナーとしても働けるし、塚本はデザイナーを兼ねている。俺だけがスキルがない。そのため、主に渉外を任せられることになった。嫌ではないが、とにかく疲れる。
5年間働いている。その間、一度だけ故郷へ帰った、3年前に。
連休は忙しいし、この仕事には盆も正月も関係ない。ただひたすらディレクターになることを夢見て堪えている。
給料は手取りで22万円ほど。悪くはないが、1DKの部屋代で7万円かかり、食費は3万円ほどかかる。電気、水道、ガス等のライフライン費用3万円かかる。生活関連費用が2万円かかり、携帯料金1万円で、それを引くと、残りは6万円になる。
大学へ入る際に学生支援機構から借りたお金の返金は20年支払い続けなければならなく、月、3万5千円ずつ返している。貯金を月1万円しているため、残りの1万5千円が小遣いとなる。
服を1着、ゲームを1本、月 2回ほど飲みに行くと、終了だ。名古屋に住んでいるが車は持てない。免許証は持っているが。
ちなみに、ボーナスは、俺が入社する前年までは出ていたそうだ。事業拡張が響いているのだろう。
27歳になるが、彼女はいない。
隣の女性に視線を送る。ひたすらスマホを見ているため、髪の毛が下がっていて顔を窺うことはできない。窓際に座っているのに外の景色を眺めることもない。もっとも、夜だけど。おまけは、イヤホンをしているため、話しかけることもできない。
突っぱねていた肘を戻した。
外を眺めてみる。高速道路だが山道に入っているため、ほとんど何も見えない。パーキングエリアの灯りがオアシスに見えないこともないが……。
神社を継いでも、祭りなどできないだろうと、東畑は言った。指摘されるまでもなく、できない。
しかしと、思い出してみる。大学のゼミで、祭りの会議に参加させてもらったことがあることを。
名古屋都市大学、人文学部、都市科学学科。ゼミで、祭りと地域住民はどう関わってきたのかを調べた。
父のツテで、祭りを行う神社の会議に参加させてもらった。
広い会議室の端にゼミの仲間と座っていたのだが、会議の印象はというと、何事も前例通り、だった。配布された資料には、事細やかに祭りの進行が記されていて、各祖の係の行うことも表記されていた。
会議は速やかに進行していき、誰も異議を差し挟むことなく終えた。大切なことは、祭りとは例年通り、形式通りに行うことだと、気がつかされた。
翌日、仲間と一緒に、法被を着て屋台を曳いた。
太い綱を握り、動き出す際には力がいるので、まるで綱引きを行うようだと心が躍った。曳いているだけでテンション上がってきて、踊りといい、唄といい、身体を動かすことと祭りを執り行なうことは一体なのだと感じられた。
『型は必要なのだ。深みはその中に現れる』
と、悟ったものの、神髄は泥濘の生活の中に埋没してしまったが……。
休暇 ~その2~ へ続く




