息子が魔王になるらしい
「魔王様、お迎えに上がりました」
息子の16歳の誕生日の夜。私と息子のティオは、自宅の部屋の周りを取り囲み、膝をついて恭しく頭を下げる魔物達を見回しながら、呆然と立ち竦んでいた。
夫が病で他界して10年。私は女手一つでティオを必死に育ててきた。夫が残した畑を必死に耕し、農閑期には街に出て日銭を稼ぎ、貧しいながらも最低限の教育をティオに受けさせた……
……とはいえ、近くの教会で手の空いた神官に勉学を教えてもらうのが精一杯だったが。
でも、ティオは真面目に頑張ってくれた。それが神官の目に留まり、16歳になったら神官見習いとして教会で働かせてもらえることになったのだ。
神官は、貧しい庶民がその努力次第で出世できる数少ない職業。私とティオは喜び合った。
そして、ティオの16歳の誕生日。普段よりも少しだけ豪華な夕食を作り、自宅でささやかなお祝いをしていると、突然、いかにも凶悪な魔物が押し入って来て、取り囲まれてしまったのだった。
† † †
「魔王様、お迎えに上がりました」
膝をついて恭しくしく頭を下げた魔物達が、再び声を揃えて私達にそう言った。
「ど、どういうこと?! 魔王?」
ティオが魔物達に尋ねた。元々小柄で華奢なティオは、必死に私を庇うように前に立ち、周りを警戒している。
いつも大人しいティオが、勇気を振り絞って魔物に立ち向かっている……こんな状況なのに、何故か私は嬉しい気持ちになってしまった。
魔物達の中で、まるで王宮の宰相のような豪奢な儀礼服に身を包んだ魔物が、膝をついたまま頭を上げた。頭に生える角がなければ、どこかの大貴族の美青年といった容貌だ。
「ティオ様は、次の魔王様に選ばれたのです」
美しい容貌の魔物が話し始めた。
「遥か昔、憎き勇者の卑劣な罠にかかり崩御された魔王様は、最後の戦いの前、我々魔族に一つの予言を残されました。仮に勇者に倒されたとしても、いずれ必ず甦ると。666年の時を経て、何と人間の姿で甦ると……」
美しい容貌の魔物が、恍惚の表情でティオの顔を見つめた。
「予言に従い、ようやく見つけたのです。初めは半信半疑でしたが、直接お目にかかり確信いたしました。ティオ様は、まさに魔王様の生まれ変わり……」
それを聞いたティオが、振り返って私の顔を見た。困惑の表情だった。
私が知る限り、ティオは普通の人間だ。力は弱く、魔力も人並み以下。だけど、真面目で優しく努力家で、母親思いの、私がお腹を痛めて産んだ、まぎれもない私の息子……
しかし、どうやら魔物達から見ると、ティオには魔王の生まれ変わりであると確信させる何かがあるようだった。
私は、ティオに無言で頷いた。この状況で人違いなどと主張したり、逃げようとしたりするのは危険だ。今は「魔王の生まれ変わり」として振る舞い、様子をみるべき……そうすることで、当面の安全は保証されるはず。
私の思いに気づいたのか、ティオは小さく頷くと、前に向き直り、美しい容貌の魔物に言った。
「……分かった。僕は魔王として君達の上に立とう」
「恐悦至極に存じます!」
魔物達が深々と頭を下げた。
† † †
「では、ティオ様におかれましては、これから魔王城における戴冠式に臨んで頂きます」
美しい容貌の魔物が立ち上がり、ティオにそう言うと、ちらりと私の顔を見た。
「おっと、すっかり忘れておりました。そちらの人間は処分しておきましょう」
美しい容貌の魔物が、事も無げにそう言うと、屈強な魔物が剣を抜きながら私に近づいてきた。
ああ、やっぱりそうか……
魔物達が必要としているのは、魔王の生まれ変わりであるティオだけ。私は単なる人間。魔物達の敵だ。
もうすぐ殺されるというのに、私は恐怖を感じなかった。何故か、不思議と晴れやかな気持ちになっていた。
貧しい庶民に生まれ、努力して何とか神官見習いになれそうだった息子。だが、その後の道のりは険しい。いくら庶民にも出世の道が開かれているとはいえ、大貴族や大商人の子弟に簡単に追い抜かれてしまう。
しかし、今、息子は魔族とはいえ、いきなり、その王になろうとしている。
魔族と人間は敵同士。こんなことを考えてはいけないと頭では分かっているものの、自分の息子が「王」になるということに、母として不思議な誇らしさを感じていた。
屈強な魔物が私に向かって剣を振り上げた。私が覚悟を決めて目を閉じたその時、ティオの声が聞こえた。
「何をしている」
静かだが、今まで聞いたことのない息子の冷厳な声。周囲の空気が凍り付いたように張り詰め、屈強な魔物が動きを止めた。
「何をしていると言ったんだ」
ティオが再び静かに言った。美しい容貌の魔物が狼狽した様子でティオに言った。
「こ、この者はティオ様の母とはいえただの人間ですので……」
「魔王となる僕を産んだ母が単なる人間だというのか?」
ティオが、美しい容貌の魔物に冷たく問い質した。その瞳は、まるで地獄の炎のように赤く輝いていた。
「も、申し訳ございません!」
美しい容貌の魔物が震えながら膝をついた。剣を持つ屈強な魔物が、泣きそうな顔で剣を床に置き、土下座をした。
「この者は、魔王となる僕を産んだ、魔族の国母となる御方。丁重に扱え」
「か、畏まりました!」
魔物達が平伏する中、息子が私に向かって笑顔でウィンクをした。
ああ、私は、「魔王」たる器の者を生み育てたんだ……
私の目に涙が浮かんだ。それは決して悲しみの涙ではなかった。
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