6.給料日の金曜日
給料日はウキウキです。
いつものように会社に行くと、朝からザワザワと騒がしかった。
「鈴木さん、今日の飲み会参加する?」
え?飲み会?
知らなかった私は、少し考えるふりをして、首を横に振った。
「わかった。また誘うね」
私は笑顔で返す。そして、仕事に戻る。
そっか……今日は給料日、しかも金曜日だ
昼食を簡単に済ませると、いつもより早く休憩を終わらせて仕事に戻る。今日はいつもの金曜日よりも頼まれる仕事量が多いはずだから、先に自分の仕事を終わらせておかないと。案の定、飲み会参加組の同僚達が仕事を持ってくる。
早くお仕事を終わらせて、あの雑貨屋さんに行きたいけど、終わるかなぁ……
終わらなかったら家に持ち帰ればいっか
雑貨屋さんの閉店前には間に合う時間まで頑張ろう
そう思いながら、頼まれた仕事を終わらせていく。カタカタとキーボードを叩く音だけが響く社内に残ってるのは私だけで、皆それぞれキリの良いところで切り上げて飲み会に行ったようだった。
一人は気楽で好き。仕事にも集中出来るし、一石二鳥~なんて思いながら時計を見ると、そろそろ会社を出なくてはいけない時間になっていた。
あと2件……仕方ない
データを取り出し、資料を鞄に詰め込むと、PCの電源を落としてから、タイムカードを切る。早足で駅に向かい、混雑してる電車に乗り込む。はやる気持ちを抑え、最寄り駅までの時間を、これから迎える楽しみな事を想像しながら変えて、不快な電車の中をやり過ごす。
駅に着くと、真っ直ぐ雑貨屋さんに向かって歩く。閉店時間15分前に到着する。間に合った~とホッとして、お店のドアノブに手をかけた。
「いらっしゃいませ」
ドアを開けると、すぐに声が聞こえた。レジの中から顔を覗かせる店長さんに、笑顔で会釈をする。お目当ての商品を手に取ると、脇目もふらずにレジへ持って行く。
「ありがとうございます」
店長さんは私から商品を受け取り、レジに金額を打ち込み、綺麗な薄緑色の紙袋に入れてくれる。
「5250円です」
言われた金額を財布から取り出し、マネートレイの上に置く。店長さんは綺麗な指で丁寧にお金を取ると、レシートと商品の入った紙袋を渡してくれる。
紙袋を受け取り、お辞儀をして店から出ようと、くるりと身体を返す。
「あ、あの!」
店長さんの声に振り返ると、少し戸惑ったように、もごもごと口ごもっている。なんだろう?と首を傾げていると、一つ、呼吸をしてから口を開く。
「呼び止めてすみません。いつもありがとうございます。あの……もし、これから予定がなければ……少し……お話しできませんか?」
なんで?
「急にすみません。うちの商品を気に入って下さっているようなので、ご意見としてお話を聞かせてもらえたら、と思いまして……」
予想だにしていないことに困惑してしまう。どうしていいのかわからなくて戸惑いが隠せない。
「いや、引き止めてしまってすみません。今お話した事は忘れて下さい」
察知してくれたのか、店長さんが慌てて謝罪する。
「いつもありがとうございます。また、お店に寄って下さい」
申し訳なさそうな顔に胸が少し痛んだ気がしたけれど、お辞儀をしてお店を出た。そのままの足で駅の反対側に向かった。
歩きながら、先ほどの不思議に思いながら、清志くんのお店に向かって歩いた。清志くんのお店の前に着くと、真っ黒で少し重い扉を開けて中に入る。店内を見渡すと時間が早いせいか、お店にはまばらにお客さんがいるだけだった。
「お!今日は早いな」
清志くんの意外そうな顔を見ながら、私はいつもの席に座り、笑顔で返す。
「もしや、仕事持ち帰ってきた?」
私は頷きながら、清志くんの出してくれたおしぼりを受け取る。ひんやりとした冷たいおしぼりが気持ち良くて、顔も一緒に拭きたいなぁと思いつつも手だけを拭く。
「何か予定でもあった?」
ニッと笑い、鞄から紙袋を取り出し、それを清志くんに見せる。
「ああ、今日は給料日か。何買った?」
紙袋を開けて、メモ帳と、木製の犬の置物を見せた。
「はは、静花の好きそうな物だな」
私は頷きながら生ビールのサーバーを指差す。
「おっ、悪い。すぐ出す」
どうぞ?と、清志くんに手を差し出す。
「ありがと」
そう言って、2つの冷えたグラスを取り出し、生ビールを注ぐ。コースターと一緒にビールを目の前に置かれる。冷えたグラスを持ち、清志くんと乾杯をしてから一緒にグイッと飲む。喉に流れ込む冷たいビールに、溜まった疲れが癒されていく。
まだ忙しくないようで、清志くんは私の前にいてくれている。
――そういえば……
「ん?」
――さっき、雑貨屋さんの店長さんに「これから予定がなければ、少しお話しできませんか?」って言われた
「え?で、お前、どうしたんだ?」
――困ってたら謝られた
「……大丈夫だったのか?」
――うん、大丈夫
「そうか…………気をつけろよ」
――なんで?
「なんでって……その…………」
言いにくそうにしてる清志くんに、私はフフっと笑う。
――あのこと?
「あ、ああ……」
――もう、あんなことにはならないよ……だって私は……
「あー、わかった。それ以上はいい。わかってるよ、お前のことは。ただ……俺は心配なんだ」
――なんで?
「だってお前……自分が思ってるほど、自分のこと、わかってないだろ」
――どういうこと?
「……それは…………」
清志くんが言葉を上手く言えないで困っている姿に思わず笑ってしまう。
「何笑ってんだよ。」
――だって、清志くんの困った顔、面白い
「はぁ?静花、いつから性格悪くなった?」
――清志くんと会った時から?
清志くんは私の顔を見て笑い出す。
「はは、そうだな。」
お互いの顔を見合わせて笑い合う。
清志くん、安心して
私はもう二度と、誰も好きにならないから
だからもう二度と……あんな事にはならないから
「静花、メシは?」
――ペペロンチーノ
「はは、わかった。15分待って。」
そう言って、大野くんに声をかけてから厨房に入って行く。私はビールを飲みながら、今日買ってきた物を改めて手に取って眺める。手作りなのがわかる少しキメの荒いメモ帳と、手彫りの犬の置物。どちらも暖かさが感じられて、心が柔らかくなる。犬の置物はどこに置こうかなぁ~と考えていると、お店に誰かが入って来るのを感じた。
身体が強張るのを感じたけれど、今夜はまだ席もたくさん空いてるから、私の隣に誰かが座る事はないだろうと思っていたが、そのお客さんは、私と同じようにカウンターに座った。
少しだけ視線をそちらに向け、驚く。
え?なんで?
入って来たお客さんは、さっき立ち寄った雑貨屋の店長さんだった。
「あれ?」
店長さんも気づいたみたいで、私の隣に座ろうとするが、それに気づいた大野くんが、すかさず私と店長さんの間に入ってくれた。
「お知り合いですか?」
「あっ、いつもお店に来てくれるお客様で……」
「そうですか」
そう言いながら、大野くんは私に目配せをする。
大丈夫ですか?
すごく困った。大野くんは察してくれたようで、やんわかと店長さんに話してくれる。
「お客様、申し訳ございませんが、こちらのお席は予約が入っておりまして、他のお席でも宜しいでしょうか?」
「そうでしたか。失礼しました」
大野くんに言われて、店長さんは少し離れたカウンター席に座った。そのまま大野くんは店長さんの相手をしてくれていた。私は何事もないように、ビールをちびちびと飲みながら、ペペロンチーノができるのを待っていた。
「お待たせ」
そう言って清志くんは、いつものようにペペロンチーノとサラダとスープを並べてくれた。厨房から出てきた清志くんに、大野くんは軽く耳打ちする。すぐに清志くんの顔が強張った。そして私を見る。
私はペペロンチーノを頬張りながら、清志くんに伝える。
――これ食べたら帰る
清志くんはホッとしたように、柔らかく笑った。
「美味いか?」
口をもぐもぐさせながら頷く。
――清志くんのペペロンチーノ、美味しいよ
嬉しそうに私を見ている。
「静花の食べてる姿、いいな」
食べながら少し睨む。
「誉め言葉だよ。そんな顔すんな」
笑いながら私に言う。
「食べ終わったら、真っ直ぐ部屋に帰ってさっさと寝ろよ。」
私は頷き、いつものように清志くんのペペロンチーノをきれいに完食。お皿の上に、ガラスの器とスープカップを重ね、その脇にフォークとスプーンを乗せて、片付けやすくする。鞄からお財布を取り出しお会計を済ませる。席を立ちドアを開けて出て行くと、清志くんが外に出てきてくれた。
「静花…気をつけて帰れよ。何かあったら連絡しろ」
ふふっと笑いながら、見送る清志くんにひらひらと手を振った。
清志くんは心配性だなぁ
もう……大丈夫だよ
ただ、知らない男の人と話すのが……
……まだ怖いだけだから……
清志くんの店をあとにしてマンションまでの道を歩いていると、駅の方から賑やかな団体が歩いて来る。若い男女のグループで、楽しそうに騒いでいた。
今時のお洒落な服装に、可愛いメイク、フワフワのゆる巻き髪。そんな可愛い女の子達を、少し目を細めて見る。
もう私にはない輝きを纏っていて、羨ましく思いながらも、自ら捨ててしまった事に後悔はしていない自分を確認する。少し足を早めてマンションへと帰った。
部屋に入ると、ムワッとした熱い空気に、急いでエアコンのスイッチを入れ、間接照明を点ける。リビングのデスクに鞄から取り出した書類とデータを置くと、シャワーを浴びにバスルームへ向かう。
今日1日の疲れと汗を、お気に入りの桃の香のシャンプーとボディーソープできれいに洗い流すと、シャワーの蛇口を閉めてバスルームから出る。バスタオルを取り、身体に纏う水滴を拭き取ると、ベッドルームに行き、下着と部屋着を身に着ける。
髪にタオルを巻き付けたまま冷えたリビングを通り過ぎ、冷蔵庫から缶ビールを取り出す。リビングのソファーに座り、リングプルを上げる。プシュッと良い音が静かなリビングに響く。グイッとビールを飲み、ぼーっと宙を眺める。
今週も疲れたなぁ……
マンションと会社との往復だけの変わらない毎日。
金曜日の夜には清志くんのお店で美味しいお酒と食事をいただく。
土日のどちらかに食材や日用品を買いに出かける。
給料日には好きな物を買う。
何も変わらない日々をただグルグルと繰り返し過ごしている。
こんな生活も慣れたかな。
もう3年か。
まだまだ先は長い。
死にそびれたから長生きしそうだし。
何か植物でも飼おうかな。
そうしたら、殺風景な一人きりの部屋も、少しは生気が宿るかもしれない。
明日、持ち帰りの仕事を終わらせたら、買い物のついでにお花屋さんに寄ろう。
どんなのにしようかな?
できれば丈夫で強いのがいいなぁ~。
ふふっ…たくさん可愛がってあげよう。
そんな計画を勝手に立てながら、ビールをグイッと飲んで、妄想に浸る。
あっ!そう言えば……
鞄の中の携帯電話と紙袋を取り出す。携帯電話で清志くんに無事部屋に帰ったことをメールで送り、紙袋の中のメモ帳と木彫りの犬をテーブルの上に置く。
メモ帳は予備として持ち歩くから、鞄の中にしまう。
木彫りの犬は…置く場所を少し考えよう。
そう思いながら、デスクの上に置いたまま未だに置き場所の決まっていない木彫りの動物達の仲間に入れるように置いた。
さぁ、そろそろ寝ようかな。
空いたビールの缶をゴミ箱に捨てると、エアコンを消してベッドルームに向かう。バスルームから出た時にエアコンを点けておいたおかげで、程良い涼しさにベッドルームは覆われていた。リモコンでタイマーのボタンを押す。ひんやりとしたベッドに身体を滑り込ませると、すぐに眠りにつく。
明日の買い物で、植物との良い出逢いがありますように、と願いながら。
静花ちゃんはペペロンチーノ好きです。
あとビール。