3.金曜日の夜(清志side)
静花ちゃんが帰った後の清志くんのお話です。
最後の客が帰るのを見送り、アルバイトの大野に店の方の閉め作業を任ると、裏の事務室に籠って売り上げ等の事務的な閉め作業を始める。
金曜日の売り上げにしては上々で、このまま順調に売り上げを出せれば、閑散期に向けての蓄えができる。こういう商売である以上、収入が不安定なのは仕方がない。売り上げが多い時に蓄えておかないと、何かあった時に対応出来ず、負のスパイラルに巻き込まれてしまう。
とは言え、自分で店を始めてから、意外にもまだ一度も赤は出していない。ギリギリではあるものの、今では常連客も増え、少しずつだが蓄えも増えていた。このまま何事もなく、順調に続けられればと思う。
事務所のドアが開き、大野が顔を出す。
「静花さん……大丈夫でしたか?」
心配そうな顔で大野が聞いてくる。
「ああ、大丈夫だ。それより、さっさと閉め作業終わらせて帰るぞ」
「あ、はい!」
慌てて事務室から出る大野を尻目に、もう一度、静花からのメールを確認する。
『さっきはありがとう。無事帰れました。精算のことは、また来週の金曜日にお店に行くから、その時で大丈夫だよ。美味しいペペロンチーノ、ご馳走様でした。私はもう寝るけれど、清志くんは朝までお仕事頑張ってね。おやすみなさい。』
ここまでしっかりとした文章を打てれば問題ないだろう。
スマホをデスクの脇に置き、店の閉め作業を再開する。PCを立ち上げ、今日のデータを入力していく。無音の事務室にキーボードを打つ音だけが聞こえる。
データを全て打ち込み、PCを閉じると、パイプ椅子の背もたれに体を預け、ポケットから煙草を取り出し火を点ける。吐き出す煙を眺めながら、ぼんやりと昔のことを思い出す。
静花とは7年の付き合いになる。出逢った当初、バーテンダーとして修行中の身ではあったが、雇われていた分、今よりも気楽な立場だった。お互いパートナーはいたが、店員と客の良い関係が成り立っていて、その距離感がちょうどよかった。
そんな関係も、とある事件を境に狂ってしまった。
「ねえ、聞いた?静花、大変な事になってるらしいよ~」
「えっ?何それ?知らね~し」
「清志くん、知らないの?死ぬかもしれないって話」
「はあ?なんで?」
「詳しくは知らないけど、重体でまだ意識戻ってないって」
そんな話を聞いたのは、5年も前になる。
当時の静花は、エリート家系の男と付き合っていて、俺はよく「結婚式の二次会は……」なんて話をしていた。静花も恥ずかしそうにしながらも嬉しそうに「彼がいいって言ったらね」なんて言っていた矢先、そんな噂が店に広がり始めていた。
しばらく店に来なくて心配はしていたが、俺はそんな噂を信じていなかったし、何かあれば静花から連絡があるだろうと思っていた。何の連絡もないまま月日だけが過ぎていき、ふと気づけば静花の噂は聞かなくなり、そもそも静花の名前すら聞かなくなった頃、1通のメールが来た。
静花からだった。
『清志くんには報告しておこうと思ってメールしました。しばらくの間、お店に行けなくなってしまいました。急にごめんね。落ち着いたら、また連絡します。』
静花らしい簡潔なメールに、やっぱり噂は嘘だった、と思いホッとした。だから俺も簡単なメールを返した。
『了解~。落ち着いたらまた飲みに来い~』
それから数か月が経ち、再び静花からメールが送られてきて、嬉しさにいそいそとメールを開くが、予想だにしなかった内容に、スマホの画面を凝視していた。
「清志さん、閉め終わりました」
「あ、ああ……お疲れ。明日もよろしく。遅刻しないようにな」
「はい。お先に失礼します」
バイトの大野を帰すと、窮屈なネクタイを外し、シャツのボタンも3つ外し、柔らかいソファーのボックス席に横になる。目を瞑ると、今夜の静花の脅えた顔が浮かんでくる。
まだ……ダメなのか……
あれから5年も経ったのに俺はまだ……お前の傷を癒すことはできていないのか…………
今でも忘れることのないあの忌まわしい事件。
この手で触れて……お前を抱きしめて……
それでお前の傷が癒されるのなら…………いつでも抱きしめてやるのに………………
胸がギュッと締め付けられるように苦しくなる。俺のこの胸の苦しみなんて、静花の苦しみに比べれば大したことのない、ちっぽけなものだ。それでも俺は、静花に何もできなかったもどかしさにイライラしてしまう。それがひどく嫌になる。静花の側に居てやりたいのにできない自分。全てを受け入れる自信があるのに、その一言が言えない自分がいる。
体を起こすと、カウンターの中に入りショットグラスを手に取る。ボトル棚からスピリタスを取り出し、グラスに注ぐ。一気に飲み干し、さっき横になったソファーにそのまま寝転ぶ。
頭がグルグルと回りだし、急激な眠気に襲われる。その波に飲み込まれるように、深い眠りへと自ら落とした。
いつか静花に……俺の気持ちを言えるようにと願いながら………
少しずつ静花ちゃんの過去が紐解かれていきます。
そして今の静花ちゃんがわかるようになります。
そして清志くんの想いもわかるようになります。