13.水曜日の夜(優side)
一歩ずつ進んでます
彼女に声をかけた日
後悔をした
彼女の困った顔を見てしまったから
もう彼女が店に来てくれない
そう思ってすぐに謝った
自分のしたことに落ち込み
ふらふらと飲みに行くと
偶然にも彼女がいた
反省したばかりなのに
足が彼女に向かっていた
あの時店員が止めてくれなければ
また自己嫌悪に陥ったかもしれない
彼女は店の常連さんで
俺は店の店員
そんな距離感を保たないと
彼女と会えなくなってしまう
そんな気がしたから
俺は今までと同じように
お客様として接しようと決めた
ゆっくりと流れる時間に身を任せるように、小さな店の中でこっそり商品を作る。たまに店のドアが、チリンチリンと鳴って、客の来店を知らせてくれる。その度に作業の手を止めて、店に顔を出す。
忙しくない店はそんなことの繰り返しで、自分のペースでのんびりと流れる時間に身を任せる。前の仕事とは違う心地良い時間に包まれた生活。俺の求めていたものはこれなんだ、と改めて実感する。失ったものは色々あるけれど、それでもこの生活を手に入れた自分に後悔なんて言葉はなかった。失った以上のものがこれからあるかもしれないし、ないかもしれないけど、今の俺には十分だと思った。
そんな毎日が続いたある日
毎週水曜日を店の定休日にしていて、その日は買い付けを終えた後、遅い夕食を取ろうと駅前を歩いていると、偶然彼女が駅の改札から出て来るのを見つけた。声をかけようか迷ったが、自分の意思とは反対に体が勝手に彼女のほうに向かっていた。
「お仕事帰りですか?」
彼女はびっくりした顔をしていたが、すぐ笑顔に変わり小さく頷いた。
「お疲れ様です。これからどちらへ?」
彼女は黙ったまま、少し困った顔をしていた。
「…すみません。今、ちょうど買い付けが終わって、遅い夕食を取ろうとお店を探してるんですが、どこかオススメのお店があったら教えていただけたら…と思いまして…」
それでも彼女は困った顔のままで、俺は自分のしたことに後悔していた。
「すみません。」
また謝ってしまう。そんな俺に手のひらを向け、ちょっと待って、と言うような素振りを見せた。疑問に思いながらも、彼女は携帯電話を取り出し、何かを探していた。少しすると、彼女の携帯が振るえ、俺に手招きをした。そのまま彼女の後についていくと、駅の反対側の…彼女と偶然会ったバーに着いた。
慣れたように重い扉を開けると、秋月さんが出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。」
「あっ…こんばんは。」
案内されるまま、彼女と一緒にカウンターに座る。
「今日はお食事と伺っておりますが、何がよろしいですか?」
秋月さんは、冷たいおしぼりを渡してくれた後に、革張りの高級感あるメニューを渡してくれた。あの日以来、何度か足を運んだけど、こんなに立派なメニューがあるとは知らなかったし、食事もできるなんて事も知らなかった。ずっしりと重みのあるメニューを広げると、軽くつまめるものからしっかりとした食事まで書かれていて、どれも食べてみたいものばかりで…すごく迷った。彼女はおしぼりで手を拭きながら、グラスビールを頼んでいた。とりあえず俺もビールを頼むと、秋月さんに尋ねる。
「オススメは何ですか?」
「特にありませんが…森林さんの今日の気分は?」
「?」
「例えば、しっかり食べたいですとか、軽く食べたいとか…」
「ああ…しっかり食べたいですね。」
「それでしたら、こちらですかね?」
秋月さんが薦めてくれたのは、煮込みハンバーグだった。
「それでお願いします。」
「畏まりました。」
秋月さんはそう言うと、大野さんに何かを言って俺の前に戻ってくる。そして、他愛のない会話を始める。
「今日はお店、お休みなんですよね。」
「はい。水曜日は買い付けに出かけるので、お店は休みにしています。」
「そうですか。お休みなのにゆっくり休めないですね。」
「まぁ…でも好きでやってるので、苦にはならないです。」
「それは良いことです。自営業で苦痛に感じてしまいますと続かないですからね。」
「そうですね。秋月さんはお休みの日は何されてるんですか?」
「私も森林さんと似たようなものです。」
「はは、仕事が好きなんですね。」
「それはお互い様です。」
そんな会話を笑顔で彼女は静かに聞いていた。そんな彼女に尋ねる。
「今日はありがとうございます。あの…あなたの名前を教えてもらえませんか?」
すると彼女は困ったように秋月さんを見る。秋月さんは柔らかく笑うと静かに口を開く。
「彼女は鈴木です。」
「鈴木さん…それじゃあ、改めて…鈴木さん、ありがとうございます。」
彼女は静かに微笑む。その微笑があまりにも綺麗で、俺はドキッとした。
「お待たせしました。」
大野さんが美味しそうな香を漂わせながら、俺の前に料理を置く。結構なボリュームがあって、俺は嬉しくなる。ナイフとフォークで食べやすい大きさに切り分けると、スプーンですくってハンバーグを口に運ぶ。
美味しい…
美味しすぎて、思わず言ってしまう。
「美味しいですね!」
「ありがとうございます。」
ここのお酒も美味しかったけど、食事も美味しいとは…
「お気に召していただけて嬉しいです。」
そう言う秋月さんと満足気な鈴木さんの笑顔に、俺はあっという間に食べ終えた。
「ご馳走様でした。」
片付けやすいように空いた食器を纏めると、大野さんがそれを下げる。
「お酒だけではなく、料理も美味しいですね。」
「ありがとうございます。」
フッと鈴木さんを見ると、薄茶色のお酒を飲んでいた。
「鈴木さん、何を飲んでるんですか?」
「サザンカンフォートです。」
すかさず秋月さんが答える。違和感を感じながらも聞く。
「サザンカンフォートって?」
「果実とハーブのリキュールです。森林さんの好きなジャクターにも使われてますよ。」
「そうでしたか。知りませんでした。それじゃあ、私にも同じ物をお願いします。」
「畏まりました。」
すぐに出てきたサザンカンフォートをクッと飲む。
ああ…甘くて美味しい…
「女性のお客様に好まれるお酒で、有名な女性シンガーもこよなく愛したお酒です。」
「はぁ~…これは飲みやすいですね。ついつい飲みすぎてしまいそうです。」
「はは、ジャクターよりは優しいお酒ですよ。」
鈴木さんはそんな会話を聞きながら、グラスに残ったお酒を飲み干すと、お会計を始める。
「もう帰られるんですか?」
頷くとすぐに席を立つ。イスにかけた鞄を手に取り、お辞儀をすると、秋月さんのエスコートで店から出て行った。引き止めたい気持ちを抑えながら、俺はグラスの酒をクイッと飲む。
今日も鈴木さんの声を聞くことができなかった。なんでだろう。秋月さんは鈴木さんのナイトのように、俺と鈴木さんの間に立ち塞がる。嫌な気持ちになる。
少しして秋月さんが戻ってくる。何事もなかったように俺の前に立つ。
「どうされました?」
「いえ…鈴木さんは?」
「ああ、彼女は明日も仕事ですから。平日は来ないんです」
「そうなんですか?」
「はい。ですから、彼女から連絡をもらった時は驚きました」
「え?」
「『雑貨屋さんの店長さんがご飯食べたいみたいだから』とメールが送られてきまして」
「そうだったんですか」
なんだか特別な感じがして、少し気分が良くなった。グラスに残ってる酒を飲み干し、ジャクターを頼む。秋月さんは無駄のない動きで綺麗にシェイカーを振る。心地良いシェイカーの振る音に、俺はゆったりとした気持ちになる。ジャクターがスッと出されると、すぐに一口飲む。
やっぱり…美味しい…
いつ飲んでもぶれることの無い安定した美味しさに、俺はグイグイと飲んでしまう。そして…少し酔ったように、気になっていたことを聞いてしまった。
「秋月さんは…鈴木さんとお付き合いしてるんですか?」
そう言うと、一瞬曇った顔をしてすぐにいつもの笑顔で答える。
「いいえ、彼女とは昔からの友達です」
「そうですか。…仲が良いんですね」
「そうですね。彼女の…大抵のことは知ってますから」
「それじゃあ…彼女はなんで誰とも会話をしないんですか?」
「それは…」
いつもすぐに答えるのに秋月さんが言いにくそうにしている。そんな顔もすぐにいつもの顔に戻ると、静かに話す。
「彼女は、人と話すのが苦手なんです。そんな人はどこにでもいますよね。皆が誰とでも話せる訳ではありません。私はこんな仕事をしていますからどなたとでも話せますけど、彼女は違います。…わかってあげてください」
秋月さんの優しい話し方と…それ以上の何かを感じて……俺は…目の前の酒を飲み干すことしかできなかった。
「お作りしましょうか?」
「同じものをお願いします」
「畏まりました」
すぐに空いたグラスと入れ替わりに、新しいジャクターがコースターの上に置かれる。俺はグイッと飲む。なんとも言えないもやもやした気持ちを流し込むように、優しい薄茶色の酒を飲み干す。そしてお会計をする。
「ありがとうございます」
その声にお辞儀をして重いドアを開ける。外に出ると、少し酔ってる俺にふわりと風が頬を撫でた。その風に誘われながら家に帰る。
今日は…彼女の名前が聞けた。名前と言っても苗字だけど…それでも俺は嬉しかった。そして、秋月さんと付き合っているわけではないことに、なぜか安心した。
少しずつ動き出す
静かにゆっくりと
誰も気づかない
誰も知らない
それぞれの思い
そんな静寂を
楽しむように
時間だけが過ぎていく
時間だけが知ってるように
くるくると廻りだす
誰にも止められない
運命の輪
それに翻弄される
弱い人間
それが人間だから
人間らしいから
強く生きてる
それを知ってるから
いたずらに動く
誰も知らない
誰も気づかない
またちょっとだけバチバチしてます




