大都市と不穏な影
葵はなでしこたちに連れられ、空港から街の中へ入った。歩く地面には石畳が敷かれ、大勢の人で混雑している。
行きかうのは人ばかりではない。牛を人の体形にしたようなものたちや、見た目こそは四足歩行の牛だが、明らかに人の言葉を話しているものもいる。
「あれらは皆、青牛じゃ」
前をなでしこと並んで歩くリリアが、日本語で囁いた。
「人っぽい体形のものは、人間に似せた疑似骨格を依り代にしておる。……ほら、わしもつかっておるじゃろう」
葵は最初にあった時、リリアの身体が骨になった場面を思い出した。
「脊椎動物に似た精霊は、動物の骨格やそれに似せたものを中心に肉体を作り上げる。その中心となるものを依り代というのじゃ」
「でも……皆さん、見た目あまり人っぽくないですね」
葵はリリアと周囲の精霊たちを見比べながら言った。
青牛たちは人に似た体格をしていても、その表面が毛でおおわれていたり、顔は完全に動物のそれだ。対してリリアは尻尾や角が生えていても、ほとんど人間に近い。
「たいていの精霊は、人型の依り代を使うても種族ごとの特徴が顕著に表れる。わしは特別な呪文の刻まれた骨を使うておるから、このようにかわいらしい姿をしておるのじゃ」
「……ちなみに、そんな骨を使っているのはなんでですか?」
「そりゃもちろん、こっちの方がおなご受けよいからの」
リリアは当然のように言った。
「かわいいかわいいと結構モテるんじゃ。そういう時に、こう、どさくさに紛れて乳に顔うずめたりしてのう……ぐへへ……あいた!?」
下品に笑いだしたリリアの頭に、なでしこの手刀が入った。
「そういうのはダメって言ってるでしょ」
「ひゃ、ひゃい……」
注意するなでしこと、痛そうに頭を押さえるリリア。それを見て葵は苦笑した。
この話に深入りすると自分にも被害が及びそうなので、話題を少し切り替えた。
「そ、そういえば、特別な依り代って、船に付いてるあの大きな骨もですか?」
「おおそうじゃ。ああいうデカい依り代を使えば、より大きな肉体を形成することができる。最初の時に見せたようにのう」
「あ、やっぱりあの時のドラゴンって、リリアさんだったんですね」
葵は依然見た、船の前半に形成された竜の姿を思い浮かべる。
「うむ。ああいう巨大な姿になるのを拡大顕現と呼んでおる。戦闘用の船なら必需品じゃ」
「へー……わっ!?」
葵はなでしこの背中にぶつかった。ごめんなさいと謝るが、なでしこの方は彼女に目もくれず、鋭い眼で周囲を警戒している。
「釣れたか?」
リリアが訊く。さっきまで和気あいあいと話していた彼女も、表情こそやわらかいものの、ぴりぴりとした雰囲気を漂わせている。なでしこはうなづく。
「うん。五人くらい、こっちの方を見てる。一人、手配書で見た顔に似てる」
なでしこはそこで言葉を切って、背負った銀の杖を右手で存在を確かめるように触る。
「葵ちゃんをお願い」
「心得た」
リリアと言葉を交わすと、なでしこは一人、葵たちから離れて建物の間の路地へと入っていった。その後を数人の男たちが追う。
「あの人たちは……?」
葵は訪ねるような言葉を思わず呟いた。リリアが反応する。
「人拐いじゃろう」
「ひとさら……え!?」
言葉の意味することに気づいて、葵は目を見張った。
「なんでそんな人がなでしこさんを……?」
「おぬし、今までこの辺りを歩いておって、気づいたことはないか?」
質問を返すような言葉。けれど確かに、葵は気にかかることがあった。
「なんか、すれ違う人が、やけにこっちの方を見てくるなって……」
奇異の眼差しだった。幼い子供に至っては、指差してくるのも少なくはなかった。さらに言えば、視線の先にいたのは葵たちというよりも、
「皆、なでしこさんのことを珍しそうに見てました」
それと、と、葵はもうひとつの気づきも口にした。
「人の髪の毛が、皆明るい色ばかりですね」
赤、水色、緑、白、金、ピンク……。いわゆるアニメみたいな髪の毛。森の中の建物であった老人と同じだ。離れていては判りづらいが、多分、目の色も似たような色合いをしているのだろう。
街の人間の色は多種多様だが、黒に近いような色はほとんどない。
「ああ、そうじゃ。ここでは……いや、この世界には、おぬしやなでしこのように、黒い髪の毛や瞳をしたものはまずおらん。色素が違うんじゃろな」
リリアはなでしこが入っていった路地の方へ視線を向けた。彼女は既に暗い路地の奥へ入って、姿は見えない。
「あまりに珍しいゆえ、黒い色の人間を狙うものは多い。……見世物にして儲けたり、殺して剥製にしようとしたりの……」
葵は言葉を失った。
「そ、そんなことして、いいんですか……!?」
「よいわけないじゃろ。例えどのような姿をしていようと、人間にそのような仕打ちを許す法など、この世界にもない」
リリアはきっぱりといった。言葉のなかに吐き捨てるような怒りがあった。
「しかしの。世の中には法を破ってでも、己の欲を満たそうとする連中がおるのじゃ……。そして、求めるものがおれば、高値で売ろうとするものもおる。それが奴らじゃ」
「じゃあ、もし私がいつもの格好で出掛けてたら……」
葵は、右の指先でピンクに染まった自分の髪の毛に触れる。人拐いに目をつけられた自分がどうなるかなど、考えたくはなかった。
「でも……だったらなんで、なでしこさんはそのまま出て来たんですか!? さっきの人たち、なでしこさんを狙ってるんですよね!?」
「一つは、資金稼ぎじゃ」
叫ぶような葵の問いに、リリアは軽い口調で答えた。
「人身売買は、多くの国で問題化されておっての。各国はそれに関わるものを手配して、捕まえたものに褒賞金を出しておる。もちろん向こうも捕まらぬようにしておるが、なでしこのような獲物を見れば、のこのこ出てきおる。旅は金がかかるからの。少しでも稼がねばならん」
「でも、だからって……、お金のためにそんな……!!」
「まあまあ落ち着け、心配せんでもよい」
うろたえる葵をリリアがなだめる。
「なでしこはこれまで何度もこの作戦を成功させておる。あの程度の人数ならちょちょいのちょいじゃ。それに本当に危なければすぐに逃げ出すしの。……おっ! 見ろ!!」
リリアが指差した路地から、なでしこが姿を表した。服は多少乱れているが、大きな怪我はなさそうだ。葵はほっと息をついた。隣のリリアも同様だった。
「どうじゃった?」
彼女がこちらの近くまで来ると、リリアが明るい声で問うた。なでしこは口の端に笑みを浮かべて答えた。
「奥の方に縛ってる。確かめたら、やっぱり手配されてたよ。褒賞金もそこそこ大きい。今日の食事は少し豪勢にしよっか」
「お! ええのええの!!」
うれしそうに笑いあうなでしことリリア。しかし葵はそんな気分にはなれなかった。
(なでしこさん、今までどんな風に生きてたんだろう……?)
あの黒髪は地毛だ。数日暮らしてそれは確信している。もしかしたら、生まれたころからその身を狙われていたのかもしれない。
この世界では、生きていくのに苦労したはずだ。黒髪が珍しくない地球ならともかく。
(もしかして、だから日本を目指してるの……?)
日本で誰からも襲われない平穏な暮らしを送る。それが彼女の目的なのだろうか?
昼ご飯の店を探すなでしこたちの後ろで、葵はそんなことを考えていた。