竜の船
「あ、あれって……」
地面に座り込んだまま、二人につられて空を見上げた葵は、驚くべきものを目にした。
空中で存在感を放つ、銀色の船体。全長は五十メートルもあるだろう。
後部両舷からは、蝙蝠のような骨組みに幕の張った翼が生えている。それがゆっくり羽ばたく度、少しづつ前に進む。
船尾には一本の巨大な円錐状の物体。葵にはロケットノズルのように見える。
前半分には場違いに思えるものがあった。巨大な骨が乗っているのだ。
船首像のようにも見えるが、やたら大きい。骨の部分だけで船体の半分はある。
骨は頭から上半身まで。肋骨が船体を囲み、五本の指を持つ太い一対の腕は、横で畳まれている。少し長めの首。その先にある頭部は、人間のものではなかった。口元が尖り、頭からは二本の角が後ろへ伸びている。頭の幅は胸の部分と同じくらい巨大だ。葵はドラゴンか怪獣の骨みたいだと思った。
と、突然、葵は再び横抱きで抱えられた。抱えた相手はなでしこかと思ったが違った。自分の頭より少し低い位置に銀髪が見える。さっきリリアと呼ばれていた女の子だ。
葵の三分の二ほどの背丈しかないにも関わらず、リリアは軽々と葵を抱えている。かなりの怪力だ。リリアは涼しい顔で葵を見上げ、言った。
「ちょっと跳ぶ。暴れるでないぞ」
「とぶ……? とぶってどういう……きゃあ!?」
最後まで言葉を続けるより早く、葵の身体が空を飛んだ。一瞬沈んだかと思ったら、どんっという衝撃とともに地面がどんどん離れていく。
この時、リリアは葵を抱えたまま高度百メートル以上の高さまで跳躍していた。
葵がそれに気づいたのはずいぶん後になってのこと。それぐらい現実離れした体験だった。
近くになでしこの姿があった。自分たちと一緒に空を飛んでいる。
そのすぐ後に、下方で光弾の群れが通り過ぎた。またしてもぎりぎりだ。
跳躍の速度は次第にどんどん落ちていく。それがゼロになった直後、リリアとなでしこは空飛ぶ船の甲板に着地した。
「さ、降りるがよい」
リリアに促され、葵は自分の足を甲板に下ろし、立ち上がる。甲板には灰色のマットのようなものが敷き詰められていた。目の前に丸いドーム状のブリッジが、振り返ると怪獣の骨の後ろ姿が見えた。
「向こう、どうしてる?」
なでしこがリリアに訊くと、彼女はしばし眼をつむり、
「逃げとるの。まぁ賢明か……。しかし謀狼は執念深い性格が多い。ここで逃がせばそのおなごをまた狙ってくるじゃろう」
「ま、また……襲ってくるんですか?」
やっと助かったと思ったのに……。葵は再び失意の底に落とされる。その肩をなでしこがぽんと叩いた。
「安心して。あいつはここで倒すから。……リリア!!」
「おう! 一撃で決めるぞ!!」
リリアが応じて腕を組んだ瞬間、彼女の身体に異変が生じた。
(ほどけている……?)
葵にはそれ以外の表現しようがなかった。毛糸のセーターをもとの毛糸に戻していくように、リリアの肉体が細い光の線へ分解されていく。それはあっという間に終わる。後に残ったのは、甲板に腕を組んで直立する小さな骸骨と、それが着る青いドレスだけ。
リリアの肉体だった光の線は、甲板の中へと吸い込まれる。そしてなでしこが杖を頭上に掲げ、叫んだ。
「拡大顕現! 銀竜姫リリア!!」
(くそっ!! あともう少しで喰えたのに……!!)
葵を襲った怪物は、森の中を全速力で走っていた。ジグザグの軌道で、空の船から必死に離れる。
(さすがに箒船が相手じゃ、勝ち目なんてあるわけがない……!!)
怪物の身体は木々の間隔よりも大きいが、彼の進む先では幹がひとりでに曲がって道を造り、通り過ぎるとまたもとの真っ直ぐな針葉樹へ戻っていく。森を障害にせず、怪物は逃走を続ける。
ふと、背後で大きな力の動く気配がした。怪物がはっと振り返る。
(拡大顕現……! 攻撃する気か!!)
なでしこが叫ぶと同時、船にも変化が起こった。船から光の線が幾筋も放出され、骨格にまとわりついた。
光は編み込まれ、分厚い筋肉となり、腱となり、神経となり、白銀のうろこの生えた皮となり、金の瞳を持つ眼となる。
そして完成したのは、腰から後ろが船になった巨大な竜だ。
人工物とも自然物ともつかない異形の巨体は、天にその両翼を広げる。
「魔力、充填完了!! 視覚同調開始!!」
竜がリリアの声で喋った。甲板に立つなでしこ、右目と重なる円に、竜の視界が映る。
視界の中では、怪物が森の中をジグザグに疾駆していた。
真っすぐ逃げないのはこちらの照準をかく乱するためだろう。
「逃がさない……!!」
なでしこは意識を集中させる。円に投影されたボローに、赤い十字が印をつける。
「照準確定!! 拡散追尾弾、発射!!」
「発射!!」
竜が大きく口を開き、喉奥が光ったかと思うと、無数の光弾が発射された。
光弾の群れは一度大きく散ると、獲物を狙う猛禽のように、ボローへ一斉に襲い掛かる。
轟く爆発。
高い土煙が巻き上がり、やや遅れて衝撃とともにどんっという音が轟いた。
木々の枝葉が揺れ、森中で鳥獣たちが逃げ惑う。揺れは数秒かけて収まり、森はようやく静けさを取り戻した。
夕方の風が吹いて煙が払われる。爆心地に残ったのは、深い窪地となぎ倒された木々、そしてそこに散らばる、おびただしい数の骨片だけだった。
「分解された魔力を確認。どうやら打ち取ったようじゃの。なでしこ、顕現を解除するぞ」
「了解」
竜となでしこがそう会話すると、先ほどと同じように、今度は竜の身体がほどけ始めた。
ほどけた光の線は、大部分が舳先から船体へ入り込み、一部が甲板に立つリリアの骨格へと集まる。
骨に肉が編み込まれてゆき、リリアは元の姿に戻った。
「あ、あの……あなたたち、いったいなんなんですか……?」
葵は恐る恐る訊ねた。
「魔法みたいなものを使うし、それに、骨になったり竜になったり……」
尻尾をくねらせながら、リリアが答える。
「ワシは竜の精霊リリア。このべっぴんは契約士のなでしこ。故あって日本という土地への行き方を探しておる」
「日本を知ってるんですか……?」
葵の漏らした言葉に、撫子が反応した。
「あなた、やっぱり日本の人?」
「はい……」
唐突に、なでしこが葵の方に歩み寄ってしゃがんだ。彼女の顔が近くに来て、葵は思わずどきりとした。
彼女の涼やかな美貌は、同性をも見ほれさせる魅力がある。なでしこの艶のある唇が言葉を紡ぐ。
「日本に帰りたい?」
「は……はい……」
葵は咄嗟にそう答えた。
「なら、私たちと一緒に行きましょう」
そう言って、なでしこが右手を差し出す。
(いいのかな……?)
葵は迷った。この人たちが何者なのかも、なぜ日本を目指しているのかも判らない。危険な人物でないと確かに言える客観的証拠はない。
(でも、この人たち、私を助けてくれたんだよね……)
怪物の攻撃から盾となって守ってくれた、なでしこの姿が脳裏に浮かぶ。
(きっと、悪い人じゃないはず……)
そして彼女はその手をとった。
これが三人の旅の始まりだった。
次の更新も二日後くらいを予定しています。