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山田なでしこと竜の船  作者: さざなみ
1/13

深い森の中で


 日野葵は気がつくと森の中にいた。

(……え? どこ……ここ……?)

 自分は確か、住宅地の中を通る通学路を歩いていたはずだ。

 服も高校指定の女子制服。靴は白いシューズで、肩には通学用のバッグを掛けている。

 周囲には一軒も家がなく、代わりに真っすぐな幹の木々が延々と並ぶ。

 森の中には土の道が走っている。幅は一車線の道路くらい。葵はその上に立っていた。

 道は前にも後ろにも続いていたが、大きく曲がっていてその先は見えない。

 見覚えのない風景。少なくとも葵の住む街の近くに、こんな場所は無かったはずだ。

 森に生えている樹木はどれも背が高い。七メートルはあるだろう。

 首が疲れそうなほど上を見上げると、まばらに浮かぶ雲の後ろに、半分オレンジに染まる青い空が見えた。

 太陽が地平線に沈もうとする、夕方の空に見える。

(朝の八時前に家を出たはずなのに……)

 その時は太陽が浅い角度から街を照らしていて、空は雲一つない青空だった。

 スマホで時間を確認。時計の表示は朝の八時五分。

 アンテナは圏外で、インターネットやSNSも通じない。

 戸惑う葵は、もしかしてと、ある可能性に思い至った。

(これって通学中に私が見ている夢なんじゃ……?)

 多分そうだ。でなきゃ、こんな森の中にいるはずがない。

 そう結論付けると、彼女はためしに頬をつねる……のは、夢でも痛そうなので、平手でぱしっと打つ。

 ピリッとした痛みとともに、顔の肉が震える。

 が、景色は変わらない。

 勢いが足りなかったのかと再度顔を打とうとしたその時、

 キーーーーーーッ!!

 けたたましい鳴き声とともに、すぐ近くで鳥かなにかが羽ばたいた。

「わっ!? わわ……わっ!?」

 葵はびっくりして体勢を崩し、前に転んだ。

 咄嗟に両手をついたので、顔に大怪我をするのは避けた。

 だが負荷がかかった手首や、地面と擦れた掌に痛みが走る。

「痛た……」

 立ち上がって服に付いた土を払い、掌を見ると、土まみれの肌に赤い点がぽつぽつと散っている。

(うわ……どこかで洗わないと……)

 そこまで考えて、葵は気づいた。

(痛いのに……景色が変わってない……?)

 周囲は未だに森の中。

 しかし、腕の痛みと掌の出血は、これが確かな現実だと伝えていた。

「なんで……?」

 困惑が声となって口から漏れる。どこか遠くから、獣の吠える声が響いてくる。

 恐ろしくなった葵は、バッグを掛け直すと道に沿って走り出した。

「誰か!? 誰かいませんかーーーー!?」

 呼びかけるが応えるものはいない。

 絶望しかけたその時、木々の間から柔らかな光が見えてきた。

 太陽じゃない。蝋燭や電灯ぐらいの光の強さだ。

(人がいるの!?)

 葵は走る速度を上げる。

 やがて、道の向こうに木でできた建物が見えた。

 建物は二階建てで、一階の窓から明かりが漏れている。

「やった……! 家……!!」

 彼女は玄関に近寄ると、ノックするのも忘れて扉を開け放った。

 鍵はかかっていなかった。開けるとチリンチリンと鈴の音が鳴る。

「す……すみません!!」

 扉の先は広い部屋だった。

 奥に木製のカウンターがあり、その隣に大きな階段。カウンターの向こうに人がいる。

 そこにいたのは一人の老人。鼻の上に小さな眼鏡をかけている。

 よかった。

 そう思ったのも束の間、葵は固まった。

 老人の髪の毛が、水色だ。

 いや、頭髪だけではない。太い眉も、口周りの髭も水色だ。人体には突飛な色なので、葵は最初帽子か服の一部と勘違いした。

 水色の髪の毛。

 アニメや漫画とかだとよくある表現だが、現実に目にするとかなり奇異に感じる。歳のいった老人がしているとなおさらだ。

 しかし、老人がこっちをじっと見つめているのに気づいて、葵は考えを改めた。

(人の格好を変だって思うのは失礼だよね……)

 あの髪の毛は多分染めているのだろうが、なにか彼なりの考えやこだわりがあるのだろう。

 突っ込んだりするのは野暮だ。

 それに、今は助けを求める他ない。葵は中に入って扉を閉じると、老人に近寄って訊ねた。

「あの……道に迷ってしまって……ここで休ませてもらえませんか……? それと、上沢市への行き方も教えてくれれば……」

 ややあって、老人が口を開いた。

「————」

「——え?」

 葵は相手がなにを言っているのか、まったく判らなかった。

 老人が使ったのは、明らかに日本語ではなかった。

 初見では髪の色が特徴的過ぎて気づかなかったが、よく見れば老人の瞳の色は毛と同じ。肌の色素は薄く、彫りのある顔立ちをしている。

 外国の人だ。たぶん。

 そう思った葵は、バッグから英語の教科書を開き、つたない高校英語でコミュニケーションを試みた。

「え……エクスキューズミー……? ウェアー、アム、アイ……?」

 しかし相手には通じなかったようだ。早口で何事かを捲し立ててくる。

 ネイティブの発音だからか、葵の英語力が足りないからか、それとも彼の使う言語が英語ではないからか。葵は言われたことを一切理解できない。

「し……失礼しました!!」

 怖気づいた彼女は大声で、叫ぶと外へ飛び出した。 玄関を閉めて、建物の外でうずくまり、呼吸を落ち着ける。

「な……なに……あの人……?」

 少なくとも日本人でないことは確かだ。

 なんでこんなところに? そもそもここはどこ?

(まさかこれって……。ううん、まさか……ね)

 葵の脳裏に、この状況を説明するような言葉が浮かんが、すぐに思考から消去した。

 あまりに非現実的な考えだったし、もしそうなら彼女にこの事態を解決することなどできないからだ。

「道路を探そう……そしたら、街に着けるはず……」

 自分に言い聞かせるように呟くと、葵は立ち上がった。

 あの老人に助けを求めるのは、自分が抱いた不安が確定するようで怖い。最後の手段にしよう。

 建物の周囲には、葵が来たのとは反対方向に別の道が続いている。もと来た方へ戻るよりも、そっちへ行った方がいいかもしれない。そう考えて足を向けると、声が聞こえてきた。

『こっちだよ……』

 優しい、男の人の声。

 不思議な感覚だった。

 耳で聞くというよりも、頭の中に響いてくるように感じる。

『こっち……こっちだよ……ここなら安全だ……』

 声が頭の中で反響を続けると、葵は心地よい気分に包まれていく。

 全身が、ぽかぽかする。

 脚が自然と動いて、声が誘う方向——建物裏手の森の中へ歩を進める。

 それからしばらく、葵は森の中を歩いた。

 あたりは少しづつ、暗くなっていく。

 下生えの葉が、靴下とスカートに挟まれた、膝近くの肌を切る。

 それでも、葵は歩き続けた。声に従うと、すごく安心するからだ。

 やがて、進む先に広い空間が見えた。

 そこには木が生えていなくて、運動場くらいの空き地になっている。

 空地の中央には、大きな何かがあった。

 木々に遮られていてよく判らない。

 なにかの像かな?

 さらに進んで、森の中から出て空地に踏み込むと——

「ひぃっ!?」

 葵は、決して小さくはない悲鳴をあげた。

 大きななにかは、像ではなかった

 それは、毛むくじゃらの巨人だった。

 細い身体が、灰色のごわごわした毛で覆われている。

 地面に胡坐をかいて座った状態でも、頭のてっぺんが周囲の木々の梢と同じ高さにある。

 突き出た口は自動車ほどの大きさで、太い牙が並んでいた。

 巨大な狼男。それが最も適した表現方法だった。

 明らかに地球の常識から外れているその姿を見て、葵は悟った。

(ここは、異世界だ)

 それも巨大な化け物がいて、言葉すら通じない、すごく不親切なタイプの。

 葵は今すぐにも逃げ出したかったが、それはできなかった。

 恐怖で身体が硬直しているから——ではない。

 いつの間にか、地面から生えたツタが葵の両脛に巻き付いていたからだ。

「痛……!?」

 ツタは何重にも絡まり、さらに膝上にまで伸びつつある。

 文字通り地面に縫い付けられた形だ。ツタは細く食い込み、太ももから血がにじむ。

(やだ……やだ……離れてよ……!!)

 ツタを取ろうと指を掛けたが、びくともしない。

 さらに―——

「あ゛ぁ………!?」

 不意に、葵はひどい不快感に襲われた。

 まるで、頭の中で芋虫がのたうち回るような、耐えがたい感触。

 たまらず、彼女は嘔吐した。

 汚い音を立てて、森の地面に吐瀉物が広がる。消化しかけていた朝食を吐き出すと、ようやく不快感は収まった。

 酸っぱい味が口の中に広がり、胃液で灼けた喉が痛む。

『へぇ……やけに誘いやすいと思ったら、違う世界の人間か……』

 頭の中に、葵を導いた声が再び響く。

 葵は理解した。

 あの優し気な声は、自分をこの場所に誘い出すために、狼男が発したものだと。

 そしてあの不快感は、狼男が自分の記憶を読んだために生じたことも。

(な……なんでそんなことが判るの……!?)

 人知を超えた現象を、むりやり理解させられている。

 そのことが、怪物の存在以上に気味が悪かった。

『どうりで変わった見た目をしているわけだ……。いったい、どんな味なんだろうねぇ……?』

 震える葵を見下ろして、狼男が舌で口の周りをぬぐった。

「あ、あああ……あ……」

 葵は今までの人生で一番の恐怖を感じた。

(私はこの化け物に食べられる)

 あの牙で五体がばらばらに引き裂かれる様が、容易に想像できる。

 いつの間にか、股間が濡れていることに気づいた。

(あ……怖くておしっこ漏らすって、本当にあるんだ……)

 彼女はそのことをどこか他人事のように知覚した。そんな風に感じるのは、死の恐怖から逃れるため。心の防衛機構が現状を客観視させているからだと、彼女の中の別の葵が分析していた。

 怪物の巨大な手が、ゆっくりと迫って葵を掴んだ。絡まったツタが、勝手にぶつりと切れる。

 身体が地面から離れ、狼男の頭と同じ高さまで掲げられる。

 狼男が口を大きく開いた。唾液にまみれた口内がぬめぬめと光っている。のどの奥に白いものが並んでいた。

 人の頭蓋骨だ。

 十人分はありそうな髑髏たちが、暗い眼窩で葵をじっと見つめる。

 まるで自分たちの仲間になれと、葵を誘っているかのようだった。

 不気味な視線で、葵の防衛機構は呆気なく崩壊した。

「い……いやぁーーーーっ!! 誰かっ!! 助けて誰かぁーーーーっ!!」

 のどが裂けんばかりに半狂乱で叫ぶ。必死に身をよじらせて、巨大な手中から逃れようとする。だが、

『静かにしないか』

 人狼の握力がぐっと強くなる。

 胴体が圧迫され、みしみしとあばらが軋む。

「あ゛……あ゛……」

 全身を襲う苦痛に、葵はまともにしゃべることすら困難になった。

 肺の動きが阻害されて呼吸が苦しい。

 もう少しでも力がかかれば、血や内臓が口と肛門から飛び出してしまいそうだ。

 霞みつつある視界で、狼男の口が迫る。

 もう考えるのも嫌だ。苦しい。怖い。楽になりたい。

 追いつめられた葵には、怪物の咽が楽園への入り口のようにすら感じられた。

 ぬらぬらと光る舌先が、葵のシューズにもう少しで触れる。

 その時——

 ぱぁんっ!! と花火が爆発したような音が響いた。

 狼男の頭部。葵から見て右側でなにかが弾けた。怪物の姿勢がわずかにふらつく。同時に、葵の感じていた圧迫感が和らぐ。

 力の抜けた手中から、身体が滑り落ちる。空中で頭が下に傾く。地面がどんどん近づく。後頭部から落ちる態勢に入ったが、今の彼女はそれに反応する余力もない。

 地面と激突する瞬間、葵の身体がふわりと浮いた。次の瞬間、彼女は何者かの腕の中にいた。

(……だれ?)

 葵の視界に顔があった。魔女みたいなとんがり帽子を被った、年上の女性。顔立ちはきりっとして凛々しい。

 髪の色は黒い。目も同様の色だ。

 女性の手が葵の額に触れる。触れた個所から、なにか清涼感のあるものが頭に流れる。すると体中にあった痛みや苦しさが一気に無くなった。朦朧としていた意識も冴えてくる。

「な……なにを……?」

 なにをしたのかと、混乱する葵が訊ねる。女性が口を開いた。

「簡単な治療術。痛いところはもうない?」

 葵にも判る、落ち着いた口調の言葉。頭に響くような声じゃない。発声された日本語だ。

 反射的にこくんと短く頷く。女性の顔にほっと笑みが浮かぶ。

「よかった……。大丈夫。安心して。もう誰にも、あなたを傷つけさせないから」

「あ……あなたは……?」

 葵が訊ねる。女が答えた。

「私はなでしこ。山田なでしこ」

次の更新は二、三日後を予定しています。

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