百薬之長のプロトプラスト
霞がかった景色が晴れていくように雪希の表情は晴れ、緩み始める口角を隠そうと顔を背ける。
「何か言い包められたようで、本当に釈然としないんだけど……」
「俺としてはもっと駄々を捏ねられるかと思っていたんだが?」
「そこまで面倒くさくないよ。確かに納得しちゃった部分が多いから、少しちょろかったかなていう自覚はあるけど……」
いくつか説得材料を持ってきていた晴生だった、意外に理性と知性が残っていてくれたおかげで、取り越し苦労で済み安堵した。
「そういう理性が残っていたのなら、うじうじ悩んでいるなよ。コントロールする方法なら一緒に勉強して、考えて出来るようになればいいじゃないか?」
「それが乙女心っていうものなのっ!」
決まりの悪さからか、顔を紅潮させた雪希に大喝される。
乙女心と言った時点で試されたということが判明した訳だが、病み上がりの身体で鈍っているのにも関わらず、1時間全力疾走してきたせいで口を挟む気も失せた。
「……でも及川君、一緒に考えてくれるって本気で言っている?」
「ああ、本気だ」
「出来なかったらどうするの?」
「責任の取り方は心得ているつもりだ」
再び視線をそらして口をすぼめる辺り、晴生の遠回りな告白は雪希に届いたようで、照れ隠しか両手を合わせて人差し指をくるくると手遊びを始める。
「ふ、ふ~ん、そう、じゃあ、お祖母ちゃんの御霊前に誓って言える?」
「この場にいる時点で、そのつもりで言っている」
「へ、へぇ~……そうなんだ……」
「それで?」
「え、何が?」
「付き合ってくれるのか?」
さっきまで紅潮していた雪希は冷静さを取り戻したように真面目な顔つきで考え始める。
「お互い好きあっているのは分かっているけど、このままだと本当にちょろい女になっちゃうから考えさせて」
「……え~」
「なに、その顔。ムードとかシチュエーションとか考えないハルくんが悪いんだよ? 告白するならちゃんとした言葉で、ちゃんとした場所でムードを作って言ってもらいたいの」
ここまできて女の変なプライド的なものを雪希が言い出して、晴生は心底脱力した。
寧ろ祖母の御霊前の前で誓うというシチュエーションで、しかも互いに好き同士であれば尚更OKする流れなのではと思わざるを得ない。
それでもこういう面倒くさい女を好きになったのが運の月だったようで、晴生の愛は冷める気配を見せなかった。
「じゃあ、明後日、昼休み校舎裏で待っていてくれるか?」
「フラれたいの?」
「滅相もありませんっ!」
学校の校舎裏はトラウマになっているようだった。
雪希に怪訝な表情で睨まれ、その圧に圧倒されて晴生は大きく首を横に振る。
晴生は夏休み前に行われる文化祭を思い出す。
「分かった。ちゃんとしたムードを用意するよ」
「それ本当でしょうね?」
「いや嘘だ。最高のムードを用意する」
雪希は満足げな表情を見せ、晴生に向き直る。
「あまり意気込まれて変なことされても困るし、及第点だったらOKしてあげる」
「赤点だったら?」
「何度でもやり直させる」
「え~」
「何? 嫌なの? 付き合う事になっても言ってもらうんだからいいじゃない」
それじゃあ、もう付き合ってくれても良いんじゃないか? と晴生は思いはしたものの肩を竦める。
ここで色々言ってしまうと本当に何度でもやり直させられそうなので、雪希の願望に叶うよう努力することを心に誓った。
だが性格上、用心深さからか完璧にしときたいと思った晴生は――
「せめて、今、予行練習させてもらえないか?」
「それは嫌」
「え~なんでぇ?」
「身の危険を感じるから」
雪希の言っている事の意味が分からず晴生は首を傾げると、雪希から徐に取り出したスマホの画面を付きだされ――納得してしまった。
それは退院祝いでもらったDVDの一つ、着物美女の写った『喪服の美女●●』のパッケージだった。
「実は椿花からハルくんが来るかもしれないっていうメッセージと一緒に送られてきたの。気を付けなさいって、でも本当に来るとは思っていなかったけど」
OKしてもらえなかった本当の理由は椿花が余計な事をしたせいだと晴生は椿花を恨んだ。
「それで?」
「……えっと、何が?」
「私の喪服姿はどうだった?」
バツの悪くなった晴生は頬を掻く。怪訝な目を向け続けている雪希に言い逃れが出来ない事を悟り、晴生は白状した。
正直に堪りません――と。
通夜と告別式が恙無く終わり、雪希が再登校してからというもの、告白する男子生徒はパタリと止んだ。
要因は雪希が自分のエクオール生産菌の活性を落ち着かせたのが一番大きい。
本来、女性フェロモンは同性には全く感じることが出来ず、妻子持ちである上川教授など理性の効いている人間に対しては効き目が薄い。
つまり、理性が蒸発しているような女性遍歴を重ねているチャラ男や、女の子と手を握ったことの無い童貞男子には効果覿面という事になる。
告白の理由の大半が一目惚れだったという事も頷ける。
「それで柏倉は何で休んでいるんだ?」
「う~ん、私はやめた方が良いって言ったんだけど、どうしてもっていうから――」
放課後、期末テストが来月初に迫り、対策を兼ねて弥音の家に集まって勉強していた晴生達は、休憩がてら談笑を始めていた。
椿花だけは体調不良で今日は学校を休んでいて、自然とその話になった。
雪希の話によると葬儀での一件で椿花に恩を感じ、そのお返し、寧ろ見返りにエクオール生産菌を活性化を要求してきた。
「……それで本当は体調を壊したってわけじゃないけど、この前便秘って言っていたから、今は多分」
そこまで聞いて晴生達は言わずとも分かった。エクオール生産菌は乳酸菌で、つまり善玉菌が悪玉菌を上回ったことで、乳酸菌が堪った腸内の老廃物を洗浄しているんだろう。
「全部出してしまったら本末転倒な気がするが?」
「……それは多分大丈夫だと思う。その辺はちゃんと菌達にはお願いしておいたから」
「でも、定着するのって難しいんじゃない?」
弥音の言う通り、ビフィズス菌など生きた乳酸菌を体内に取り込んでも、もともといる腸内細菌の勢力が強く、定着せずに外へ排泄されてしまう事が多々ある。
「椿花の元々いた乳酸菌にお願いしたから、それは大丈夫なんだけど、椿花の悪玉菌は頑なで、5日しか猶予はやらないって言うの」
「その貴重な5日のうちの1日を棒に振っているとか、残念過ぎるっしょ?」
秀実の辛辣な言葉を口にしたところで、元弥は気付いてしまう。
「なぁ? 女子の腸で盛り上がるってどうなんだ?」
元弥の一言で、さっきまで何事もなかったように話題を切り替える。
「それにしても、ハルくん。葬儀の時、超ビビっていたよね」
葬儀の日、晴生は雪希との会話の後、告別式の場に呼ばれ、雪希の親戚たちに取り囲まれることになった。
「いやいや、あれは誰だってビビるって、契約書の一番最後の方に書かれる人たちじゃないか?」
雪希の親戚の人々誰も彼もが、いかつい顔を付きをしていて、いかにもアウトレイジな集団だった。
雪希の父親である新次郎は可愛いもので、顔に生傷があるもの、小指が詰められている人が集まっていた。
陽気な彼らに晴生は取り囲まれ、揶揄われていたのだが、はっきり言ってあっち系の集会場に紛れ込んだと晴生は錯覚し、終始恐怖していた。
「失礼ね。みんな一般人だよ」
「いやいや、眼のところに三本並んだ傷が入っていた人が居ただろ?」
「え? ああ、雄介おじさん? あれは子供のころ猫に引っ掛かれたって、雪子おばさんが言っていたよ」
「……絶対嘘だ。じゃあ、小指が無かった人は?」
「そんなところよく見ているね? 幸太郎おじいちゃんは昔会社勤めしていた時、プレスに挟まれちゃったんだって。結局くっ付かなかったっていう話だよ」
「そしたら、あの人はどうなんだ? あの下品な金のネックレスをしたいかにも若頭って感じの――」
「若頭って……本当に失礼だね。それは本当に耕平兄さんに失礼だよ? 最近、会社でタピオカミルクティーが売れて、少し金回りが良いんだ笑っていたよ」
「……及川氏、それはアウトです」
秀実の的確な横やりによって話題は切り替わったが、晴生は先日の雪希の後、伯母である雪子と父親の新次郎から、雪希の事で伝えられたことを思い出す。
それは本来一族以外他言無用という話、雪希の力にまつわる話だった。
雪希の力は代々兵藤家の直系の女児に引き継がれるものだったらしいのだが、雪希の母親、雪江が新次郎と結婚したことで、その子供である雪希に引き継がれたという。
女系であることから雪希の叔母である雪子。そして亡くなられた祖母の冬子もその力を宿していた。
『ねぇ晴生君。何故、酒が百薬の長って異名があるか知っている?』
雪子の言ったその言葉が全てを物語っていた。一族はその力を使う事で本当の意味の百薬の長を作り出すことが出来た。
詳しくは分からないが、鬼嶋酒造にある兵藤家から受け継がれた梁に宿る蔵付き酵母に関係してるらしいこと以外何も分かっていないらしい。
このことについて外部で知るのは、蔵付き酵母が関係していることを発見した上川教授だけだという。
「ねぇっ! ハルくんっ! ちょっと聞いているっ!?」
雪希の呼びかけに晴生はようやく現実に引き戻されハッとする。
「ああ、すまん。どうした?」
むすっと膨れる雪希。
「もう……発酵の方はどうなのって聞いたの」
「あ、ああ……雪希がいない間も管理の方はちゃんとやっていたから安心してくれ。というか、雪希がやったら全部完璧にできてしまうから、合月教授にも口出しするなって言われていただろう?」
「そんなの分かっているよ、だから発酵の監督という立場をさせられたんじゃん。さっきのは監督という立場で聞いただけだよ」
晴生達のゼミの課題はチーズの発酵について調べる事になった。温度差によってどのような変化が生まれるのかを研究している。最終的には完成したチーズに含まれるアミノ酸や脂肪酸の量を数値化して、味の変化を見る。
流石に適切な温度調節が難しくなってくる夏に差し掛かれば、晴生達だけでは難しく、雪希の力に頼らざるを得ないとは誰しもが思っていた。
「それと文化祭で出せたらなぁ~って思っただけだよ」
「いやいや雪希ちゃん。全然まだナチュラルすぎるよ? 作ったばっかりだし、文化祭に生で出すわけにいかないよ?」
「ぐちゃぐちゃでべちょべちょだもんね」
最早わざと言っているとしか思えない刺激的な会話に、晴生をはじめとした男共の誰もが口を閉ざす。
しかしその沈黙を破ったのは変態の汚名を背負いつつある秀実だった。
「鬼嶋氏、今川氏。文化祭の下りからもう一度――」
「「黙れ、変態っ!」」
男どもの顔に辞書の角がめり込む。
何も言っていないのにも関わらず理不尽なとばっちりを受けた晴生と元弥は、その後、秀実とととも雪希と弥音から冷たい視線を浴びせられることになった。




