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止まる世界

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 それはほんの数秒――

 まるで世界が止まったみたいだった。頭は真っ白になって何も考えられないし、何もきこえないし、身体だってかたまって馬鹿みたいに突っ立ってる。このまま体が境界線を失ってこの夜の闇に溶けてしまいそうなほど、脳裏に焼き付いたそのみずみずしいまでの柔らかな唇の感触が、あたしの身体から力を奪っていった。

 やがてその唇がゆっくりと離れたとき、止まっていた時計が再び一斉に動き始め、身体に吹き付ける風の音が激流となって押し寄せてきた。あたしはまるで雲の上を歩くみたいにふわふわとおぼつかない足取りで二歩三歩と後ずさる。

 あたしの反応を心配そうに見つめるその視線から逃げるように、踵を返し階段を転がり落ちるように一目散に駆けおりていた。

 頭の中はパニック状態で、自分が今どこにむかっているのかさえわからなかった。

 でも――

 なんだろう。この心の深いところに突き刺さった安堵にも似た奇妙な棘のようなものは……


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