9/1(木) 初デート
斯くして、放課後デートをすることになった。
とはいえ、デートだと思っているのは僕だけだろうが。
僕たちの通う高校の最寄り駅前、毎日視界に捉えることはあっても利用したことのないカフェに、僕は初めて足を踏み入れた。そしてどうやら、彼女にとってもここに来るのは初めてだったらしい。
「そうなんだ。意外だね」
「だって、高級な感じだから……。神海くんこそ、意外だよ」
「そうかな? 寧ろ僕には似合わないと思うけど」
「そんなことないよー! こういうお店で勉強とかしてそうな顔してるよ!」
顔は関係ないと思う。
席に着いてじっくり十分ほど悩んだ後、彼女は《いちごミラクルパフェ(税込560円)》を注文した。僕はメニューを見てすぐに決めたのだが、彼女と同じタイミングでカフェラテを注文した。店の雰囲気とは裏腹に、料金はファミレスと同じようなものだった。あるいはもしかすると、逆なのか。高級感を出すことでここが学生の溜まり場になるのを防ぐ、という意図があるのかもしれない。だとしたら成功していると言える。
「そういえば、カフェラテとカフェオレの違いってなんだろうね? 神海くん、知ってる?」
「小耳に挟んだことはあるかな。確か、カフェオレがドリップコーヒーで、カフェラテがエスプレッソってゆうかなり濃いコーヒーだったと思う」
「へぇ〜! ってゆうか、やっぱり物知りなんだね」
やっぱり? 彼女は僕に対してそういう印象を持っているのか。僕は学校で賢いキャラではないはずだけど。根暗ボッチは知識が豊富だというイメージでもあるのだろうか。いや、僕の場合いつも本を読んでいるからだな。とにかく誤解は解いておこう。僕は物知りと言われるほど知識を有してはいない。
「人ってそれぞれ、なにかしらの知識を持ってるものだからさ、これを知っているから物知り、ってわけじゃないよ」
「そうだけどさ。でも突然の質問に答えられるっていうのは、知識の豊富さを感じるな」
「偶然だよ」
「そうかな〜。でも、神海くん成績良いよね。普通に勉強できるんでしょ?」
「まぁ、うちの学校ってさ、偏差値低いからある程度できれば成績は保証されるんだよね。でも、いくらうちで成績良くても、受験で勝てるわけじゃない。僕は賢くないんだよ」
「それでも私からしたら十分頭良いよ。親にも先生にも勉強しろってよく言われるし」
「そっか、言われちゃうのか。そうだ、賢さについての僕の考えを聞いてもらえるかな」
「もちろん」
彼女は笑顔で応えた。僕はゆっくりと話し始める。
「例えば学校の成績が良い人とか、模試の成績が良い人が賢いっていうのは、普通の感覚だよね。でも、学校で習うような勉強はできないけど、歴史のことなら超マイナーなことでも知ってるよって人も、賢いって思うよね。それで、勉強はできないけど、野球のことなら過去の試合や、選手のこととか、大体なんでも答えられるよ、っていう人も知識が豊富だって言える。それは野球だけじゃなくて、アニメでも、音楽でも、なんでもいいんだ。どの人もその分野のことに関しては知識が豊富なんだ。だけど賢いとは言われない。学校の勉強とか、それに関係するものだったら、賢いって言われるのに、野球とかアニメとかファッションとかだと、そんなのより勉強しろって言われちゃう。でも、それってその人たちの頭が悪いわけじゃないんだよね。ただ分野の方向性が違うだけで。でも世間というやつは、そんなこと考慮してくれない。社会人ならともかく、学生には学校の勉強を押しつけるんだよね。まぁそれも完全に間違ってるとは言えないんだけど、ちょっと理不尽さを感じるよ」
「えっと……?」
「まぁ、あんまり気にしなくていいんじゃないかな。君と僕は賢さに違いはないと思うよ。分野が違うだけ。波瀬さんはファッションに詳しいよね。単純な知識量では僕が負けてるかも」
そう、波瀬さんはファッションについて異常と言えるほど知識や知恵を持っている。それこそなんでも答えられるようなレベルの。加えてセンスも磨き上げられているようだ。教室における彼女を見れば誰でもそのことを悟るだろう。というのも、彼女はよく友人相手に、ファッション関連の質問に答えたり、コーディネートのアドバイスをしたりしているのだ。
「そんなことないと思うけど……。でも、どっちにしろ学校の勉強もしないと」
「行きたい大学があるの?」
「ううん。まだ決めてない。けど、大学には行きたいかな。日本じゃ若者の特権みたいなものだし。今はまだ、なにを学びたいのかも分からないけど、高校で終わりたくないの」
世の中には、そういう取り敢えずの大学進学を批難する人もいる。学びたいから大学に行くのであって、なんとなくで行くところではないとかなんとか。確かにそれは正しいのだろう。でも、僕は明確な目的がなくても別に良いんじゃないかと思う。大学に入ってから学びたいことを見つけるのも一つだと。斯く言う僕も、明確に学びたいなにかを持っているわけじゃない。僕も彼女も同じなんだ。
「なら、僕で良ければ教えるよ?」
「ほんと? やった! ちなみに神海くんはどこの大学に行くの?」
「僕もまだ決めてない。専攻する分野で迷ってるんだよね。物理か社会学か。でも、都会には行きたいな」
「私はこの近くでいいかなって思ってたけど、都会に出てみるのもいいかも」
「ちなみに、波瀬さんはどの教科が得意なの?」
「数学! 夏休み明けの確認テストは82点だったの! すごいでしょ! すごいよね!?」
数学とは意外な。というか一気にテンション上げてきたな。僕も合わせておこうか。いや、関心がないとかではなく、僕は驚きや喜びを表現するのが下手なのだ。内心驚いていても、『あんまり驚かないんだね』と言われることがある。感情が動いてもあまり顔や声に表れないということだ。だから見た目のテンションは意識的に上げるしかないのだ。
「そうなんだ! すごいね! それに数学が得意って意外。僕は苦手ではないけど、得意でもないかな。寧ろ数学は教えてほしいくらい」
「任せて!」
そんな口約束をしたちょうどその時、パフェとカフェラテが運ばれてきた。パフェと一緒にカフェラテを持ってきてほしいと注文の際に頼んでおいたのだ。
波瀬さんはそれを視界に捉えるなり、目をキラキラさせて「かわいい!」と叫んだ。そこは『美味しそう』ではないのか? まぁ、態々指摘はしなかったが。
「ふわぁ〜〜! かわいいね!」
「そうだね。写真でも撮ったら?」
「神海くん天才!」
叫ぶや否や、スマートフォンをパフェに翳すと、数回シャッターを切った。いや、スマホで撮影することをこう表現するのはどうかとも思うが、今はどうでもいい。僕は彼女のそのはしゃぎぶりに苦笑しながら、カフェラテに砂糖を注ぐ。ひと通り撮り終えると、彼女はパフェスプーンを親指と人差し指の間に挟み、手を合わせた。
「いっただっきまーす!」
それからというもの、波瀬美唯はパフェを食べ終えるまで終始「美味しい」としか発音しなくなった。彼女がひと口ひと口惜しむように堪能している様子を、その幸せそうな顔を眺めながら、僕はカフェラテをちまちまと女々しく飲んでいた。僕らの会話が途切れても、周囲の人たちの会話は耳に入ってこなかった。もともとそれほど騒がしくない店だけれど、それよりなにより、僕には目の前の女の子しか頭になかったのだから。必然的に訪れた静かな時間。スピーカーから店内に注がれる音楽が、それに淡い色をつけていた。