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堕天使が経営するメイド喫茶へようこそ  作者: 西玉
仕組まれた悪意
8/28

8 殺人現場の悪魔

 暗い部屋で、下地ラクゴは自分の肩を抱いて震えていた。

 外は明るい。カーテンを閉め切り、光を遮断し、電燈も灯していなかった。

 自分の部屋ではない。可愛らしいぬいぐるみと、鮮やかな壁紙に彩られていた。部屋の中央では白いスーツを着た悪魔がいかにも楽しそうに笑い続け、ベッドには、死体があった。

「もういいよ。止めてくれ」

 悪魔に対して言った下地自身の声は、虫の羽音を思わせるようなか細いものだった。

――「いやあ、こんなに嬉しいことはありませんよ。まさか旦那がここまでやるとはねぇ」

「殺すつもりなんかなかったんだ。こ、殺したのは僕じゃない。死んでいたんだ。気が付いたら……ベッドの上で死んでいたんだ」

 犯罪をするよう悪魔にそそのかされ、どうしていいかわからず、よく行くメイド喫茶の前を一日中うろついていた。

出てきた女の子をアエルと勘違いし、思わず声をかけてしまった。名前を間違えたのだから当然だが、冷たくあしらわれた。メイド喫茶で働く女子に冷たくされたことが、下地ラクゴを深く傷つけた。

 気が付くと尾行していた。実家なのだろう。一戸建ての大きな家だった。

 この間に数日が経過していた。早朝、両親が出かけていったのを確認し、下地ラクゴはインターホンを押した。女の子は、下地のことなど覚えてもいなかった。鍵もかけていなかった。下地ラクゴは土足で上がり、暴力を振るった。

 女の子の、店での名前も知らなかった。

 動かなくなって、一時間が経過していた。

――「殺したのは旦那ですとも。あたしはずっと見ていたんですぜ。いやあ、立派でしたよ」

「お、お前がそそのかしたんだ」

 さらに悪魔は笑った。

――「あたしを警察に突き出しますか? 拘留所が精神病院に変わるだけだけどねぇ。がっかりさせねぇで下さいよ。人殺しの旦那。一人も二人も同じじゃねぇですかい? 次は誰にします?」

 ――逃げられない……。

 下地は、何かを言わなければと口を開けた。口を開けたまま、声が出なかった。時計を見た。昼すぎだった。こんなにも、時間が経過していた。恐ろしさで動きたくはなかったが、腹が減った。家族がいても、まともに働いているのなら、しばらくは帰ってこないはずだ。

 下地は立ち上がった。

――「おっ、旦那、さっそく殺りに行くんですか?」

「違うよ。腹が減ったんだ」

――「へぇ。そりゃ豪胆ですねぇ」

 冷蔵庫を漁り、そのままで食べられるものを片っ端から口に詰め込んだ。

 部屋に戻ってくる。いつまでもこの家にはいられない。出て行くところを見られたくはない。だが、いつかは出て行くしかない。

 外を覗こうとカーテンに手をかけた。

 ベッドの横にある机の上で、携帯電話が鳴った。下地のものではない。いまは動かなくなった女の子のものだ。下地がこの家にのり込んでから、何度も鳴っていた。いまさら驚くこともない。

「おや、アエルちゃんだ」

 下地の首が痛んだ。それほど、急激に振り返った。携帯電話の画面上に、大きく送信者の名前が表示されていた。

『店長 アエルちゃん』と出ている。

 咄嗟に携帯電話を持ち上げた。

 出る。

『ルイちゃん、大丈夫?』

 ――しまった。

 嬉しくなって、思わず電話に出てしまった。ルイの電話に出たら、不審に思われるに決まっている。そもそも、突然『大丈夫?』と聞いてきたのだ。アエルは既に何かを知っている。誤魔化せない。女性の声色などできない。

「……あの……」

 何か言わなければと思い、とりあえず声だけ出してしまった。何も考えていない。

『下地ラクゴ?』

 一言でばれた。どんな記憶力をしているのだ。だが、一言だけでわかってもらえたのは、逆に嬉しかった。

「うん」

 認めてしまった。もはや引き返せない。下地は必死で考えた。

『なんであなたがルイちゃんの電話に出るの? ルイちゃんは?』

 お店では『ルイ』というのが名前なのだ。下地はベッドに視線を下ろした。無言のまま見返してくる。瞳はよどみ、焦点があっていない。下地を見ているはずがない。見られるはずがない。それなのに、見られている。そう感じた。下地は視線を避けるように顔を背けた。

 ここでルイが元気だとか言えば、現に死んでいるのだ。間違いなく疑われる。下地が犯人なのだから、疑われたといっても当然のことだが、それではアエルとの関係が終わってしまう。まだ始まってもいないのに。下地はこの状況に及んでも、まだアエルのことが諦められずにいた。

「大変なんだ。ルイちゃんが……」

 再び視線をルイに戻す。死体には、乱暴された様々な痕跡が残っていた。顔は晴れ、体中に殴られた痕がある。そんなに乱暴にしただろうか。覚えていない。だが、辻褄が合うようにしなければならない。

『ルイちゃんがどうしたの?』

 アエルの声と重なって、車の音が聞こえる。移動中だろうか。ここに向かっているのだろうか。

「アエルちゃん、いま一人かい?」

『運転手さんと一緒よ。ルイちゃんはどうしたの? ルイちゃんの家?』

 間違いない。アエルはこちらに近づいてきている。ルイの居場所を尋ねたのはそのためだ。下地はめまぐるしく頭を働かせた。普段から同じことができていれば、もっと効率のいい仕事を見つけられるに違いない。そう思うほど考えた。実際の時間は数秒とはかかっていない。下地はできるだけ深刻な声を出した。

「ルイちゃんが大変なんだ。暴漢に襲われていたのを、なんとか助けたんだけど……間に合わなかった。どうにもできなかったんだ」

『『間に合わなかった』って、どういうこと? ルイちゃんはどうしたの?』

「……動かない。動けないんだ」

 電話の向こうで、アエルが息を呑むのがわかった。下地は死んだとは言えなかった。はっきり死んだとわかっていたら、どうして警察に通報しないのかと言われるに決まっているのだ。

『ルイちゃんの家ね。すぐ行くわ』

「僕も、仕事があるんだ。行かなくちゃいけない。アエルちゃんが来てくれるなら、任せてもいいかな?」

 アエルには会いたかった。だが、同じぐらい会うのが怖かった。状況を詳細に尋ねられたら、白を切りとおす自信がなかった。

『わかったわ。ルイちゃんを助けてくれたんでしょ。有難う』

「アエルちゃんのお店の娘だもの。当たり前だよ。それに、力にはなれなかったんだ」

『いいえ。十分よ』

 アエルは何よりも店を大事にしている。下地もそれはわかっていた。お店のために行動したということであれば、たいていのことは許されるのだ。個人的に親しくなれたわけではないが、アエルの言動や他のメイドたちから聞いた話では、間違いない事実だと確信していた。

 急がなければアエルと鉢合わせしてしまう。下地は急いで家を出ることにした。この際、誰かに見られても仕方が無い。

――「会っていかねぇんですかい?」

 相変わらず上機嫌で、白いスーツの悪魔が尋ねた。悪魔はアエルに会うつもりなのだろうか。

「僕が殺したなんて、間違っても思われたら困るんだ。お店の娘を殺したなんて知られたら、絶対に僕のことを好きになるはずがないからね。とりあえず、いまは我慢するしかないな」

――「そんなもんですかねぇ。殺人事件の現場に女が一人、心細いでしょうに」

「そうかな……いや、駄目だよ。この上警察まで呼ばれたら、僕が犯人じゃないなんて通用するわけないもの。それとも、お前がなんとかしてくれるのかい?」

 悪魔は笑みで答えた。どうしようもなく不吉な笑みだ。

――「人間のことは、人間が始末するでしょうよ」

 つまり、力は貸せないということだ。下地に選択肢はなかった。服を整え、慌てて玄関から出た。ちょうど、目の前に黒塗りのハイヤーが止まった。後部座席から、アエルが姿を見せた。

「アエルちゃん……」

 思わず声をかけてしまった。だが、アエルは下地を見ていなかった。アエルの目は二階の窓に釘付けになっていた。その場所は、ルイが死んでいる場所である。下地は心臓が止まるほど驚いた。

「なんであいつがいるの?」

 呟きだった。独り言に違いない。下地は、誰のことかすぐにわかった。やはり、アエルには悪魔が見えている。

「アエルちゃん」

 あえて大きな声をだしてみた。このまま行ってしまったほうが良かったかもしれない。だが、運転手にも見られている。アエルを避けるように移動することは、不審に思われるに違いない。何より、無視されるのは辛かった。

 アエルの視線が下地に向く。下地は鼓動が早まるのを自覚した。怒りと不安が混ざり合ったようなアエルの表情は、下地の心に深く響いた。

「下地さん、有難う。後で詳しく聞きたいわ。時間があったら、この番号に電話して」

 名刺を渡された。アエルの名前と店の名前に、アエル個人の携帯電話の番号が記入されている。

「わかった」

 感情を押し殺した。たまには冷静に見せるのを必要かもしれない。そんな計算をしていた。

「頼むわね」

 ルイの実家に、アエルは入っていった。きっと警察を呼んだりするだろう。事情聴取なども受けるかもしれない。当然、受けるのはアエルだけだ。

 ――深夜に、慰めるかんじで電話をしてみよう。

 下地ラクゴは人を殺したことを、早くも忘れつつあった。


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