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堕天使が経営するメイド喫茶へようこそ  作者: 西玉
仕組まれた悪意
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7 不在中の変事

 ハプニングイベント『オオクモ退治どきどき水鉄砲』(後日名づけられた)が『@ホームIN』で行われてから、一週間が経過した。この日、秋葉原店店長天上アエルは、本社に呼び出されていた。

怒られたわけでも、急用というわけでもない。定期的に本社に呼びつけられるのは、『@ホームIN』秋葉原店を本社が重視しているあらわれである。呼びつけられる要件の中身は、コストパフォーマンスの確認であったり、寄せられている客の反応であったり、イベントの打ち合わせであったりする。この日はどれでもない。定期的に行われる、会計検査だった。

 公務員でもなく、税金が投入されているわけでもないので、故意に帳簿を誤魔化しているような形跡さえなければ、問題はないはずだ。監査を行うのは本社の方針で、しかも外部の会計士に任せているという徹底ぶりだ。決算は年に2回行われ、監査も年に2回である。

 さほど緊張する用事でもなかったが、本社に呼ばれた時に、代理を立てることは認められていない。常に、店長であり、エリアマネージャーである天上アエルが呼ばれるのだ。


 本社の厳重な警備をいつもの手順で通過し、荘厳ともいえる拵えの会議室で、アエルは監査人である会計士と相対した。不正をした覚えは無いが、緊張しなくてすむというものでもない。帳簿のつけ方を間違っていないという保障は無いのだ。

「結構ですね」

 会計士はつぶやくように告げた。アエルはほっと胸を撫で下ろす。会計士は六〇歳がらみの頭部が禿げ上がった男だったが、精力的に顔はてかてかと光っていた。帳簿から顔を上げると同時に、鼻の下が長く伸びたような気がする。帳簿から顔を上げるというのは、アエルの顔を正面から見るということである。

 アエルのバックの中で携帯電話が震えた。マナーモードである。まだ完全に審査が完了したというわけではない。急いで切ろうと思い、携帯電話に手を伸ばした。

 副店長のミレイからだった。現在アエルが本社に来ていることは知っているはずだ。店を任せてきた。

 ――何かあったわね。

 わずかの間、電話に出るべきではないかと焦った。会計士の顔を伺った。

「大事な電話ですか?」

「お店からです」

 細かいことは言わなかった。ただ、声の調子だけで事情が伝わったらしい。会計士は電話に出るよう促した。

「ほとんど終わっています。後はやっておきますので、どうぞ」

「有難うございます」

 電話に出た。ミレイの声は弾んでいた。アエルが電話に出たことを、明らかに喜んでいる。落ち着くように促した。ミレイの声は落ち着き、切羽詰っているのが逆に明確にわかった。

「どうしたの?」

『店長、変なんです。突然騒ぎ出すお客さんがいて、なだめようとした女の子が、一緒になって騒ぎ出しちゃって……なんだか、悪酔いしているみたいに。もちろんお酒なんて出していませんし、それに白目をむいたまま騒いでいる人がいて……なんだか私、怖くて。お仕事中にすいません。これも……サプライズイベントですか?』

 ミレイの話す背後から、とりとめも無く騒いでいる声が聞こえていた。人の声だけではなく、何かが壊れるような物音も聞こえてきている。

「いいえ。今日は通常営業よ。私の居ないときに、ミレイちゃんが知らないイベントなんてやらないわ」

『店長……どうしましょう。私もう……』

 泣き声だ。いくらしっかりしているといっても、まだ二〇年とは生きていないのだ。アエルが生きている年数は、天界の分を含めると軽く一〇〇〇年は超える。だからといって、一〇〇〇年の人生経験があるというわけではないが。

「落ち着いて。私の言うことをしっかり聞いて」

『はい』

 何も考えなどない。ミレイに頑張ってもらうしかないのだ。ミレイの心が折れないことが、何よりも大事だ。今は励ますことしかできない。とはいえ、何を言っていいのかわからなかった。

 ちらりと会計士の顔を見る。手を止め、興味深そうにアエルを見つめていた。

「あの、先生……」

 携帯電話の通話口を手で押さえ、上目遣いにちらりと顔を見た。会計士は柔和な笑みを浮かべた。

「行ってあげてください。大変なのでしょう?」

「はい。でも、私がここにいなくてもいいんですか?」

 会計士は改めて手元の書類を眺めた。数枚めくる。記憶を確認しているのだろうか。すべての書類には、一通り目を通しているはずだ。

「本当はまずいんだけどね。会計検査のために、肝心のお店が大変なことになっているのを見過ごすってのは、本末転倒だよ。なんとかしておくから、行ってあげなさい」

 アエルは泣きそうになった。嬉しかったのだ。まだ、地上は捨てたものではない。机に手をついて顔を突き出し、会計士の頬に口付けした。

「先生、是非お店にいらしてください。うんとサービスしますから」

「メイドさんにサービスされるのは恥ずかしいね。銀座のクラブなら平気なんだが」

「耳掻きでも肩もみでも、好きなオプションつけ放題ですよ」

 会計士の視線が一瞬だけ、腰を浮かせたアエルの太ももに伸びた。いつものスーツ姿である。スカートは短い。

「じゃあ、耳掻きでも頼もうかな」

 鼻の下が伸びていることも、顔が赤くなっていることも、会計士は自覚してはいないだろう。アエルは深くお辞儀をしながら、一枚のポイントカードを渡した。既にすべてのポイントが押され、インクで真っ赤に染まっている。『@ホームIN』で提示すれば、文字通り好きなオプションサービスを自由に選択できる。アエルは営業上の武器として、常に持ち歩いていた。

 会計士に背を向け、再び携帯電話を耳に当てる。会計検査が行われていた会議室を出るための扉に向かった。

「ごめん、ミレイちゃん。こっちの用が済んだから、今からお店に行くわ」

『有難うございます』

 声の調子が跳ね上がった。本社からは、電車で三〇分である。タクシーを拾えば一〇分で行けるかもしれない。ミレイがこれほど困っているのは珍しい。

「もう少し細かく状況を教えて。騒いでいるお客さんはどれぐらいいるの? 一緒になって騒いでいるのがどの娘で、まだ冷静でいるのがどの娘?」

 それを聞いてどうにかできると思っているわけではなかった。アエルですら無策なのだと知られれば、ミレイが一層パニックになりかねないと思ったのだ。

「それが……」

 ミレイは簡潔に話していった。頭のいい子だ。話の要領がいい。店の様子を聞き、アエルは暗い気持ちになった。

 ――まるで黒ミサ、サバトみたいね。また悪魔が関係しているのかしら……。

 最初は一人の客が奇声を上げ、取り付かれたように踊りだしただけだったらしい。それだけなら、あまり気にもならない。面白く見るだけだ。それが徐々に広がり、メイドたちまで始めたとなれば話が違う。今では客のすべてが同じことをしている。加わらなかった客は、既に逃げるように帰ってしまったからである。メイドは約半数が参加している。

 ミレイがメイドたちの名前を挙げていった。アエルは携帯電話を耳に当てたまま、本社ビルを出た。電車でのんびり移動している場合ではない。タクシーを拾おうと手を上げた。黒塗りのハイヤーが横に止まる。間違いかと思い、タクシーを拾うために場所を変えようとしたとき、ハイヤーの扉が開き、運転手が頭を下げながら顔を出した。

「本社のご命令です。乗っていただかないと、私が怒られますので」

 会計士が本社の重役に進言したに違いない。ポイント済みカード一枚では足りなかったかもしれない。

 運転手にうなずき返し、アエルはハイヤーに乗り込んだ。その間も携帯電話は離さない。ミレイが女の子の名前を並べていく。半数のメイドたちが、客と一緒に、半ば白目を向いて踊りだしているらしい。

 一人、足りない。

「ルイちゃんはどうしているの?」

 出勤予定の女の子はすべて把握している。メイド喫茶という業種に、間違えた印象を持ったまま地方から上京してくる客もいる。女の子が危険な目にあわないよう、常に注意しているのだ。

『そういえば、今日は見ていませんね。お休みの連絡も無かったし』

 無断で欠勤したことのない娘だった。すらりと細い娘で、お店でも人気があった。ミレイがいなければ、副店長にしてもおかしくない娘だ。男性並みに身長の高いアエルを小柄にしたような印象もあるので、目をかけてもいた。

 ――悪魔……サバト……欠勤……いけにえ……。

 ハイヤーは走り出していた。どこに行くか命じていなかったが、『@ホームIN』秋葉原店であることは疑う余地も無い。

 アエルの頭の中で、不吉な単語が連鎖のように並んだ。

「ミレイちゃん、ルイちゃんの住所わかる?」

『履歴書がファイルしてありますから。それを見れば』

 履歴書は事務室においてある。ミレイならすぐに見つけられるはずだ。アエルは悪魔によって仕切られたサバトがどのように展開するか、よく知っていた。天上の世界から見たことがあった。

「まだまともな女の子を全員連れて、履歴書のファイルを持ってお店の外に出なさい。一緒に踊っている娘を連れ出そうとすれば、巻き込まれるわ。外に出たら、鍵をかけて誰も出られないようにして。外に出た娘は、今日は帰ってもらって。中の様子は見せたくないの。東京なら、メイド服を着たままでもそんなに注目されないわ」

『わかりました』

 ミレイがルイの住所を読み上げる。遠くはない。アエルが復唱し、ハイヤーは行く先を変更した。


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