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堕天使が経営するメイド喫茶へようこそ  作者: 西玉
天使と悪魔
6/28

6 閉店の後で

 帳簿をチェックしてから、天上アエルは事務室を後にした。メイド喫茶『@ホームIN』は健全なお店である。夜間営業は慎んでいる。

 外は夜になっていたが、深夜ではない。店がしまり、アエルは副店長のミレイが出てくるのを待っていた。

 ――あのクモが出てきたのも、ムニエルとか名乗った悪魔の仕業ね。どういうつもりなのかしら。

 店の場所は秋葉原である。とりわけ夜に強い、という街ではなく、飲み屋街でもない。夜はそれなりに人通りが少なくなる。店の場所は集合ビルの二階である。もちろん、寝静まるということがない街だ。

鍵をかけてからミレイが階段を下りてきた。暖かそうな上着を着ているが、中はミニスカートのワンピースであることが見て取れた。ツインテールだった髪は店の外では下ろしているので、店にいるときとは別人のように見える。

「お疲れ。今日は大変だったわね」

 いつものとおり、何気ない労いの言葉をかけた。ミレイは若いわりにしっかりしており、一番信頼している仕事仲間である。アエルにとってはそれだけだったが、ミレイが家出中であることもアエルは知っていた。いつも気にかけていた。行く場所がないと言えば、アエルの部屋に泊めることも少なくなかった。それがたまにではなくなり、最近では、ミレイと一緒に帰り、一緒に寝起きすることが普通になっていた。

「店長こそ、ご苦労様でした。良かったです。店長のメイド姿が見られただけでも」

 にっこりと笑う。ミレイの笑顔には邪気が無い。じつに朗らかで癒される。客の多くは癒されに来るのだ。ミレイはメイドがあっているのだろう。アエルはミレイの頭を撫でながら言った。

「私なんて、ただみんなの真似をしているだけなのよ。本当に素敵なのはあなたたちよ。ミレイちゃん、今日はどうするの?」

 ミレイは家出中であることをアエルにだけは言っていた。東京に友達はいないらしい。ミレイが正式にアエルの同居人というわけではないので、アエルは毎日、ミレイに宿泊先を尋ねていた。ほとんどの場合、アエルアパートに泊まりに来る。それなのに、たまに外泊する。

「……店長さえ迷惑でなければ……」

 ミレイが泊まりに来るのを、アエルが断ったことはない。

「迷惑なわけないじゃない。私が寝過ごしたら、また起こしてね」

「今日はそれで遅れたんですか?」

 確かに今日は遅刻した。いつものとおり教会に寄ってきた。毎日の習慣である。ただし、もう少し早く起きていれば遅刻しなかったのだ。

「今日も、よ」

 ミレイが外泊する日は、朝寝ができる日でもある。つまり、例外なくアエルは仕事に遅刻する。

「自慢げに言わないでくださいよぉ」

 膨らませたミレイの頬を指先でつつき、アエルは歩き出した。路地裏に入る狭い通路の角から、青い顔が覗いていた。

 そのすぐ先にコンビニエンスストアがある。

「ミレイちゃん、そこのコンビニでちょっと待っていてくれる? 忘れ物したみたい」

「はーい」

 アエルは、店では信頼される店長であり、メイド喫茶をもり立てている。ただし、アエル本人がさほどしっかりしていないことは、ミレイ他少数のメイドは周知のことである。ミレイはいつものことかと軽く返事をして、小走りにコンビニへ向かった。

 ミレイの肢体がコンビニエンスストアの明かりに包まれたのを確認し、天上アエルは路地裏へ続く狭い通路の入り口で立ち止まった。

「よく、私の前に顔を出せたわね」

男は白いスーツ姿だった。アエルは男の前を素通りする振りをしながら、通り過ぎる直前で足を止めた。あからさまに話をすると、アエルが危ない人に見られてしまう。男は、アエル以外に見られてはいないのだ。普通の人間には、見ることもできないのだ。

――「おや? あたしが何かしましたかぃ?」

 まったく悪びれもせず、悪魔は笑みを深めた。姿かたちは人間を模している。だが、人間の口は耳元まで裂けたりはしない。口の中に牙のように犬歯が並んでいたりはしない。

「あのクモ、あなたの仕業でしょう?」

――「クモなんて、どこにでもいますよ。ほら」

 ポケットの中から取り出した手のひらに、『@ホームIN』秋葉原店に現れた巨大クモによく似た、小さなクモが現れた。

「……やっぱり。それだけじゃないわ。クモの悪魔がいただけなら、たいした問題じゃなかった。誰も見えていなかったんだから。お店のみんなが騒ぎ出したとき、変な感じがしたわ。あなたが、普通の人間にも見えるようにしたんでしょ?」

 男が手を閉ざす。クモを握りこんだ。そのままポケットに戻す。クモは小さい。だが、もしそのクモも悪魔なら、男は下級の悪魔を自在に使役できる立場だということになる。『大魔王ムニエル』だと名乗った。アエルはその名を覚えておくことにした。

――「何か証拠でもありますか? 何より、アエルちゃんはどうして堕天したんです? 人間の世界へ下りて、しかもメイドの格好で働いていたんだ。理由があるんでしょ?」

「あなたには関係ないわ。関係ないことだけど……神様の計画通り行くと、日本のメイド喫茶はいずれすべて潰れてしまう。私はそれが嫌だったから……抗議しようとしたら堕とされた。どうしてそんなことを使用しているか、理解できない。だって、こんな素敵な文化は聞いたこともないわ。この時代の日本以外、どこにもない。守らなくちゃいけないと思ったのよ。でも……そんなこと……悪魔に言うことじゃないわね」

――「なるほどねぇ」

 感慨深げに男はうなずいた。アエルは慌てて自分の口を塞いだ。話すことではない。

特に、天界の愚痴を悪魔に聞かせるべきではない。まさに、アエルが自分で言った通りである。話したからといって困ることではないが、あまり言いたくないことだった。ただ、毎日教会に通っては心の中で反復していた内容だったので、スムーズに口を突いて出てしまったのだ。

「他の人には言わないでよ。恥ずかしいから」

――「あたしの声を聞ける人間なんか、ろくにいませんやね。でも、それだけ解っているなら、クモを見えるようにした、別の誰かがいるって、思いやせんか?」

 アエルは男の顔を睨んだ。

 ――『別の誰か』? ……まさか。

 心当たりはある。万物において不可能なことなどないと思われる、ある絶対的な存在を思い浮かべた。毎日呼びかけても、アエルを地上に堕として以来、一度も声をかけてきたことはなかった。

「でも……悪魔を利用するような計画じゃなかったはずなのよ」

――「たまたま悪魔がいたんだ。利用しようって思わねぇほど、鈍いお方なんですかねぇ?」

 男の言うことも最もだと思いかけ、アエルは小さく首を振った。間違いだ。そんなはずはない。人間をパニックに陥れて、喜ぶようなことをするはずがない。だが……かつて、ユダヤ人を逃がすために、エジプト人を大量に紅海に飲み込ませたという話がある。

 アエルは、自分の体温が動揺で下がるのを感じた。地上に堕とされても、一度も疑ったことなどなかった。その信頼が、わずかでも揺らぐのを感じていた。

「そ、そのことは……もういいわ。あなたが関与していたとしても……許してあげる」

――「そりゃ、有難いねぇ。もっとも、あたしとしては、許してもらわなきゃならねぇようなことはしていませんけどねぇ。イベントとしちゃあ、大成功だったじゃねぇですか。アエルちゃんの機転のお陰でしたけどねぇ」

「そりゃね。伊達に店長を名乗っていないわ」

 悪魔にでも、ほめられると嬉しいものだ。アエルがいなければ大騒ぎになっていたのだ。誰が何をたくらんでいようと、結果としてはアエルの勝ちに違いない。アエルは、大きな胸を突き出すように体を反らした。

――「それじゃ、あたしはこれで失礼しますよ」

 消えようとした悪魔の頭を抑える。手にごわごわとした感触が突き刺さった。髪とは思えない感触である。頭から生えているのは、実は無数の細い角なのかもしれない。

「ちょっと待ってよ。あなた、結局何をしに来たの?」

「前にも言ったじゃあありませんか。悪魔ってのは暇なんですよ。話し相手をみつけるのだって一苦労でねぇ。アエルちゃんの顔を拝みに来たんでさぁ」

「……本当に暇なのね」

 声高に笑い、悪魔は消えた。

 絶対的な存在に対する不信感をわずかでも植えつけられた事実に、アエルは気づかなかった。


 約束どおり、アエルがコンビニエンスストアに立ち寄ると、ミレイがあるコーナーの前でじっと商品を見つめていた。

 男性用化粧品類のコーナーである。主婦でもあるまいし、通常足を止めることさえ考えにくい。アエルが近づいたのにも気づかなかった。ミレイは、ただ商品を見つめていた。そのコーナーを物色し、何かを探している、というのではなかった。

 ミレイが見つめていたのは、カミソリだった。

 普段は服に隠れているが、ミレイの体には無数の傷がある。ミレイ本人では届かないはずの場所にも古い傷があり、手首には新しい傷が何本もある。夜になると、ミレイはアエルの布団で声を殺して泣いていることが多かった。

アエルは気づかないふりをしていたし、ミレイはアエルが知っているとは思っていないだろう。ミレイが泣いているのは、決まってアエルが寝入った後だ。アエルがそれを知っているのは、ミレイにしがみ付くように抱きつかれ、何度か目覚めてしまったことがあるからだった。もちろん、その時は起きていないふりをしていた。

「ごめん、お待たせ。行こう、ミレイちゃん」

 ミレイが顔をあげた。店に出ているときとは別人のようだった。髪型だけではない。『古い記憶を、店に出ているときだけ忘れられる』と、ミレイ自身が語ったことがある。

「……うん」

「もう、おでんの時期みたいね。買っていこうか?」

 コンビニエンスストアのレジ横で売り出すおでんは、売り出した秋がもっとも売れるという。

 ミレイは声を出さずにうなずいた。アエルがレジに向かおうとしたとき、アエルの手を背後からミレイが握った。

「どうしたの?」

「私……いつまでいていいのかな……」

 アエルが振り替える。ミレイは顔を伏せたままだった。周りを見回す。他に客はいない。アエルは手に力をこめ、ミレイを抱き寄せた。

「ミレイちゃんが店長に出世して、私が別のお店に配属になったときかな」

「それまで、いていいの?」

「ミレイちゃんがいてくれないと、私が困るのよ」

 お世辞ばかりではない。アエルは生活力という一点において、並以下である自覚がある。言い訳をできる相手さえいれば、天界ではそんな力は必要なかったと熱弁をふるうこともできる。だが、自分が最近まで天界にいたなどと話すことができるのは、返事をしてくれない絶対者のほかは、白いスーツ姿の悪魔しかいないのだ。

「仕方ないですね。もう少しいてあげます」

 ようやく、ミレイが明るい声を出した。

「よろしくね」

 笑いかけた頬を引っ張ってみる。他意はない。

「店長、酷いです」

「外では店長って呼ばない」

「アエルさん、酷いです」

「酷いっていうのがどういうことか、いまから教えてあげるわ」

 レジに行き、アエルは熱々のおでんを大量に購入した。袋に入れようとした店員を止め、熱い容器をあえてミレイに持たせた。

『酷い』というのは、おでんの熱い容器を素手で持つことである。とは、アエルだけの感覚である。


 さすがのミレイも、熱いおでん攻撃には耐えることができなかった。

 コンビニを出てわずか数歩で断念し、アエルに泣きついた。

「アエルさん……中身を減らしてください」

「しかたないわね……じゃあ、そこに置いて」

「はい」

 都内のコンビニの例に漏れず、駐車場はなかった。店に訪れるのは歩いてくる客ばかりで、車をもっていてもわざわざコンビニに乗りつける客はいないのだ。

 すでに人通りはほとんどない。道路の縁石に座り、生垣を背に、アエルとミレイはおでんを手にした。

「卵は美味しいわね」

「えっ! 最初にそれ行くんですか?」

 アエルが選んだ最初の一品に、ミレイが声を上げた。

「大丈夫よ。ミレイちゃんの分もあるわ。二つ買ったもの」

「そうじゃありません。卵から行くなんて……後半まで取っておくものじゃありませんか?」

「そう? 美味しいものから食べたいじゃない」

「えーーーーっ……って、卵3つありますよ」

「ああ……ミレイちゃんは若いから、沢山食べるかなって」

「どうして、私が卵好きだと思うんです?」

「嫌いだった?」

「好きですけどぉ……私の顔が丸いって言われているみたいで、なんか嫌です」

 ミレイは頬を膨らめながら、こんにゃくを手に取った。こんにゃくも美味いが、味よりもカロリーを気にしたのだろうか。

「可愛いじゃない」

 卵に噛みつきながら、アエルはミレイの頬を撫でる。

「本当に?」

「もちろん。食べてしまいたいぐらいよ」

 アエルはさらに頬を撫でる。すべすべとした卵型の頬がとてもかわいらしい。アエルはうらやましかった。メイドとは、こうあるべきなのだ。

「……食べてみます?」

「いいの?」

「はい」

 ミレイはアエルの口に竹輪を押し込んだ。まだ汁が熱い。アエルは咳き込んだ。

「酷いじゃない」

「お返しです」

「私、お返しされるようなことした?」

 ミレイはおでんの容器を指さした。アエルはミレイへの罰として、熱々のおでんを容器一杯に買って、ミレイに持たせたのだ。


「もう……食べられません」

「じゃあ、持って帰ろうか。って……もともとそのつもりだったじゃない。どうして完食しようと思ったの?」

「……本当ですね。だから、太るのかな」

「ミレイちゃん、太っていないわよ」

「アエルさんに言われても、全然納得できません」

「店長の言葉は信じた方がいいわ」

「店外で、店長と呼ばないように言ったじゃないですか」

「私が言うのはいいのよ」

「ずるいです」

 ミレイは唇を尖らせて見せたが、腹を立てているわけではないことはわかる。おでんの容器に蓋をする。もって帰り、温めて朝食べればいいだろう。

 アエルはミレイの頭部を抱いた。可愛かったのだ。ミレイが身もだえる。アエルは笑いながら立ち上がった。アパートに帰るのである。


 翌日、時間通りに起こされたアエルは、ミレイと共に出社した。


 地上に降りて初めて、アエルは教会に足を運ばなかった。


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