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堕天使が経営するメイド喫茶へようこそ  作者: 西玉
天使と悪魔
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悪魔との契約者

 浅草下町の薄汚れたアパートに帰り、下地ラクゴは真っ青な顔をしたスーツ姿に悪態をついた。

「お前の言うとおりにしたのに、上手く行かないじゃないか。どういうことだ?」

――「そうですかぃ? アエルちゃんに会えたじゃないですか。それに、メイド姿まで拝めたんです。大成功じゃあないですか。それ以上は、欲張りだと思いますけどねぇ。なんでもかんでもって訳にはいかないでしょうよ」

男は目深に被っていた帽子をとった。白いスーツ姿が掻き消え、まがまがしい瘴気へと変わる。ただの悪魔ではない。ただの悪魔であっては困るのだ。下地ラクゴは自らのすべてを引き換えに、契約を交わしたのだから。

「確かに……可愛かったなぁ」 

 下地の脳裏に、アエルのメイド姿が浮かび上がった。スタイルが良いため、欧州あたりの本物のメイドのように見えながら、着衣の裾が短いため官能的にも見える。それなのに仕草は可愛く、怒らせると客の胸倉をつかみあげたりする。アエルが激怒する時というのが、他のメイドが困っている時に限定しているというのも、アエル自身の人気を上げていた。

――「あたしのお陰じゃあないですか? アエルちゃんは本来、もうお店には出ない立場なんですから」

「わかっているよ。それは知っている。あんたに言われたとおりにしたら、本当に……メイドのアエルちゃんが来てくれた」

 目じりが下がるのが解っていても、止めることができなかった。下地ラクゴは、自分を何の取り柄も無い男だと思っていた。金も地位もなく、ただ唯一の娯楽がメイド喫茶通いだった。

――「じゃあ、あたしには文句を言われる筋合いはねぇってことで」

「でも、あのクモはなんなんだよ。僕が悪いことをして、その悪事を糧に呼び出したって、あんた言っていたよな。アエルちゃんは怖がりもしないし、お店のイベントだったんだろ?」

 悪魔の顔は甘く、剛毛に覆われていた。風貌は細面ともとれるが、深いしわが無数に刻まれ、切れ長の目は真っ赤である。充血した、などというものではない。その悪魔が、笑ったように見えた。普段から笑っていた。いつもの笑顔を消し飛ばすような、深く、不快な笑みに見えた。笑みでありながら、怒っているかのようだった。契約した下地ラクゴに手をかけるはずはない。そう思ってはいても、恐ろしくないわけではなかった。

――「あのクモはちゃんとした悪魔ですよ。アエルちゃんがいなけりゃ、大騒ぎになっていたところですよ。アエルちゃんが怖がらねぇってのも、仕方ないですよ。アエルちゃんは、見えるんですからね」

「見える? 悪魔がかい?」

 確かに、クモが誰にも見られていないときから、天井に張り付いていたときから、アエルは天井を凝視していた。少し不思議に思ったが、あれはクモを睨んでいたのか。

――「ええ。あたしとも少し話しましたよ。ずっと見えていたから、ああいうのも見慣れていたんでさぁ。突然出てきてびっくりさせるってわけにはいきませんしねぇ。ずっと見えていて怯えもしねぇってのは、アエルちゃんが立派だったってことでさぁ」

「じゃあ、アエルちゃんも悪魔を呼び出したのかい?」

 純粋で天使のような、とはどんな女性もいかないだろう。しかも、店長を勤めるほどのやり手なのだ。アエルにも影の部分があっても不思議ではない。しかし、悪魔と契約をするほどだとすると、どれほどの闇を抱えているかわからない。

 人のことは言えないが、下地は複雑な気持ちになった。アエルと同じことをしているという感動と、アエルが大きな闇の部分を持っているかもしれないという不安である。悪魔は大きく首を振った。安心させようとしている仕草には見えない。下地は、むしろ見下されているかのような印象を受けた。

――「とんでもない。アエルちゃんは旦那が思っているより、もっとずっと上玉ですよ。あたしも今日初めて会いましたが、あんなのは見たことがない。旦那が諦めるって言うなら、あたしが狙いたいぐらいでさぁ」

 にたりと笑った口から、白い歯が覗き見えた。すべての歯が鋭く尖っている。肉食獣よりも鋭い。

「ま、まさか。僕がアエルちゃんを諦めたりするもんか」

 そのために、悪魔に自分の魂を譲る契約までしたのだ。

――「それを聞いて安心しましたよ。なぁに、あたしが横取りなんかしません。あたしは入れ物には興味ないんでさぁ。欲しいのはアエルちゃんの魂だけでねぇ。ちゃんと協力しますよ。あのクモは、旦那の悪事にあわせたものが出てきたんでさぁ。あたしのご指名じゃありませんよ。もっと強力な悪魔を従えたいなら、こそ泥なんかじゃなく、もっと悪いことをしてくれなくちゃぁねぇ。旦那が罪を犯せば犯すほど、契約者のあたしには力がみなぎるってもんなんでさぁ」

 悪魔は簡単に言うが、下地にとって、泥棒をするということは大変な勇気がいることだった。量販店に行き、小さな商品を握ったまま全力で走った。いまのところ捕まってはいないが、いつ玄関先に警察が現れるかと不安になり、その日以来寝不足が続いていた。

「『もっと悪いこと』なんて……」

 青い顔がずいと寄った。何度も見ている顔だ。見慣れるというものではないようだ。気持ち悪かった。

――「できねぇなんて言わねぇでしょうね。思い出してご覧なさいよ。アエルちゃんの長い足、突き出た胸。あれが、旦那のものになるんですぜ。それだけじゃねぇ、アエルちゃんが旦那をなんと呼びました?」

「『ご主人様』かい?」

――「放っておけば、別の誰かをそう呼ぶようになるんでさぁ。しかも、店の外でね」

 ――嫌だ。

 咄嗟に思った。だが、口には出さなかった。悪魔にのせられているようで、怖かったのだ。

「……わ、悪いことって、たとえば?」

――「なあに、なんでもいいんですよ。暴行だって、殺しだって。そうだ、強姦殺人なんかおつじゃねぇですか? 強盗殺人なんかも一石二鳥じゃねぇですか?」

「む、無理だよ」

 咄嗟に言った。できるとは思えなかった。想像すらできない。

悪魔は失望したように顔を離した。悪魔の口元から液体が流れていた。透明で、糸を引いていた。よだれだ。しかし、理由はわからなかった。悪魔は口元をぬぐいながら言った。

――「まっ、仕方ねぇ。旦那の限界ってのもあるでしょうよ。でもねぇ、あたしはあのアエルちゃんが気に入りましたよ。別の旦那を探して、アエルちゃんを狙うようそそのかすとしましょうや。それぐらいしか、あたしにはできませんからね」

 別の、男に、アエルが取られる。

 なんとしても、それだけは阻止したかった。アエルに直接嫌われたのならあきらめられるかもしれない。悪魔と契約までしたのに、悪魔が他の男をそそのかすなど、我慢できなかった。

「わかった……やるよ。少し、時間をくれよ」

――「わかっています。楽しみにしていますよ。ただし、あんまり長く待たせるようだと、わかっていますよねぇ」

 さらに悪魔は口元をぬぐった。よだれを垂らしているのは、アエルの肢体を想像しているのだと悟った。魂だけが目的だなんて嘘だ。下地が契約していなかったら、この悪魔はアエルのところまで飛んでいって、悪戯するに違いない。

「わかっている。なんとかする。明日からでも」

――「約束ですよ」

 高飛車な笑い声を残しながら、悪魔は煙となって消えた。部屋が穢れた。下地ラクゴはそう思いながらも、掃除をする気にはならなかった。


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