22 罪と罰
警察病院には関係者用駐車場しかない。星黒也は車を止めると、待ち構えていたようにすばやく車を降りた。
すばやく行動するのを心がけている、ということではなく、冷たい空気を吸いたかったのだ。
高ぶった気持ちを抑えるためである。可能な限り、冷静でいなければならない。そうでなくとも、規則違反を犯そうとしているのだ。
携帯電話を取り出したところに、車からアエルが下りるのが目に入った。
「受付はあっちかしら?」
建物の構造上、玄関と思われる場所を指差していた。星は電話をかけたかったが、電話でする予定の話の内容を、アエルには聞かせたくなかった。
「普通の病院とは違います。外来者用の受付みたいなものはありません。俺が一緒に行かないと、中に入れませんよ」
「そう。よかった。刑事さんが一緒で」
アエルは心底嬉しそうに、にこにこと笑っていた。さきほど色気で刑事を篭絡しようとした美女と同一人物とは、とても思えない無邪気で朗らかな笑顔だった。
実際に、星は篭絡されてしまったのだ。
「すぐに行きます。先に行って待っていてくれますか?」
「はい」
気持ちのいい返事をして、アエルは警察病院の正面玄関に向かった。
アエルは星が明らかに携帯電話を耳にあて、連絡をとろうとしているのを見ていたはずだが、どこにかけようとしているのか、詮索しようともしなかった。
この状況で、人を疑うということを知らないのだろうか。普段からああなのだろうか。
ならば、ミレイのことを何も聞かずに一年ともに生活したというのも、本当なのかもしれない。
星の中では、アエルに対する評価が複雑に入り混じっていた。アエルを信じたいとも思っていた。あまりにも、純粋だ。
あれほど純粋なままの人間が、はたしてメイド喫茶の店長など、勤まったのだろうか。
電話をかけたのは警視庁のデスクである。電話に出たのは、聞きなれた声だった。
「大塚か?」
『星先輩。もう振られたんですか?』
失礼な後輩だ。アエルとは距離があったので聞かれる心配はないが、星はなんとか自制して声を落とした。
「いや。いま警察病院にいる。なにもなければいいが、もし、天上アエルが警察病院を一人で出てくるようなことがあれば、尾行してくれ。手は出さなくていい」
『警察病院って、先輩……天上アエルを連れて行ったんですか? 下地ラクゴも鏑木ミレイもいるんですよ? まさか、会わせるつもりじゃないですよね』
意外と鋭い。星は舌打ちをする寸前で舌の動きを止めた。さすがは自分の後輩だと逆に思いながら、言葉を捜した。
「まさか。会わせるわけがないだろう。泳がせて様子をみているんだ。本人がどうしても来たいって言っていたからな。状況を見て怪しい動きを見せなければ、天上アエルは白だと断定できる」
白とは、無罪だという意味である。
星刑事がどれほど信じても、警察組織としては天上アエルが殺人事件と無関係だと断定したわけではない。
『わかりましたよ。結果が出るまで、誰にも言わないでいます。俺も、事件ならとにかく、先輩の恋路まで邪魔したくありませんからね。警察病院の入り口で張っています。ご心配なく』
「ちょっと待て。『事件ならとにかく』って、どういう意味だ?」
切れた。
――恋路か……。
大塚刑事に言ったこととは裏腹に、星の頭はアエルのことでいっぱいだった。
アエルがせめて罪を犯していないように。
もはや分析ではなく、ただの願望に成り下がっていた。
警察病院に入る前に、駐車場にジュースの自動販売機が置いてあった。迷った挙句、星は缶コーヒーを二本購入した。
入り口玄関で所在なさそうに立っているアエルに声をかけ、缶コーヒーを差し出した。アエルは壁の張り紙を指差した。
『飲食厳禁』
星は肩をすくめて、二本とも自分のポケットに落とした。
天上アエルが罪を犯すはずがない。
警察手帳をかざしながら、星刑事は警察病院に足を踏み入れた。




