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堕天使が経営するメイド喫茶へようこそ  作者: 西玉
生きるということ
18/28

18 落ちてきた真実

 星刑事には、車の中にいるように言われていた。厳密には従わなかった。天上アエルは車に寄り添うように立って、アパートの窓を見つめていた。

両手を組み、祈っていた。

ミレイの電話には、何度かけても出なかった。もし警察官が推測したように、下地ラクゴの狙いが本当はアエルなのだとしたら、ミレイはただ巻き込まれたことになる。

それだけは何としても避けたかった。ミレイを傷つけるようなことだけはしたくなかった。まったく同じ感情を、ミレイがアエルに抱いていることは、アエルには知る由も無かった。

 時間はそれほどかかっていない。私服の警官が階段を上ってから、一分とは経過していないだろう。

 アエルの部屋の窓が、がらりと開いた。

 人影が宙を舞った。

 男にしては小さな影に見えた。

ずっと祈っていたアエルには、はっきりと見ることができなかった。ただ、下のアスファルトに小さな塊が落ちたことはわかった。

「ミレイちゃん!」

 着地の衝撃でアスファルトに這いつくばっていたのは、部屋着姿のミレイだった。

ミレイの細い手足では衝撃を受け止めら切れなかったらしく、顔面までぶつけていた。立ち上がろうとしていた。アエルの声を聞き、顔だけを上げた。

 嬉しそうな、悲しそうな表情は、アエルを戸惑わせた。

 だが、ミレイには違いない。

生きている。動いている。

 ほんの数歩の距離がもどかしく感じた。アエルはミレイに駆け寄った。ミレイは立ち上がろうとして、逆に尻餅をついた。手足が震えている。

「動いちゃ駄目よ。骨が折れているかもしれない。ごめんなさい、私がもっと早く気付いていれば。もう大丈夫よ、ミレイちゃん」

 抱き寄せ、抱きしめた。

 ミレイは声を上げずに泣き出していた。

アエルはさらに強く抱いた。ミレイの手足には、早くもうっ血が出始めていた。

二階から飛び降りるのは、ミレイの体には付加が大きすぎたのだ。ミレイは手も足もアスファルトに付くことができず、動くことが出来なかった。アエルはミレイの体を抱き上げた。驚くほど軽かった。

 アエルの腕の中で、ミレイはまだ震えていた。よほど怖い思いをしたのだ。アエルはミレイを強く抱いたまま、警察官の帰りを待った。

 警察の二人が顔を出すのとほぼ同時に、救急車が来たのは意外だった。

「手回しがいいわね。まだ頼んでもいないのに」

 けたたましいサイレンに、アエルが頬を緩める。

「アエルさん、ごめんなさい」

 アエルの胸に顔をうずめたまま、ミレイが涙声で言った。

「いいのよ。謝るのは私のほうなんだから」

「そうじゃないんです。私、ずっと……」

 ミレイは傷ついている。これ以上話させたくなかった。アエルはミレイを抱きしめ、頭に頬を寄せた。

「辛かったわね。もう大丈夫よ」

 二階から飛び降りたほどである。ミレイは下地ラクゴに酷い目にあわされ、それで泣いているものだとアエルは疑わなかった。

部屋で何があったのか、いま聞き出すのは可愛そうだと思い、あえて聞かなかった。

ミレイが抱える闇に、アエルは気付くことができなかった。


 救急車は下地ラクゴのために呼ばれたものだったが、アエルの要求によりミレイも救急搬送されることになり、結果として下地ラクゴとミレイが介抱台に並んで寝かされた。

ミレイの側にいることを、むしろ下地ラクゴがためらっているのが不思議だった。命にかかわりがある怪我をしているのは、下地ラクゴのほうなのだ。

 星刑事一名とアエルが付き添うことが認められた。

 救急隊員が三名いた。そのうちの一人が、あまりにも毛深く、しわがれた声だった。

「処置が早かったから、命に別状はないでしょう。急所は外れています」

 下地ラクゴの容態を見て、止血しながら救急隊員が簡潔に言った。別の隊員が、ぽつりと続けた。

――「あたしゃあ、死んでくれてもよかったけどね」

 聞き知った声だった。その声に、アエルと下地ラクゴが反応した。その動きで、普通の人間には聞こえていないのだと理解した。

「おい、どういう意味だ? 『死んでもいい』って……」

 怪我をしたためか、下地ラクゴの体は高熱に覆われていた。

うめくような声を、何もない空中に投げかける。

救急隊員は、実際には二人なのだ。下地が話しかけている相手は、アエル以外にはただの救急車の壁なのだ。

「下地ラクゴ、あなただったのね。こいつとの契約者は……地獄の悪魔がこんなに頻繁に、真っ昼間から遊び歩けるはずが無い。どこかに契約者がいるに違いないって解っていたけど、調べようがないから放っておいたわ。お店に出たクモの悪魔も、私のお店を閉店に追い込んだあの悪魔も、こいつの差し金ね。つまり、契約者の下地の命令ってことね。ルイちゃんが、悪魔を呼ぶための生贄にされたのは間違い無かった。まだ、あなたのことはどこかで信じていたのに……あれが見えるし、聞こえるのよね」

 アエルは、自分でも納得できるほど、冷たく沈んだ声で話した。

星刑事にも救急隊員にも、ミレイにも聞かれているが、気にならなかった。

ただの人間が聞いても、理解できない話である。ミレイなら、説明すれば理解してくれると信じられた。ほかの人間にどう思われようが、興味すらない。

 下地ラクゴは介抱台の上でびくりと振るえ、無理やり首を捻じ曲げてアエルを見上げた。無理に首を曲げたので傷が痛むのか、顔は苦痛に歪んでいる。

「アエルちゃん違うんだ。俺はただ、こいつに命令されて……」

 悪魔は笑った。心底おかしそうに笑った。下地ラクゴの顔を覗き込んだ。下地ラクゴが震えた。

――「アエルちゃんは、人間じゃねぇんですよ。悪魔と人間のルールは、人間の社会のこと以上に詳しいんだ。あたしに脅されましたなんて言い訳が通じるわけねぇでしょう。旦那、あんたの魂はもう真っ黒だ。後は手っ取り早く、死んでくれたほうがあたしは楽なんですよ」

「た、助けてくれよ。契約しただろ? もっと、これからも……悪いことをするから」

 下地ラクゴは体を起こそうとした。悪魔にすがり付こうとした。

実に不快で惨めな光景だった。

人間の救急隊員が下地ラクゴを押さえつける。熱に浮かされて、幻覚でも見たと思われているのだろう。

――「警察に捕まった旦那に、なにができます? もう、お払い箱ですよ。そうでしょう?」

 悪魔が同意をもとめたのは、アエルに向かってだった。

アエルは悪魔をにらみつけた。

「下地はまだ人間よ。悪魔の思い通りにはさせないわ」

――「いつまで、そんなことを言っていられますかねぇ。天使様気取りも、すぐ終わりますよ」

 笑みを絶やさず、悪魔は手をかざした。苦痛を和らげるための麻酔によって、意識が朦朧としているミレイの上に手を伸ばしたのだ。

アエルは反射的に悪魔の手を払いのけた。

「どういうつもり? ミレイちゃんには、指一本出させないわ」

――「もちろんです。あたしはね」

 アエルがさらに言い募ろうとした時、救急車が止まった。サイレンを鳴らし続けているので、止まったのは目的地に着いたのに違いない。

 悪魔は消えた。高笑いを残して。

「アエルちゃん……信じてくれよ」

 下地はうわごとのように繰り返していた。

 アエルが目を上げると、救急隊員も刑事も、アエルを見ていた。

下地ラクゴがうわごとを言ったのは異状には感じなくとも、下地ラクゴのうわごとと会話をしていたアエルは異状なのだろう。

「下地に調子を合わせただけです。変な癖でして」

 アエルの言葉に救急隊員は苦笑いして見せたが、星刑事の目は笑っていなかった。

 救急車の扉が開いた。

 移送台に固定されたミレイに、アエルはできるかぎりしっかりと付き従った。


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