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堕天使が経営するメイド喫茶へようこそ  作者: 西玉
生きるということ
12/28

12 真夜中の訪問者

 天上アエルは救急箱からガーゼを取り出し、消毒したばかりのミレイの肩にあてがった。


 ミレイはアエルを庇って怪我をした。アエルがアパートの部屋に帰ると、手当てもせずメイド服のまま転寝していたのだ。揺り起こし、メイド服を脱がせた。

 出血の量が多いため心配したが、傷は浅かった。きれいに直ってくれればいいが、と思いながら消毒し、さらに聖水で浄化してから、ガーゼをあてがったところだった。

相変わらず聖水はアエルには冷たかった。手から煙が上がったが、不思議と聖水や聖印の傷は、しばらくすると不思議なほどきれいに治った。

 アエルはミレイを副店長に任命したが、本社の指示ではない。アエルはミレイの素性も、本名も知らない。あえて聞かなかったというより、素性も名前も知らない相手と同居することが異常だという感覚を、アエルは持っていなかった。

何より、真実の名を知られることは支配されることにつながると思っているアエルは、人の名前を尋ねるような失礼なことはできないと考えていた。

ミレイはアエルの信頼に応え、裏切ったことはない。

「ミレイちゃん、きれいな体ね」

「無理しないで下さい」

 ツインテールも解き、髪を下ろしたミレイが笑った。少しさびしげに見えた。ミレイの体には、無数の傷があった。古い裂傷や小さな火傷の痕は、明らかに虐待を受けた名残だ。

「無理だなんて……」

「今度はアエルさんの番です」

 ミレイが消毒液を手にした。アエルも悪魔に傷を負わされていた。ミレイに言われるまま、服を脱いだ。

 アエルの傷はふさがっていた。アエルの体には、まったく傷がなかった。ミレイがため息とともに暗い顔をした。

 黙ってミレイを抱き寄せ、アエルはしばらく動かなかった。ミレイは涙を流していた。ミレイの涙は、アエルの腕の中で眠ってしまうまで、止まらなかった。


 携帯電話の呼び出しに目が覚めた。

アエルが電話機を手に取ると、深夜零時を回っていた。知らない番号だった。無視しても良かった。なぜか、出る気になった。ミレイを寝かせてから食事をして、風呂に入って寝なおしたので、いまは寝巻き姿である。

「誰?」

『アエルちゃんかい?』

 聞き覚えがある声だった。妙になれなれしいのは、別に珍しくは無い。ただし、電話ではあまり聞かない。客に携帯電話の番号を教えたのは、一人しかいない。

「下地さんね。どうしたの? こんな時間に」

『『どうしたの?』はないだろう? アエルちゃんが、電話してくれって言ったのに』

「ええ。そうだったわね。ごめんなさい。こんな時間だから、緊急の用事でもできたかと思って」

 寝起きなので頭が働かなかった。緊急の用が、ただの客とメイドの関係でしかないアエルにあるはずがない。この時間を狙ったのだという考えは、アエルには思い浮かばなかった。

『いいよ。別に怒っていない。これから会えないかな?』

 アエルは改めて時計を見た。深夜である。隣の布団の上で、ミレイは気持ちよさそうに寝ている。いまはアエルではなく、抱き枕にしがみ付いていた。

「こんな時間に?」

 夜だから、相手に下心がある、という発想はアエルにはなかった。体が大きくても、長く存在していても、人間のように積み上げた経験が、圧倒的に不足している。問い直したのは、単純に普通の人間なら寝ているはずの時間だからである。

『いいだろ? 話を聞きたいっていったのはアエルちゃんじゃないか』

「でも、夜は寝る時間じゃないの」

 実態をもった生物となってまだ日が浅い。体内時計はまだ眠りたいと訴えている。

『なに子供みたいなこと言っているんだよ。アエル、外を見てごらんよ』

 突然呼び捨てにされたことに、アエルは戸惑った。寝ているミレイを踏んではいけないと思い、電燈を灯した。

 窓に寄り、カーテンの隙間を広げる。深夜とは思えない明るさだった。アエルの部屋は二階である。同じ目線に、無数のネオンが輝いていた。むしろ、星が見えない。

「……綺麗」

 思わず呟いた。

『そうだろ。誰も寝てなんかいないよ。下を見て』

 ――下?

 自分の足元かと思った。視線を爪先まで落とそうとした。途中で止まった。

 ――下地ラクゴ?

 たまたま視界に入った。電柱の影に、人間の姿があった。見覚えがある。一度接客した客は忘れない。昼間にも会っている。

「……今、私と目が合った?」

 外にいる電柱の影に立つ人物が、小さく片手を挙げた。

『嬉しいね。気付いてくれて』

「私の渡した名刺、住所まで載っていたかしら?」

『いや。調べるのは大変だったよ』

 笑っている。電話の向こうで、笑っている。どうやって調べたのか、アエルには見当もつかなかった。尾行されたのだとは思いもしなかった。

「それで……私の家の前まで来て、どうする気?」

 他意はなかった。アエルには、下地の目的が理解できなかった。明日からしばらく店が閉まることは、まだ公表していない。アエルに会いたければ、店に来ればいい。話したいなら電話で十分だ。そもそも、アエルのアパートを調べたなら、どうして電話などしてきたのだろう。素直に戸を叩けばいいのだ。

『会いたいんだ。部屋に行ってもいいだろ?』

 それが異常な申し出であることも、アエルには理解できなかった。アエルは部屋の中を見た。アエルを信じて熟睡しているミレイがいる。二人の部屋に別の人物をいれては、いい気持ちはしないだろう。アエルの感覚は、動物の縄張り意識に近いものだった。

「一人じゃないのよ」

 アエルがそう言ってから、下地はしばらく話さなかった。電柱の影にいる人物は、ずっとアエルの部屋を見上げていた。びくりと震えたような気がした。アエルは、人影の視線が、アエルのやや後方を見ているような気がして、視線を向けた。

 白いスーツ姿の悪魔だった。アエルの前に度々姿を見せている。アエルの店で巨大な悪魔が現れたときも、まるで遊びに来たように声をかけ、実際の戦いになると、手伝うこともなくどこかに消えてしまった。

 人間には悪魔は見えないはずだ。特別な視力を持っているか、悪魔自身が姿を見せる術を使わない限り。下地が驚いたように見えたのは、気のせいだろうか。そもそも、悪魔は外からはカーテンに隠れて見えないはずだ。ただ影だけがカーテンに、人型のシルエットとして落ちていた。

「もういい加減にしてよ」

 深夜に二人目の来客迎えたことで、アエルはややぞんざいな口調で言った。悪魔に向けて言ったのだ。下地は客だったが、悪魔を客として接客したことはない。これからも無いだろう。携帯電話を耳に当てたままだった。

 突然、電話が切れた。

 驚いて外を見た。

 アエルの場所からは、電柱の影にいた人物の姿は見えなくなっていた。

 諦めて帰ったのだろうか。

 深くは考えず、アエルはもう一度ネオンに彩られた町を目に焼きつけ、カーテンを閉めた。


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