11 ストーカー
JR秋葉原駅からほど近いコーヒーショップで、下地ラクゴはラジオを聴きながら外を眺めていた。
名前も知らない娘を殺してから、まだ半日とは経過していない。お店での名前はルイといった。まだラジオでは殺人事件の報道は流れていない。あるいは、報道規制でもしているのだろうか。
ラジオを聴き、コーヒーを傾けながら、下地はずっと窓の外を見ていた。同じ席に座り、二時間以上が経過している。どれだけいても追い出されないのが、飲食店のいいところである。店員の迷惑を考える神経は、どこかに置き忘れたようだ。
下地が見つめる窓の外には、ビルの入り口と階段が見えていた。その階段を上った先に、メイド喫茶『@ホームIN』秋葉原店がある。アエルと分かれてから、電車を乗り継いでまっすぐこのコーヒーショップに足を運んだ。
白いスーツ姿で現れる悪魔は、アエルとの仲を取り持ってくれると約束した。そのために、下地ラクゴが罪を犯し、穢れることが必要だと説明した。
だからルイを襲い、気が付くと、ルイは死んでいた。ルイを選んだのは、アエルに似ていたからである。
襲ったのは、相手にされなかったからである。アエルに似ていたからこそ、頭に血が上ってしまった。
抵抗され、死なせてしまった。衝動的なものだった。どこかに手がかりを残してきたに違いない。警察に追われるのも時間の問題だろう。
――その前に、アエルと……。
悪魔との約束どおり、下地はアエルの電話番号を教えてもらった。コーヒーカップを置いたテーブルの上には、アエルから渡された名刺が載せてある。ずっと握り締めていたので、今日もらったばかりなのに、くたびれてしまっている。
コーヒーショップに着いたときには、消防車が店の前に止まっていた。何度か見たことのあるメイド服の女の子が一人で出て行った。
メイド姿なのは、用があって出て行ったのだろうか。営業で客引きにでも行くのかもしれない。店の内部で起こったことも、出て行ったメイドが副店長であることも知らない下地は、かってなことを想像していた。
店に入らなかったのは、アエルと分かれた時に、仕事があると言ってしまったためである。
消防車が帰った後、誰も出てこなかった。車が何台も止まり、スーツ姿の男たちがビルの中に入っていった。
メイド喫茶には、およそ似つかわしくない男たちだった。ビル内には他にも店がある。メイド喫茶に入っていったとは限らない。
嫌な感じはしたものの、下地はだまってコーヒーを飲み続けた。
ある人影を見た瞬間に、下地は腰を浮かせた。
メイド服を着た、長髪長身の女性は、見間違えるはずはない。ルイは似ていたが、やはり別物だ。
アエルだ。
何杯目かのコーヒーを一気に飲み干し、下地は店を出ようとした。店に出る直前に足を止めた。
人影は一つではなかったのだ。アエルのすぐ背後に、下地が警戒したスーツ姿の男たちが続いた。
男たちはアエルを追い越していく。アエルがぺこぺこと頭を下げる。見知った光景だった。店に出ていたとき、アエルは客を『ご主人様』と呼び、誰よりも低く頭を下げた。
見慣れているはずなのに、下地はアエルを見ているのが辛くなった。そんなアエルの姿は、見たくなかった。
男たちが車に乗り込んでどこかに行くまで、下地はコーヒーショップの扉の影に隠れていた。アエルも車が消えるまで姿勢を崩さなかった。アエルが顔を上げる。
アエルに声をかけるには遠かった。アエルは下地に気付かず、階段を上っていった。
追いかけて声をかけようか。『仕事が終わったから、心配して様子を見に来た』と言えばいいのだ。アエルの後を追って、階段を上っていけばいい。珍しくメイド服姿なのだ。店に出ているに違いない。
しかし、下地はコーヒーショップから出なかった。販売用に並べてあるコーヒー豆の棚を眺める振りをしたまま、メイド喫茶の入り口を観察し続けた。アエルに会うことより、直接話すことより、待つことを選んだ。
数分が経過した。
アエルが出てきた。スーツ姿である。下地はコーヒーショップを出た。
美しい後姿をこっそりとつけた。
一度も振り返ることなく、アエルはアパートに入っていった。
部屋に入る前にアエルが確認した郵便受けの位置から、部屋番号もわかった。予想と違い、高級マンションといった感じではなかった。裏通りにひっそりと立つ、駅から近いという立地だけがとりえのようなアパートだった。
下地は携帯電話を見た。もらった名刺に書かれていた番号は、名刺をもらってすぐに登録してある。
誘惑に駆られた。
――いや、夜まで待とう。
気兼ねしたからではない。その方が効果的だと判断したのだ。小動物も殺せない気の弱かった下地ラクゴは、もういなかった。
ルイを襲い、ルイを死なせてしまったとき、死んだのはルイだけではなかったのだろう。弱い下地ラクゴも一緒に死んでしまったのだろう。
警察がすでに捜しているに違いない。下地ラクゴは怖いとは思わなかった。頭の中は、ただ深夜を待つことしか考えられなかった。
携帯電話を握り締め、空を見上げた。
空は赤く染まりつつあった。




