そして迷宮へ―
暗くて重い――
それがアーシェの、最初に感じたことだった。
扉をくぐると、そこは全く異質な空間だった。中庭の様な陽の光も清純な空気もなく、ただただ広がるのは暗く不気味な洞窟のみ。扉が閉じてしまえば明るい日差しも消えて、重苦しい程の圧迫感をアーシェは周りから感じた。
一度迷宮に足を踏みいれると、パーティ全体に緊張が走るのがわかる。皆一様に真剣な面持ちで、神経を研ぎ澄まさせていた。
――ここは人の領域ではない。
アーシェは本能的にそう感じた。今まで潜ったどんなダンジョンとも違う。ここ居てはいけないと、本能が悲鳴を上げるようなそんな居心地の悪さ。ともすると挫けそうになる体を叱咤して、アーシェは気持ちを奮い立たせた。
全く魔素のないこの迷宮では、いつもならば見えるはずのそれらが無い。唯一見えるのは前を歩くジークの、ほんのりと明るい光の魔素。慎重にゆっくりと進む足取りには、迷いがなくて頼もしさを感じる。隣には足音を立てずに辺りを警戒するリーザの存在。真っ直ぐ続く回廊の先を、ジークの肩越しにしっかりと見据えている。すぐ後ろにはシリウスが控え、いつでも魔法が使えるように、体の中で魔力を練り上げている。そしてその少し後ろをデュークが続く。ハルバードを右手に構えながら、どんな不意打ちにも即座に対応できる構えだ。
リーザの隣を歩きながら、狭い通路を進むと、程なくして二手に分かれた道に出た。左側は更に細くなった道に対し、右側は今の道より少し広い。
「ここは右よ」
ジークが頷き、警戒しつつ右に抜ける。壁には焼け焦げた跡や、鋭利な爪痕等が生々しく残っている。恐らくワイバーンに追い込まれた時の戦いの痕だろう。無言でその脇を通り抜けたところで、突如アーシェは異質なものを感じ取った。
「ジーク、待って。何かいる」
刹那五人の間に緊張が走った。ぴたりと足を止め、懸命に耳を澄ませる。
「…私には何も聞こえないけど…」
アーシェは神経を集中させると、通路の先をじっと見据えた。暗い通路のその先に、うっすらと生き物の気配が感じられる。元々魔素が無い所なのだ。ある意味探知は楽な部類に入るかもしれない。しかしその魔物の気配はアーシェの見知ったものではない為、正体は判然としなかった。
「そんなに大きくないけど…土と水の魔素を感じる」
「――他の冒険者って可能性は?」
「無い。天井に張り付いている」
ちっ、とジークが舌打ちした。
「数は1。何か…薄っぺらい?」
「恐らく壁に擬態するスライムでしょう。あれは物理攻撃がほとんど効きませんね」
なるほど。ジークの舌打ちの意味が見えた。貴重な魔力をここで早速使うのが惜しいという事か。しかも天井に居るというのが頂けない。幾ら多少広くなったとはいえ、上から襲われたら一たまりも無いだろう。
「どうしますか?大凡の位置さえ分かれば、私のかまいたちで落とすことも出来ますが…」
「しっ!静かに!!」
突如リーザが声を上げた。そのまま前方に向けて耳を澄ませる。アーシェには何も聞こえなかったが、スライムの居る更に奥の方から、何かがゆっくりと近づいてくるのがぼんやりと見える気がする。
「地面を引きずる音…。ゆっくり、重たげで…。数は一匹。そこそこ大きいわ」
眼を閉じて神経を集中させるリーザに対し、今度はアーシェが補足した。
「土の気配だ。多分、芋虫型の魔物じゃないかな?坑道とかに住んでるやつ。…もっと大きいけど」
「分かるのか?」
眼をそらさず、こくりとアーシェは頷いた。
「知ってる魔物なら大体の特徴はわかる。微妙に規格外だけど、恐らく地面を這うタイプの魔物だと思う」
「この辺に居るってことは、恐らくケイブワームだな。…普通の奴の2.5倍はあるが」
「!!!」
デュークの補足に、思わず全身に鳥肌が立ってしまった。ケイブワームは岩がった山奥に生息する、芋虫型の魔物だ。鈍重な動きとは対照的に、麻痺針を口内に隠し持っている。的確な狙いで飛ばされるこの針は、一度やられれば大の大人でも動くのが困難になるほどの猛毒だ。
「…アーシェ。スライムとケイブワーム、正確な場所はわかるか?」
少し思案して、ジークが訪ねてきた。
「わかるよ。スライムはここから大体50メートルの左側の天井付近。ケイブワームはそのもうちょっと先」
「…シリウス。最低出力で良いから、スライムを狙えるか?天井から剥がせればいい」
「分かりました。やってみましょう」
こくりと頷くと、シリウスが極々小さな声で簡単な詠唱を唱え始めた。シリウスの中の魔力がそれに反応して、少し動く。そしてその大きなうねりから、糸を紡ぐように魔力の固まりを抜き取ると、シリウスが指先に集中させた。すっと腕を伸ばし、指先をスライムに向かって伸ばす。
「アーシェ、誘導をお願いします。タイミングを合わせて、ケイブワームの上に落としますよ」
「了解。えっと…もう少し右下…。そうそう、その辺り。――今だ!」
『エアースラッシュ!』
シリウスの詠唱と共に、指先から勢いよくかまいたちが発生した。暗い洞窟の中では、先の獲物など見えるものではない。失敗すればこちらの存在が気づかれてしまう。息を殺して固唾を飲んでいると、かまいたちが当たる音が聞こえ、そして何かが暴れる音が聞こえてきた。
「やった!スライムがケイブワームの上に落ちたよ!」
「よし、もう少ししたら駆け抜けるぞ」
一同ほっと息をついた。スライムもケイブワームも、迷宮の魔物としてはそこまで脅威ではない。スライムは不意打ちさえ防げれば比較的簡単に魔法で屠ることができるし、ケイブワームは毒針こそ脅威だが動きは鈍重だ。そして何より、ワイバーンの様な知性を持たない。しかし万全な体制でない以上、相討ちしてくれるならそれに越したことはない。
程なくして洞窟の先は静かになり、微かにぶくぶくという音が聞こえてくるだけとなった。
「――よし、そろそろ行くか」
ジークを先頭にゆっくりと近づくと、果たしてスライムとケイブワームのなれの果てがぼんやりと見えてきた。
「…う、気持ち悪い…」
リーザが眉間に皺を寄せた。天井から落ちたスライムは、そのままケイブワームの頭上に落ちたようだ。そして驚くケイブワームをからめ捕り、捕食に成功したらしい。今では動かなくなったケイブワームが、スライムの体内でゆっくりと溶かされている所だった。
「アーシェ、間隔を開けて走り抜けますよ。あまり大きな音は立てないように。気づかれると厄介ですから」
「わ、分かった…」
さして広くもない通路のただ中で、ケイブワームはゆっくりとスライムに食べられていた。時折ケイブワームがビクビクと小刻みに動くのは、条件反射か痛みによるものか…。皮膚が裂け中身が見えそうになったところで、ぐっとアーシェは目を逸らした。これ以上見ていて気分の良いものではない。気づかれないよう、小走りでアーシェは脇を通り過ぎて行った。
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幾つかの通りを曲がり、魔物をやり過ごし。一度運悪くワーキャットに遭遇してしまったものの、事前察知のお蔭でジークとデュークが難なく切り伏せた。それ以外戦闘らしい戦闘もなく、パーティは暗い迷宮を粛々と進む。
どれだけ時間がたったのか――。
長時間にわたる緊張と集中に流石に息が切れ始めたころ、その広間は現れた。
「う…わぁ…!」
思わず感嘆の声を上げるアーシェ。それは広く高い天井に吸い込まれ、思いのほか大きく響いた。
「ふぅー、やっとここまで来たか」
そこはまさに大きな広場と言えるほどの、大空間だった。ほぼ円形状に広がる空間は周りを石の壁で囲われており、壁はゆったりと弧を描きながら高い天井を形成している。しかし目を引くのはその広い空間だけではなかった。
「――!!!」
驚きに眼を見開くその先には、一体の巨大なゴーレムが横たわっていた。地面から見えるのは胸から上の上半身のみ。腕や頭部の大きさからしても、巨大という言葉では足りないくらいの大きさだ。しかし今は前のめりに地面に倒れこんでしまっているため、ゴーレムの全体像を見ることは残念ながらできない。実際に起き上がれば広い広間と言えども、狭苦しく感じる事だろう。
「これが、『巨人の間』――」
アーシェは呆けたようにそのゴーレムを見つめた。
懇意にしている冒険者達から聞いたことがある。迷宮を潜って程なくしたところに広がる大空間。そしてそこに横たわる巨大な石のゴーレム。その構造や用途など、未だに沢山の謎を抱えているそのゴーレムは、活動を停止している為今では格好の研究材料だ。アーシェも迷宮に潜ったら一度はこの目で見てみたいと思っていた、巨大な古代遺物。今それが目の前に横たわっている事が、まさに奇跡だとアーシェは思った。
「ここまで来れば一安心だ。この広間は比較的安全なうえ、『門』まで近い。ここで一休みしていくぞ」
「ナルバの迷宮とは言え、見知った場所に来るというのは何だかほっとしますね」
広場の中ほどまで進み、荷物を下ろす。先ほどまでの張りつめた緊張が嘘のように、四人は思い思いにくつろぎ始めた。
「ジークじゃないか!」
呼び止められたのはそんな時だった。
ゴーレムの傍から一人、白銀の甲冑と明るい空を連想させるような紺碧のマントをつけた男性が歩いてきた。年のころは四十代半ばくらいだろうか。精悍な顔立ちに、威厳に満ちた風貌。その胸には光の神レフトを象った、神円の紋章が彫られていた。
「ランドルフ隊長!近々巨人の間の調査が本格的に始まるって聞いてたが、あんたが担当だったのか!」
差し出された手を親しげに握り返すと、ゴーレムに群がる無数の人影を見やり、ジークが訪ねた。よくよく目を凝らすとゴーレムの随所に、小さな人影が見える。ゴーレムが規格外に大きすぎるため縮尺がおかしくなっている気もするが、恐らくあれが教会お抱えの研究員達だろう。
「ああ、見ての通りだ。やっと迷宮に降りてこられる研究員の数が確保できてね。そちらは…満身創痍だな」
ジークの肩越しにさっと見やると、人間味のある顔に険しさが走った。確かに、ジーク達四人はワイバーン戦で大分疲弊している。その上アーシェを連れての強行軍だ。ジークは苦笑しながら肩をすくめた。
「途中で小型のワイバーンに遭遇しちゃってね…。まぁでも全員無事だし、苦労に見合うだけの成果は上げてきたぜ」
「ほう!新しい部屋でも見つけたか!」
「いや、実は――」
二人が話し込み始めたところで、アーシェはリーザに声をかけた。
「リーザ、この人は?」
「ランドルフ隊長の事?ナルバに配属されている第三騎士団の、二人いる大隊長の一人よ。教会騎士団出身の割に冒険者に対して理解があって、とっても人望のある大隊長様。私たちなんて迷宮にしょっちゅう入るからどうしても騎士団とのやり取りが多いんだけど、彼みたいな人が上に居てくれるから、騎士団と冒険者の間で表だって闘争が無いって言われてるくらいよ」
「ふーん」
「因みに五年前奥様に先立たれて、現在何と独身!あのお髭といい、ダンディーな顔立ちといい、ナルバの女性全体の憧れよ~~~!」
やぁん、かっこいい~~!と騒ぐリーザをしり目に、ランドルフと呼ばれた騎士を見上げた。確かにあの堂々とした風格は、人の上に立つ威厳をよく現している。教会騎士団の大隊長と言えば、団長の片腕として大部隊をまとめ上げる役職だと聞く。そんな人が一介の冒険者と親しげに話し、尚且つこんな迷宮にまで降りてくることに、アーシェはいささか驚きを覚えた。
話が一段落ついたのか、ジークがランドルフを伴って、こちらまで歩いてきた。ナルバの女性陣に人気と言われる顔立ちも、今は険しく引き締められている。恐らく、ジークがあの区画の事を話したのだろう。
「デューク、シリウス、リーザ殿。今回はとんでもない拾い物をしてきたようだな」
「お久しぶりです、ランドルフ大隊長。そういって頂けると、私たちも冒険者冥利に尽きるというものです」
にこやかにシリウスが応じると、ランドルフも釣られた様に苦笑を漏らした。しかしすぐに真剣な面持ちになると、五人を見回しながらしっかりとした口調で告げた。
「今回の発見は、単に古代遺物を見つけた程度では収まらない。もしその区画が事実であるとするなら、それは迷宮が現れて以来の一大発見となるだろう。早晩探索チームを組む予定だが、君たちにはその区画までの案内をしてもらいたい。またそれまでは同時に、他言無用を願いたい」
ランドルフの神妙な面持ちに、それぞれが一様に頷いた。
本来であれば冒険者であるジーク達が、教会騎士団の決定に従ういわれはない。事ナルバの迷宮に於いて、冒険者と教会の関係は『アンバランスな隣人』と言った所だ。迷宮の管理及び古代遺物などの研究は教会が主に行うものの、『門』に選ばれ迷宮に潜れるのは、圧倒的に冒険者達の方が多い。その為教会の研究者たちは迷宮に潜る冒険者たちを取り込むことで、研究材料である古代遺物等を得ることが多い。その為共存関係を築いているものの、しかし、それは教会騎士団には当てはまらない。
冒険者たちに迷宮の主導権を取られたくない教会騎士の中には、あからさまに冒険者に対して敵対意識を持つものもいる。その為迷宮で鉢合わせると、争いに発展することもままあるのだ。
そんな教会騎士の筆頭でもあるランドルフに従うのは、一重に彼自身の人柄と、今回の発見された区画の特異性によるものだろう。一介の冒険者や研究員が集まったところで、あの区画の謎は解明できない。やはり知識は教会の研究員の方が優れていることは、否めないからだ。
「君がアーシェ君かな?」
険しい表情を一転、柔和な笑みを浮かばせながら、ランドルフが声をかけてきた。
「君は運が良い。安全な区画に飛ばされただけでなく、ジーク達に保護してもらえたんだからね」
「アーシェ、隊長は信頼できる人だ。お前が一人あの区画に飛ばされた事、隊長には伝えておいた」
アーシェが頷くと、アッシュブラウンの瞳がゆっくりと細められた。そして手を顎にやりながらランドルフが提案した。
「まぁアーシェ君の事は一先ず、見張りの騎士の隙を掻い潜って迷宮に迷い込み、そこをたまたま通りかかったジーク達に保護された、という所が無難だろうな」
「そうだな。あの区画の件は別にした方が、目立たなくて済むな」
「そうよね~~。不思議区画と一緒に現れた何て事がばれたら、きっと大騒ぎになっちゃうわね~」
頭上でアーシェの身の振り方について議論が始まった。とはいえ、アーシェは先ほどから視界の端に映る、巨大なゴーレムが気になって仕方が無かった。話によれば、ゴーレムに群がっているのは教会の研究員達らしい。自分もその輪に混ざりたくて、アーシェはうずうずして仕方が無かった。
「あ、あの!あれ、見てきてもいいですか?!」
意を決して声をかけると、五人の視線が一気に集まった。
驚くように目を向ける大人たちの中、真っ先にアーシェの真剣な面持ちに答えたのはランドルフだった。
「おおそうか。君は魔道具屋見習いだったね。あまり近くに行ってはダメだが、遠くからなら見ても構わない。白い制服の教会騎士達より前には――」
「ありがとう!!」
最後まで聞かずにアーシェは飛び出した。




