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始源の祭壇

「ガントスさん!見てみて!!」


陽も沈み、街の酒場が騒がしくなる頃、負けず劣らずの声量でアーシェは一軒の酒場を訪れた。

『踊る仔馬亭』と書かれた看板が立つここは、ナルバの中でもそこそこ評判の良い宿屋兼酒場だ。通りに面した入り口からは、明るい喧騒と、食欲をそそるいい香りが表通りに漂ってくる。


「おー、アーシェじゃねぇか。こっちだこっち!」


ごった返した店内の奥から、ジョッキを持った野太い手がぬっと現れた。それを目指して狭い店内をアーシェが分け入る。子どもの体はこういう時に便利だ。


「はい!依頼の魔時計だよ!中の魔石に魔素も補充しておいたし、土台も替えてしっかり固定しておいたから、ちょっとやそっとの衝撃じゃずれないはずだ」


トン、と魔時計を置いたテーブルに腰かけていたのは、ガントスと呼ばれるライオンの獣人だった。黄土色の鬣を無造作に生やし、猫の様な手で器用に鳥の串焼きを頬張っている。かぶりつく時に見える猛獣特有の鋭い犬歯は、慣れないものには恐怖を感じさせるかもしれないが、そんなものもどこ吹く風でアーシェは彼の真横に陣取った。


「おーおー、相変わらず姐さんはいい仕事するねー」


かぶりついた串焼きを脇に置き、持ち込まれた魔時計をゆっくりと確認する。アーシェが持てば一抱えもあった魔時計が、大柄な獣人の手に乗ればほんの一握りに見えるから驚きだ。


「違うんだ!今回は俺がやったんだよ!」

「え?坊主がか?」


胸を張り、自慢げにアーシェは言った。ガントスは大きな目を更に大きく見開いている。


「俺だっていつまでも雑用ばっかしてるわけじゃない!師匠の所で1年にもなるんだ。色々教わって、仕事だって任せてもらえるようになったんだ!…もちろん、師匠のチェックは入るけど…」


最後の方は俯いていて、いささか勢いがなかった。まだまだ半人前である自覚はあるらしい。それを見てガントスが豪快に破顔した。


「あっはっはっは!そうか、アーシェもついに独り立ちかあ!」

「イタイイタイイタイ!ガントスさん、首がもげるっ!!」


丸太の様な腕に抱き寄せられ、もう片方の手で頭をぐりぐりと乱暴に撫でられた。傍から見ると完璧に猛獣に喰われる子猫のようだ。


「それよりもガントスさん!!迷宮で新しい部屋を見つけたんだろう?!その話聞かせて!!」


何とかガントスの拘束を振り切り、期待に満ちた視線でアーシェはガントスを見上げた。


「おー、さすがアーシェ。話が早いなぁ」

「それでそれでっ!新しい古代遺物は見つかったのか?!」

「そうさなぁ…。いつものように俺たちは暗い洞窟の様な迷宮を抜け――」


「あらぁん、ガントス、妾のアーシェを独り占めするきかぇ?」


にゅっと唐突にアーシェの視界に白い細腕が現れたかと思うと、舌っ足らずな声と共にアーシェの首を捉えた。


「ぎゃーっ!ネル~~~?!」


ネルと呼ばれたのは気だるげな眼もとと妖艶な微笑を浮かべた、何とも目のやり場に困る美女だった。今にもはだけそうな東方の民族衣装を着ている彼女は、雑多な人種が集まるこの街でも、一際目立つ。挙句の果て男を誘うようなその肢体は、喧騒に包まれた酒場の中でもちらちらと不躾な視線が後を絶たない。

豊満な胸に後ろから抱きかかえられ、ジタバタとアーシェは暴れるものの一向に拘束は解けない。一体この細腕のどこにこんな力があるのか、毎度の事ながら不思議である。


「すまないのぉ、アーシェ。ガントスが無能せいで、今回見つけた部屋からは大して収穫はなさそうでのぉ…。代わりに妾がこの身を呈して謝罪をするゆえ、こやつらの事を許してやっておくれ?」

「いらない!いらない!謝罪何ていらない!!むしろ全力で拒否するー!」

「ほおぅら、暴れなーい」

「?!?!?!?!?!」


暴れまわるアーシェを物ともせず、ネルは盛大にアーシェに口づけた。あまりのことにアーシェも動きを止めて、完全に固まっている。


「おー。美女と美少年ってのも目の保養だなー。なんだかイケナイ気分にお兄さんなってきたぞ」


テーブルの向かいから声をかけたのは、軽薄そうな青年だった。若干垂れ下がった目元が赤いのは、しかし目の前で繰り広げられる痴態のせいではなく酒のせいだろう。にやにやと見つめる手元には、すでに何杯目かわからないジョッキが握られている。


「トレル!見てないで助けろーー!」

「いやぁ眼福眼福」

「アーシェ~?夜はまだまだ長いわよぅ?」

「がっはっはっはっは!酒だー!酒もって来いー!」


『踊る仔馬亭』の夜は、いつものように更けていった。


*************


「あー、えらい目にあった…」


げんなりした表情で、道をとぼとぼとアーシェは歩いていた。あれから店を巻き込んでの更なる騒ぎになり、飲めや歌えやの大狂乱となった。何とかネルの誘惑からは逃れたものの、店中から小突き回され、酔っ払いたちの体の良いマスコット扱いになったのだ。何とか店から逃れた時にはすでに夜は大分更け、月が煌々と街を照らしていた。


「付き合わされるこっちの身にもなってくれよ…」


ガントス、ネル、トレルは、あれで中々有名な、中堅どころの冒険者パーティだ。その実力と人柄のおかげで方々からの信頼も厚く、顔も広い。気のいい奴らなのは分かるのだが、こうも散々弄ばれると、子どもの体力ではいささか荷が勝ちすぎる。


「あーー!ダメだ!こういう時は気分転換!!」


アーシェは来た道を折り返し、真っ直ぐと続く祭壇までの坂道を登り始めた。




始源の祭壇はナルバの丁度中央に位置する古い遺跡だ。むしろ、街自体が遺跡の周りにできたといっても過言ではない。小高い丘の上には、吹きさらしの朽ちかけた祭壇が安置されている。教会の教えでは、光の神レフトが祀られていた最古の祭壇らしいのだが、その面影もなく今では朽ちかけた石の柱や台座があるだけである。そんな祭壇をぐるりと囲むように、石造りの壁が周りを囲っているものの、そのほとんどが森の植生と同化してしまっており、その役目を果たしていない。恐らく、昔は祭壇を中心に円形状に広がっていたであろう古代の遺跡も、今は祭壇の間のみを残し、風雨にさらされているという状態であった。


アーシェはその祭壇に続く階段の中腹まで登ってきていた。ここまで上がるだけでも、少し息が切れる。振り向くと街の明かりがちらほらと見え、それを柔らかい月がゆうるりと照らしていた。


「うわぁ…。綺麗だなー。…はは。流石にここまではガントスさんの声も聞こえてこないや」


夜の眺望を堪能しようと、アーシェは石段の上に腰かけた。火照った体に夜の風が心地よい。ほぼ満月に近い月のおかげで全体的に明るく、街の明かりのコントラストと相まって、不思議な空間を醸し出していた。

ナルバは元々小さな街だ。それが一気に冒険者や教会関係者が集まる事態となり、どんどん街の景色は移り変わっていく。普段は何気なく過ごしているが、こうやって上から眺めるとよく分かる。街を囲う城壁の外にも光がちらほら見えるという事は、人が城壁の外にもあふれているのだろう。


「俺がナルバに来てから約一年…。随分変わったなー」


ほぅ、と感慨深げにため息をついた。


アーシェはこうやって一人夜を堪能するのが好きだ。ここはアーシェのお気に入りの場所とも言える。特に天気の良い月夜は最高だ。アーシェは思い切り伸びをして深呼吸をした。


「…ん?」


ふと後ろを振り返った。そこには石段が続くばかり。


「…気のせいかな?何か聞こえた気がしたんだけど…」


この石段を登り切れば始源の祭壇がある。そしてそこには迷宮へと続く『門』も。『門』は常に教会の騎士団が守っているため、こんな夜更けに子どもがふらふらしていたら、間違えなく怒られる。その為見つからないように中腹辺りを陣取っていたのだが、俄然アーシェの興味が祭壇へと引っ張られた。


アーシェはまだ『門』を見たことがない。正確に言えば、『門』に挑戦する資格すら保有していない。

大陸の随所に、古代の遺跡やダンジョンなどは散らばっている。しかしナルバの迷宮は近年まれにみる難易度の高いダンジョンの為、『門』を潜るには一定以上の実力が必要とされている。しかも、実力があっても挑戦者を『門』が選別するのだ。


どういう原理かはわからない。しかし、現実に強者であっても『門』を潜れるものと潜れないものがいるから、余計にこの迷宮の付加価値を上げている。そんなことも相まって、街には常に『門』に潜る冒険者の他、『門』への挑戦資格を得ようとする冒険者とでひしめき合っているのだ。


魔道具屋の見習い程度のアーシェには、逆立ちしたとしても『門』への挑戦資格は得られないだろう。教会や王都お抱えの研究者なら話は別かもしれないが、そんな地位もコネもない一般の研究者たちは、冒険者たちが持ち帰る様々な古代遺物を目当てに、この街に滞在するのだ。

アーシェもそんな研究者の端くれだ。気まぐれな幸運なおこぼれよりも、現実に『門』が見られるのならその不思議の一端に触れてみたい。


「もしかしたら騎士団も交代で居ないかもしれないし…。ちょっとくらい、『門』を見ても怒られないよね…?」


月夜は人の気を大きくする。いつもなら働く自制心も、今日はなりを潜めたようだ。

そろりそろりと、アーシェの足は始源の祭壇へと向かった。



風雨に曝された石畳のその奥に、簡素な石の棺が置いてある。初めて訪れる始源の祭壇は、拍子抜けするほど簡素なたたずまいだった。


しかしその祭壇の目の前に、不釣り合いな光の靄ができている。


人ひとりが潜れるほどの高さの白い靄が、縦長に伸びている。それはそこだけ空間が揺らいでいるかのような、不思議な光景だった。白い靄は月の光を受けて、ゆっくりと色を変えつつ漂っている。吸い込まれそうな、そしてどこまでも続いていそうな不思議な靄は、あまりにも異質で見るものにこれが迷宮への入り口であると、瞬時に悟らせた。


「これが、『門』…」


石段の頂上まで登ってきたアーシェは、初めて見る『門』に驚きのため息をついた。この世のものとは思えない、不思議な光景。そこだけ切り取られたかのような神々しさは、アーシェに我を忘れる程魅入らせるに十分だった。


この先に未知の迷宮がある。ずば抜けて難易度の高いダンジョンは、未だ浅い階層しか探索が進まず、しかも何人もの冒険者が帰らぬ人となった。しかしそれ以上に得られる対価も大きく、迷宮から持ち出される古代遺物や魔獣の素材は、既知のものとは全くかけ離れた不思議なものが多い。それゆえに多くの冒険者や研究者を引き付ける迷宮への入り口が、今アーシェの目の前に広がっていた。


いつもならいるはずの騎士団が居ない。これ幸いとばかりにアーシェは『門』の傍まで近寄った。


「なんていうか…次元が裂けているみたいだ」


深くどこまでも吸い込まれそうな白い靄は、キラキラと色を変え、千差万別の色彩を見せている。しかしそのくせ真横から見ると厚みは無く、まさに世界がそこだけ切り取られて、別の世界が滲み出しているような雰囲気だった。この先に、未知なる迷宮が広がっている…。思わずアーシェはゆっくりと、手を『門』に伸ばしていた。


「…つっ!」


ビリッと何かに弾かれた。『門』に触れた指先がじんじんと痺れる。


「これが…『門』に拒まれる、っていう事なのか…」


弾かれた手を胸に抱え、アーシェは呆然と『門』を見上げた。『門』が挑戦者を選ぶというのは聞いたことがある。どんなに力も実力もあろうとも、『門』に弾かれてしまえば通ることはできない。もしかしたら、と甘い期待を抱いていただけに、アーシェはがっくりと肩を落とした。


「やっぱり力がないとダメなのかなぁ…」


ため息一つ。アーシェは意気消沈して帰ろうと後ろを振り向いた瞬間――


「…え?…うわぁっ!!!」


振り返ったはずが急に目の前に白い靄が立ち込めていた。否、靄が『門』から伸びてきて、アーシェを包み込んだのだ。そしてそのまま勢いよく後ろに引っ張られて、地面を転がる。


「うわぁーーっ!!」


あまりのことに驚いて、アーシェは思わず目をつむった。ひとしきり引っ張られ転がったあと、


「…いてっ!」


どさり、とどこかに放り出された。


「いたたたたた…」


落ちた時に背中を打ったらしい。それにあちこち擦りむいている。痛む体に舌打ちながら、アーシェがゆっくりと目をあけると――


「?!?!」


そこには透き通るような、真っ青な青空が広がっていた。


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