ナルバの街の魔道具屋
どこまでも高く青い空はいっそ清々しいまでに澄んでいて、次の季節の到来を予感させる。穏やかな春が終わり夏へと近づくナルバの街は、いつもの様な活気に溢れていた。その一際にぎやかな目抜き通りを、一人の少年が駆けていた。
まだ幼い顔立ちは興奮に輝いている。12~3歳くらいだろうか。限りなく黒に近い藍色の頭に無造作に帽子を被り、息せき切って目抜き通りを下って行き、ほどなくして一本の路地を曲がった。
「師匠!!」
少年が飛び込んだのは、ひっそりと路地裏に佇む古い家屋。知らなければ通り過ぎてしまうような、お愛想程度に軒先にかかっている看板には『魔道具工房』とすすけた文字で書かれている。もはや知らなければ読めない程度だ。
「どうしたー、そんなに慌ててぇ。頼んだ品は引き取ってきたのかー?」
奥から気だるげな声が答えた。まだ若い女の声のはずなのに、妙に老成した雰囲気が醸されるのは、その間延びした口調のせいか。のっそりと奥から現れたのは、ぼさぼさの長い髪を適当に後ろで結わき、よれよれの白の作業着を羽織った若い女だった。
「そんなことより師匠!!今祭壇の方で大ニュースがあったんだ!!新しい部屋が見つかったって!!」
女の様子も気にもかけず、少年は溢れんばかりの期待と好奇心に目を輝かせ、師匠と呼ぶ女に報告をした。
本来ならば美しい女性なのだろう。落ち着いた色味の赤い髪は、手入れをすればもっと艶がでるはず。よれた作業着の上からでもわかる豊満な肉体は、多くの男を引き付ける魅力を持っている。しかし彼女のやる気のないまなざしが、その全てを悉く裏切っていた。
はしゃぐ弟子の報告に、師匠と呼ばれた彼女は大きな伸びとあくびを一つ。黒縁のメガネを胸ポケットから取り出すと、興味ないように――実際無いのだが――応えた。
「新しい部屋が見つかったとして、どうせその殆どを教会の連中が先に調べてしまうんだろ。私らの所に降りてくるには大分時間がたった後だ。そんなことよりアーシェ、頼んだ品は持ってきたんだろうね?」
「あーっもう!師匠はなんでそんな淡泊なんだ!新しい部屋が見つかったってことは、新しい古代遺物や、あの迷宮の秘密が分かるかも知れないんですよ?!こんな面白いこと、魔道具屋としてほっといて良いんですか!!」
「不確定な楽しいことより目先の仕事だ。ほれ、その小包よこしな」
あくまでもアーシェのいう事には興味が無いらしい。更にまたあくびを一つすると、無造作に手をだした。
「もう師匠は…。夢もロマンもないー…」
ふくれっ面をしつつも、アーシェは渋々と小脇に抱えていた包みを手渡した。
「そんなもので腹が膨れるんなら幾らでも語ってやるぞ。ほれ、手伝え」
玄関を抜けて奥の部屋へと進んでいくと、途端に部屋の乱雑さが目に付くようになった。足の踏み場はかろうじて。壁には所狭しと本棚や機械が並び、作業台にはガラクタの様な部品が大量に散らばっている。しかもそれらが窓を圧迫しているため、日の光も十分に入らず埃くさい。部屋の主の性格が、見て取れる部屋だった。
「ガントスのやつ、また魔時計壊したのか…。いい加減丁寧に扱ってくれないと、直すといっても限界があるぞ」
作業台の上に茶色い包み紙を開けると、中から丸い円盤が出てきた。錫で出来た土台の上に、簡素な文字盤と針が2本。それを分厚い質の悪いガラスで覆っている、大振りな時計。アーシェの様な子どもが持つには両手で抱えないと持てない大きさの時計は、一般的な魔時計よりも確かに大きい。
「仕方がないですよ。魔石を入れるとなるとどうしても大きくなっちゃうし、ガントスさんだって物見遊山で迷宮に入ってるわけじゃないし…。あ、でも今回の故障は比較的簡単そうですね。中で魔石がずれてるみたい」
作業台の横から顔を出しながら、アーシェが指摘した。
「その通り。よく分かったな。つまり裏の基盤を外して中の魔石を調整してやれば良いのだが…。よし。やってみるか?」
「え?!任してもらって良いんですか?!」
途端アーシェの顔は期待に膨らんだ。
「もちろん最終チェックは私がやるが、もう内部構造は覚えているだろう?やってみろ」
「はい!」
アーシェは嬉々として、自分の1/3大はありそうな魔時計に取り掛かった。
巡礼の街ナルバには、一つの名所がある。以前は光の神レフトを祀る大陸最古と言われた始源の祭壇がそれだったが、今ではその祭壇は別の意味で大陸中の耳目を集める。ある日突然、祭壇の中央に『門』が開いたのだ。選ばれた者のみくぐれるその門は、くぐりし者を不思議な迷宮へと繋ぐ。迷宮には不思議な古代の遺跡が眠り、様々な古代遺物や高価な素材となる魔物が徘徊する。今ではこの迷宮を目当てに冒険者が訪れ、うらぶれていた街は俄かに活気づいた。
今ではこの街を誰も巡礼の街とは呼ばない。始源の祭壇とそこから繋がる迷宮を指して、迷宮都市ナルバと呼ぶ。