バカ男とクソ女1
今日からいよいよ新学期。朝食と着替えを済ませた瑛太は、アパートの一階にある悠里の部屋の前に居た。前日に悠里から起こしに来て欲しいと頼まれたからだ。
ところが10分近くチャイムを鳴らしてもドアをノックしても一向に起きてくる気配はない。
「いくらなんでも朝弱すぎだろ……」
溜め息混じりに呟いた後、強めに、と言うよりむしろドアを殴る様にノックする事数十回。ようやくカチャリと鍵の開く音がした。
「あー……? 瑛太? こんな朝っぱらから何……?」
「何? じゃないよ、自分が起こしに来いってかなんて格好してんだあんたは!?」
叫んだ後、慌てて背を向ける。悠里は下着姿で玄関を開けたのだ。少々刺激が強かったのか、耳まで真っ赤な瑛太。
「と、とにかく! 俺はちゃんと起こしたからな!? 二度寝すんなよ、叔母さん!」
逃げる様にその場を離れようとする瑛太の襟を掴み、思い切り引き寄せる悠里。
ドアに瑛太が後頭部をぶつけたのなんか全く気にしない。
「……瑛太。一つ言っとく。次に私の事をオバサンって言ったら……埋めるよ?」
悠里のドスのきいた声にゴクリと唾を飲み込みただコクコクと頷く。瑛太から悠里の表情は見えない が、きっと恐ろしい表情であることには違いない。
自室に戻り、一息つこうと思っていた瑛太。ところが悠里を起こす事に予想以上の時間がかかった為、そんな余裕はなかった。
テーブルの上に置いていた眼鏡をかけ、傍にあった鏡を覗き込む。
もちろん見返しているのは自分自身。しかし、今まで眼鏡をかける必要がなかった為かなりの違和感を感じる。だが、それもすぐに慣れるだろうと自己完結し、部屋を飛び出した。
通学には電車に乗る必要があり、アパートから駅まではさほど遠くないものの、電車の発車時刻に間に合うかどうかは正直ギリギリだ。
悠里がもっと早く起きてくれればと心の中で悪態をついてみたところで電車の発車時刻が変わるわけでもなければ、時間が巻き戻るわけでもない。結局は瑛太の体力次第というわけだ。
自動改札機を抜け、電車に駆け込む。
なんとか間に合ったものの、駅員からはアナウンスで注意され、おまけに満員に近い状態でイスには座れそうにない。
制服のネクタイを緩め、額に浮かんだ汗を拭いながら何気なく乗客を見渡すと、瑛太と同じブレザーに身を包んだ学生達が数人居るのに気付いた。
話し掛けてみようかとも思ったが、何と声をかけていいのかわからない。それに彼等は顔見知りなのか、親しげに会話を交わしている。そんな中に入れる程、瑛太の面の皮は厚くないようだ。
輪に入るのを諦め景色を眺めていると、ドンッと何かが背中にぶつかった。
振り返ると本を片手に持った、瑛太とは別の学校の生徒らしい少女が空いた手で額を押さえている。先程の衝撃の原因は彼女だろう。
「ご、ごめんなさい!」
ペコリと頭を下げるショートカットに眼鏡のいかにも優等生といった感じの少女に
「気にしないで。この混み具合だし」
と笑顔で返す。
それ以上の会話もなく、吊革に掴まっているとすぐに駅に着いた。
その駅で降りるのは数人の乗客で、その中には少女も含まれていた。電車を降りると、もう一度瑛太に向かってペコリと頭を下げる少女にそんなに気に しなくてもいいのに、と思いながらも瑛太も頭を下げた。
再び電車に揺られる事数分、ようやく瑛太が降りる駅に着くと、この駅で大半の乗客が降りるのか、改札機の辺りはちょっとした渋滞が起こっている。
これから通学の度にこの渋滞に巻き込まれるのかとげんなりしながらも、瑛太も改札機を通り抜けた。
駅からの通学手段は生徒によって違うらしく、バスに乗り込む者もいれば徒歩の者もいる。
瑛太はすし詰め状態のバスに乗る気にはなれず、同じ制服の学生達の後を追うように歩き出した。
入学したばかりの学生もいるのか、時折真新しい制服姿の生徒が瑛太を追い越して行く。その姿を見ながら瑛太は少しばかり不安になる。転入の手続きの日に担任となる教師に挨拶はしたものの、クラスメート達とは上手くやっていけるのだろうか、と。