1話 圧倒的な力を持つ傭兵
2010年1月のある日の真夜中、1人の男が暗い路地を歩いていた。身長は180センチほどで、黒いパーカーを羽織っていた。
「ちょっとそこの兄さん」
声をかけられた。振り向くと、金属バットや鉄パイプ、さらにはバタフライナイフや警棒を持った10人くらいの不良がにやにやしながら路地を塞いでいた。
「金出せや」
「……」
前に出たのは、警棒を持った不良だった。絶対に勝てると思い込んでいるのか、隙だらけだった。
不良は男の胸倉を掴もうとする。それを周で武器を持って待機している別の不良たちがにやにやと見ていた。だが次の瞬間、不良たちの表情が蒼ざめた。
男は胸倉を掴もうとする不良の左手を払いのけると、その場で回し蹴りを放った。
「ぎゃっ!」
バキッ!という骨の砕ける音が聞こえた。蹴りがヒットした太腿の部分が、あり得ない方向を向いていた。
その場でのた打ち回る不良の鳩尾に容赦ない蹴りを見舞い、気絶させた。
「お前らなんざ、相手にもならん」
そう言い放った男は、手に警棒を持っていた。倒した不良から奪い取ったものだ。
「……んだとコラァ!」
1人の不良が逆上して突っ込んできた。手にはナイフを持っている。
空気を切り裂くようにして鈍い閃光が走った。男は紙一重でそれを躱すと、その遠心力を利用して蹴りを放った。勢いがついた脚が、音を立てて前にいた別の不良の顔を砕いた。鼻の骨が砕けた音が、辺りに響いた。
男はそのまま片足を軸にしてコンパクトに半回転すると、ナイフを持った不良の首筋に警棒を振り下ろした。ビュン!と勢いよく振り下ろされた警棒は、その不良を一瞬のうちに気絶させた。
「な……」
他の不良たちが怖気づく。だが男は容赦なく、動かない不良たちを叩きのめしていった。
落ちていたナイフを左手で逆手に持つと、目の前の不良の太腿を刺した。そして悲鳴を上げる前に、警棒を首筋に当てて気絶させていく。気付けば残りは鉄パイプを持った不良1人になった。辺りは血が散乱していた。
「覚えとけ。これが戦いだ」
男はそう言うと、暗い路地を何事もなかったかのように歩き始めた。
「二度とやるなよ。次は殺す」
振り返らないまま、男は闇の中へと消えていった。
◆◇◆◇◆
男の名前は佐藤輝。今年で26歳になる傭兵だった。高校を卒業してすぐにフランスへと渡り、外人部隊で5年間過ごした。元々趣味でフランス語をやっていたのもあり、言語には不自由しなかった。
輝は滞在しているホテルに戻ると、すぐに部屋に入り、シャワーを浴びた。拳には先ほどの戦いでついた血がべっとりと付着していた。
別の服に着替えると、今日着ていた衣服をホテルの近くにあるコインランドリーに行き、洗った。それを待っている間、そこに1人の男が入ってきた。
◆◇◆◇◆
この部屋には、防犯カメラなんてものはない。しかもホテルからは少し離れた場所にあったため、騒ごうが何しようが、おそらく通報されないだろう。
コインランドリーに入ってきた黒ずくめの男は、何も持っていなかった。いや、小さくて黒いものを持っていた。それは、輝がこれまで嫌というほど見てきた、拳銃だった。
「何者だ」
低く、鋭い声でそう言う。よく見ると男が手に持っていた拳銃にはサイレンサーが装着してあった。
「さっきの戦い、見させてもらったよ。いやー流石、白兵戦においては右に出るやつはいないって噂の傭兵だな。佐藤輝」
男は、かなり砕けた口調でそう言った。だが、辺り一帯には男が放っている殺気が充満していた。
「何者だと聞いている」
「それを聞いたところで、無駄だろ」
そう言い、男は銃口を輝の頭に向けた。
「至近距離でも、油断はするなよ」
輝はポケットから黒いタクティカルナイフを抜いた。
「油断?それはお前がしてるんじゃないのか?」
その言葉を聞いていなかったのか、或いは聞こえなかったのか。輝は男の手の動きに合わせて右に動いた。
バスッ!
アルミ缶を潰したような独特の銃声が聞こえた。輝はそこから放たれた弾を躱せる自信があった。
「何…!」
だが、弾は輝の期待を裏切り、左脇腹を抉った。血が辺りに撒き散らされ、激痛が走る。
その場で倒れた輝を、男は笑みを浮かべながら見つめた。
「お別れの時間だ……あばよ!」
バスッ!
男は容赦なく引き金を引いた。瞬間、輝の側頭部に穴が開いた。
この音が、輝の聞いた最後の音だった。
いや、この歪な音こそが、全ての始まりを示す号砲だった。