其のいち
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神唱国カクシカ。単一神を崇めている人らが――宗徒であり、国民でもある――集う都が国家になった歴史をもつ国である。その発展には絶えず“神の奇跡”が傍らに存在していたという。
事実を確かめる者も少なからず存在してはいたが、多くの民は信心を疑わない。
その中でも、神と語り合い、奇跡を代行する者といわれている存在が“カグラ”だ。
「今、何と申した?」
カグラは顔をしかめ、自身の弟子を睨みつけた。豪勢な白いローブをはためかせているのは、威厳を保つ為だけではない。神唱国カクシカにあっては、このローブが持つ意味は大きい――その身は神を崇め、その心は神を唱えるとされている――カグラの弟子達の中でも、特に優秀な部類に入る者。息を切らしているシスティの頭が下がっていく様が、事態を表していた。
「ほん、とう、です。巫女が」
「巫女が。巫女が、そう申したと?」
威厳に満ちた太い声。普段のカグラから想像できないほどの圧力を発した為か、弟子であるシスティは片膝をついている。自分を崇拝する事を強制しない――普段なら頭を下げる程度にさせ、崇めるのは神だけだと諭している――カグラだが、システィの態度を気にする余裕はなかった。
システィの「はい」という返答が細く震えているのを聞きながら、軽い目眩を感じてしまうカグラ。
苦節四十二年。
老いを感じ始めたとはいえ、まだまだ健在であるカグラ自身が笑っていた。事実、つい数日前には“悪鬼”を討ち倒したばかりである。それでも思う。国家中に轟く“名を捨てたい”と。
思考がちらつき、心が震える。奇跡の体現者といわれたこの身でさえ、恐ろしい話があった事を思い出してしまうのだ。
「ウィズディア――そう、申したのだな?」
顔を上げたシスティが、力強く頷く。両手で顔を覆うカグラの声が小さくなる。「奇跡だ。本物の奇跡が必要だ」
「師よ。本当に“ガストニア族”の危機だと?」
「巫女が申したか。歌謡い共の逸話“ディルド族”にある、醜い者の物語だ」
「ディルドの? それでは」
「急ぐぞ」
神唱国カクシカは奇跡を創り始める。
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独走国ティタニア。常に縦横無尽に生きたいと願う者が集っている。その根底にある願いからか、多種多様な人種、人材が住み着いている。
彼らは笑い、歌い、騒ぐ。
街中で刃物を持った喧嘩があれば、それを賭博する者もおり、そこに理論性を見つけようと輩まで存在している。
そんな国でも例外は存在していた。
「あ? モールがざわつく?」
ユウカリアは鼻で笑い、ジョッキを持ち上げた。「馬鹿か、お前。それでも“ドラル族”か?」
駆け出しの冒険者どころか、街の子供でさえ知っている事実がある。冒険者と呼ばれている中でも例外が存在し、その者は朱髪の大柄な男であり、身を越す大剣を振るう、生粋のドラル族であると。
「まあまあ、ユウさん。聞いてやろうじゃないか。同じ冒険者だろ? なあ、冒険“捨”くん?」
舌打ちしたユウカリアの前で座る男がテーブルを叩いてニヤけている。贅沢を好んでいる訳ではないが、銀色の軽鎧を着ているユウカリアの前に座る男は、黒色のローブを羽織っていた。ユウカリア自身は装備に金を惜しんだ事はないが、こちらも上質な革で編んでいる為、身を守る意味を十二分に持っている。
椅子に掛ける二人に対して、装備に金を惜しんでいる男が立っていた。鎧は駆け出し、武器はナイフのみという有り様である。いくら街中とはいえ――汚れ具合が半端だからだ。綺麗なナイフと顔に対して、革鎧だけがくたびれている――その事実を浮き上がらせていた。
ユウカリアはローブの男の隠語を無視し、一人物思いに耽る。
めんどくさい依頼が終わったつうのに。
朱髪であるユウカリアに依頼をする。その難易度も計り知れないものだが、冒険を捨てた輩が声を掛けてくる程度には、異常な事態が起きているかも知れない。
ユウカリアが喉を鳴らしていると、笑い終えた男が続きを促していた。
くすんだ色をした革鎧を着た男は直立したまま、頭を下げようと声を張り上げた。
「あ! ありがとうござ」
「おい! 時間は酒を不味くさせる。手短に。簡潔に。ちゃちゃっと言え」
「まあまあ、ユウさん。邪魔しないの。確かに、その通りなんだけど」
「は、はい! デルピアさんがそう」
「デルピアだと!」
革鎧を着た男が小さくない悲鳴を漏らす。「あんの女狐が、そう言ってんのか? おい!」
ジョッキをテーブルに叩くように置き、腕組みをするユウカリアを見て、革鎧が直立不動になる。
「ユウさん。こいつは不味い」
「ああ。まじぃ。理由を追い求めるきちがいの“アルカトル族”の中でも、あいつのは予想じゃねえ“予言”だ。知ってるだろ?」
ユウカリアが革鎧から視線を移すと、机に置いた“ジョッキ”が無くなっていた。「アルフ。アルフレッド。俺の酒」
「うん。不味いね。四テルだからかな? やっぱり安物のエールだね」
「てんめえ、ざけんな!」
独走国ティタニアは暴れ始める。
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夢幻国ユライル。かつての覇道を忘れない国は、今でも大国の再現を夢に見ているとされている。
実際は大国を築いた者の出身地であった為、街から国家に成り上がっただけの、歴史が浅い国である。
かの為政者が、かつての大国の歴史と混在させた事が、混乱の歴史を作り上げた。そのお陰で、ユライルという集まりは国家まで成り上がる事ができたのである。
その事実は王族と、一部の者しか知りえない事実となっていく。
王族の側近である事の証である、耳飾りが蒼く輝いた。
「不作? 値が高い理由が不作?」
リネルが笑みを深めた。「あんた正気? 全てを食すといわれた“クルーガ族”のあんたが言うの?」
周囲を歩く人々が足を早め始めている。リネルの容姿は遠目にもわかるほど整っているが、誰ひとり“美人”だとか“可愛い”とかは言わない。普段は仏頂面をしているし、ふとした時に出る笑顔を見た後が――ああ、痛ぶりたい!
穏やかな街並に映えるはずの色は、厄介事に関わりたくない人には知られている。
当人以外では周知の由来であるが、口を裂けられても言わないし、言えない――リネル自身は髪色から呼ばれていると思っている――蒼のリネル。
「姉御。仕方ねえだろ? 不作にゃ、勝てねえ」
リネルの傍で首を振る男。「さすがのクルーガも、天気は食えねえって。諦めようぜ」
リネルが単身で街を訪れる事は少なくなっていた。会話を避けたい人達が多いという悲しい噂も立っているが、リネル自身は鍛錬を日課にしている為、絡まれる事を好んでいた――結果として、治安が良くなったが――簡潔に言ってしまうと、リネルを暴れさせない為である。
「キリクルト。その口を引き千切りましょうか?」
軽い調子で首を振っていたはずのキリクルトの眼差しが、小太りの商人に向けられる。
「おい。ヤンの旦那。こちとら“姫様の使い”なんだ。財布の紐を緩めろよ? な?」
「そ、そうは言いましても、ここのところモールが活発で」
キリクルトの汗が額をつたう。その雫を見た商人――やり手として有名になったヤンだが、青くなっているキリクルトを見て唾を飲み込んでいた。
「あ。それ聞いたわ。噂で」
「あれ? 姉御?」
「アルカトルの魔女が言ってたって。確か――ウィズディアがどうとか」
「そうそう。そうです。私も聞きました! だから、値が張りま」
「不作じゃないわね」
「だねえ」
「張りまし、て」
「ヤン。引き千切るわよ?」
夢幻国ユライルは集め始める。
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轟く怒号。輝きを失い始めた白銀のプレートが忙しなく動き回っている。草木が陰り抉れた地に射す影は二つ。
成人した女性ほどの剣を両手で握り締めて振り下ろす男。
それを軽々と避けて左拳を放ち、嗤い続けるのは化物。
本来の役目を果たさないままに欠け落ちた白銀が映し出す、人間離れした剣筋と鈍重な打撃。
止むことを忘れた人形は視界を埋め尽くさんと剣閃を繰り出したが、遊戯にも満たないと思えるように舞を踊る人型。
砕けた鎧の上を打ち付けられる拳に怯むことなく、鋭さを増していたが、受け止められてしまう剣。
怪異は嗤う。
武器破壊。
男に残されたのは武は肉体のみ。雄叫びをあげ、意思を込め、大地を踏み締め、両拳を固めていく。
振り上げる右拳。
迫り来る左拳。
時を忘れて殴り合い始めた。
最果てのウィザニアは蠢き始める。
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2013/03/03 一部編集。