後編
祭事場までの案内で、神官たちは国の事情を話してくれた。
王が王妃を放置していたのは隠されていたようだ。
王宮の使用人には給与を上乗せし、口止めをしているのだという。
王妃の実家には、体調を崩していると騙り近寄らせなかった。
「神官よ、王は阿呆なのか?」
「面目ございません……」
王が王妃を冷遇する。
上手く隠せられたならば、そのような事態は続けられただろう。
だが、ここは神を降ろす国だ。
ルジヴァには人間の事情はわからない。
だが、神の観点では愚かと断じるしかないだろう。
「我がいる間は神代と同じであると心得よ」
「はっ!」
ルジヴァの言葉に、神官たちは再び深々と頭を下げた。
「さて、阿呆の顔でも見てやろう」
「案内いたします」
ルジヴァは満足そうに頷いた。
神官たちの用意した靴を履き、ショールを肩から掛ける。
ずいぶんマシな格好にはなっただろう。
そして神官たちを引き連れ、ルジヴァは王宮の庭に出た。
そこには祭壇があり、周りを大勢の少女が囲むように立ち並んでいる。
更に祭壇より奥の壇上には、ふたりの人間が豪奢な椅子に座り見下ろしていた。
ひとりは男。
ルジヴァは美醜はわからない。ただ、魂の醜さだけはよくわかった。
若い部類に入るだろう。
そして、女。
ひらひらした服と、華美な装いだが。
男の膝に座る姿と魂は男以上に醜悪であった。
「……なんだ、貴様か」
男が見下ろし、蔑み、口を歪める。
女がくすくすと笑う。
祭壇を囲む少女たちはルジヴァの髪を見て、畏敬を込めて見つめている。
確かに心が清らかな者たちのようだ。
神気により輝く髪を靡かせ、ルジヴァは歩く。
「おい、衛兵よ。奴を止めよ。祭事が汚れるわ。我が愛しのエイミーの目が腐るだろう」
命令するのに慣れた口振り。
男が王で間違いないようだ。
「やはり、阿呆だな」
ルジヴァの後ろに付き従う神官たちを見て気づかぬ愚鈍さに、陽の光など関係なく輝く髪さえ目に入らぬとは。
「王よ、祭事は終わりだ。神降ろしは成された」
堂々と言い放つルジヴァに、王は顔を顰めた。
不快感を顕にする様を、ルジヴァはじっと見つめる。
全てを見透かすように、あるいは見逃さぬように。
「貴様、不敬だぞ。我が愛を得られぬばかりに、とうとう狂ったか」
「まあ、アビスさま。王妃さまがおかわいそうですわ」
「ふ、エイミーは慈愛に満ちておるな。本来ならば、お前こそが神降ろしの乙女にふさわしい」
「まあ、嬉しい!」
エイミーという女が持つのは慈愛ではなく、自愛だろうとルジヴァは思う。
少女たちが神への不敬に震えている。
罪なき者たちを怯えさせるは本意ではない。
ルジヴァは剣呑な雰囲気を漂わせる神官たちを手で制し、口を開いた。
「阿呆の王よ。節穴の王よ。我が輝きに気づかぬか、我が神気を感じ取れぬか、神の怒りを飾り立てた愚かな血筋よ、答えよ」
「な……っ」
屈辱に顔を歪めた男は、しかし王妃のなかにいるルジヴァにようやく気がついたようだ。
「その、髪、は」
王がわかりやすく声を震わす。
人間とは正しく認識してから、物事を理解するという。
王は見下していた王妃だと思い込んでいたから、平静でいられただけだようだ。
今はルジヴァから放たれている神気に怯え、真っ青になっていた。
やはり、冥府を司る神は博識だ。
人間の魂を管理しているからか、神々のなかでも特に人間を知っている。
先述した内容も、冥府の神から聞いたことだ。
神界に戻った暁には、人間について教えを乞うのもいいだろう。
「あら、アビスさま。お顔が真っ青よ?」
だが、女の愚鈍さは王を上回った。
悪臭がしそうなほどの醜悪な魂を持つだけはある。
あれではルジヴァが降りずとも、儚く消え去るのは近かったかもしれない。
穢れた魂を好んで蒐集する悪神は多くいるからだ。
そして、ルジヴァの見るものは、全ての神々が共有している。善神も悪神も関係なく、女の魂は晒されている。
世界が悪に染まり切らぬのは、そういった悪神がいるからこそ。
正義と悪は共存できるのだろう。
「エ、エイミー……黙りなさい」
「えー、アビスさま。どうかなさったの? いつもは、私を守ると王妃さまを痛めつけているのに!」
「エイミー!」
「きゃっ!」
王に怒鳴られ、女が身を竦ませる。
「ふうむ。もっとも神に好まれる存在を、虐げていたか。神を降ろすほどの、清らかな存在をなあ」
呑気に通る声で言うルジヴァに、王の顔からは真っ白なほどに色がなくなっていた。
「神官よ、最も大事な教義はなんだ」
「神々への感謝と敬いでございます」
「そうだ、敬いだ。この体は神を受け入れた。我が還ろうとも、神々は彼女を愛するだろう。神の器たる存在は、神々からの愛を受ける資格がある」
「歴代の乙女たちは、皆幸福に過ごしたと記録にあります」
「うむ」
それこそが五年という時間を捧げる乙女への見返りだ。
幸せであれ。
乙女の求める幸福が与えられるのだ。
ルジヴァは、王妃の体に入り、彼女が隠していた願いを知っていた。
王の有り様を見て、叶えるのは容易いと確信している。
「阿呆の王よ、悪臭に満ちたここは我には相応しくない」
「は……」
王は何を言われたのか理解できないようであった。
悪臭……? と、口を引きつらせて呟く。
ルジヴァは王が抱く女を見やる。
「そなたも大概だが、その女はあまりにも腐っておるぞ。魂が穢れ過ぎだ」
「ひっどーい!」
女が足をばたつかせて抗議をするが、王は神からの言葉に戸惑いを見せた。
愚かな男だが、代々神々を降ろしてきた国に生まれ、神々を絶対だという認識は染み付いているのだ。
「ああ、間違っても宝玉をそやつに近寄らせるなよ」
祭事場で宝玉を持っていたのは、ルジヴァが現れてすぐに頭を垂れた神官であった。
言葉を掛けられた神官は、すぐさま王と女から距離を取る。
「魂の清らかさを知らせる宝玉は、穢れに弱い」
長年守られてきた宝玉を壊すほどの魂だと言ったも当然だ。
女を抱く王の腕から力が抜けたのか、女が転がり落ちた。
「いたぁーい!」
女は悲鳴を上げたが、王は眉をひそめて見るだけだ。
王妃を冷遇してまでそばに置いたというのに、あまりにも情がない。
しかし、ルジヴァはそんな醜いものなど気にすることなく集まった清らかなる少女たちに目をやった。
少女たちは、ルジヴァに対して深く頭を下げ、敬意を表す。
「ふむ、良き魂たちよ。そなたらには、幸運の神からの祝福があるだろう」
少女たちは感極まったように、息を呑む。
幸運の神は幸せを授けるが、与えられた幸運に溺れない者にだけ祝福をするのだ。
ルジヴァの言葉は、彼女たちの清廉さを証明したことになる。
「……して、王よ」
「な、なんでしょう」
声を震わす王に、ルジヴァは笑みを見せた。
「我を宿し乙女への褒美を言い渡そう」
王が目を見開き、そしてすぐさま欲に塗れた眼差しに変わる。
神が降りた乙女は、形式上は王の妻だ。
神からの褒美に自身もあやかれると思ったのだろう。
愚かにも程がある。
「乙女を、神官騎士へ下賜せよ」
「は……?」
王が口を大きく開いて固まる。
王妃を、神に仕える騎士へと嫁がせるなど、前代未聞であった。
「な、にを」
「勘違いするな。これは慈悲である!」
王の言葉を、ルジヴァは切り裂く。
「我は、天秤を持つ神罰の神だ。我の目は、神々の目。神々は、お前の罪を見ているのだと心得よ!」
「つ、罪……?」
「憎悪と愛の女神たるイディーは、不義を見せたそなたらを許さぬ。そなたらの穢れから、乙女を引き離すのを望んだ!」
神降ろしに選ばれた神は、地上に存在しても、神界と通じている。
人間が認識している神はルジヴァのみだが、ルジヴァの目を通して全ての神々が見ているのだ。
そこには穢れの強い魂を見つけ、舌なめずりが止まらない悪神も含まれる。
「乙女を、黄金の髪と翡翠の目を持ち、背に翼の痣がある神官騎士のそばに置くことで、罪を許そう! 偉大なる創世神の慈悲である!」
ルジヴァの伝えた特徴を持つ騎士に思い至ったのか、神官たちが頭を下げ、従う意思を見せた。
言われた内容が理解できないのか、王は顔を白くさせ、意味もなく口を戦慄かせる。
「これを以て、神降ろしの義は終わりとする!」
ルジヴァの宣言に、殆どの人間が平伏した。
静かになった祭事場に、「なんなのよーう」と喚く醜悪な女の声だけが響いた。
ルジヴァは、王妃だった乙女の体でつつがなく五年を過ごすことができたのである。
生活の場は神官たちのいる教会を選び、そばには黄金の髪と翡翠の目を持つ騎士が常に寄り添っていた。
騎士の背にある翼の形をした痣は、騎士が幼い頃に親しくしていた幼馴染の少女を暴漢から庇いできたもので。
その少女が王妃だった乙女であるというのを、乙女の記憶を見たルジヴァは知っていた。
乙女と騎士が、王の我儘により引き離されたことも。
乙女が、騎士を想い続けていることも理解していたのだ。
「自身に向けられない想いを求めて非道な行いをするとは、まさに阿呆の王に相応しい」
くつくつと、喉を震わせルジヴァは笑う。
そばにいた騎士は目を伏せていた。
「……そなたも、よく耐えたな」
愛しい相手の声であるが、威厳に満ちていた音に深い慈愛を感じて、騎士はルジヴァを見つめた。
可憐な姿でありながら、騎士に向ける温かな眼差しは老齢の賢者のように静かだ。
「そなたたちは、幸せになる」
「は、ありがたきお言葉」
震える声には、愛する少女を救えなかった自身への絶望と悲哀が込められていた。
せめて、少女の幸せを祈れるように神官騎士となったが、苦悩は常にあったのだ。
「そなたの祈りは、神々に届いていた。乙女の、そなたを案ずる祈りもな」
ルジヴァの言葉に、騎士の目がじわじわと濡れていく。
彼女の愛に報いたいと、強く思った。
「幸せになれ」
「は!」
神降ろしの期間が終わりルジヴァが去ったのち、王都の外れに小さくとも立派な家が建てられた。
そこは、天秤の神を祀る祠の近くであり、深く愛し合う夫婦が暮らすことになる。
夫婦はお互いを思い合い、家族に囲まれて、幸せな日々を送ったという。
地上から帰還したルジヴァは、悪神たちが騒ぐのを感じた。
悪神が大歓喜するのは決まって、穢れた魂を回収した時である。
ルジヴァは思う。
軍神の怒りが刻まれた場所ならば、神々の目をさぞ惹いただろうと。
あの喜びようでは、よほどの魂たちが狩られたということだ。
「確かに、イディーからの罰は回避できたかもしれぬが」
悪神たちから守られるとは、ひと言も口にしていない。
今頃仲良く悪神たちの腹のなかだろう。
「さて、我も役目に戻るか」
可愛らしい犬の鳴き声が響く。
神界の地を、天秤を咥えた真っ白な犬がぴょんぴょんと機嫌よく跳ねて行った。




