静かなる決意
数時間後、隊商は領境を越え、峡谷に差し掛かっていた。
この辺りは森が多く地形も複雑に入り組んでいるため、待ち伏せに適している。過去にここで何度もモンスターの襲撃が起きていることから、隊商全体が緊張感に包まれる。
おしゃべりなマイラも、このときばかりはダイアナの傍で大人しくしていた。
聞こえてくるのは定期的に状況報告をする護衛たちの声のみで、先ほどまでの活気は露ほども残っていない。
異変が起きたのは、峡谷を抜けて安堵の空気が広がり始めたときであった。
突然、「モンスターだ!」という叫び声が静寂を打ち破った。それに続いて「敵襲だ!」「迎撃しろ!」という怒号が乱れ飛ぶ。
隊商内は一瞬にして悲鳴と混乱に包まれた。
ダイアナはマイラに「ここにいて」と言い置いてから、荷台を飛び出してあたりの様子を窺った。
すでにそこかしこで戦闘が始まっていた。
襲撃してきたのはオーガの群れだった。
オーガは赤黒い肌をした三メートル近い巨体を誇る凶悪なモンスターである。人間の身長ほどもある棍棒を苦もなく振り回す怪力の持ち主で、まともに殴られれば人間などひとたまりもないだろう。
「あれがモンスター……」
ダイアナはこれまでにモンスターと遭遇したことも、戦ったこともなかった。オーガについても書物で読んで知識だけは持っていたが、聞くのと見るのとでは大違いだった。
護衛の冒険者たちは、二、三人でチームを組み、一体のオーガに対処していた。
前衛がオーガを引き付け、後衛が弓矢や魔法で攻撃を仕掛けている。
「わ、わたしも――」
なにかしなければ。そう思ったものの、どう動けばいいのかわからない。
おたおたしている間にも、戦いはいっそう苛烈さを増していく。
骨が砕ける音や、悲鳴が鼓膜を打ち、派手な魔法の爆発が視界を明滅させ、まき散らされる血の匂いで吐き気を催す。
そのとき、ダイアナの耳に絹を引き裂くような悲鳴が飛び込んできた。
振り返ると、一体のオーガがマイラのいる馬車に迫っていた。
「マイラッ!」
ダイアナは無我夢中で走り、気が付けばオーガの前にその身を晒していた。
両手を目一杯広げ、目の前のモンスターを睨みつける。
魔法を使おうという意識すらなかった。マイラを守らなきゃ――あったのは、そんな使命感だけだった。
オーガの口から吐き出される臭気が、強烈に死を想起させる。
振り下ろされる棍棒がやけにスローモーションに見えた。
恐怖のあまり、ダイアナはぎゅっと目を閉じた。
次に訪れたのは死の激痛ではなく、耳をつんざくような衝撃音だった。
目を開くと、目の前に大きな背中があった。
巨漢の男が、手にした大きな盾でオーガの棍棒を受け止めていた。それも真正面から微動だにせずに。
信じられない光景は、さらに続く。今度は別の戦士が横から飛び込んできて、棍棒を持つオーガの腕を一刀で斬り飛ばした。
片腕を失ったオーガは、乱入してきた戦士の剣で全身を斬り刻まれ、派手に血しぶきをまき散らしながら地面にどさりと倒れた。
「無事か?」
そう問いかけてきた戦士の顔を見て、ダイアナは「あっ」と声をあげた。
先ほどポーションを買っていった優男だった。
「は、はい。だいじょうぶ……です」
ダイアナはからからに渇いた口を動かしてなんとか答えた。
「そこでじっとしててくれ。すぐに終わらせるから」
優男は小さく笑みを浮かべると、大男に目配せしてから背を向けた。
そこからのダイアナは、彼らの活躍をただ見守るだけの存在となった。
大男がモンスターを引き付け、優男が倒す。単純に見えて、それぞれの特性を活かした攻防一体の連携は、素人目にも芸術の域にまで達しているように見えた。
周辺にいたオーガは、たったふたりの戦士によってあっという間に駆逐された。
他の場所でも戦いが終わったのか、街道は元の静寂を取り戻しつつあった。避難していた人たちもちらほらと戻ってくる。
「先ほどは助けていただき、ありがとうございました」
ダイアナは優男に近づき、深々と頭を下げた。
「それが俺たちの仕事だからね。礼には及ばない」
そう答えた優男の顔は、激戦の中に身を置き続けたことを示すように返り血で汚れていたが、それさえも色気に変えてしまうような不思議な魅力があった。
「なんにせよ怪我がなくてよかったよ。それじゃ」
そう言って立ち去ろうとする優男を、ダイアナは「あのっ!」と慌てて引き止めた。
「……なにか?」
「わ、私はダイアナといいます。あなた方のお名前を教えていただけますか?」
「名前? 俺はカイルで、あっちの大男がリアムだ」
カイルと名乗った男は、少し離れた場所でオーガにとどめを刺して回っている大男を指し示しながら言った。
「カイルさんと、リアムさん……」
ダイアナは二人の名をしっかりと心に書き留めた。
「俺たちは後始末があるから、これで失礼するよ」
そう言って大男のもとへ歩み寄るカイルの背を、ダイアナは魅入られたようにじっと見つめ続けた。
あれが冒険者なのだ。
カイルとリアム……この国の平和は、彼らのような勇敢な戦士たちによって守られている。一日でも早く、あの人たちを支えられるような回復役になろう。
そう決意を新たにするダイアナであった。




